餡子の行方

シタタカナ女の独白 5.

奏の出張が入ったと聞いたのは、火曜日の朝。エレベータで会ったキモ男と何気に話していた時だ。これはチャンスだ。水曜日から金曜までの3日間。3日もあれば、子豚の都合もなんとかつくだろうと思ったけど、あの女は案外に簡単で、『奢る』と言うワードにすぐに飛びついた。都合を聞くまでもなく、あっさり水曜日に決まった。何て単純な女なのだろう。餌をちらつかせただけで、こんなにも容易く釣れたわ。ふふふ。

さっきからこの子豚、挙動不審で、わたしと目をあわせようともしない。まあ、大方、わたしの美貌と己との違いにガツンとやられたってところかしら?そんなことは言うまでもないこと。それにしても奏はいったいこの娘の何を見ているのだろう。

『風子は実にうまそうに食べる。』

いつもそんなことを言っていた奏だけど、今目の前にいる小見山風子は、あまり美味しそうに食べているようには見えない、っていうか、遠慮しているのかしら?それにしても炭水化物を皿にとって、うわ、そんな油を使ってるナポリタンって、、、思わず食欲も減退よ。でも、それにしても、なあに、人が奢ったあげるって言っているのに、その食べたくなさそうな態度は?!子豚なりの恋のライバルへの牽制?確かに子豚が奏に恋しているのは明らかだわ。さやと一緒の瞳をしているし、本当に、怖いもの知らず。こんな子豚が、分不相応な恋をして、奏に振り向いてでももらえると思ってるわけ?まったく腹が立つのは、奏があれだけ必死に作ったソフトの苦労も何一つわかってない!なんなの?この女は!ましてや奏が、この女にあったレベルに合わせるために一つプログラミングを書き換えるってこと、どんなに時間をとられるか知りもしない!こんな女が奏に釣りあうわけがない!そうよ!こんな小娘に奏なんか渡さないし、奏が相手にするはずもない。絶対に!


だけど、こんな気持ちは初めてで、、、むくむくと膨らんでいくいつものような自信が、奏を見る度に少しずつ少しずつしぼんでいくのがわかる。何で、こんなことに、、、こんな情けない気持ち、、、、、奏と喋ると、今までのわたしたちの長い年月の絆を感じ取れ安心できたし、奏の顔を見れば、他の女とは違うわたいへの接し方に癒されほっとしていた。なのに、小見山風子が奏の頭の中を占める度、不安にさらされる。胸がささくれだっていく。よもやあんなデブ女に奏が惚れるわけないのに、、、そんな馬鹿げたことなんてあるわけがないって、いつもの冷たいくらい感情の色を映さない奏の瞳を見て安心したかった。だから、出張から帰ってきた金曜日が待ちきれず、奏のマンションに出向いたけれど、、、彼は帰ってこなかった。勿論メールだってした、電話だってした。けれど、携帯の電源は切られていた。わたしと奏が知り合った長い年月は、わたしに時として安らぎを与えてくれるけれど、ときとして、彼を知りすぎているからこそ、何か嫌な胸騒ぎも覚える。やっと奏と連絡がとれたのが土曜日の朝で、、、

『ああん、奏!どこにいるの?』
<あ?ああ、ツノ、、>

何か奏の声に動揺の響きが受話器から伝わってきた。

『わたし昨日の夜、奏の家に行ったのよ?着信見てくれなかった?』
<何か用?>
『え?』
<着信、見てない、、つうか、、、携帯切ってたし、、>、
『どこにいるの?今から会えない?』
<わりい。今日はこれからちょっと、、、>
『え?こんな朝早くから?』
<ああ。>
『ま、さか、、、風子ちゃん?』

ビンゴ、、、、電話の向こうで空気が明らかに変わったのがわかった。

『奏、いったいどうしちゃったの?』
<わりい、、ツノ。今は、ちょっと、これから、、俺、、、後でかけるわ。わりい。>

/ツーツーツー/

有無を言わさない切断の音、、、、奏との絆が切られたような気がした。こんなこと、、今まで一度もなかった。第一、奏が動揺したり、感情が揺れるなんてこと、一度もなかった。いつだって彼はどんなときだって落ち着いて冷静で。こんな風に、何も言わずに勝手に電話を切ってしまうなんて、、よほどあわてているとしか思えない。こんなのわたしの知ってる奏じゃない!何があったの?奏?ねえ、奏?まさか、、、、 わたしの頭には、信じられない想像が浮かぶ。ありえない!そんなこと、、すぐに打ち消した。気が付けば、また爪を噛んでいた。



『奏、、本当に心配だったのよ?もう、こんなのや、、、こんなふうに心配させないで、、、』

日曜日、連絡もせず奏の家に押しかけた。部屋に強引にいれてもらえれば、彼はまさに外出する様子だったみたい。けどわたしにはタイミングがよかった。まだ、彼との縁は繋がってる。そう確信した。奏の姿を見た途端、自然にかけよって、思わず彼の胸に飛び込んだ。彼の厚い胸板にそっと自分の顔をつける。手のひらに彼の鼓動が伝わってきた。

『ツノ、どうした?』

奏は、そっと、わたしから離れた。奏の顔を見上げる。何だか、知らないうちに涙が出ていた。いつもなら、計算づくなのに、、考えるより早く先に涙がこぼれていた。

『寝たの?ふうこちゃ、、んと、、?』

絞り出したわたしの声に、、、でも奏は答えなかった。厳しい顔をして、眼鏡の奥の瞳は何も言ってはくれなかった。だからこそ、ピンときた。奏は小見山風子を抱いた。

『うそでしょ?よくそんなこと、、、』

あんな醜い女、、、その言葉をかろうじてぐいと飲みこんだ。

『あんな、純粋な子を、、、、』
『ああ、、、、』

わたしの言葉に奏は引きづられるように、がっくりと肩をおとし、居間のソファーにドカッと座った。目の前にいた温もりが急に消え、わたしは寒くなった気がした。心がガタガタと震えている。それでもわたしは奏を追いかけた。

『どういうこと?奏?』

聞きたくない!聞きたくない!でも、、知りたかった。奏のことはなんでも知りたかった。

『もしふうこちゃんが妊娠したら、、』
『それはない。』

わたしの言葉をすぐに強く否定した。

『そ、そんなのわかんないわよ!避妊具使ったって、相手の女がわざと穴あけたりして、、わざと妊娠しやすい頃をねらったりして、、』
『風子は、そんなことはしない!』

獣が唸ったような声に、わたしはビクンとなった。

『あ、、ごめんなさい、、、』

思わず口から出てしまった言葉、、、女なんて、その男を手にいれたければ、平気でそんなことをする。わたしの周りにはそんな話がゴロゴロあったし、わたしだって、奏を手に入れることが出来るなら、やってしまうかもしれない。

『風子は、そんなことしないし、、、俺が、、、わりい。』
『え?』
『手を出した俺が悪い。』
『やめてよ、そんな言い方、奏、やめて!』
『それで、風子が妊娠したとしても、、、、』

奏はハッとしたようで、口をつぐんだ。じっと考え込んだ奏に、何を言っていいかわからない。わたしを抱かないくせに、あんなぶよぶよした女を抱く奏が許せなかった。ううん、それよりも、初心そうな顔で奏をたらしこんだあの子豚にメラメラと怒りが湧いた。さやと似てる、、、淫乱女、、、、何とかしなくては、、、このままでは奏は責任感だけで、きっと結婚とか、そんな非常事態にもなりかねない。奏だって男だから、ここのところ女に飢えていたら、きっと、どんな醜い女だとしても、手をだしてしまったのかもしれない、、、けれど、わたしが妊娠、、なんて言葉を使っちゃったから、急に罪の意識を感じているんだわ。だから、こんなにも重苦しい沈黙が流れ、、、奏は苦悩している。わたしが何とかしなくては。

『ふふ、大丈夫よ。妊娠なんてしないわ。今時の女の子だもの。まだまだ、遊びたいはずよ。』
『え?』
『奏は経験が豊富だと思ったんじゃない?今流行ってるらしいわよ。若い女の子たちが、年の離れた男性とセックスするの。上手いとか、ガツガツしてないとか、、とにかくそういう理由で機会があれば寝ちゃうって若い子たちが増えてるって話よ?』

わたしは一般論として、小見山風子が、あたかも上手ければ寝る相手など誰でもよかったという話にすり替えていく。奏はショックだったらしい。明らかに、顔をあげ、わたしを凝視した。眼鏡の奥で静かな怒りが瞳に映った。

『やだ、奏ったら、、何か誤解してた?風子ちゃんが純粋に奏に憧れてたとか?考えても見てよ、7歳も違うのよ?まだ、彼女は24歳で、あなたは30過ぎよ?どう考えたって、風子ちゃんが本気になるとは思えないけど?』

まさかとは思う。奏が、あの娘に本気だなんて、、とは思わない。思わなかったけど、、、でも釘はさしておくのは念のため。

『だから、大丈夫よ。奏が罪の意識にかられることはないから、、、』

わたしはゆっくりと奏のすぐ隣に座った。本当に奏を心配しているって感じで体を密着させた。胸を奏の腕にすりつけるようにしてわたしという女を意識させる。奏の俯いている顔を、奏の胸に顔をくっつけ覗き込む。わたしの瞳に奏がうつる。普通のオトコなら、ここで、反応をするはず。

『ツノ、、、』

『ね?奏、平気だから。明日、早速二人で風子ちゃんのところへ行ってみましょう、ね?』

ふふふ、奏の視線がわたしの唇を追っていた。彼はわたしにキスするかもしれない。


『え?』


奏はいきなりわたしを拒否した。手でそっとわたしの肩を押した。ふわりと奏の香りが鼻孔を掠め、香りが遠のく。胸が痛くて、、、切なくて、、、ショックだった。わたしを拒んだ彼の手が、そのままハラリと彼の髪をかきあげた。あの手がほしくて、あの指先がほしくて、、ずっとずっとほしかった彼が、こんなにも近くにいるのに、こんなにも遠い。そのままわたしたちは、重苦しい空気の中にたたずみながら、わたしはぐっと腹に力をいれた。小見山風子に留めを刺してやる。絶対に。

月曜日会社を休んだ。奏があの女を抱いたという事実が、ジワジワとわたしをむしばんで来て、、、脱力感に襲われ何もしたくない。でも、奏のために、何とかしなくては!

だって、、、子豚とバイキングで会った翌日、人肌恋しくて人事部長を呼び出してホテルに誘った。あの親父とは数回寝たことはある。ねっちこい前戯と愛撫がイヤらしく、まるで犯されているような気持ちにさせられ、体のシンまで燃えてしまう。ピロートークの合間に部長がささやく。

『また、、、抱いてあげよう、、佳つ乃、、』

有無を言わせない強引な物言いは、、、嫌いじゃない。奏の指とは比べ物にならないくらい短い指で、わたしの髪にからめては掬う。

『お前を人事部に異動させてやろうか?うむ?』

そう言って髪にキスされたとき、さすがにぞっとした。あわてて、体を起こし、親父にシナをつくる。

『それよりも、、、わたしの同期で出世頭って、、、誰かしら?』
『おいおい、佳つ乃、お前食っちゃう気かい?悪い子だ。』
『ふふふ。』
『そういえば、この間、ITセキュリティーの椎名君を呼んで、海外赴任のスタッフについて相談したよ。シカゴから、優秀な人材が欲しいと言われてね。椎名君はすぐに、近衛君、、だったかな?その男を指名したようだ。』
『え?それ、同期。』
『ほほおお?』

目を細めて何やらわたしを観察する部長は、わたしと奏が仲がいいことを知らないようだ。

『このことは秘密だよ。佳つ乃。』
『あら、失礼ね。そんなことくらい、口止めされなくても分別はありますわ。それで?』
『椎名君曰く、近衛って言う男は非常に優秀らしい。』

そうよ、そんなことも知らないの?このタヌキ親父。わたしが椎名課長と体を繋げるのだって、彼が奏の部署の課長だからだし、この男だって、人事という情報の要にいるから何かと便利。その意図もあって、わたしは関係を続けている。

『だが、変わり者らしい。シカゴといえば、我が社の出世コースだ。現に、今の取締役の粕谷(かすや)常務や、寺田専務などは、みんなシカゴ出身だからねえ。それを断るなんて、、、』
『え?そ、そう、、近衛君が、断ったんですの?』
『うむ。どうやら今出張中らしいんだが、椎名君が打診したのは出張前で、だが近衛という男は、考えることもせず即答で断ったらしい。優秀なのか馬鹿なのか、わからん。まあ、椎名君は彼が出張から帰って来たら、もう一度説得してみるらしいが、、、そんなに優秀なのかね?』
『え?ええ。そりゃ、勿論、、、わたしたちの同期の中では一番、、、』

わたしは上の空で答えていた。

奏が出張から帰って来たら、この話も聞いてみよう、、、そう思って、金曜日、必死になって連絡を取ろうして、挙句家まで行って、、、、彼は帰ってこなかった。そして奏はあの醜い女に誘惑され、ベッドの上で絡み合っていたなんて。怒りがこみあげた。


今更ながら思い出したその悔しさに、先ほどの脱力感が飛んでいく。奏の将来の為に、あのメス豚が邪魔なのは一目瞭然。今日、これから、小見山風子をとっつかまえてやる。1回寝たくらいで、奏の女だと思う、そのずうずしさをこらしめてやる! 時計を見れば、3時。子豚の勤務している保険会社なんて、大した仕事はしていないはず。さっさかと帰ってしまう前に、就業時間にとっつかまえなければ!


わたしは念入りに丹念に、いつもより時間をかけて、ゆっくりと化粧をする。こういうときのわたしって、自分でもいうのもあれだけど、いつもより肌が艶々して綺麗だわ。ふふふ。わたしの美貌の前では、あの女は何も言えないに違いない!
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