餡子の行方

奏の気まぐれ? 2.

「うわあああ、見て、ショーニィ!あの子、かわいいい!」

翌日は、お天気おねえさんの言う通り、ピーカン晴れだった。確かに気をつけないと熱中症になりかねない。うだるような熱気とギラギラと燃え立つ太陽の照りで、ぐったりとしそうなものだが、久しぶりの動物園で、風子のテンションは高くなるばかり、足元も知らず知らず足早になっている。


昨夜遅く、ミッツと電話で話した。どうやらミッツは、幹大とまたもやデート中らしく傍に幹大もいたようだ。あらいざらい、自分のファッションセンスを一太刀のごとく切られたことを話し、動物園に行くにふさわしい恰好を、ミッツにご教授願った。ミッツは風子の体調を心配して、暑いから涼しげな恰好をするようにとアドバイスをくれた。なるべく肌の露出が多い方がよいと言ったミッツは風子の体を心配してくれるからだと風子は疑わない。ありがたい友だと風子は胸が熱い。

そこでミッツに言われた通りのものを身に着けた。ボタニカル柄の黄色を基調としたタンクトップを着込んだ。これはツルリとした肌触りで、汗をかいても吸収性が高い。だが、タンクトップはぴったりと風子の体にまとわりつき、いつもよりますます胸を目立たせる。風子もこれだけだと、さすがにと思うのだが、親友はさすがだった。トップに、ジョーゼットの薄い七分丈のブラウスで前を短く結べば、下にはいた紺のサブリナパンツとの相性もばっちりだったし、薄いブラウスが風子の上半身の全貌を隠してくれて、これなら奏も文句を言うこともないだろう。

案の定、動物園ゲートで先に待っていた風子を見て、奏は満足げに微笑んだ。眼鏡の奥が優しく細められていたから、きっと風子のかっこうに満足のようだ。ああ、それにしても奏はカッコよかった。真っ白なV字のTシャツをカーキパンツとあわせ、上からダンガリーシャツを無造作に羽織っている。ただそれだけ、、、それだけのシンプルなスタイルなのに、腕をまくったシャツから出る腕や、スラリとしている肢体、時折吹く風に髪をかき上げる仕草など、もうそれだけで、風子の心臓は持たない。現に、ゲート前で待ち合わせをしている女たちや、チケット売り場で入場券を買い求める人々の目は、奏に釘つけになっていた。男たちは羨望で、女たちは意識して頬を染め、あるいは色目を使う。誰も風子に注目する人などいなかったし、時折見られていたとしても、人々の奇異な眼差しだけだろう。

『なに?あの娘、太ってるくせに、彼とどういう関係?』

的な視線に、みんな見えてくる。多少風子のヒガミ心だったとしても、まあ大方そんなところだ。

『何、ぼおっとしてんだよ?ほら?』

風子がぼおっと奏に見とれている間に、奏はさっさかチケットを買ってくれたらしく、その1枚を風子に差し出した。

『あ、お金、お金、、』

風子はあわててバッグをガサゴソして財布を探す。

『いいから、さあ行くぞ!』

奏は風子にチケットを持たせ、金を払う暇も与えず、例の号令とともにさっさか歩き始めた。

『え、ええ?ええ?』

いつものように風子はスタートが遅れ小走りになっていく。そんな感じで、そんな調子で、動物園デート =あくまでも風子の希望= は始まった。



どの檻にも、暑さでぐったりした動物たちが散漫そうな態度でゴロゴロと日曜日の一家の主のようにねそべったり眠ったりしていた。ときどき面倒くさそうにちらりと檻の外にいる人間たちを胡散臭そうに見ていたりしても、またすぐに目を閉じて微睡始める。だが、どの動物たちもテンションが高いのは、やはり子供たちだ。先ほど、風子が歓声をあげていたのは、そんな赤ちゃん動物を見ては手を叩き、きゃあきゃあ騒ぎ立てていたわけで、その度に奏と目が合えば、彼は何も言わない。だが怒っているわけではないのは、奏の切れ長の瞳が眼鏡の奥ですっと細められていて優しい眼差しを向けてくれる。銀縁フレームはどうやら会社用らしく、風子と会うときの最近の奏は、紺色の細いシリコン製のフレームをかけている。フレームの内側にところどころ黄色が入っているので、奏が下を、横を、向いたりすると、フレームの裏側がチラリと見えて、とてもオシャレだった。このフレームは奏に似合っている。銀フレームの奏よりも2割増し優しい雰囲気を醸し出していた。

「おい、風子、コロコロと転ぶなよ?」

但し、優しそうな空気を醸し出すのはあくまでも雰囲気だけで、口の悪いのは全く変わらない。今は、さっき奏に買ってもらったチョコとバニラのミックスソフトを必死で食べているので、風子は、珍しく反撃しなかった。だって、この焼け付く暑さだ。減らず口など叩こうものなら、ソフトクリームが無残にも溶けてしまう。今は一分一秒も惜しく、一心不乱に食べるだけ。

「あっ、、、、」

言ってる傍から、クリームがとけて、風子ははしたなくぺろりと下に垂れ落ちそうなクリームを舐めとった。動物園にしては、なかなかの味だ。バニラ味が新鮮な牛乳をたっぷり使っているようで全くくどくない甘さだ。そこにチョコの味も楽しめるから、風子はもう夢中だった。風子の舌はせわしなく、ペロリ、ペロリとクリームを舐めていく。その舌使い、ちょっとしたテクニシャンではないか。何となく先ほどから視線を感じ、顔をあげれば、奏が呆れたような、驚いたように、風子をじっと見つめている。恥ずかしくなって風子はごまかす。

「お、美味しいんだもん。これ、ショーニィもちょっと食べてみる?」

風子は食べかけのソフトクリームを奏に差し出したが、奏は無言でそっぽを向いた。心なしか顔が赤く見えた。怒ったのだろうか? そうかもしれない、、風子は反省した。誰だって人の食べかけなど差し出されて、気分がいいわけがない。そう思った途端に、風子はシュンとなった。

「ごめんね、ショーニィ、、、」
「あ?」

奏は何も言わなかったので、風子は意気消沈のまま無言で食べた。




*****

「ねーねー、何が一番かわいかった?ショーニィ?」

カツカレー定食までおごってもらった風子は、満腹感に幸せを感じながら、ほっこりして笑った。

「俺?」
「うん。赤ちゃんいっぱいいたでしょう?」

風子は思い出しながら、目がすっかりなくなっている。あのふかふかしたゴマちゃんがごろんごろんと床を転がって、短い両手で頂戴しているような姿は、何と愛らしかったことか。猿山の赤ちゃんざるは、とてつもなく大きな瞳でじっと母猿を見つめていて、実に庇護欲をそそられた。キリンも象も、赤ちゃんというには大きかったけれど、それでも親たちよりも小さな体で自分の足でしっかり立ち、餌を食べているたくましさ、、

「ショーニィ、結構来るの?動物園?」
「来るかよ、ばあか!」
「え?」

ならば何で?風子はそう思う。だが考えればわかることだ。動物園などは、子供連れの家族がほとんどで、大人のデートコースとは言い難い。ましてや、奏が、あの佳つ乃と共にこんなところに来るわけもない。さっきまでの幸せな気持ちが、風子は何だかしゅうっとしぼんでいくのがわかった。

「俺は、子豚!」
「え?」
「アイツら、コロコロしていて、キーキーうるせえし、落ち着きないし、無駄な動き多いし、けど、何か愛嬌あったし、、、」

ああ、奏は、先ほどの風子の質問に答えているのだ。

「なあ、赤ん坊ってみんな太っていてコロコロしてるだろ?」
「え?うん。細っこかったら、かわいくないよ。赤ちゃんだもん。ぷっくらしてなくちゃ。」
「な?だから、コロコロしてるのは可愛いってことだよ。みんなから愛されてるってことだ!」

奏は満足げな声を出した。だが風子は小首をかしげた。何を今さらと言いたい。赤ちゃんなんだから、コロコロしているのは愛嬌があってカワイイに決まっている。それなのに、奏はそれ見たことか!的な顔をして少しばかり得意げな顔をしていた。

「でも、ショーニィ、、」

風子が言葉を言いかけた時、おでこに冷たいものがあたった。

「え?あ、雨?」

かなり太い水滴で、天を見上げた傍から、パラパラと雨の糸が目に入ってきた。

「うわあ、、」

雨は太く激しく降ってきて、コンクリート地面はあっというまに湿って、真っ黒に色が変わって行った。

「風子、走れ!」

奏の号令がかかった。すでに走りはじめた奏の背中を風子は必死で追いかける。

「はあ、はあ、はあ、」

やっぱり運動不足だ。今日はまだアルコールも飲んでいなかったが、先ほどののカツカレーがお腹をだっぽんだっぽんと波打っているようで体が重い。

「ふうこっ!」

奏が後ろを振り向いて、風子の方へ、2,3歩戻った。ガシリと風子の手首を掴む。

「あっ」

風子の手首に圧が覆われ、そのままぐいっと引っ張られるまま足が出た。

「痛いよ、ショーニィ」

つぶやいた風子の声が聞こえたのか、奏は、そのまま手を放した。

「え、、」

風子の手首が急に自由になったと思った瞬間、今度は手のひらが覆われる。

「行くぞ?」

奏はしっかりと大きな手で風子の手を握り、雨宿りが出来る方へと走って行く。先ほど、工事中のため展示を中止していた水族館前の屋根に入った。

「はあ、はあ、はあ、、」

風子は肩で息をしている。

「お前、運動不足!これっぽっち走っただけで、」

奏の唇の端がにやりと上がり、だが風子を見た途端、彼は口をつぐんだ。

「えええ?!だって、食べたばっかだし、、ああ、濡れちゃったあ。」

見ると風子の上着は雨にぬれ、薄い布はすっかりとビショ濡れで、下に着ていた黄色のタンクトップが透けてはりついていた。ばっちりと下に着込んだタンクトップが風子の柔らかな体を胸をしっかりと描き出していた。

/バサッ/

「着とけ!」
「え?」

奏はわざわざ自分のシャツを脱ぎ、風子の体にかけた。

「え?いいよ、こんなのすぐ乾くから。」

風子は、ハンカチで透けてしまった上着をポンポンとあて無駄な抵抗を繰り返している。上着の内側からハンカチをあてて、上からポンポンと水分を取るのだが、なかなかに胸が邪魔で上手い具合に水分をとることができない。何度も何度も手が胸の先端にあたって往生してしまうのだ。

「いいから、着ろ!」

厳しい声が聞こえたので、風子は奏を見た。奏は明らかに怒った顔をしている。おそらく自分がドン臭いからなのか、何だか知らないが奏は機嫌が悪そうだ。仕方なく風子は、濡れたジョーゼットの上着を脱いで彼のシャツを着ることにする。上着を脱げば、スーっと風が体にあたるように、ひんやりと体が冷たく感じる。胸の先端が少しだけ固くなっているように感じた。当たり前だが、タンクトップまで濡れているのだ。風子は下を向いて、ハンカチをあて再びタンクトップの水分をとるようにギュッと布地をところどころ絞って行く。すると奏はくるりと後ろを向いた。オカシナ話だと思う。裸ならいざしらず、風子は服を着ているのだから、、、家を出る前に映ったタンクトップ姿の自分が頭を掠めた。タンクトップに張り付いて、胸や横腹のお肉がぽんぽんと出ている醜い姿は、恐らく奏は見たくないんだろうな、、疑問が解けて、風子はあわてて奏のシャツをひっかけた。

「ありがとう、、ショーニィ、、ちょっと大きい。」

いやだいぶ大きかった。シャツの丈は風子のお尻、はるか下でなびいていて、腕にいたっては、ブカブカで何やら惨めったらしい。普通、カワイイ女子が男物のシャツを着ると男はキュンとするという。奏は風子の声に思わず後ろを振り返った。

「プッ、ふ、風子、、お前、、」

先ほどまで機嫌の悪そうだった奏の表情は今や一転して、笑いを必死にこらえていた。なぜなら、今の風子はどうみても、ちょいとばかしお金に困ったルンペン坊がお情けでいただいた大人のシャツを着た図、というのが笑いの顛末のようだ。

「くくくく、、今日見た子豚より、いい!断然いい!」

久しぶりに見た。いや、19年も会ってなかったのだから当たり前の話なのだが、それにしても、風子は大人になった奏のこらえきれずに笑う素の奏を見て、何だか嬉しくなった。子豚、という言葉が少しばかり引っかかったが、まあ、それは置いといて、本当に可笑しそうに、端整な顔をクシャリと崩した奏が見れたのだから、風子はよしとすることにした。それに、借りた奏のシャツからは奏の残り香がする。何だか彼に包まれているような気さえした。今日一日は奏に抱きしめていてもらいたい、そんな錯覚を覚えたって、今日だけは罰はあたるまい。

「ショーニィ、、このシャツ今日1日借りてもいい?」

まだ腹を抱えていた奏が、涙目で風子を見つめた。

「ハハハ、あ?」
「今度の金曜日でいい?返すの?」
「別にいいけど、、着ねえし、、」
「じゃ、今日は貸してね。」

奏は何も答えなかったが、それは恐らくOKということだろう。風子は嬉しくなって、テンションがあがり、クンクンと犬のように袖を嗅いだ。途端に奏の香りがしてまた嬉しくなった。

「なんだ?」
「ううん。じゃ、今度洗って返すね。」
「破くなよ?」
「何それ?」

とまた風子はぶんぶくれた。結局奏は風子をからかってばかりだ。奏は、風子を女として意識する欠片も持ち合わせていない。今日の外出に、動物園デートというコンマ・ミクロの期待をほのかに寄せていた風子だが、これは諦めるしかない。まあ、奏のシャツを着れたということで風子は満足することにした。はたから見れば、ルンペン坊やのダボシャツの図、というのが的確のような気もするが、まあ、ちょっと風変わりな恋人同士に見えないこともない。いや、それは、風子の大いなる希望的観測である。
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