餡子の行方

厳しいムチと飴 1.

「おばさん、すみません。」

奏のお茶碗や箸の持ち方、たたずまいは、本当にシュッとしていて綺麗で、思わず風子は自分のお茶碗をからにしたまま見惚れていた。がつがつとした様子がないのに、意外に胃袋は旺盛で、すでに3杯目のお替りをしていたところだ。

「風子も空からじゃないのか?」

奏は、目の前で呆けている風子の茶椀を見て、そう声をかけた。夢から覚めたように風子はぶるぶると頭を振って茶椀をカタンとテーブルに置いた。

「あれ?お替りは?」

奏と、風子の父親が同時に叫んだ。風子は父親をすごい勢いで睨み、奏には、睨んだつもりのはずが、顔中が赤くなっていく。

「風子は、あれよね?奏君が素敵だから、とりあえず、ここはおさえているのよね?」

一人っ子の風子は、小見山家では突っ込みどころ満載のカワイイ娘で、父も母もどちらかというとツッコミ担当だ。近衛家が隣にいたときは、奏までがそれに加わり、天然ボケの風子と、オモロイボケの幹大 =ある意味天然= と、どSツッコミの奏とで、トリオを組んでいたといってもおかしくない。

「お母さん、ち、違う!今日は、そんなにお腹へってないんだもん!」
「別に今さらだろ?」

今度は父からツッコミが入る。奏は別段興味がなさそうに、風子の母一押しのアジの南蛮漬けを美味そうに咀嚼していた。こんなに美しい所作なのに、作り手が嬉しくなってしまうくらい奏は随分と美味しそうにご飯を食べる。案の定風子の母親から黄色い悲鳴があがる。

「うん、うん、いいわね。こんな綺麗な息子に、美味しそうに食べてもらえるなんて、幸せよ。」

すると、風子の代わりに奏が答えた。

「でも風子も美味そうに食べますよね?昔、、、ラーメン食べてる風子、スープまでズルズルと飲み干すから、自分の顔より大きなどんぶりまで飲み込むんじゃないかヒヤヒヤしてた、、、」
「え? 」

そんなに幼い時から意地汚かっただろうか? 風子は記憶貯蔵庫をあさってみるのだが、何も出てきやしない。

「そうそう、よく覚えてるわねえ。奏君。昔からこの子の食べっぷりったらねえ?」
「だけど無心に食べる風子は昔からかわいかったぞ?なあ、奏君?」
「、、、、」

小見山に促され、奏は少しとまどっているようだ。だが、奏の記憶の中には、確かに風子は存在しているのだ。19年ぶりの再会で、まだまだ会わなかった互いの長い時間は埋められないけれど、奏は奏なりの風子の思い出を持っていてくれる。例えそれが、食い意地に関することであってもだ。

「風子は本当に何でもよく食べる子だったしねえ。」
「今でもたいして変わってないぞ?ラーメンなんか食べれば、あのスープの飲みっぷりは健在だな? まあ、顔はあの頃よりも益々丸くなって、今じゃ、どんぶりから顔の方がはみ出てしまうがな?ハッハハハハ。」

何をかいわんや、、である。父も母も、久しぶりに会った美しく成長した幼馴染に、風子のことを取り繕って見せようなんて、これっぽちも思ってやしない。それどころか、奏も、下を向いて笑いをこらえている。風子はもう自暴自棄になり、えいやっとばかりに、カラの茶碗を母に差し出した。

「おかわり!」



近衛奏は、8時ぴったりに小見山家のドアチャイムを鳴らした。風子は悩んだ挙句、結局いつも着ている部屋着スタイルで出迎えた。淡いサーモンピンクのセットアップはテレンテレンとした主張のない素材で、着ている人の体系に合わせてくれる。ダラリと体にゆとりを持って風子にまつわりついているので、いつもより、2割増しで太って見える。だが家にいる時まで腹周りを締め付けたくないわけで、ゆとりあるデザインなのだから、それも仕方がなかった。けれど、風子が玄関のドアを開けた途端、思わず後悔が押し寄せる。目の前に現れた奏は、会社帰りらしく、細身のスーツをビシっと着こなした、どこからみても見栄えする出来る男だ。

『ショーニィ、、、こ、こんばんは、、』
『お前さあ、、、』、

顔を合わせた途端、奏は何やら言いたげだったらしいが、そのままスルーした。そしてぎゅっと握った自分の手を風子の前に差し出した。

『え?』
『これ。お前にやる。』

グーで握られた指先をゆっくりと開いていく。長い指先が花の開花を告げるように一瞬見惚れてしまった風子だが、開いた手のひらの上にあったものを見て驚いた。

『何?これ?』
『ん?USB』

それがUSBなことは、さすがの風子も知っている。だが、何故、今、このタイミングなのだ。

『風子、俺、何の仕事してるか知っているよな?』

この間幹大に聞いた話によれば、奏は、プログラマーなのだという。現在は、誰もが知っている大手メーカーでのプログラミング開発部で活躍しているらしいが、学生の頃から、ゲームプログラムで小銭を稼いでいたらしい。

『お前、計算ソフトで苦労してるって、幹大が言っていた。』

風子は、『あっ』と思った。残業で何度も幹大の誘いを断った際、電話で確か幹大に泣きついたことがあった。



『ああ、計算ソフトの達人になりたいよっ!』



幹大との会話はそのまま何の進展も見せなかったけれど、幹大はそれから奏にそのことを漏らしたらしい。

『お前、俺に泣きついてくると思ったけど?』

ボソリと言った奏の口調は不満げに聞こえた。

『後輩に教えてもらうから、、』

嘘ではなかった。風子は常々、後輩の凛子に、計算ソフトやPCの裏ワザなど教えてもらうつもりでいたのだ。

『だったら、まず、これやっとけ!』
『な、なに?』
『風子のPCに差し込めば、自動的に立ち上がるから、それに沿って操作すればいい。わからないことあれば、連絡しろ! 』
『え、、、、』
『しっかり頑張れ!じゃあ、今夜はそんだけ。じゃあな。』

奏は玄関先で帰ろうとしている。もしかしたら、佳つ乃をまた車の中で待たしているのかもしれない。引き留めたいのに、佳つ乃の勝ち誇ったような顔が頭に浮かんだ。もやっとした霧がどんよりと渦巻く気持ちに、彼を引き留める勇気など到底ない。

/バタバタバタ/
『きゃあああ、奏君?』

奥からあわてたスリッパの足音と共に風子の母親がエプロンで手を拭きながら満面の笑顔でやってきた。

『あ、おばさん、ご無沙汰していてすみません。』

奏の顔が少し緊張して、それでも懐かしそうな顔で頭を下げた。

『本当よ。あらやだ、益々かっこよくなっちゃって、、っていうかあの頃からジャニーズ系だったものねえ、本当素敵になっちゃって、、』
『ははは、、』

さすがの奏も風子の母相手では笑うしかないようだ。

『じゃあ、おあがんなさい。夕飯食べていきなさいな?』

有無を言わせない母親の響き。奏のこれからの予定がどうとか、金曜日の夜だから、誰か人と待ち合わせているのかとか、そんなことなどお構いなしだという単純明快な言葉。風子は、奏の顔色を窺った。奏には迷惑なのかもしれない。断れないのかもしれない。

『いいよ、ショーニィ疲れてるだろうし、、』

風子はショーニィが断り易い逃げ道を作ってやる。

『あら、いいじゃない、ご飯ぐらい。』

他意がないとはおそろしい。風子の母親は頑なに引き留める。だが、どうだろう。奏は照れたように、それでも嬉しそうに目を細めた。

『嬉しいです。ごちそうになります。』
『え?』

奏は靴を脱ぎ、ゆっくりとした動作で風子の前を通って行く。それは、まるでスローモーションのような動きで、ただ風子は驚きのあまり声がでない。今夜こそ、小見山晴子(こみやまはるこ)=風子の母= を羨ましく思ったことはなかった。意識も何もせず、ただ、素直な気持ち通りの言葉を相手にぶつけることができる羨ましさ。自分は、どうしてもよこしまな気持ちがあるから、もし奏が夕食を断わったら、きっとショックだったに違いない。あれこれ要らぬ考えを巡らせ、余計また凹んでいただろう。だから、こうも簡単に単純に誘うことのできる母を偉大だと思った。そのお蔭でこうして、今、奏と一緒に夕食を囲むことができているのだから。



思い出話に花が咲き、風子の父親も母親も奏を質問攻めにし、駆け足で19年間の互いの知らない月日を補っていく。とはいえ、どちらかといえば、風子の両親が一方的に奏に質問攻めにしているわけだが、、

「じゃあ、幹大君は?今どうしてるの?」
「近衛さんと加奈子さん=奏の母親=は、広島市内でお家を買われたのね?じゃあ、もうこっちには戻ってこないの?」
「奏君、大学は?え、なんで、アメリカの大学に行かなかったの?」

とか、とか、芸能レポーターさながら、かなり詳細な問いかけを投げかける。奏は、言葉少なだけれど、昔馴染みの両親に打ち解けているようだ。お蔭で風子は蚊帳の外。でもお蔭のお蔭で言うのならば、両親の根ほり葉ほりのお蔭で、かなりの奏に関する情報が集まった。中でも飛び切りナイスな質問は、風子の母親からもたらされた。

「奏君、彼女は?」

臆面もなく超ドストライクな質問に、風子は度肝を抜かれたが、それでも耳だけはダンボになっていた。

「いません。」

即答だった。

「あら、うそうそ、そんなにかっこいいんだもの。絶対いるわよおっ。」
「いや、、」
「わかった、加奈子さんへの牽制ね?大丈夫!わたし口硬いんだから!」

まるで信憑性のない風子の母親・晴子の言葉に、奏が苦笑いをする。

「いや、本当に、今、いません。」

奏の言葉が本当かどうか、今の風子にはわからない。佳つ乃の存在だって気になるけれど、ただ、晴子の問いかけに真摯に答えている奏の姿は、何だか誠実そうに見えて、それだけで風子はなんとなくほっと肩の力を抜いた。その瞬間風子と奏の目があった。奏は、何やら言いたそうな顔だったが、彼は何も言わなかった。風子にしてみれば、そこが少しばかり不満だ。第一、19年ぶりに会ったあの夜から、未だ、奏から風子の空白の19年間について質問されたことはない。普通なら、


―――どうしてた?大学はどこ行ったんだ?
―――会社で何してるんだ?

あるいは、それこそ、

―――-カレシはいるのか?

とかとか、普通は聞いてくるでしょう?そう思わずにはいられない。なのに、何の疑問も持たず、奏はまるで、今までずっと毎日会っていたような雰囲気で風子に接する。二人が会わなかった月日など全く関係ないようで、つまりそれだけ、風子に関心がないのだ。ぼんやりそんなことを思っていた。

「風子、お前、、、」

何か言いたげな奏に、風子の瞳がキラキラと輝いた。そうだよ、いくらなんでも、聞きたいことのひとつやふたつはあるはずだから、、ワクワクしながら、奏の言葉の先を待った。だが、晴子がすぐに割り込んでくる。

「ねえ、今度は幹大君も連れてきてよね、奏君!」
「おお、そうだなあ。」

晴子が言えば、小見山も同意する。実に息が合っていた。先ほどまでは、風子が偉大だと思っていた母親だが、今となっては少しばかり沈黙という言葉を要求したい。

「それに今年の夏はみんなで広島行くっていうのは、どう?あなた?」
「おお、いいね、いいねえ。もみじまじゅうう、もみじまんじゅうう、なんつって、」
「何も二回も言わなくても、もみじまんじゅううっ!って!」
「晴子も言っただろ!もみじぃまんじゅうっ!」

夫婦漫才ならぬ、馬鹿夫婦は、すっかりテンションがあがってしまい、もう奏も風子もその場に置いて勝手に走りだしていく勢い。お蔭で結局、奏の言葉は最後まで聞けなかった。何だか不思議な空間だった。ボストンに行って、、、そして広島へ行ってしまった奏だというのに、今こうして風子の傍にいてくれて、風子の実家で、奏をよく知っていた風子の両親と一緒にいるわけで、気が付けば昔と何も変わらない時間が流れている、そんな気がしてしまう。

「わたしは、お好み焼きがいいもん!」

結局夫婦漫才のテンションで、そのDNAを引き継いだ風子のテンションがあがる。広島と聞いて、食いしん坊の血が騒ぎ始めた。

「わたし絶対ひょっとこソースがたっぷりの昔ながらの広島お好み焼きが絶対食べたい!行ったら絶対食べる!!」

伝統の味には、あまりヌーボーだの食改革だ、などと好まない風子は、この間テレビで見たお好み焼き屋台へ行ってみたいのだ。昔ながらの元祖の味を堪能してみたい。

「どこでも、、連れてってやる。」

未だ、きゃあきゃあと小見山夫妻が騒いでる中で、ボソリと奏の声がした。

「え?」

空耳か?そう思い奏を見れば、奏はもう普通の顔をして風子の両親のやり取りを面白そうに見ていた。まったく、、、いつだって奏は肝心なことも、何もかも言ってくれないから、、、風子の唇が、とんがる。けれど、風子は知っている。眼鏡の奥から見える切れ長で涼しげな瞳はどこまでも穏やかでどこまでも優しい光を帯びていた。
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