餡子の行方

厳しいムチと飴 2.

/カチっ/
<ポン!>

先ほど奏からもらったUSBを、風子は自分のラップトップ脇に挿してみる。画面が一瞬暗くなったかと思えば、すぐにピンク色の幸せそうな画面が現れ、続いてモワモワっと煙から文字タイトルが出た。

【ウェルカム ブーちゃんの成長ゲームへ!】

「な、なに? ブーちゃんって?」

クリックで『次へ』 を進めて行けば、プレイーヤーの実力査定というのがある。初級・中級・上級、、、風子からすれば、あまりこういったゲームには詳しくないので、当然初級からなのは言うまでもない。

/カチカチ/

【ビギーナーの皆さんへ】

【あなたは、ミニブーチャンです。このゲームは、色々なアイテムをゲットして、ブーちゃんを大きく育てていくお話です。ただし、あなたの出来次第では、ブーちゃんは死んでしまいますので、ご用心。】

すぐにブーちゃんが現れた。

「あ、、かわいい」

かわいらしいアニメのブタの赤ちゃんがベビー服を着ていて実に愛らしい。そのまま風子は、ステージ1のボタンを押した。

ブーちゃんが話し始めた。

『助けてください。ライオンとオオカミと豹とハイエナの中に、悪者がいます。』

次のボタンを押すと、計算ソフトのような表が出てきた。

「え?」

ひとつの表に、それぞれの動物名が横に並んでいた。ライオン、ヒョウ、イノシシ、狼、ハイエナ、、、各動物の下にずらりいいいいいと22桁の数字が縦に列をなす。たとえば、ライオンの下には、【1908377663839475976364】というような意味のない数字の羅列があって、その下にズラリと22桁の違う数字が縦列している。豹もハイエナもその他の動物もみんな同じように意味のない数字が縦に並んでいた。

『悪者は、この数を持っている人です。』
【3487615295009736551297】

「え?」

【では、15秒以内に見つけてくださいね。】

と言ったかと思うと、いきなりストップウォッチが現れて、勝手に時が進んでいく。

「えっ えええ??え?!!」

/カチカチカチ/

時が容赦なく過ぎて行く音、、、それに風子は余計にあせる。


「う、うっそ?えっと、えっと、、、」

「そうだ、検索機能だ、、、えっと、、」

間抜けな風子はそのまま、数字を真似て打って行くのだが、キーボード早打ち名人でない限り、直接22桁の数字を打ち込むなんて間に合うわけがない。

「えっと、ろくいちご、、えっと、、ぜろ、、いや、にい、、」

/カチカチカチ/

だんだんと子豚がブルブルと青ざめていく。やがて、甲斐もなく画面に時間切れの文字が、、、そして残酷にも、子豚はライオンに食べられてしまった。

「きゃああああああ、、、、、」

何ともスリリングなゲームだ。ブーちゃんがぱっくりと食べられてしまい、ライオンが爪楊枝を加えながら、のっそりのっそりと退場していく。

「ひどおおいっ!」

などと感情がすでにブーちゃんに移入する風子だが、ふと手をとめた。だって、なぜ、こんなゲームを奏がくれたのかを考えたからだ。

「まさか?ショーニィ、、、、?」



『しっかり頑張れ!』


奏の声が蘇った。あれこれと言った後、奏は、そんな励ましを言っていた気がする。画面には、『もう一度トライ』 というボタンと、『宿題』 というボタンが並んでいた。とりあえず、宿題ボタンを押してみた。

【この表を次回金曜日までに作成すること。俺がチェックしに行くからな!間違っていたり、やってなかったら、大きな罰があるから、そのつもりで!】

「ええ?ええええ?!!」

有無を言わせないその強制宿題に、風子はアゼンとした。その上、チェックしに行くからな!という文言が気になる。それは、本当に確認しにくるというのだろうか?それともそれは、ゲーム上のお約束の文言なのだろうか?風子はマウスで色々と押してみる。

/カチ、、カチ、、カチ、、/

ステージをクリアしなければ、どうやら先に行けないようなのだが、けれど、どのステージも同じで、宿題ボタンがついていた。

「はあああ、、、、」

恐らく奏は、風子が苦手だと言っていた計算ソフトに慣らすためにこんなゲームをくれたに違いない。ありがたい、実にありがたい、、とは思う。昔から奏は、風子の苦手なものを奏なりに考えて手をかしてくれる。風子は昔ジャンプができなくて、地面から体を離しているつもりでも、体が上に揺れているだけで足が地面から離れていなかったらしく、、、また、本人が得意げに楽しげにやっているスキップも、結局はちょっとだけ早く歩いているだけだったりして、奏は脅かし、厳しく、冷たく、そして、最後は必ず風子が出来るまで付き合ってくれた。それは、世間でいう飴と鞭なのだが、奏の場合、やけに鞭が多く、リズムでいえば、鞭、鞭、鞭、あ=飴のあ、その後、再び鞭鞭鞭鞭、め=飴のめ 再び鞭鞭、最後にはやっと “極上の飴” をくれた。だから、最後の飴はおそらく普通の飴なんだろうけれど、鞭が多すぎるため、飛び切り甘く感じたられたものだ。滅多に褒められることのない奏に褒められた時の嬉しさは、まさに天にも昇る心地。ああ、そうなのだ、昔から風子は奏に洗脳されているのだ。勿論、幹大も同類である。

【俺がチェックしに行くからな!】

もう一度文字を読み返し、風子は憂鬱になった。もし、これが本当に奏が会いきてくれるのだとしても、どうせ奏のことだ、風子がどれくらい上達したのかを見にやってくるだけだろう。甘い言葉も、二人の関係がラブなどに発展することも何もなく、ただただ風子の精進のためだけにやってくる。ましてや、風子の上達が著しく停滞していようものなら、、、、あああ、考えただけでも恐ろしい。風子はブルリと体を震わせた。ならば、やるっきゃない!


『泣いている暇があれば、頑張れ!』

それが奏の口癖だ。泣いていても、何も変わらない。だから、前に進むしかないのだ。

「はああああ、、、」

風子はもう一度ため息をついて、観念したように、カチリとマウスをクリックした。





*****

「風子?どした? クマ出来てるよ?」

時間があうときはお昼を一緒に食べる風子とミッツ。今日は給料日、しかも金曜日ということもあって、ちょっと奮発してフレンチランチとしゃれ込んだ。本当は、赤ワインくらいを片手に食事をしたいと思っているミッツが、風子の顔を見て、驚いているようだ。

「うん、、、だって、宿題が、、、」
「宿題?」
「うん。ショーニィがね、計算ソフトの問題集みたいなゲーム、くれたの。」
「え?」
「でね、ステージごとに宿題があって、第一ステージの宿題の期限が今日までなの。」

果たして、市販で売られているそんなゲームソフトがあるのだろうか?と首を傾げながら、ミッツはパンをかじった。

「ふうん。何だか、面白そうなゲームじゃない?」

それを言われると、風子もぐうの音もでない。確かに最初は嫌々だったけど、ゲームはなかなかに楽しかった。その上、愛くるしいブーちゃんが、難問を解決するたびに、アイテム=食べ物 をゲットして、少しずつ成長をしている。第一ステージの最終局面では、ブーちゃんはすでにオシャブリをやめて離乳食になって、少しだけ横に大きくなっていた。長くつきあっていくと、ブーちゃんに情がうつっていくのもこれまた人の情け。何度も、ブーちゃんが、猛獣によって、片腕、片足、ハムに変身して獣の餌食なったりしたが、見事、魔法の水アイテムのお蔭で、何度か命を救われた。その上、ブーちゃんが食べるアイテムをゲットするときの喜び方は、見ていてとても可愛らしい。そんなわけで、風子は、まんまと奏の思惑通りにのせられて、毎日ゲームと格闘中。だが、宿題は、かなり厳しい。これを間違えると、ブーちゃんは一気に食べられてしまうのだ。


【宿題出来たか?今夜、8時に行く。】

先ほど奏からメールがあった。これが逢引きの話なら、何とも艶っぽい話だが、実は宿題のチェックに来るという、色気も何もあったものじゃない。

「でも風子、計算ソフト苦手だったから、よかったじゃない?」
「うん、、そうなんだけど、、、だけど、、間違えていたら、、怒られるよおっ。怖いよおっ!」

風子は悲しげな声を出す。風子はこの上もない哀れな声を出す。計算もしてなく、ただ本当に憂鬱なだけなのだろうが、こういう風子の天真爛漫さは実に可愛らしい、とミッツは口元をほころばせた。

「でもさ、そんなゲーム、巷のどこに売ってるの?」
「さあ、知らない。けど、ショーニィ、、、その方面のプロだから、色々詳しいんじゃないの?」

風子は悩んでも仕方ないと思ったらしく、コルドンブルーの大きめの欠片を口に掘り込む。油の甘さとハムとチーズの旨みがじんわり口の中に広がるから、たまったものじゃない。やっぱり食べているときが一番の幸せなのだ。風子の美味そうに食べている顔を見ながら、ミッツは考え込んだ。

「ふうん。」

何か納得したような声をミッツは出した。

「え?何?」
「うん?だから、ふうん。」
「え?意味、わかんないよ。何が『ふうん』なの?」
「今夜、近衛兄が来るんだから、聞いて見なよ?そのゲームどこで売ってるのかって。」
「え?うん。わかった。っていうか、ねえ、ミッツ、お芋食べてもいい?」
「え?あ、うん。」

ミッツは、皿に、サイドとして盛りつけられたフライドポテトをごっそりと風子の皿にあげた。

「ありがとう。」

顔中いっぱいに浮かんだ笑みは風子の最強の武器だ。ミッツは、この顔が見たくて餌づけをしているようなものだと、思わず優しく笑った。出来ることなら、風子の泣き顔は見たくないなと思う。彼女は子供の頃から奏が好きだと言っていた。けれど、彼女の想いがどこまで真剣なのか、、、果たして恋が実らなかったとき、風子の人生に影を落とし引きずって行くぐらい、本気の恋なのだろうか?そんなことをミッツは考えていた。




*****

「おっ?ぶーこ、ちょっとデカくなったな?まるまる太ってるな?」

文言通り、奏はきっかり8時にやって来た。実は、すでに風子の母親、晴子は彼が今夜来ることを事前に知っていたので、この間と同じように夕食をこしらえみんなで卓を囲んだ。その後、風子と奏は、風子の部屋に二人っきりになった。

「ブー子じゃないよ!ブーちゃんだよ!」

どうも “ふうこ” と “ぶうこ” と何だか響きが似ていて、まるで自分のことを言われているようで、むっとする。

「ん?で、宿題は?」

相変わらず風子のクレームをあっさりスルーした奏は、風子の座っているライティングデスクの後ろに立った。少し前かがみになって、風子と一緒にPCの画面を覗き込む。とたん、ヒシヒシと毛穴にまで緊張が走った。風子の体が硬直し、息も出来ない。奏が異性であり、男であることを、意識せずにはいられない。その上、男なのに香ってくるすごくいい匂いに、風子の胸がドキドキと早くなった。

「ち、近いよ、、ショーニィ、、、」

知らず知らずと顔が赤くなってきた。手をバタバタと動かして自分の顔に風を送ってみる。

/コツン/

奏は軽く風子の頭を突いた。

「ほれ、早く、宿題見せろ!」
「あ、は、はい。」

風子はあわてて、宿題ボタンを押した。奏はじっと画面をチェックしているようで、静かな息使いが風子の柔らかな髪を刺激する。

/ドキドキドキドキ/

「お?」
「え?」

耳元で奏の声が鳴った。トクンと鼓動が跳ねて、風子は死ぬかと思う。

「よく出来てる。」

奏は嬉しそうに目を細めた。風子を褒めてくれた声は、耳障りがよくて、奏の声はたまらない。

「本当?」
「ああ。」
「わっ、やったあ!」

風子は、嬉しくなって満面の笑顔で奏に振り返った。ミッツが見たら、それは風子の最強の武器。奏は驚いたように、風子の顔をマジマジとみて、それからすぐに視線をはずした。

「けど、これ、簡単な問題だから、出来て当たり前!」

喜んだのもつかの間、奏の言葉に撃沈だ。これが、所謂 『奏の飴と鞭』で、風子は頭を抱えた。もう少し優しくしてくれてもいいのではないか、もう少し褒めてくれてもいいのではないか、、と恨めしい。佳つ乃だったら、奏といえども、もっと甘く、もっと優しく言葉をかけるのかもしれない。



『ツノ、うん、いいね。ちゃんと出来てるよ。』


何てことを言いながら、奏の唇が、、、、、そんな変な妄想にとらわれた。思わず食べた芋の煮っころがしが胃を逆流してきそうになって、風子は頭をぶんぶんとふった。みぞおちのあたりが痛くなって、思わず手で押さえる。

「どした?」
「あ?ううん。」

言葉は少なくて、口も悪いけど、奏はいつだって風子のことをちゃんと見ててくれる。風子は、やっぱりこれにやられてしまう。

「じゃあ、今夜は、ステージ2のテーマ、 “フィルターとIFの応用“。ほら、計算ソフト開け。」
「あ、は、はい。」

感慨に浸っている暇もなく風子の瞳はもう計算ソフトにロックオン。こうして、奏は、本日のテーマに入って行く。不思議なのが、言葉が少なくてブッキラボウなのに、奏の言葉はすっと風子の胸に入ってくる。

「ルールさえ覚えれば、あとは自由に風子のやりたいことができるはず。」
「だけど、、、難しいもん!」
「ムズカシイとかできないとか言うな!」

すぐに怒られる。けれどその後が奏はずるい。

「お前なら出来る。」

真剣な奏の瞳は、本当に風子のことを信じてくれる。



『デキナイモン!テとアシがいっしょだもん!ピョンピョン出来ないもん!』

スキップが出来ずにダダをこねる幼い風子の横で、奏は厳しい顔をしている。

『しのごの言う前にやれ!』
『シノゴ?』
『とにかくやれ!』
『デキナイもん!』

顔を真っ赤にして必死に風子は涙と格闘している姿は、はたから見るととても健気だ。

『うっ、うっ、、うわあああああん。』

堪えきれずに風子の大きな黒い瞳から、洪水のようにどどんと大粒の涙が流れ落ちる。風子が泣くと、決まって奏は、困った顔をする。だが、どんなに泣いても、彼は優しい言葉なんかかけない。ただ辛抱強く、風子の涙がひいていくのを待っているだけだ。

『ひ、、ひっく、、ひっく、、ひっ』

やがて泣きつかれ、喉が苦しくなった風子に、奏は目を細めてポツンと言った。

『風子と、一緒にスキップしたかった、、』

奏の口から漏れ出た言葉は何だか奏の心の願いのようで、、その願いが叶えられなかった奏の姿が、風子の真ん丸の瞳に寂しげに映った。

『ショーニィ、、、』

風子は幼心に、彼の期待に応えたい!そんなことをいつも漠然と思っていたのかもしれない。

『ふうこ、ガンバル。ね?ショーニィ?』

さっきまで泣いていたのがバツが悪かったのか、まん丸顔の風子の顔に照れ笑いが浮かぶ。小首を傾げて、奏を励ますように、風子はまたスキップの練習に励む。奏が計算づくでやっているのかどうかは不明だが、とにかく、風子や幹大の扱いには長けているのは間違いない。お蔭で、ちっちゃな風子は、苦手なものを、ゆっくりとでも、奏と一緒に克服してきたのは事実だった。



「お前なら、出来る、、、きっと出来る、、俺、知ってるから。」

奏はつぶやくように、言葉をそっと漏らした。グラス越しから風子を見つめてくる切れ長の瞳が、寂しそうに揺れていた。風子の胸がズキンと痛い。

「うん。ショーニィ、やってみる!」

かくて風子はすっかり奏の術中にはまっていくのだ。
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