餡子の行方

美味いもの・不味いもの 2.

2時間制のホテルのバイキングは、満席に近い。だが、見渡す限り、団体ツアー客ばかりで埋め尽くされていて、風子たちのような2,3人の少人数の客はまばらにしかいない。

「混んでるわねえ?風子ちゃん、どうぞ、取って来たら?お腹空いてるんでしょう?」

風子に笑顔を向けて、皿を取りに行くようにと佳つ乃は促した。風子は、佳つ乃と二人っきりになるのを出来るだけ避けたくて、ぴょんと勢いよく席をたつ。すると、おかしそうに佳つ乃が口に手をあてた。

「たくさん食べてね。でも食べすぎちゃうと、、また、、、うふふふ。」

どうやら、あわてて席を立った風子の動作を、腹ペコで辛抱ならん、とでも思ったのか、佳つ乃は、風子を上から下まで見おろして、馬鹿にしたような笑いをこめた。

「普段、いっつもおごってもらう側でしょ?わたし。ふふふ。風子ちゃん奢るのに、どんなもの奢ったらいいかわからないし、、お給料前だし、風子ちゃんよく食べそうだし、お財布が心細くなっちゃったら困るから、バイキングだったら手っ取り早いし、色々なものがお腹いっぱい食べれるんでしょう?わたしなんて見てるだけで何だかおなかいっぱいよ。バイキングって初めて来たけど、すごいのねえ?」

何となく佳つ乃の言葉にいちいち腹がたつのは、風子のヒガミのせいだろう。それにしても佳つ乃は何もわかっていない、と風子は思う。腹が減ってりゃなんでもいいわけではない。勿論風子はバイキングだって好きだ。だが、それは、帝東ホテルだったり、リコスホテルだったり、有名どころのバイキングだったりする。有名ホテルは、なかなかの値段をとるものの、ただ、ネームバリューのことはある。豪華なローストビーフ、フォアグラのパイ包み、フンダンに使用される豪華な魚介の祭典。風子が一番評価できるポイントは、季節ごとの旬な素材がそのときのシェフのアイデアで見事な料理へと生まれ変わり皿を飾る。熱いものは、ハフハフしながら口にほおばり、冷たい物はキンキンに頭がなるくらい冷えていて、そんな心使いも嬉しいのだ。

だが、このホテルのバイキングときたら、、、、

風子は山のような料理の前でため息をついた。佳つ乃は、あまりバイキングに来たことがない。そう言った。あるいは、、、チラリと風子は視線をあげた。遠くで、バイキングに群がる人を物好きだと言わんばかりで眺めているような佳つ乃の表情を見つけ、あのスタイルだ、きっと食に興味もないのかしれもないとも思う。でなければ、ここのバイキングを選ぶはずがない。

(やっぱり、、)

すでに取り散らかされたスモークサーモンの前で、再び大きなため息をついた。ずっと置きっぱなしにされているのか、オレンジ色の身が、もうカピカピになって肉眼で見てもすっかり情けないほどに艶がなくなっている。ハンバーグのデミグラソースは湯気をどこかに置き忘れたのか、どどっと固まっていて何だかごってりとした脂の怒涛だ。風子は、このホテルのバイキングに、前に何度か来て、そのまずさを目の当たりにして以来、二度と来ることはなかったのだ。風子だってプライドがある。食べることで脂肪が増えて、体重に多大な影響を及ぼすのだから、せめてその脂肪は美味さの塊であってほしい。何が悲しくて、不味い料理で太らなくてはならないのか。そんなこと、断じてあってはならない!他人が聞けば、おデブのなんつう勝手なテオリーかと思われそうだが、これだけは譲れない、風子なりのこだわりだ。このホテルのバイキングは、確かに格安で、その上、東京首都圏を見渡せる見晴の良さが売りポイントとなっている。料理の美味しさとは別の話だが、だからこそ、団体ツアー客や、海外観光客などが多いのだ。

風子は、ナポリタンをすくった。案の定、伸びきった麺がダランと塊になって、だんごのまま皿におさまった。何故ナポリタンをチョイスしたかというと、この中では、そこそこという味のレベルであるからだ。とりあえず、ナポリタンだけを皿にとどめる。野菜だって食べたかった。手を伸ばす気になれなかったのは、どう見ても、乾燥していたし、美味しそうに見えないからだ。限りなく水の色に近そうなアイスティーをコップにとり、ナポリタンの皿を抱えて、席に戻れば、案の定、佳つ乃が驚きの声をあげた。

「美容には、サラダを食べなきゃ風子ちゃん!いきなり炭水化物って!」

また、口元に手をあてた佳つ乃は呆れているのかもしれない。けれど、風子は無視を決め込んだ。

「佳つ乃さんも、どうぞ。」

佳つ乃はスラリと席を立つ。今日の彼女は、白いスリーインワンタイトスカートをぴたりと体にフィットさせ、膨張色と言われる白でさえも、彼女の肢体の細さを際立たせている。女らしい胸の形と張った腰は、いかにも魅力的な体つきで、周囲の注目を浴びる。彼女自身も、人の視線というものをわかっているらしく、ゆっくりと人の波をかき分けていく。

「ミッツの方がもっと肉感的でセクシーだもん。」

つい、独り言が漏れた。己では、決してタチウチできないから、親友ミッツを引き合い =心の中で= にだし、佳つ乃の対抗馬に据える。そう思ったら、少しだけ溜飲が下がった。佳つ乃が戻ってくるまで、氷がもう溶け切ってしまった、紅茶とは名ばかりの薄茶色の水を風子はごくごくと勢いよく飲んだ。




*****
「ああ、もう無理だわ。もう食べれないわ。」

可憐に肩を竦め、佳つ乃は椅子の背もたれに身を預けた。風子にしてみれば、佳つ乃の食べた量など、小鳥がつつく程度のもの。

「それにしても、よく食べるわねえ、風子ちゃん。驚いちゃう。」

これには、さすがの風子もむっとした。あまり美味しくない料理が並ぶバイキングで、出来たら、ここでの体重増加は避けたいと思っているのに、佳つ乃が再三にわたり、しつこく、執拗に、風子の空の皿を見ては、お替りに行け、行け、行けと、煩わしい。風子だってお替りは本位ではないが、二人っきりになるよりはマシだと、とりあえず佳つ乃に言われるがままに席はたつ。そして、少しの量を持って帰ってきて、食べて、また、佳つ乃に言われて、取って行く、、の繰り返し。

『アンタの舌は、おかしいんじゃないの?よくも、平気でお替りに行けと言えるよね?』

などと一発啖呵を切ってやりたいところだが、そんな風に言えるわけもない。せめて風子なりに抵抗した言葉が小さな声でついて出た。

「佳つ乃さんって、食に興味がないんですか?」

皮肉とも何とも思わない様子で佳つ乃が即座に否定する。

「あら?そんなことはないわよ。わたし本当によく食べるのよお。」
「ええ?!嘘ですよお?!、そんな細いのに、」
「うふふ、本当よ。本当にたくさん食べるんだからあ!」

この会話、うんざりする。細身の女は本気でなんて食べない。食べるわけがない。いや、正しくは、風子の大好きな高脂質高カロリーをガツガツ食べたりしないし、たくさん食べるという、その “たくさん” の定義を聞いてみたいものだ。

「本当にびっくりするわよ?食べるから。奏にもいつも驚かれちゃって、うふふふ、、、でも今日は、さすがにバイキングだから、風子ちゃんほどは食べれなかったけど、、」

何故ここでまた風子を引き合いにだすのか、なんだか、ことごとくイヤミである。その上、奏の名前まで、彼女の口から自然と漏れる。風子の胸がズキンと痛い。

「フレンチとか、イタリアンとか、大好きよ。うふふふ。美味しいもの食べてるのって幸せよね。奏も、ああみえて、結構食べるのよ。美味しいものが大好きなの、彼。」

知っている。そんなことは、佳つ乃に言われなくても風子は知っている。けれど、風子はただ黙っているだけだった。

「人が行列するレストランとかって、混むだけのことはあるのよね?ふふふ。ああいう一流店は美味しいわ。」

そう言って、佳つ乃があげたレストラン、どれもこれも、テレビや雑誌でおなじみのものばかり。勿論、風子だって、美味いと聞けば、自分の舌で試したいから、食べに行ったことはあるが、どのレストランもまず値段がバカ高い。普通に食べるだけで諭吉先生が2枚は飛んでいく。そんな価格であれば、そこそこに美味しい味なのは当たり前だし、美味しくなくては割にあわない。だが、果たして、金と労力 =行列に並ぶ= を考えると、それを差し引いてもどうしてもまた食べたくなる味かと問われれば、風子は疑問だ。だから、この間、奏に連れて行ってもらった『しげた食堂』のほうが、風子には魅力的だ。あそこの皿は、風子の五感をどれだけ酔わせてくれるだろう。

「奏ったらね、大学時代、お金のないときは、よく、大学傍の汚い食堂で食べてたけど、働くようになってからは、やっぱり、お金を出せば出すほど美味しい物があることに気が付いたみたい。」

聞きづてならない佳つ乃の言葉に、風子は語気を強めた。

「古くても味は確かな食堂は世の中たくさんありますよ!」

むっとした風子の空気が伝わったのか、佳つ乃が少しだけひるんだ。

「ええ、ええ、そうね。そうよね。老舗とかはみんなそうですもの。でもね、風子ちゃんは知らないと思うけど、奏がよく大学時代、足しげく行っていった食堂は本当にみすぼらしい店構えでね、汚いし、その上、味もたいしたことなくて、、安いだけっていう食堂だったのよ。」
「佳つ乃さんは、食べたことあるんですか?」
「わたしが?そこで?」

目の前に汚物でもあるかのように、佳つ乃はものすごい嫌そうな顔をして首を横に振った。

「しげた食堂、、」
「え?」
「わたし食べましたけど、すっごく美味しかったです。」
「え?」
「今まで食べたアジフライのトップ3には、入ります。」

あの威勢がよくて人の良い老夫婦の顔を思い出し、風子はどうしても佳つ乃に我慢がならなかった。だから、例え、佳つ乃が奏の恋人だとして、風子と奏が一緒に出かけたことに佳つ乃が嫌な思いをしたとしても、しげた食堂を悪く言うのだけは風子は許せなかった。

「な、、何で、風子ちゃんが、そこ知ってるの?」
「この間、ショーニィに連れて行ってもらいました。」
「え?」

明らかに、佳つ乃の整った美しい顔が醜く歪んだ。けれど、彼女は、大人だ。感情をぐっと押し殺し、人を小ばかにするように唇の端を上げて笑った。

「そう、あそこなら、さすがの風子ちゃんがどんなにいっぱい食べても、大した額にもならないから、ふふふ、考えたわね、奏ったら。」
「え?」
「風子ちゃんに何かおごってあげたいって奏、言っていたもの。だけど、風子ちゃんよく食べるからって、奏、ちょっと心配してたみたい。だって、あんなに食欲旺盛だと、一流フレンチじゃ、もの足りないんじゃない?風子ちゃんは、まだ若いから質より量だものね?うふふふ。」

何だか、お前には一流フレンチの味などわかるはずもない、と言われたようで、風子はシュンとなった。ただ、しげた食堂が見かけは古くても、すごく美味しい食事処だと言いたかっただけなのに、、、佳つ乃は勝ち誇ったように、長い髪の毛をかき上げて、顔を横にかしげた。香水の甘い香りが漂って、けれど、脂っこい食事を終えたばかりの風子のハナには不快でしかなかった。
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