餡子の行方

奏の気まぐれ? 1.

「出来た! 見て!ショーニィ!!」

嬉しそうに風子はキラキラ輝く瞳を奏に向けた。今夜は、もう何度目かになる、奏のマンツーマン計算ソフト特訓だ。奏は何も言わず口元を隠しながら、目を細めた。

風子のブーちゃんも、何とか、小学生まで成長して、今はランドセルを背負ってアイテム探しに必死だ。ゲームを進めていくうちにわかってきたのは、ブーちゃんが幼稚園にあがった頃から、風子が最難関問題をクリアするたびに、ドーナッツのアイテムがゲットできる。ドーナッツにも種類があって、チョコレート、シナモン、だけど、一番最強のアイテムは、ザラメのお砂糖ドーナッツだ。これを食べた時のブーちゃんは最強で、たとえ風子が問題に失敗しても猛獣に食べられる心配がない。風子のブーちゃんへの思い入れは一段と強くなっていた。だって何となく風子とブーちゃんには共通点も多い気がする。最強のアイテムザラメのドーナッツは、色々な種類の中でも風子の一番の大好物だ。

「風子、じゃ次やってみろ!」

せっかく必死に問題を解いたのに、褒め言葉ひとつ出ないのは、もう諦めていた風子なのだが、最近、奏の態度がおかしなことに気が付いていた。風子に問題をやらせている間、奏は、じっと考え込むことが多くなった。その上、この間からやたらと風子の着ているものに何かイチャモンをつけたがる。


前々回着ていたのは、一番最初に奏が家に来たときと同じ部屋着だ。テレンとした生地で、着心地がよく楽だ。風子のぷよっとした柔らかい体にまとわりついて、動くのも楽なのに、、奏の視線が、風子の胸元を彷徨った。

『風子、そういうの、、アレだな、、、体が出る。』
『え?』
『だから、肉の形が全てわかる。』

つまり、体の線から零れ落ち行く、ありとあらゆる脂肪のたるみが、部屋着に現われるということだ。風子は傷ついたが、そのあと口答えも許されず、

『早く、問題解け!』

などとボソリと言われ、結局風子は、また問題と睨めっこだった。風子は、その部屋着をその日限りで封印した。

また別の日には、そうならば今度は、着やせするデザインのものを選んだ。前にミッツと一緒にショッピングして買った時、風子がめちゃくちゃ気に入ったものだった。ミッツも褒めてくれた。


『うん。これなら引き締まって見えるよ。風子はもともとボインちゃんだから、めりはりのあるデザインの方がやせて見えるから。』

ボインちゃんとは、なんともエロ親父の言い方じゃあるまいし、だが、そういうミッツの方こそグラマラスなスタイルだ。ただ、風子はお肉がぽっちゃりついているから、その延長で胸も確かにあるのは事実。ということで、奏が来るときに、ミッツが絶賛してくれた濃紺のふわりとしたブラウスを着てみた。襟ぐりが大きく開いているから首元がスッキリ見えたし、きゅっと腰のあたりは締まったデザインだから、確かに体にメリハリが生まれる。下は真っ白なフレアスカートを着込んだのだが、、、そのいでたちで、奏を玄関で迎えた。奏といえば、風子の姿を見た途端、眼鏡の奥の瞳が一瞬光ったように見えた。口元を隠しながら、ぼそりと言った。


『お前、足が白すぎて、見えすぎ、、』

文句を言われた。風子の真っ白な太ももがまるで大根だと言わんばかりだ。そんなものを出すなと言われたように等しい。挙句、あんなにミッツも褒めてくれて、風子だって満更でもないと思っていた、メリハリのあるブラウスに至っては、一刀両断だった。

『そのブラウスはやめとけ。』

風子が喜ぶ言葉を何か言ってくれるとは思わなかったけれど、まさか、地獄へ一発で落ちていくような気持ちにさせられるとも思っていなかった。ミッツは風子の親友で、毒舌で物事をはっきり言うけれど、実は情の深い優しい女だ。本当はそれほど似合わないブラウスだったが、まあ色的に膨張色ではなかったし、風子が買う気満々だったのを知っていたミッツも、その場で水をさすことを諦めたのだろう。さすがの彼女も風子にズバッということがはばかられたのかもしれない。親友の優しさに風子は胸を熱くしたものの、もう二度とこのブラウスは着ないことを誓ったのだ。



「ショーニィ、ちょっと、休憩してもいい?なんか頭使ったら、暑くなっちゃったよ。」

風子はバタバタと手を振って、自分の顔に風を送った。悲しいかな、バタバタと腕を動かせば、二の腕の無駄なお肉が、引力の法則に従ってたっぽんたっぽん揺れている。今夜はいつにもまして暑かったから、真っ白なフレアスリーブのブラウスと半ズボンを着ていた風子だった。半ズボンは膝下だし、ブラウスも別段肉のたるみが見えることもない。最近アレコレと文句を垂れる奏に、今日の服装は完璧だと思っていたのだが、二の腕のたっぷん事情を見れば、今さらながら、もう少し袖の長い服を着ればよかったと、後悔、先に立たず。何となく視線を感じて風子がそろりと顔をあげれば、案の定、奏が風子の二の腕あたりを見つめているような。

(げっ!)

風子は真っ赤になった。あわてて、両脇を締めるように、ギュッと力を入れて、不自然な形でキーボードを叩く。すると両腕が脇にくっついているのだが、胸が邪魔で動きがとりにくい。

「風子、、、」

頭の上から、奏の声がかかった。二の腕にばかり気をとられていて、肝心の問題をおろそかにしていたから、奏からてっきり小言を言われるものだと思い、風子は肩を竦め覚悟する。

「な、なに?」
「お前、、」

奏は何となく言いにくそうだ。

「な、なに?」
「あ、、風子、お前、その服、きついんじゃねえの?」
「え?」

思わず下を見て、自分のブラウスを見つめた。確かに、Mサイズは、時として風子にはきついこともある。特にデザイン性の問題で腕回りや胸元がキツキツになったりするのだが、、、今着ているブラウスは、フレアスリーブだから、腕回りはバリアフリー感覚で、何の拘束も受けず自由に動き回れる。但し、ブラウスがコットンのため、伸縮しないので、胸がちょっときつい気はしていた。けれど、それほどサイズに合ってないとは思えない。

「な、なんか、こう、、、ハトが胸ふくらましてる感じで、息吸ったら、はちきれちゃんうんじゃねえか?」

これには風子は言葉も出ない。よく公園で、ハトがグーグーと鳴きながら、胸元を大きく膨らませていたりする。何ともまん丸く太った感じだ。もしや奏はそれを指摘しているということか。つまり風子も益々太って見える、いや、現にぽっちゃりしているからまた太ったのではないかと、そう示唆しているのか。何て、デリカシーのない男。風子はユデダコのようになった。

「お前、ほっぺた膨らんでる。顔も真っ赤だぞ?」

そう指摘されたが、当たり前だ。奏の言葉は、許しがたい。乙女心を傷つけられた身としては、唇がとがり、ほっぺはこれ以上もなく膨らんで、怒りで顔に血が上り、もはや頭から湯気が出ているのではないかと思われた。

「怒ってるんだもん!」
「はあ?」
「怒ってる!ひどくない?そういうのセクハラでしょ?」
「せ、せくはらあああ?」

奏の声が裏返った。珍しく奏は動揺しているようで、瞳の焦点が合わない。

「そうだよ。わたし、最近そんなに太ってないもん!ダイエットだってしてるし、甘いものだって節制しているし、、」

最後の方の言葉は、これはちょっと嘘だったが、まあ、この際売り言葉に買い言葉で、風子の勢いは止まらなかった。

「太った?何言ってんの?風子?」
「だから、最近は体重も増えてないから、ショーニィにデブって言われる筋合いはない!」

風子の瞳が怒りでギラギラとして奏を睨んだ。奏は、この期に呼んで逃げるつもりなのか、風子の言っている意味がまったく解せないと言わんばかりの様子だ。

「誰がデブだって?つうかお前、ダイエットしてんの?」
「し、してるよ。」
「なんで?」
「だって、彼氏ほしいもん!モテたいもん!」
「、、、、、」

奏は黙りこくった。

「男の人ってみんなそうでしょう?太ってるの、やでしょう?」
「みんながみんな、そういうわけじゃない。」
「嘘!だって、会社でモテるのは、秘書課のスタイルのいい美人だし、ミッツだって、気は強いし口は悪いけど、肉感的で細いところはひきしまってて、超スタイルいいし、綺麗だから男からモテるもん!」

こういう話なら、風子は尽きることを知らない。今までのうっぷんがぞろぞろと喉元を這い上がってくる。思いおこせば、元彼 =プラトニックのつきあいではあったが= も、風子の顔を見る度に、痩せれば?などと言っていた。じゃあ、自分はどうなのかといえば、ブサイクではなかったが地味な男だった。だがそんな男にすら、別れを切り出された受験の冬。風子としてみれば、もし細ければ、あの彼は自分から去って行かなかったのではないかとも思っている。だが、本当のところは、血気盛んなお年頃の高校生としては、ガードの固い風子に嫌気がさしたというところだろう。というのも風子の胸ばかり触ろうとしたのだが、彼女は絶対に触らせてくれなかった。故に、一度もそのふわふわと大きくて柔らかそうな胸を拝むことなく、受験だからという建前で別れて行ったという真実があるが、これを風子が知る由もなかった。

「だから、そんな男ばっかりじゃないって。」
「じゃあ、ショーニィはどうよ?」
「え?」
「ショーニィだってそうじゃない?!」
「、、、、、」
「佳つ乃さんだって、スタイルいいし、綺麗だし!」

ずっとお腹でトグロを巻いていた黒いモヤモヤ。言ってはいけないと思っていたけど、どうしても口を突いて出てしまうのは、佳つ乃の存在。

「まあ、ツノは昔からモテたからな。」

風子の手前、何か取り繕うことをするかと思いきや、奏は、あろうことか佳つ乃を肯定する。風子の瞳は見開かれたまま、言葉を失った。

「あれだけの美人だったら、そのうわべだけで男が寄ってくるだろうよ。」

何て、デリカシーのないことを、、、己の恋人をそこまで自慢する奏、、、、意気消沈している風子は、体中でその哀れさがにじみ出る。知らない人が見ても、今の風子のうちひしがれた姿に、何だか知らないが、ぎゅっとしてあげたくなるような、そんないじらしさがあった。奏は何も言わず、風子の頭を撫でた。

/くしゃり/

「あっ?!」
「だが、風子、世の中、そんな男ばかりじゃないから。」

確かにそんな男ばかりじゃないだろうが、風子にとっては、今目の前にいる男が大事なのだ。この男が、佳つ乃のような細身美人が好みならば、風子はそれに近づくしかないじゃないか。悲しい気持ちなのに、奏の大きな手のひらが、くしゃくしゃと風子の猫っ毛の髪をこねくりまわす。髪の毛は、きっとくしゃくしゃで見られたものでは、ないだろうが、でも、この心地よさには変えられない。風子はこのままずっとずっとこうしてほしいと思う。

「風子、明日動物園行くぞ!」
「え?」

唐突に何を言うのだろうか。奏はまだ風子の頭をこねくり回していたが、風子が急激に顔を上げたので、名残惜しそうに手を放したように見えた。

「明日、10時半、昭和動物園のゲートの前な?」
「なんで?なんで急に?」
「理由なんてない、、、ただ明日動物園に行く!わかったな?」

ああ、もうだめだ。奏が明日行くといったら風子は行くのだろう。風子に用事があるのかとか、彼氏とデートするとか、そんなこと毛頭考えていないらしい。まあ、現実問題、今の風子には明日断る口実すらないわけだが、、、、先ほどテレビに映った細身の天気予報士のお姉さんが言っていた。

<明日は、すごくいいお天気です。行楽日和ですが、日中は気温が高くなりますので、熱中症に注意です。でも、お日様と一緒に家族で出かけたり、デートするのもいいですよね?>
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