餡子の行方

風子の修羅場 4.

たった、金・土・日と週末だけいなかったのに、何だかとても久しぶりのような気がした。おしゃべりな母・晴子も、ちょっとお茶目な父親小見山も、愛娘との再会に顔をくしゃくしゃにして満面の笑顔で迎えたが、何も聞かなかった。

「ミッツの賃貸アパート、もうダイジョブなの? さっきあったとき随分元気そうだったけど。」

とか

「幹大君も随分筋肉隆々で、、、ミッツと付き合ってんの?」

とか

「そういや、週末、奏君から連絡あったぞ?」

そんな、さらりとした会話だけ。風子の顔を見れば、恐らく何かあったにちがいないことは一目瞭然で、親ならば感じることもあるだろう。だが、風子は『今は何も聞かないで』オーラを全面にだしていたし、漫才コンビの夫婦とて、そこまでKYではない。それでも愛娘がしっかりと生姜焼きと、おかわりこそしなかったが白飯を完食したのを目の当たりにして、二人で顔を見合わせて微笑んだ。

両親に根ほり葉ほり聞かれなかったことは意外で、今夜の難問が全てクリアになったと安堵した風子は、ベッドの上で思いっきり伸びをした。情けない話だが、なんだか、懐かしい気さえする我が家に、やっぱり実家はいいなと思う。年季の入った木目の壁をみながら、気が付けば風子の目には、白色の天井が飛び込んだ。

「ううううんん。」

食っちゃ寝とは本当にいい御身分で、風子は思わず花柄のベッドカーバーの上にバタンと仰向けになっていた。美味しいご飯を食べた後、満腹の腹をさすりながら、横になる幸せはなんとたまらないことか。先ほどまで、いわゆる修羅場の中にいた風子だが、もうずっと前のことのような気さえする、それほど、実家の落ち着いた空気は、ある種幸せのバリアの中にあった。子供のときから使っているお姫様キャラの目覚まし時計を見れば、夜10時を回っていた。色々なことがあった日だが、奏との話し合いは明日以降だ。ならば、今夜はくよくよと考えたって始まらない、などと、もともとの楽天的思考が顔をもたげた。もちろん、眠るにはいつもより早い時間なのだが、、、

「ふうううっ、ああああ。」

もう一度伸びをして、風子の記憶がパタリと閉じた。





*****

「風子、風子っ?風子っ!!!!」

母親晴子の声が次第に荒く大きくなっていく。なぜ、こんなにも気分のいいときに、晴子はいつもながら大きな声をかけてくるのか、、、思わず眉間に皺が寄る。こんな気持ちのいい気分なのに、いったい何で邪魔されなくてはならないのか?夢の中でふわふわしながら、大きな声で呼ばれる自分の名前を聞いていた。

風子っ!!!!起きないと、奏君、部屋にいれるわよ?」

/ガバリッ!/

『奏』という言葉はなんという効き目のある言葉だ。昔から、何か聞き分けの悪い風子に、奏をダシに、どれほど言うことを聞かせたことか。大人になった風子でも、パッと目が覚めるくらいとは、効果テキメン。晴子はウッシッシとは笑わなかったが、にやにやしながら、寝ぼけマナコの風子を見つめていた。

「な、なによ?お母さん、ショーニィがどうしたって?」
「さっきから、うちに来てるわよ。ひとしきりお父さんとお母さんとしゃべって、色々話してくれて、まあ、話はわかったから。まあ、話も落ち着いたんで、それでは、風子に会わせてくださいって。」
「え?」

起きたばかりか、今一つ、頭が働かない。晴子は、何やらおかしげなことを言ったような気がしたが、それでも、奏が今階下にいるという事実の方に風子はパニックに陥った。

「え?え?ショーニィ?」
「ええ。奏君よ。」
「い、今、何時?」
「えっと、もうすぐ11時。」
「あ、朝あああ?」
「馬鹿ね、まだ夜よ。」
「へ?」

どうやら風子は、ウトウトと眠ってしまったらしい。

「じゃ、ここに通すわよ。二人とも大人だから、お部屋のドアはしめっきりでもかまわないわ。ちょっと、奏くううううんっ!! 風子起きたわよっ!!」

晴子は、何だかすごいことを言ってのけたが、風子のツッコミを待たず、いきなり大声で奏を呼んだ。

「じゃあね、ごゆっくり。」

奏が二階に上がってきた足音がすると、晴子はしたり顔で出て行った。

「え、え、ええええ?!!」

風子は頭を押さえ、手ぐしで髪を整える。衣服の乱れがないか、ああ、こんなことなら、もう少しばかり化粧を、などとパニックになっている間に、、

/トントン/

続いて奏の声がした。

「風子?いいか?」
「あ、、う、うん。」

内心ゲッと思いながら、風子は、ガバリとベッドから立って、自分のデスクに座る。ここはいつも計算ソフトの特訓のときに使っている勉強机だ。

/ガチャリ、、、/

ドアが開いて奏の入ってくる気配がする。風子は何だか胸がどきどきして、まともに奏の顔を見れなかった。奏は勝手知ったるという感じで、いつものように、簡易椅子をすっと机の脇に置いて、腰かけた。それがあまりに自然で、まるで何事もなかったみたいに、これから計算ソフトのレッスンをするような錯覚に風子は陥る。風子は机に向かって座っているから、目の端で嫌でも奏の姿をとらえてしまう。奏はおもむろに、ダンガリーシャツの袖をめくった。

「じゃ、始めるか?お前宿題やったか?」
「え?」

びっくりした風子は、横の奏をマジマジとみつめた。刹那、ニヤリと奏が笑った。

「はは、やっと、こっち見たな?」
「え?」
「だけど、なんだろうな、お前といると、こう自然で、、、ついつい、こうやって座ってるといつもの計算ソフトの感じだよなあ?」

どうやら奏も同じことを思っていたらしい。先ほどまで、シリアスな場面を迎えていた者同士とは思えないくらい、今の二人には穏やかな空気が流れている。だが、同時に風子は思いだす。あれは夢ではないことを。

「か、、、佳つ乃さんと、、仲直り、、、できた?」

自然に言えただろうか?顔が引きつってないだろうか?風子は何気なさを装った。

「あ?まあな。」

自分で聞いときながら、奏の言葉に頭を殴られた気持ちになった。これでいいはずなのに、あっさりと奏が佳つ乃と仲直りしたことに、傷ついた自分がいる。

「そんなことより、お前、大丈夫か?」
「え?」
「その、、体、、、」

奏は先ほど佳つ乃にすごまれた風子を気使っているのだろう。

「うん、髪の毛だけだから。平気。」

けろりと答えた風子だったが、奏は驚いた顔をした。だが、すぐに参ったと顔をして長い指先で額をこする。


「ばあか、風子、、、アレだ、、、その、あっちだよ。」
「へ?あれ?」

奏は頭を抱え、ため息をついた。風子は、一瞬、はてな?と思った、、、そのとき、あの金曜日の恥ずかしい夜が押し寄せてくる。長い指先が風子の肌を何度も何度も優しく触っては、風子が甘い吐息を吐き出して、、、

「ぎゃっ!!」

カエルのような声が出た。

「な、な、な、なんで、、今、そ、そ、そ、そんなこと、言うのっ、しょ、、ショーニィっ?!」
「なんでって、お前、、心配するだろうが、普通。」

風子は耳まで真っ赤になった。体中が熱くて、逃げ出したい。奏は、話を終わらせる気がないらしく、言葉を続けようとする。

「あのな?」
「あのね、えっと、ショーニィ、わたし全然平気。本当。だって、全然平気だし。」

奏の言葉を遮って、風子は息継ぎを吸うのも忘れて一気に囃したてた。

「風子。」
「わたしのことはいいから、もう本当大丈夫だから、」
「風子っ。」
「だから、佳つ乃さんと仲良く、お幸せに!」
「風子ッ!!!!」

風子は奏に顎を掴まれていた。もう逃げられないように、風子は奏の方へ顔を向かされる。奏の眼鏡の奥がすうっと細まった。

「何で俺がツノと幸せになんだよ?」
「だって、、、」

そんなことまで言わせるとは、本当に奏は意地悪だった。俯きそうになる顔を、奏は許さず力を少し入れ、自分に向かせる。風子が奏から視線を逸らすことを許さないようだ。

「なんで、ツノが出てくるって?」
「だって、、、恋人同士って、、」
「誰が?」
「、、、、、」

「っていうか、聞きたいことがあれば、俺に聞けよ!え?」
「、、、、、、」
「勝手にお前が、妄想するから、話がややこしくなんだ!」
「妄想じゃないもん!だって、佳つ乃さんもそう言ったし、ずっとずっと大学時代から一緒だって、ショーニィとつきあってるし、、、」
「はあ、、、」

やおら、風子の顎を掴んでいた指が離れた。奏は実に面倒臭い顔をした。眼鏡の奥の瞳はやたら不機嫌で、風子はわけもわからず不安になった。

「お前さあ、おかしいって思わなかった?」
「え?」
「じゃさ、例えばだぜ?例えば、俺とツノがつきあって、なんでお前と、その、アレだよ?」
「あれ?」

例えばなんて、佳つ乃との関係をいう奏だ。風子には奏がいったい何を言いたいのかさっぱりわからない。

「だから、アレだ!」
「だからアレって何?ショーニィ?」
「セックスだよ!」
「へ?」
「だから、ツノが恋人で、何で俺がお前と、その、、セックスしたんだよ?」

ボン!と音がした。風子は火がついたように、真っ赤な顔をしていた。

「な、な、な、な、、、」

言葉にならない風子に、奏が呆れたようにゆっくりと言い放つ。

「お前さ、俺をどんな人間だと思ってんの?」
「へ?」
「俺のこと、そんないい加減な奴だと思ってんの?情けねえっ!」

明らかに奏は怒っていた。やばい!風子は恥ずかしさも忘れ、あせる。とにかく奏が怒ると、怖いし悲しい。風子は必死になって考える。

「別に、、そういうんじゃなくて、、」
「じゃなんだよ?」
「だって、ショーニィ、優しいから、、、」
「はあ?」
「わたしが、、その、、頼んじゃったから、、、たぶん、、、断れなかったんでしょう?拒否すると、わたしがきっと傷ついちゃうと思ったから、、、」
「それで、俺が手だしたって?つまり、俺って、そういうことを女の子から頼まれたら、例え恋人がいても、相手の子が可愛そうだから手当たり次第、そういうことするってか?」
「ち、、ちがうの?」
「ばあかっ!風子!お前、あほかっ?!」

また地雷を踏んでしまい、風子はピクリと肩を竦めた。やばい、風子は警戒レベルを3に引き上げた。これがレベル5マックスに引き上げられタラと思うと、風子はブルリと体を震わした。

昔、確か幹大と二人で焼き芋屋さんが来た勢いで、バス通りの道をろくに見もしないで渡ったことがあった。

/ふふぁあああん!/

突然耳元で大きく響いたクラクションと巨大な化け物。危うくトラックに轢かれそうになった。窓から顔を出したトラックのあんちゃんが『バッキャロー!!!』の怒号を響かせ、思わず幹大と二人で首をすくめたが、それよりも何よりも、後から追っかけてきた真っ赤になった鬼のような形相の奏にちびりそうになった。奏の怒鳴り声が二人に襲いかかった。すぐに追いついた奏は、幹大を拳骨でゴンと殴り、挙句幹大ほど力はいれなかったものの、それでも風子の頭を拳骨で殴った。

『ばっかやろお!!』

奏の顔が段々青くなっていた。風子も幹大も、怖さと痛さで、うわああああんと泣き始めた。

『ばっかやろおっ!』

奏はチビたち二人の背丈にあわせて、地面に膝をつき、両手で二人を抱きしめた。

『ばっかやろおおっ!』

ぎゅっと抱きしめた奏は力を緩めなかった。風子も幹大も泣いて泣いて、そのときのことは、あとで奏や両親に言われてもあまり覚えてない。ただ、泣いたお陰か、奏の抱きしめがきつかったせいか、妙に息苦しかったことは今でも覚えていた。そして奏の温かい温もりのことも。だが、そのあとがいけなかった。レベル5マックスに引き上げた奏の怒りはすさまじく、その後、数週間、風子と幹大は焼き芋を食べることも買うことも、そしてひいてはさつまいもを食べること自体禁止された。運悪く、風子の母晴子が紅芋タルトを美味しく焼き上げ、結局二人が食べれないからと、お友達にふるまって、みんなが美味そう頬張っている横で、風子たちは涙目になりながらそれを見ていなくてはならなかった。スイーツポテトも、芋バウンドケーキも、けんぴ芋も、サツマイモのレモンとはちみつ煮込みも、旬だというのに、全部全部我慢しなくてはならなかった。どんなに辛かったことか、、、もともとは風子たちが悪かったわけで、今回の奏が下した罰に、風子の両親も、奏の両親でさえも何も言えない。幼い風子と幹大は、奏の恐ろしさを知ったのだ。

となれば、今は、少し黙って、奏の出方を見た方が利口だ、と風子は昔の経験からそう思う。

「え、、えっと、ショーニィ、、、別に、誰かれ構わず、、じゃないと、、思う、、、たぶん、、、頼んだのが、わたしだったから?」

それには奏は答えなかった。

「風子、お前さ、聞きたいことがあれば何で俺に聞かなかった?なんでツノとかの話ばっか信じる?」
「、、、、、」
「俺は二股なんてかけないよ。」
「え?」
「だから、二股なんてかけてない。」

どういう意味なんだろう、、風子は大きな黒目を少し上に向けて、考えた。奏の眼鏡の奥の瞳は何を言いたいのだろう。一瞬風子の瞳が奏の視線とからまった。怒っているせいなのか、あまりに熱を帯びた奏の視線に、風子があわてて目をそらそうと思った瞬間、手がのびる。今度は優しく奏の大きな手が、風子の顎を触った。

「え?」

固まった風子に、奏の顔が近づいていくる。本当に美しい顔立ちで、風子は真っ赤になるのも忘れたように、ぼおっと彼の顔をみつめる。

「あれ?ショーニィ、、、」

奏の頬がうっすら赤いのが気になった。左側だけが赤くはれているようにも見えた。

「ほっぺた、、、」

風子が驚いて指をさしていることなどお構いなしに、奏は息がかかるくらいに顔を近づけた。

「あ、、、」

風子の心臓がドキリと跳ねた。



「お前のアゴ、たぽたぽな?」
「え?」
「ははは、めっちゃ気持ちいい。」
「んもおおおおっ!ショーニィっ!」

ぷっと膨れた風子は奏の手を払おうと出した腕が、掴まれた。

「え?」
「嘘だ、ばあか。」

「え?ええええ?」
/チュッ/

奏の甘い唇が風子の唇を覆った。彼の唇は柔らかくとても淫靡だ。軽く口元をあけ、もう一度風子を試すように、また風子の口元を吸い上げる。

「ん、、んんんん」
「お前は、、、どこもかしこも、、、柔くて、甘すぎなんだよ。」
「え?」

「俺は甘いもん苦手だけど、、、風子だけは別だ、、」
「え?」

そうだ、奏は甘い物が苦手だったはずなのに、、、、いつのまにか風子の頭の中では奏が甘い物好きだってことに脳内が書き換えられているような気がする。そんな思考も、奏の巧みな口づけで、やがて、白くモヤがかかっていく。

「あ、、」
「息しろ。」

そんなことを言いながら、奏は風子の唇から離れようとしない。風子の体がカーッとほてり、キュンと下腹部が痛くなる。

「あん。」

胸の先端も何だか固くなって痛くって、、、だけど、、、こんなところで、、、階下には母も父もいる、、そんなことを思う。いや、佳つ乃に、悪い、、、とさえ思う。

「や、、ショーニィ、、、」

軽く奏の厚い胸を押した。奏の鼓動も早鐘のようで、ドキドキドキと打つ音は、風子の鼓動と連動しているみたいだった。

「風子?」
「だ、、だって、下にお母さんたちいるし、、」
「ああ、これ以上はしない。」

そう言って、また唇が覆われた。強く吸われ、そして、奏の舌が風子の舌を追うように執拗に探し求めてくる。風子はボーっとしながらも、なけなしの理性が働いた。

「だ、だめ、、ショーニィ、、」
「、、、、、」
「か、佳つ乃さんに悪い。」

奏の顔色が変わった。しかも目をカッと見開いて、かなり厳しい顔に変わる。げっ、これは、昔、芋をおあずけされたときのレベル5マックスの顔。どこで、間違えたのか、風子は奏の地雷をいきなり踏んだらしい。

「お前なあ、風子っ!今まで何を聞いてた?」
「え?」
「俺は、ツノを抱いたことはない、つうか、ツノとは何でもない。ツノとは、ずっとクラスメートとして過ごしてきただけだし、、、お前、やっぱ、俺が二股かけてると思ってんのかっ?」

ひいいい、、こ、これは、非常にやばい、、、とても恐ろしい事態に、風子は今にもちびりそうになっていた。
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