餡子の行方

シタタカナ女の独白 3.

奏が入社希望の企業に履歴書を応募するとき、わたしもすかさずそこを受けることにした。奏と一緒になれるのなら仕事なんて腰掛でもいいと思っていたし、それにその会社はなかなかに羽振りのよい一流企業だったし、、、中で働くエリートの男たちをつまみ食いできるのも悪くないと思った。受かる自信はあった。案の定、難関だというのに、奏もわたしも合格した。やっぱりこれは神様も味方してくれるってことよ。

部署は違っても、毎日、いつも、視線が奏を探している。自然と目線がいつも奏を追いかけてしまう。そしてそれが日課になっていた。

『どうしたの?何か疲れてるみたいよ?奏?』

奏のことはどんな些細なことも気が付いた。新入社員時代は、誰だって慣れるまでは気苦労も多い。久しぶりに奏と飲もうと、仕事終わりに誘ったけれど、奏の顔色は浮かない。

『何かあった?仕事?それとも、あれかな?藤田さん?あの人、性格悪いって噂だし、、、』

奏の配属された先に、イヤミな男、藤田がいて、わたしたち新入社員の間では真っ先にブラックリストに載せるべき名前だ。仕事も出来ないくせに、ネチネチと性格が悪いと評判の男。それがよりにもよって、奏が配属された部署にいて、奏は彼と肩を並べて毎日仕事をしている。苦労が絶えないはずだ。

『あ?藤田さん?関係ねえよ。』

奏の言葉はそっけなく、そして不機嫌だった。

『じゃ、、なに?』

入社すると、奏のモテオーラは全開で、また会社内外を問わず、女たちからアプローチされていたり、付き合い始めた姿をよく見るようになった。でもわたしはあせらない。だって、それは、大学時代と同じような流れで、彼の本気ではないし、会社に入っても彼のテリトリーに入れる異性は、やっぱりこのわたしだけ。わたしがいつだって奏の一番近い場所にいる。

『あまり社内で目立つことしちゃだめよ。』
『は?』
『最近また奏、遊んでるっていうか、、女子社員とかにちょっかいだされてるでしょ?』
『なあ、ツノ、』
『え?』
『女子高生のカップルって、どんなつきあいだっけ?』
『はあ、何それ?』
『いや、、、風子が、』
『風子ちゃん?』

会社に入っても、時折、奏の口にのぼる小見山風子の名前。イライラが募った。

『この間、、例の商店街に行ったら、風子が男と歩いてた。』

例のとは、小見山風子と共に過ごした彼の生まれ育った街のこと。JKの幼い恋愛なんて、何を気にしているのよ、奏!何だか胸がもやもやとした。

『男って?同級生でしょ?』
『そうだな高校生だろうな、、背が高くて意外にがっちりしてそうで、けど真面目そうな、、』
『ああ、やっぱり!』

奏の言葉を遮るように、わたしは無意識に大きな声を出した。

『彼女、きっと幹大君のこと好きなのね。』
『え?』

幹大とは奏の弟のことで、何度か、彼が東京に遊びに来たときに会ったことがある。奏とは似ても似つかないくらい、無神経そうなスポーツ単純バカってところかしら。まあガタイもよくて抱かれ心地は悪くなさそうだけど、まだガキだし、、、屈託ない笑顔がバカっぽくて妙に愛嬌はあるはよね?

『だって、風子ちゃんの初恋って幹大君でしょ?初恋の相手に似た人を、女って無意識に好きになっちゃうのよね、、特に経験の浅い10代は、、、淡い綺麗な思い出の中で生き続けてる幹大君をいつまでも追いかけているのよ。』

奏は、黙って、指先で口元を隠した。長い指先に目がいってしまう。この指で、わたしの体をめちゃくちゃにしてほしい、、、

『けど、幹大には似てねえな?』
『あら、だって、ガタイがよかったんでしょ?』
『だけど、俺たちが風子と別れたのは幹大も4歳頃だったし、その頃の幹大はどちかというと太ってコロコロしてたしなあ?』
『そう?でも女ってどんなに若くてもカンが鋭いから、風子ちゃん、そのカレに何か幹大君と同じような匂いを感じたとか?あるいは、そんなこととは別に、その男子のこと、本当に好きになっちゃったんじゃない?』

今度は指先が額に伸び、奏は見せびらかすようにその長い指で額をこすっている。

今夜また、椎名課長に抱いてもらおう、、、入社してから、わたしの夜の生活は充実していた。体のほてりを既婚者の男たちに慰めてもらう。わたしが不倫をしているかどうか、奏が知っているのかわからなかったけれど、ただ、最近、奏から少し距離を置いているわたしを奏は恋しがっているのかもしれない。だから、彼もこの頃、また女遊びにふけり始めている。ふふふ、、、結局、奏はわたしを求めている。これはやっぱり運命なのよ、わたしたちが結ばれることが!奏がわたしに落ちるまで、あともう少し。そう確信した。すでに出会ってから5年の月日が経っている。わたしにしては、長い長いアプローチだったけれど、もうすぐ陽の目がみれるはずだわ。


わたしたちの関係は少しずつ変化していっている気がしたけれど、最後の境界線を奏は越えることはなかった。

『ツノは俺にとって大切な友人だから。』

これが彼の口癖だ。わたしも我慢の限界に近くなってきている。だって、すでにわたしはアラサー女になっていた。もう29なんて信じられない。それでも体の線は昔のままで、わたしの周囲には体目当ての男たちが群がってくる。たまには、つまみ食いをさせてもらったりもするけれど、本命はやっぱり奏だ。もう彼をほしくてほしくてしょうがない。その気持ちが一気に爆発しそうになったのは、あの夜のメール。あのバカ弟がよこしたメール。

【ショーニィ、誰と合コンしてるか知ってる?今、俺の目の前にプー子がいるぜ。来る?合コン終わり、8時過ぎ、マルマル居酒屋!】

たまたま軽い残業を終え、奏のところへ行ったら、丁度メールを受信していた。真剣な面持ちで読んでいるから、どんな内容なのかすごく気になった。

【え?何?誰から?】
【わりい、ちょっと、待って。】

奏はわたしに断りをいれ、素早く指先をタッチして、返信を打っていた。そのあと、幹大君のメール内容を見せてくれたけど、、、

【俺、ちょっと行ってくる。】

愕然とした。奏の顔が上気している。彼の瞳が生き生きと輝いていて、何だか艶っぽく見えた。嬉しさがこみあげてくるその表情を隠そうともしない。彼にしては珍しいことだ。だって、普段ほとんど表情が変わらず、世の中を達観してるみたいな顔をいつもしているっていうのに、、

『え?プー子ってあの風子ちゃん?ええ、そうなの?ふふふ。』

幼い頃の小見山風子を見たことがあって、コロコロとした子豚のようなネーミングがプーコなんて、こっちも笑いがもれるわ。

『合コンか、ったく、あいつ等何やってんだ?まだ社会人1年生だろうが!』
『あら、もう2年目なんじゃない?』
『似たようなもんじゃねえか、まだまだ使い物にはなんねえって意味じゃ、』

こういうときの奏は、メガネの奥で瞳を細める。けれどそれはとても優しい光を放つ。その光は、今わたしの為ではなくて、あのバカ弟と子豚に向けられていると思うと、腹がたった。

『ちょっと、奏、わたしも一緒に行ってもいい?』
『え?』
『だって、風子ちゃんに興味あるもの。』
『お?風子見るだけって、、物好きな女だな?ツノは。』

優しく奏はわたしに笑った。胸がキュンとする。この顔を独占したい。そうよ、奏を手に入れるためにはどんなことだってするわ。

『だって、親友の娘なんだもの、気になるわよ。』
『娘って、、、』
『わたし前から、思っていたけど、奏が風子ちゃんの話をするとき、何だか父親目線だもの、まあ、7歳も下なんだから仕方ないか。アラサーなんていったら、オジサン、オバサンだわ、風子ちゃんたちにしたら、、』
『、、、だな?まあ、俺はあいつ等の保護者みたいなもんだったしな、、、』

奏の声が何となく力なく響いたようで、気になった。

子豚には子豚への餌が必要とばかりに、奏は、わざわざ少し遠回りして、銀座の丸屋で一番シンプルなザラメのドーナツを選んだ。彼の瞳がこれ以上も優しくなって大事そうにドーナツの袋を抱えている。ううん、これは単に久しぶりに会う弟の幼馴染の手土産にすぎないのよ。弟のGFに会うんだから、兄貴としては、かっこつけたいに決まっている。


そう思ったのに、、、、


初めて見た、小見山風子、、、さやを思い出した。嫌な予感が過ぎったけれど、あわてて打ち消した。バカみたい、こんな子豚にわたしが負けるわけがないわ!

なのに、、、

奏の空気がいっぺんで変わった。小見山風子を見る奏の瞳が、、、バックミラーで何度もあの子を確認している。こっちは、会話にいれてやろう気を使っているっていうのに、、小見山風子は声をどこかに置いて来たみたいに、マヌケな顔で会話にも加わらないっていうのに、、何なの?奏のコロコロと変わるその表情は、、、初めて見たかもしれない、、、奏のそんな嬉しそうな顔、、、、、長年つきあってるからわかる。奏は、親しくなればなるほど、口が悪くなる。いつもと同じように無口なようだけど、でも、ジョークを飛ばしたり、からかったり、、、だけど、、その瞳、、、眼鏡の奥からじっとあの子豚を見つめる穏やかで静かで、そして優しい眼差し、、、、

『ツノ、悪い、送るの最寄り駅でいいか?』

え、、何?なんで?いつも家まで送ってくれるのに。確かにわたしは、小見山風子と会ったとき、電車で帰るってポーズをしたけど、案の定、奏は送ってくれるって、、、いつもと一緒だと思っていたのに、今夜は子豚の実家で挨拶したいからって、なんで、ここでわたしが放り出されなきゃいけないの?

奏が、わたしより小見山風子を優先した、、、、奏の周りに群がる女たちに、優しく接していても、わたしはどんなときも特別で、、、わたしが頼めばいつだって奏は、、、、、けれど、結局奏はわたしの願いを聞き入れてくれる。そうよ、奏はいつだってわたしのことを大切だって、、、こんなブクブクと自分自身を管理できないような女に負けるわけがない。今だって、ドーナツを手にとって食べそうな勢いだわ。わたしの視線が少しはわかったのかしら?こんな夜にそんな高カロリーをガツガツ食べれる神経に、食欲に、ヘドが出る。絶対に奏は渡さないから!!!奏はきっと本気になるはずがない。けれど、さやの例もある。彼の気まぐれが起きないとは限らない。結局は別れるとしたって、そんな時間の無駄なことで奏との大切な時間を割かれてたまるもんですか!見てなさいよ!
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