餡子の行方

降ってわいたハプニング 2.

「うわあああ!」

風子の目の前に広がったツインルーム。ベッドカバーは品のよい黄色地に花柄で、それに合わせたように、壁も薄いクリーム色で、とても明るい部屋だ。大きな窓が、朝には太陽の光をさんさんと降り注いでくると想像が出来る清々しいデザインで、窓の形もアーチ型で、それだけでも特別感がある。けれど、何故、今自分は奏と二人でこんなところにいるのだろうか?奏の先ほどからの謎の行動に風子は浮かれてばかりもいられない。

「ショーニィ、、、なんで?」

奏はゆっくりとガラスデスクにルームカードキーを置いて、備え付けてある、茶色の皮ソファに身を沈めた。

「ここなら、じっくり話が出来る。」
「、、、、、、」

夢のバイキングという儚い期待は見事に打ち砕かれた今、これから奏の説教が始まるかと思うと、風子のテンションがみるみるうちに下がって行く。顔にも表れているのだろう。奏は、風子を怖がらせないようにか、銀縁のメガネを顔からはずした。

(あ、、、)

何て綺麗な瞳なのだろう。すっと通った鼻筋に切れ長の大きな瞳を見た風子は、驚いて声も出ない。近眼特有の人の仕草か、奏もまた目を細めた。それが優しそうな表情に思えて、風子は勇気を出して聞いてみることにした。

「どうしたの?なんで、こんなところに?」




「風子、、、お前が一番、わかってるだろ?」
「え?」
「、、、、、、」

奏はぺらぺらと言葉を並べるのが不得手だから、結局ボソリボソリとつぶやくことになる。とにかく全貌が見えてくるまで、風子は、じっと奏の言葉を辛抱強く待つことにした。

「風子、景山って野郎と、そんなに親しいのか?」
「へ?」

風子は考えながら、慎重に答えた。

「全然、、、合コンでチラリとしゃべっただけで、今日の今日まで全然思い出さなかったし、、、」
「だったらなぜ、ホテルなんだ?」

「だって、、、」

バイキング食べたかったんだもん。という言葉を飲み込んだ。まるですごく食い意地がはっているみたいで、 =いや現に、はっているのだが= 何となく奏に言いづらかった。

「お前、、知らないヤツでもいいのかよ?そういう、、、知らない男でも、、」

そんなことを言われてもしょうがない。

「だって、貴重だもん、そんな風に誘ってくれるなんて、、、それこそ親しくもないのに、景山君、すごく寛大だと思う!」
「何が寛大だっ?!」

奏の上半身がぐいっと前に出て、それだけで風子は圧を感じた。さっきから、何を言われるかわかったものではない風子は、奏が座っている前で、少しだけ距離を置いたままずっと立っている。お陰で、奏の瞳を、いつもと違って見下ろせる。だが、彼の瞳がしっかりと風子の瞳に映りこむからドキドキする。いつもより何だか、怒りのためか何なのか、瞳がギラギラと萌え、奏の熱が伝わってきた。

「風子、はっきり言うぞ。体は大切にしろ!」

いくらなんでもそんなに食べるわけがない、、そう言おうと思った瞬間、奏の言葉が怒涛のように続いた。

「お前を安売りするなよ?絶対、好きな奴との方が、、、幸せなんだから。 」
「え?」

さすがの風子も、何かおかしいことに気づく。奏はいったい、何のことを言いたいのだろう?ただ、奏はそれ以上口を開かなかった。言葉をさがしているのか、非常に気まずそうだ。

「ショーニィ、好きな奴とって、どういう意味?」

風子は思いきって踏み込んでみた。すると、奏が少しだけ動揺しているように、視線をはずした。額を指先でさすっている。困っているらしい。昔からそう思っていたけれど、奏の指先はなんて長くて綺麗なのだろう。容姿端麗な男は、体の隅々まで隙がなく美しい。風子は、己とあまりにも違うことに今さらながら、ため息をついた。


「好きな奴、、とした方がいい、、」

こういう話は絶対に苦手だと言わんばかりの奏で、声がぼそぼそとなっている。話の流れがなんだか、おかしなことになっているようだ。


「好きな奴と、、、、アレ、、だ、、それが、、一番だから。」

まただ、肝心なところが、アレだ、とか、、、、、それがとか、指示代名詞が多すぎて全く意味不明だ。

「アレってなに?ショーニィ、はっきり言ってよ。わたし、さっきからショーニィの言ってること全然わかんないよ!」

いい加減ほっぺたが膨らむ風子だ。バイキングを目の前に理由もなく、こんなところに連れてこられて、挙句、変なことばかりいう奏に、さすがの風子も腹をたてていた。

「ショーニィらしくないし!いつも平気で変なこと言うくせに、」
「だから、セックスだ!」

風子の文句にかぶせるように、奏が怒鳴った。

「セ、、セックス? え?ええ?セックス?」

セックス、、、、男女の営み、、、子を成す行為。あるいは、快楽の最大のイベント、、、奏の言っていることは、そういうことなのか。風子はぼおっとなって真っ白になっていく脳内に色を戻させるように、ぶんぶんと頭を振った。


「お前、アレか?そんなに恥ずかしいのか?嫌なのか?処女だっていうのが、、、」


『処女?』確かに風子はそうだけど、何故、ここで、、、、勝手に話を進めていく奏にもう、ついていけない。

「誰でもいいからセックスするなんてえのは、やめとけ!23で、、アレっていうのは、世の中いくらでもいるし、、、アレだ、好きな奴とが、一番、アレだ。」

また、アレだ、という指示代名詞が多くなってきた奏だが、風子は少しだけ奏の言いたいことがわかってきた。どうやら奏は、風子がバージンだということを知っている。ただ、それを、何を思ったのか、風子が恥ずかしいと思っている、と思い込んでいるらしい。

「だから知らない景山とじゃなくて、好きな男と、、、」

なるほど、景山君 =すっかり風子の中ではオボロゲナイメージでしかないが= は、奏の中で、風子の初めての男の第一候補としての認識が強いらしい。何がどう転んだのかは知らないけれど、、、、

「そんなの関係ないもん!」

だが、風子だって、売り言葉に買い言葉だ。『好きな奴と!』 と、そればかり繰り返す奏に、段々腹が立ってきた。そりゃそうだ。奏なら、相思相愛の相手と、そんなことも出来るだろうし、いわゆるセックスの運びにならなくても、好きな女といるだけで、心も満たされるに違いない。現に、美しいスタイル抜群の佳つ乃を求め、愛し愛されている、そんな奏に、イチイチそんなこと、言われたくない気がする。いや、断固言われたくなかった。

「好きな人が振り向いてくれないんだもん。しょうがないじゃない!」

別に景山と寝る気など毛頭ないけれど、奏に一矢報いたい!風子は、そんな我が出た。

「誰と寝たって、関係ないでしょ?ショーニィには!好きな人が一生振り向いてくれないなら、景山君だろうが、その変に歩いている人だろうが、一緒じゃない?!好きな人が、、、うっ、、うっ、、、くれないから、、、」

好きな人が振り向いてくれないから、、、言葉が喉を押しあげて、そして唾で飲み込んで、、、言ってて段々惨めな気持ちになってきた。そうだ、奏には佳つ乃がいて、風子の気持ちなど一生報われない。奏の言うように、好きな人とセックス、というのなら、風子は一生処女を捨てることはできないことになる。人の気も知らないで、奏は何が言いたいのだ。

「ぐっ!だって、好きな人とは一生結ばれないもん!」

風子は涙を押し殺し、喉から変な音が出てしまった。だが、これで奏には一矢報いることが出来たはずだ。案の定、奏は驚いた顔をした。

「お前、、、もしかして、、好きな、、奴、いるのか?」

何と残酷な質問だろう。当の張本人が、そんなことを聞いてくるなんて、、、だが、奏の表情は、何だか悲しそうに見えた。風子は、下を向いたまま、つぶやいた。

「いる。」
「あ?」
「いるもん!」


「、、、、、、、、」



気まずい沈黙が流れていた。風子は怖くて奏の顔が見れなかった。今、どんな顔をしているのだろうか。

「だったら、、」

奏がやっと言葉を続けた。

「そうか、、なら、、そいつとすれば、、いい。」

声音からは奏の真意は読み取れない。

「そうか、、、、悪かったな、、、、余計なことだったか、、、、」

風子は奏に突き放された気がした。奏は風子の想いを知らないはずなのに、その想いが口を出る前に、まるで終止符をうちたがっているように思えた。だが、風子は、もう逃げたくない。好きな人と、、、それがそんなに大切なことならば、たとえ先が見えなくてもその一瞬だけのために、、、




「ショーニィ、、、抱いて、、、」
「、、、、、、、、」



風子のか細い声は、奏に届かなかったのか。奏は、美しい顔をふと横に傾げた。やはり一世一代の風子の告白は、届かなかったようだ。

「抱いて!」

怒鳴るように言って風子は奏にくるりと背を向けた。

「風子、今、何て言った?」

風子の背中に奏の声がささった。勇気を振り絞ったのに、必死の叫びだったのに、奏はもう一度言えと言うのか。

「お前、俺の言ったことわかってないのか?そういうことは好きな人と、、、」
「だから、わたしの好きな人はショーニィなのっ!!」

風子の心の叫びは、奏にもさすがに伝わったようだ。はっと息をのんだ音が、背中越しに聞こえた。

/ミシッ、、、/

風子の背中に圧が迫る気がした。奏がソファから腰を上げ、風子の後ろに立ったからだ。

「風子、、、」

名前を呼ばれて、風子はビクンとなった。

「こっち向け。」

風子の頬が強張った。

「風子、どういう意味だ? こっち向いて、ちゃんと説明しろ!」

結局、奏には敵わない。体が強張ったまま、風子はおそるおそる体を向けた。途端、奏の真剣な眼差しと目が合った。

「お前、俺の言ったことがわかんなかったのか?誰でもっていいわけじゃなく、好きな奴と、」
「だから、ショーニィがいいの!」
「えっ?」
「ショーニィじゃなきゃ嫌なのっ!!」

言い放った風子の口はもう止まらなかった。

「ショーニィが好きなの!わたしの好きな人はショーニィだから、だから、だから、、、」
「お、おい、、待て、、風子、、、」

彼の切れ長の瞳が大きく見開いて困った顔に見えた。

「だ、、って、、お前、、、俺と別れたとき、まだ4歳で、、」
「4歳でも赤ちゃんでも、生まれた時からショーニィしか目に入ってないもん!」
「幹大のことが好きだったんじゃないのか?」
「何言ってんの?わたしはずっとずっとショーニィが好きだもん!」
「、、、、、、」
「だけど、、会えなかった19年間、別の男の人にも目を向けたりしたし、こんな気持ち、、忘れてたと思ってた。けど、けど、いきなり、またわたしの前に現れて、毎週、毎週、家にやってきて、、、そしたら、もう、ここ、、」

風子はぎゅっと拳を握って、自分の胸に置いた。

「ここが、ドキドキして、苦しくて、でも嬉しくて、楽しくて、、、、」

「ふ、、ふうこ、、、」

「もう止まんない、気持ちにブレーキなんてかかんない!たとえ、ショーニィに好きなひとがいても、そのひとのことをどんなに大切に思っても、、、好きな人とHするなら、ショーニィじゃなきゃ嫌だもん!」

風子は恥ずかしくて真っ赤になった。敢えて、佳つ乃という名前は出さなかった。だが、言葉をなくし茫然としている奏は、それでも、佳つ乃の顔が浮かんでいるに違いない。

「だから、もういいの!好きな人となんて、、、、そんなの、、、理想、、、でしょ?ショーニィは、そうかもしんないけど、、、わたしには一生かかっても手に入んないもん!」

風子の大きな瞳は、もう我慢ができないように、熱くキラキラと押し寄せる涙を止めることはできなかった。次から次へとあふれ出る涙が頬を伝わる。

「抱いて!わたしを抱いてよ?!」

まるで駄々っ子のようだ。泣きじゃくっているくせに、挑むように、一歩足を出して奏に近づいた。風子の瞳に、困ったような奏の顔が、また少し大きく映りこんだ。そう、、、彼は困っているのだろう。思いもかけない風子の想いに、、けれど応えることの出来ない風子の気持ちを持て余しているに違いない。

「ね?無理でしょ?出来ないでしょ?だったら、もう余計なことを言わないで!好きな人とHしろなんて、そんなの、、、、あっ、、」

風子の体が前かがみになった。それは奏が彼女の腕をひっぱりいきなり自分の体に引き寄せたからだ。そして、これ以上もう風子のたわごとを聞きたくないとでもいうように、奏の唇が風子の口を覆い、唇を奪われた。

「後悔するなよ?」

唇を離した奏の低い声が、風子の体を駆け抜けた。
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