餡子の行方

シタタカナ女の独白 1.

周りの女たちが彼のかっこよさに浮き足だっていたのは知っていた。だって、スラリと伸びた長身に、何気ないジーンズとシャツ…それが例えくたびれたシャツだとしても、それを無造作に羽織っているだけで、あの男は実に絵になるもの。かっこいい男のオーラ、そしてすっとした切れ長の瞳はゾクリとするくらい色香が漂う。だけど、それは全て、近衛奏という男の後づけに過ぎない。わたしが彼に息をのみ、はっと心が奪われたのは、本当に運命のような偶然のこと。

大学の理系学部の中では、珍しく結構なハイレベルが集まったと言われる同期女子の中でも、わたしは特に目立っていた。それが自意識過剰だとか、自信家だと言われようと、小学生のときからのことだから、仕方がないじゃないという他はない。どの男だってわたしがちょっと唇の端をあげて微笑めば、すぐに寄って来る飢えた男たちや、赤く頬を染める純情な男たち、、、わたしが本気になれば一発で落とせる自信はある。それが、小学生のときから良きにつけ悪くにつけ、異性からチヤホヤされてきたわたしの自信。

その日、一般教養に遅刻しそうになって、あわてて教室に飛び込んだ。技術史は、はっきり言って退屈で、けれど、今日は代返してくれる知人もいないからと、、、出口の傍に腰をかけた。長テーブルが横に伸びて、そのテーブル群がズラリと前と後ろを埋め尽くす。この日は、文化祭後の初授業で、いつもよりも出席率が悪く、半分も学生がいなかった。本当はわたしだってサボりたかったんだけど、その日、出ないと出席日数がやばくて、、、だから、居心地の悪い空気の中で、一人座って、退屈な授業をやり過ごす事にしたわ。

けれど、これが運命だと、そう思った。

ボードに書かれた文字を書き写しながら、前に座っている学生たちの姿が目に入る。ポツン、ポツンと座っている人の姿を見ながら、視線をノートに戻すその視線の中に、、、わたしの視界に入ってきた指先に、胸が切なくなった。

何て長くて綺麗な指先なんだろう、、、

息をのんだ。ページを捲るその指先が、とても淫靡で、下半身が思わずぎゅっとなった。だって、彼の指の動きは優雅で、まるで、女の肌を滑り落ちていくように、本の頁を触っていた。そして彼の横顔が目に入った。

近衛奏、、、、

わたしとクラスは違うけれど、彼の目立つ容姿は、ほとんどの同級生が知っていたし、勿論先輩達からも注目されていた。そして、彼と同じクラスの、栗原さや(くりはらさや)が、熱っぽく彼の話をしていた。わたしとさやは表向き親友ってことになっているけれど、実際誰が、あんなデブを真剣に自分のテリトリーにいれると思う?彼女の服装センスだけは、注目に値する。実によく彼女のコンプレックスを隠すものだとそれだけは、評価してあげる。己のコンプレックス=太っているということ= をよく熟知している彼女は、そのマイナスの体型を服装で上手く隠していて、、、だから、『かわいらしい感じで清楚だね』なんて言ってバカな男子学生が騒いでいたりもするようだけれど、実際には単なるデブだし、ちょっと目が大きいだけで、かわいいわけでもないわ。ただ、まあ、代返もしてくれるし、何かと一緒にいると都合がいい。彼女を清楚系だと思っている男子にも、派手なわたしが友人だっていうと、逆に、

『え? 柳さんって、意外とギャップあるんだね?』

なんてバカみたいな誤解をしてくれる。だったら、それを利用させてもらって何が悪いの?そんなさやが、最近、何かと近衛奏の話題を振ってくる。

『彼、無口だけど、すごく優しいんだ。ふふ、この間、ノート貸してくれた。』

学籍番号順に座らせるドイツ語のクラスでは『くりはら』と『このえ』で席が前後しているらしい。恋に恋する瞳をうるうるさせて、カワイ子ぶっているさやには、ヘドがでるけれど、ま、アンタなんて近衛奏が相手にするわけないじゃない? そんな言葉が喉まで出掛かって、それを飲み込むのが大変。確かに、近衛奏は、かっこがよかったし、クールで大人っぽい =現に噂では一浪してるから1っこ上ってこと= わたしのアクセの一人にするくらいには、丁度いいかもね。そんな風に、さやの話を聞くたびにそう思っていたのに、、、

今、わたしの瞳に映る彼の指先に、、わたしは恋をした。彼がほしい。わたしの前に跪かせてやりたい。そしてわたしを抱いて、あの指先でわたしを翻弄してほしい、、、電気が走ったようなあの瞬間を、わたしは一生忘れない。

それから、近衛奏の噂は何かにつけてわたしの耳に入ってくるようになった。英文科のミスキャンパスとつきあっているとか、講師の女と腕を組んで歩いていたとか、、、けれど、どの女たちとも長続きはせず、カノジョという位置を独占する女は一人もいなかった。数ヶ月のサイクルで女たちが変わっていく。近衛奏は来るものは拒まず、去るものは追わず、そんなクールな態度だ。わたしがそんな位置づけで我慢できるはずはない。絶対、あの男を仕留めてやる。同じクラスのさやをソソノカシテ、近衛奏に接近する。

『さや、近衛君にアタックしてみれば?』
『む、無理だよ、、だって彼、博愛主義者みたいだし、、、カノジョとか面倒臭そうなタイプ、、』
『だけど、彼の周りにいる女たちって、結構な遊んでいるタイプじゃない?さやならお嬢様清楚系だから、彼だって、真剣になってくれるかもよ?』
『え?』

嬉しそうに頬を染めるさやに、わたしは、心の中でほくそ笑む。

誰がアンタみたいなデブ、近衛君が本気でつきあうと思う?


けれど、持つべきものは、“友だち” ね。ふふふ、さやをそそのかしたお陰で、何かと近衛君と過ごす時間が増えた。けれど、わたしは、ここであせらない。わたしみたいな派手系の女は、彼の中ではごまんと通り過ぎていったに違いない。けれど、わたしは、その辺の女と違うところをわからせてやる。話していくうちに、彼の前で女であることを誇示するのは、逆効果だということがわかってきた。ならば、わたしはサバサバ系の姉御的感じでいくわ。彼と友人関係を築くことが、まず彼の特別になる第一歩よ。

『ねえ、これ、この公式あてはめると、不変数になって、どうしても答えがコレにならないんだけど?』

とか、

『バリアブルを使って、ここにスキップするとき、この物体の速度は近衛君ならどうする?』

敢えて授業のことしか聞かなかった。幸い、彼の選択するセキュリティシステムは、わたしの目指すところと同じだったから、選択科目で一緒になることが多くなった。さやは、ふふ、残念なことに、誰もがいきたがるコミュニケーションを取っているので、邪魔が入らない、このときがチャンス。選択科目のことしか質問しないわたしに、奏の心がすぐさま打ち解けていくのがわかった。

『ねえ、これはどうやって解く?』

彼の長い指先が、わたしの書き出した公式をなでる。思わずため息が漏れた。けれど、彼にモーションをかけるのはまだ禁物。卒業まで4年間はあるんだから、じっくりゆっくり彼の心にわたしをマーキングしていけばいいだけ。

段々少しずつ、プライベートな話もするようになった。いつしかわたしは ”ツノ” と呼ばれ、わたしは奏と呼んでいた。

『いいなあ、佳つ乃、近衛君と親しくなっちゃって。』

さやが羨ましそうな顔をした。ふふふ、アンタと一緒にしないでもらいたいわ。わたしとアンタじゃ、月とすっぽんじゃない?それでもわたしは顔に出さない。我ながら、ちょっと怖い女。

『だって、奏とわたしって同志って感じだもの。わたし、いつもうんざりしていたの。男の親友がほしかったのに、いつも結局恋愛沙汰になっちゃう。こっちがその気がなくてもよ?けど、奏とだと、本当に自然に色々な話が出来て、すごく楽。』
『ええ?わたしなんて、近衛君と話していると胸がドキドキして、、いっつも態度が不自然になっちゃうの。』
『それは、さやが意識してるからよ!奏だって、さやみたいなかわいらしい女の子が傍にいるの、きっと癒されて嬉しいんじゃないかな?』

心にもないことを言ってのけるけれど、さやは、わたしの言葉を信じて疑わない。バカな女、、

『え?うそ?まじ?』

瞳をキラキラ輝かせるさやを見ていると、奏にこっぴどく痛い目に会って泣いているさやを早く見たくてしょうがなくなる。

『ね?奏ってどんなタイプが好きなの?』
『あ?』
『だって、いつも誰か女性が傍にいるけど、、、あれって、本命じゃ、、ないよね?コロコロ変わるし、、』
『ひでえな、俺、ワルイ男みたいじゃないかよ?』
『え?ワルイ男でしょ?』

そんな冗談も言い合える。奏はすっかりわたしに心を許し始めた。そんなあるとき、彼がいきなりわたしに問いかけた。

『なあ、ツノ、、、』
『うん、なあに?』
『チュウボウってあれ?そろそろ色気づいたりすんの?』
『何それ?』
『いや、、、中学生の女の子たち見ていると、いろんなタイプがいるんだなって、、』
『それって、まさか、、、奏って、ロリコン?』
『ば、ばかな?!』

あわてて奏は否定したけれど、そのとき初めて見た、奏のうろたえた姿。彼はいつも何を言われても何が起っても冷静だし、他人が何をしようと我関せずというスタンスだ。けれど、このロリコンという言葉に、一瞬何か動揺した奏を見た気がした。

『そうじゃねえよ。この間見た中学生、化粧してて、結構な確率で化粧しているやつ等がいて、、、その中で、チュウボウの制服着てるんだけど、まるで小学生みたいな子供がいると目立ってて、逆に、この子、大丈夫かよ、とか心配しちまった。』

奏は何かを思い出すように、遠くを見ていた。

『ふふふ、、なに?奏、父親目線?まあ、中学生って難しい年頃だものね。セックスに興味を持ち始めて、実際にそれが出来ちゃう年頃だし、』
『え?嘘だろ?』
『ちょっと、奏、いつの時代にすんでるのよ?チュウボウでロストバージンなんて珍しいことでもないでしょ?』
『いや、、だからって、、、ふうこにかぎって、、、』

奏は何やらボソボソとつぶやいて、何をそんなに驚くことがあるのかと、こちらの方が驚きだわ。

『まあ、あれね、丁度半分に分かれるところよ。オマセさんなグループと、まだまだ小学生気分が抜けないグループと、、ね?』

そんなことを言ったわたしに、奏は思わずほっとしたように見えた。口元を押さえながら なるほどな、何て言っていたけれど、その隠された口元は少し安堵を帯びて微笑んでいた気がする。わたしの胸に少しだけさざなみが立った。理由はわからなかったけれど、わたしの女としてのカンが警鐘を鳴らしたような、、、

けれどそれはすぐにわかった。小見山風子と言う7才下の幼馴染がいて、この間奏が昔住んでいた街へ行ったとき偶然見かけて驚いた、、、、ってそんなことを時間をかけて、奏はポツリポツリと何かにつけて話すようになった。


『じゃ、なに?4歳のときのおもらし風子ちゃんが、中学生になって、あんまり綺麗になってドキリとしちゃったってわけ?』
『あいつが?ははは。全然変わってなかったよ。昔の真ん丸いまんまだった、、ははは。』
『弟さんと同い年でしょ?』
『ああ、俺はあいつらの親代わりみたいだからな。』
『ふうん。それで風子ちゃんに声をかけてみたの?』
『いや、、』
『あら、なんで?』

わたしの問いかけに彼は答えなかった。ただ、この小見山風子が、わたしが奏を落とす要になるのだと、このとき直感した。聞けば、ころころと子豚のように太っているという風子、そんな中学生が奏の恋愛対象だとは思わないけれど、ただ、彼女の存在は奏にとってノスタルジックな香りのする特別な存在だと思った。つまり、この子豚を上手く使えば、きっと奏は、わたしの手に落ちる。だからわたしは、ことあるごとに、小見山風子の話題を何かにつけて出してみた。

『今度、会いに行けば?』
『何で?』
『多分、風子ちゃんにとっては、奏は憧れのお兄ちゃんで、初恋の相手かもよ?』
『まさか?あいつと別れた頃は、オシメこそつけてなかったけど、まだガキのガキだぜ?』
『あら、でも、幹大くんの幼馴染であるわけでしょ?』
『ああ。』
『同級生のお兄ちゃんってことで、顔出してみたら?もしかしたら、風子ちゃん、幹大君のことが好きだったかもよ?』

冗談任せに言ったのに、奏の顔が急に不機嫌になった。まただ、、、さざなみが少しだけ大きく胸の中で揺れた。
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