餡子の行方

シタタカナ女の独白 4.

『おはよう、あ、』

奏に声をかけた朝、な、なに、、そのクマ、、、

『ど、どうしたの?奏!その顔、、』
『あ?寝てない。』
『な、なんで?』
『あ? ああ。』

彼はそのまま大きな手をひらりと振って、背中を向けて自分の部署に行ってしまう。どうしたんだろう。何か、緊急のプロジェクト?こんなときは、この間、ちょっと一緒に飲んだだけなのに、やけに馴れ馴れしくなったあの、奏の後輩キモ男君に聞いて見なきゃ。こういうときのために、わたしは絶対に手はゆるめないわ。奏の周囲にはバッチリと情報網を掴んどかなきゃ。


『ああ、か、佳つ乃さん!』

きもっ!ウスハゲなのか、前髪が汗でべっとり額について、、こんな男と奏が一緒に働いているなんて、信じられない!

『うふふ、姫野君、お昼、一緒に食べない?』
『ええええ?まじっすか?えええええ?』

ずっと熱いキモイ視線の中で、食事なんて喉もとおりゃしない。でも、お陰でわかったこと。何、奏ったら、個人的にソフトを開発してるって。後輩のキモ男は関数の天才だって、いつか奏が言っていたけど、どうやら、奏はキモ男にそのソフトのことを相談しているらしい。何だろう?どこかの企業にソフトを応募するのかしら?もともと奏はゲームつくりが得意で、学生の頃から趣味でやっていたの知ってる。その実力は教授も認めるほどだったし、アメリカの有名ゲーム企業からも何度も仕事の誘いがあって、、、、行けばいいのに、ってわたしが何度も言っても、日本が名残惜しいみたいな顔をする。

『あ?俺はアメリカはもういいよ。』

いつだったか冗談のつもりで子豚を引き合い出したことがあった。

『ねえ?ふうこちゃんって海外とか興味ないのかな?』

あれはわたしたちが25,6くらいのときだから、子豚が確か大学入学したばかりの年。そうだ、思い出した。女子大生なんだから、合コンやら、海外やら、遊びに忙しいんじゃないって、ジョークのつもりで奏に言ったんだけど、、、


『さあ?あいつと海外?なんかピンとこねえな。』
『あら、でもお年頃だし、ボーイフレンドと旅行とか?』
『ふん!色気より食い気だろう。』

その頃、確か、JKのときのボーイフレンドとは別れたらしいと、奏が言っていた。何よ、その奏の安心しきった顔。会ったことはないけど、写真でみるあのコロコロとした子供時代の風子なら、今だって似たりよったりでしょ?早々、男にモテルわけはないけど。でも、さやの例があるじゃない? 太ってるとけっこう胸に肉の塊がついて、それがボインちゃんとか言われて、やりたい男たちから標的にされないとも限らないけど、、、やることしか考えてないあの時期の男たちなんて、まじに、動きゃなんでもいいものね。ふふふ。

『あら、ふうこちゃん、たぶん今でもきっとぽっちゃりさんだろうから、胸もあって、男子から注目されているんじゃない?あの年頃の男子って、そんな目でしか女の子を見てないでしょ?』

はっとした顔をした奏。だけどすぐに、真顔になった。

『そんなことねえよ。男はそんな男ばっかじゃねえし。』
『あら、そうかしら?幹大君に聞いてみたら?幹大君、この間会った時、わたしの胸をじろじろ見てたわよ?ふふふ。』

奏が『あんのやろおおっ!』って唸った。

『ごめんな、ツノ。アイツも悪気はないと思う。悪かったな。嫌な思いさせてしまって、、、』

何で奏は謝るのかしら?それってわたしが魅力的だからってことなのよ?しょうがないわよ、奏の弟なんて単純単細胞で、いい女とやりたい!って顔にかいてあるもの。あれだけの筋肉だから、本当は奏の弟じゃなければ、1回ぐらい寝てもいいんだけど、、、でも奏にばれたら大変だから、その辺はわたしも抑えてるわけで、、、

『そんなことより、奏、もう一度考えてみたら?アメリカの話。』
『いや、今はいい。日本でやりたいこともあるし、、ってえか、、、見守りたいヤツがいるし、、』

ピンときた。

『それって、、、ふうこちゃん、、のこと?』

奏は黙る。何も言わないまま、沈黙が流れた。

結局、その後、何度も外国の企業や、勿論日本の大手会社からのヘッドハンティングが来ていたけど、わたしたちは入社歴も浅かったから、奏はもう少しここで経験を積んでから転職するのだと思っていた。けれど、今年で入社7年は経つのだから、この間のキモ男の情報から、てっきり、どっかの企業にソフトを応募するのかと思ってた。つまりは、いよいよ、彼もワンステップ上を目指す準備を始めたのかと、、、なのに、、


『あ?俺、今日、バス!』

仲の良い同期と飲むからと奏を誘ったら、いきなり断ってきた。けれど何だか嬉しそうで、眼鏡の奥が笑っている。

『え?何?』
『あ?俺、今日から風子のカテキョ!』
『何、それ?』
『ん?風子、計算ソフトが苦手なんだと!だから、これを届けに!』

人差し指と中指の間に挟まったUSBを彼は振って見せた。

『それって?もしかして?』
『そ!ここんとこ、結構集中して作ったソフト。』
『うっそ、、、』
『我ながら、よく出来てるんだな、はは、』

何て嬉しそうに笑うの?ついこの間まであんなに辛そうにやつれた顔をしていたのに、今わたしの目の前にいる奏は、何だかとってもキラキラしている。こんな、爽やかな顔も出来るんだ。何を思ってそんな顔しているのか、、、もう、わかってた。

『ふうこちゃんのため?寝る時間も惜しんで、挙句自分のプライベートの時間も削ってまで、そんなにふうこちゃんのためにやってあげるわけ?』

思わず、とがった声になってしまった。奏は首をかしげて、わたしをじっと見ている。

『あ、え、えっと、、、っていうか、ふうこちゃんがかわいそうなんじゃない?遊べないじゃない?だって、金曜日よ?』
『まあな。けど、今、これ覚えときゃ、仕事にぐんぐん活用できるし。まあ、風子には試練だ!ハハハ。』

そう言って、また嬉しそうに笑った。そんな顔、わたしに見せてくれたことなんて一度もない癖に、あんな子豚に、、、いいえ、、わたしがあんな子豚に負けるわけがない!きっとさやと一緒。ああいう、ぽっちゃり計算天然に弱いのよ、奏は!それに、19年ぶりに会ったちょっとした大再会だから、奏には珍しく、ちょっとは感激してるのかもしれないわ。ならば、わたしもそれなりにするだけのこと。

『そうね、今基本を叩きこんでおくと、後が楽だものね。これはふうこちゃんのために、ひと肌ぬいだあげてよ?色々と寝不足で大変でしょうけど、ね?』

頼む義理なんてこれっぽちもないけど、ま、しかたがないわ。

『ん?別に俺がやりたいだけだし。それにアイツの笑顔は癒されるわ。まじ。』
『え?』
『何か、こう、綺麗な澄んだ空気がするんだ。』

それは、絶対にわたしに向けた言葉ではなかった。奏はボソリとつぶやくように言った。でも、わたしの耳にはしっかり届いてしまう。何が澄んだ空気よ。ふん!あんなおデブがいるだけで酸素全部持ってかれそう。この間だって、車の中の空気が薄かったもの。そんなことを思ってる奏って、、疲れてるんじゃないの?

それからの奏は、わたしの誘いをことごとく断ることになった。


『わりい。今日、風子んとこ。』


『あ、俺、風子の苦手なところのポイント、ソフトをもう少し改善しときたいんで。』

とか、、、最近の奏は何かと言えば風子、風子、風子、風子。さすがのわたしだって、イラっとする。

『ちょっと、過保護じゃないの?奏?風子ちゃんだって、羽伸ばしたいわよ。今の奏って、父親みたいでうざくない?』

奏はあからさまに嫌な顔をした。

『風子との問題だ!』
『そ、、そうだけど、、、』

わたしには関係ないっていわれたようで、もう何も言えなかった。何だか嫌な予感がする。いやだ、、知らないうちに爪を噛んでた。乳白色で塗られた自慢のフレンチネイルが、自分の歯で無意識に削られて、、信じられない、、、動揺、、してる、、、このわたしが? あの子豚に?

極めつけは、、、あの動物園、、、


『奏、昨日はよく休めた?』

最近の週末だって、奏に会いたかったけど、子豚のカテキョやら、計算ソフトの修正プログラミングだとか、そんなこんなで奏は週末疲れを取りたいのではないかって、外出を誘うのだって遠慮してたっていうのに、、、

『あ? まあな。』

清々しい笑みを浮かべた奏を見て、満足したわ。だって、会いたかったのを我慢したお陰で、奏に少しでも休養を与えられたって、ちょっと嬉しかった。

『今までにないくらい爆睡したんじゃない?』
『ん?いや。』
『え?なんで?すごくすっきりしてるわよ?今日の奏。週末どうしてたの?』
『風子と出かけた。』
『え?』
『ひっさびさだよ。動物園なんて。』
『うそ、、』
『ついでに、ほら、あの食堂のおやっさんたちに会ってきた。いやあ、懐かしかったけど、だけど元気そうで嬉しかったな。』
『え?あの、、大学の傍の小汚い食堂?』
『コギタナイは余計だぜ?ツノ。だけど、まっ、本当のことか、ハハハ。』

うそでしょう?大学時代、奏が好んで通っていたあの食堂、、、あんなコギタナイ店、普通だったら誰が行くもんですか。でも、あんまり奏が頻繁に行くから、いつだったか連れてって、お願いしたけど、、



『たぶん、ツノの口にはあわない。』


ケンもホロロに断られた。そのときは、あんなおんぼろ食堂だし、確かにわたしの舌にはあわないって奏が心配してくれたって、喜んでたけれど、、、後になって知ったのは、あの食堂、ただものじゃない料理を出すって。その後、グルメ雑誌で編集の仕事している知人に聞いたら、どのグルメ雑誌も、あの食堂の特集をしたいんだけれど、食堂のおじいさん夫妻が一切首を縦にふらないって、、、だから、あの店は知る人ぞ知るっていうツウの店になってるって、、、、そこに、あんな油だけ食べさせてれば喜ぶ子豚を連れてったなんて、、、

『ふうこちゃん喜んでたでしょう?』
『ああ、アイツは本当に美味そうに食うんだよなあ。』

ちょっとやめてよ! 奏!なに、そんな甘い顔、、なんでそんな優しい顔してるのよ。

『あそこ安いから、風子ちゃん、どんなに食べても平気よね?』
『ああ。だけど、風子、結構舌こえてんだよなあ。アイツ、不味い物は絶対に食わないから。だからたくさん食ってる風子見てると、ああ、こいつ本当に美味いって思ってんなあ、って、、、あの口のわりいおやっさんも、目がこんなに垂れちまって、、』

奏は両指で、目の端を下げてニヤリと笑った。そんな顔を初めて見た。まるでいたずらっ子のような、、、か、、かわいい、、、胸がキュンとした、、、でも同時に、何だか疎外感。あんなコギタナイ店なんて行きたくはないけど、奏のお気に入りのお店だから興味あったのに、、、

『そんなに懐かしかったなら、また今度行ってみたら?あ、そのときはわたしも連れてってよね?奏?』
『ん?』

彼はわたしを見て、すぐに視線を外した。そして何も言わなかった。わたしは怖くなって、もう一度自分の言葉を繰り返すことができない。

え、、怖いって、、何が?、、、馬鹿みたい。何が怖いっていうの?! このわたしが、怖いって、、、奏の言葉をそのままやり過ごしてしまったのは、たぶん、、、、

『ツノには合わない店だよ。』

また断られるという、彼の否定の言葉、、、、それはまるでわたし自身を否定されているような、彼の心の扉をバタンとしめられてしまったような、、、胸がわけもなくズキンとして痛かった。瞳の奥が何だか、じわりと熱くなる。何だろう、こんな気持ち、、、、心がポキンと折れるような、、、何だか自分の心が頼りなくっていきそうで、、、このままじゃ、だめ、、わたしの心は叫んでいる。このままじゃ、きっとだめになる。じゃあ、どうすれば?どうすれば、いいの?



作者注:今回、佳つ乃は段々壊れていって、とんでもない人々の悪口を言っています。あくまでも佳つ乃の個人的な独白であり、特定の個人をおとしめたり差別したり侮辱したりという目的ではないことをここに補足させていただきます。何卒ご理解とご容赦のほどよろしくお願い致します。
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