餡子の行方

風子の修羅場 1.

「はあ、、、」

風子のため息は朝から、何度目だろう。もう凛子は何も言わない。いつもと違う風子の様子に、先ほどからずっと心配して声をかけていたものの、5回目以降のため息には、もうお手上げと言わんばかりに、凛子は明日に迫る表作成に集中している。

「はああ、、、」

逃げるようにホテルを出た風子の行先は、、、自宅ではなかった。家に帰れば、絶対に奏は押しかけてくるかもしれない。



『風子、、、昨夜のことは、、、忘れろ、、、俺にはツノがいるんだし、、、はじめっからどうにでもなるものでもない。』



なんていう最後通牒を突きつけられるくらいなら、今は卑怯だと言われようと、逃げ続けていたい。奏のそういった事情は風子が一番わかっていた。風子が体ごとぶつかっていったとき、奏が困った顔をして、、けれど、風子を哀れに思ったのか、、最後は風子を抱いた。優しくて、エロくて、奏の男の部分を嫌というほど体に刻み込まれた。けれど、それは、風子への同情か、それとも、最近、佳つ乃との逢瀬が思うように出来ない腹いせと言っては言葉が悪いが、奏だって男だ。男の事情、さがというもので、結局目の前の馳走、、とまではいかなくても、、、まあ勢いに任せて仕方なく手を出した、、、そんなところだろうか。

なので、風子は土曜の朝から実家には帰っていない。ずっとミッツのところで厄介になっていた。ミッツにはいつものように拝み倒し、両親たちにちょっとした方便なども言ってもらい、、、もうミッツには一生、頭があがらない風子だ。

『あ、すみません。三ツ矢ですが、、うちのマンション、最近泥棒が入ったらしくて、、ええ、おまわりさんも厳重に見回ってくれてます。はい。そうです。ただ、一人だと怖くて、、、少し、風子さんをお借りしてもいいでしょうか?大家さんも女暮らしだからと心配して、ヤコム警備保障と契約してくれて、はい、モニターとかもセキュリティカメラも設置してくれたので、安心なんですけど、、何となく、ちょっと怖いので、慣れるまで、、、』

などと嘘も方便で、ミッツは風子の両親に頭を下げてくれた。両親も、ミッツのことは大好きだし、娘を持つ親としてはミッツを心配してくれた。勿論、実家に泊まればいいとさえ言ってくれたのだが、それでは風子が困るわけで、何とかミッツの達者な口のお陰で、風子がミッツのマンションに宿泊することを許してくれたのだ。


『もう、本当、勘弁!アンタのご両親に嘘をつくなんて、わたし地獄に落ちちゃうわ!この埋め合わせは、なんとしてでもしてもらいますから!まずは、近衛兄との一部始終、このわたしにくまなく報告してもらうからっ!』

いつものように厳しい口調でミッツにまくしたてられ、あれよあれよというまに、風子のロストバージンエピソードは、ミッツの耳に流れていった。

『で?』
『え?』
『で?風子は何で逃げてるの?』
『え?』
近衛兄このえあに、そんなに下手だったとか?』

ミッツの突拍子もない言葉に、風子は真っ赤になった。第一、上手い下手なんて、風子にわかるわけもない。というか、それどころか、奏は経験豊富でテクニシャンに決まっている。あの堂々とした態度、風子の体をすみずみまで触る厭らしい手、淫靡な指先、そして恥ずかしくなるような言葉で囁く奏の唇、、、

『ち、ちが、、っていうか、上手いとかよくわかんないし、、』
『じゃ、もうしたくない?気持ちよくなかった?』
『え?』
『まあ、初めては感じるどころじゃないもんね。』

風子は口をつぐんだ。感じないどころか、、、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなかった。だって、変な風になりそうで、気持ちがいい、、って、、そう思った。おかしくなるくらい、感じていたのだ。痛かったのは最初だけ、、、後は奏に成されるがまま流され、ゾクゾクするくらい肌が敏感になり、思いっきり突かれ、、、風子の弱いところを攻められると、変な声が甘くでてしまい、、、

『あれ?風子、、、ちょっとおお?』

ミッツに顔を覗き込まれた。

『ははああん、近衛兄、相当のテクの持ち主だ?』

ボンと音がしたかのように、風子の顔が発火した。

『もう、いいって!ミッツ、もういいよ。どうせ、ショーニィには佳つ乃さんがいるんだし、、』

風子は情けない声を出した。口元も心なしかとんがっている。

『そうとは思えないけど?まだ、チャンスあるんじゃない?』

ミッツの言葉にも疑心暗鬼で、風子は頭をぶんぶん横に振った。

『ううん。もう、いいんだ。いいの。ミッツ。』
『まあ、あの女がいたとしてもよ?たとえね?風子、近衛兄を奪ってやろうって思わないの?』
『え?』
『好きなんでしょ?ずっと好きだったんでしょ?!』
『そうだけど、、、』

ミッツは、煮え切らない風子に怒ったような顔をしたが、もう何も言わなかった。こうして、土曜日は終わって行った。風子のスマホの着信には奏の名前がいくつもあって、幹大の名前もいくつか連なっていた。翌日、日曜日、、、早朝あった奏の名前も、その後はめっきり連絡が途絶えていた。風子はその日も家に帰らなかった。本当は一度家に帰って、身の回りの荷物などと取ってきたいところだが、帰るのが怖かった。奏が家に突然やってくるかもしれない。


「はああ、、、、」

月曜の朝から労働意欲を失くす風子のため息だが、フロアの人間たちは、さわらぬ神にたたりなしにとばかりに、何も言わない。勿論、風子に何かあったことは間違いないが、そっとしておこうという空気も流れている。今の風子には、それがありがたかった。風子が愛されているこのフロアの優しさかもしれない。

奏の着信は、明らかに減っていた。昨晩は、わずか二回のみ。初めは着信だけではなく、伝言も残されていたというのに。

【風子、連絡しろ。】

【風子、、話がある。どこにいる?】

【大丈夫か?とにかく連絡して、、くれ。】

【まあ、、、三ツ矢さんと一緒なら、、とりあえず安心だが、、連絡してくれ、、、】

少なくなっていく着信に、伝言も少しずつ変化していた。奏は、風子の両親から当分ミッツのところにいることは知っているらしいが、ミッツのところへおしかけてくるような真似はしなかった。突発的に抱いてしまった風子に対して、罪悪感と言い訳をしたいのか、残された伝言にもいつものような、有無を言わせない強さはなかった。

【お前が、大丈夫ならそれでいいが、、、】

そして、今朝は1件も奏からはかかってこなかった。

(怒っちゃったのかな?でも、、、ショーニィにとっては、連絡がつかなくて自然消滅の方が都合がいいのかも、、)

奏からの電話に逃げていたくせに、奏からの連絡がなければないで、風子は複雑だった。まるで奏は、風子が逃げているのをいいことに、もしかしたら安心したのではないか。責任、、なんて言葉、、重いだけだし、風子にしたって奏にそんな気持ちを抱いてはほしくなかったけれど、、でも奏のことだ。きっと罪の意識や責任を感じているに違いない、と思っていた。それが奏にとって不本意なことでも、責任を感じて、風子とつきあうと言うかもしれない。それを期待していたわけではないが、でも心の片隅にそんなことを思っていたかもしれない。打ち消せない自分の狡さに、またひとつ、風子はため息をついた。

「はあああ、、、、」

風子のため息は複雑なのだ。奏から逃げたい気持ち、あんなことを衝動的に言ってしまった恥ずかしさ、、、そして結局奏と男と女の関係に一瞬でもなった嬉しさと気恥ずかしさ、、、そして奏と対峙しなくてはならないという現実、、、ミッツには、ああは言ったが、本当は、心のどこかで、佳つ乃から奏を奪いたいと思っていた己の醜さ、、、そんなことが渦巻いて、風子の胸の内は今や鳴門の渦潮よりも深く激しく波打っていた。

【ミッツ、、これから自宅に帰って、荷物とってくるね。】

風子は就業時間のベルと同時に、ミッツへメールを打った。

【オッケー。夕食は一緒に食べる?】

ミッツは料理がうまいし、この数日間でもわかるのだが、捨てられた雛鳥の面倒を見る母性ある鳥のように、何だかだと言っては世話をやく。一見、きつい言葉も、ミッツの優しさにいったん触れれば、それが愛情の裏返しだと、風子はもう長年の付き合いで知っていた。幹大は、何と幸せな男だろうか。

【でも遅くなるかもしれないから先食べてて。】
【オッケー!】

ミッツからそんな簡単な返事が来た。彼女のことだ、オッケーなんてあっさりと言ってるが、きっと風子の帰りを待ってくれるだろう。実家の両親には悪かったが、身の回りの荷物をまとめたら、あまり長いせず、すぐミッツの元へ帰ることにしよう。風子はそう思って、スマホをしまった。そのとき、バイブがぶるると鳴った。

「あ、、、」

着信画面に出た、今、一番見たくない、【佳つ乃さん】の文字。一向に鎮まらないバイブに、諦めたように風子はボタンを押した。

「あ、はい。」
<ふうこちゃん?今、どこ? わたし、今、ふうこちゃんの会社の傍に来ているの。>
「え?」

いつ聞いても、自信に満ち溢れた佳つ乃の声。今さらながら、奏と何て似合いのカップルなのだろうと、またため息が出た。

<ふうこちゃん?>
「え?あ、はい。会社の正面玄関でたところです。」
<じゃ、今行くわ。>

/ツーツーツ/

「え?」

スマホを握りしめたまま、風子は茫然とした。

/ブルルル/

風子の手がびくりとなった。スマホがもう一度バイブで震えている。

【風子、どこ?家の合鍵、渡しておいたほうがいいでしょ?】

ミッツからのメール。佳つ乃からの電話に未だ動揺しているのか、風子はそのまま茫然と立ちつくしていた。
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