餡子の行方

ドーナッツは二番目に好き 1.

警戒レベル5級の奏は、あのまま風子には何も言わず小見山家を後にした。残された風子は、何が何やら全くわからない。いや、それどころか、奏の怒り降臨におびえ、背中に悪寒が走る。

あれから奏は何も言ってこない。風子の部屋をでていくときには、こんなことを言われた。

『風子、お前なあ、俺がなんでお前の願いを聞き入れたのか考えてみろ!そうすりゃツノのことも全てわかるさ。』

などと言われたところで、説明もしてないくせに何がわかるってのさ!なあんてことは風子の理屈にはない。普通なら、奏をとっちめてでも洗いざらい聞き出すという暴挙に出そうなものだが、風子にはそんなことが出来るはずもない。だいたい、風子や幹大においては奏は絶対なのだ。なぜそんな理不尽が、、と問われても仕方がない。子供のころから餌づけのようなものをされている、としかいいようがなかった。


「だけど、ひどい!ショーニィ、佳つ乃さんとのことだって、何も言ってくれなきゃわかんないじゃない!」

それでも最後の抵抗とばかり、鬼のいない金曜日の食卓で、思わずぶちまけた風子のひとり言。ふわふわほかほかの白飯をごはんによそっていた母、晴子が首をかしげた。

「誰?佳つ乃さんって?」

風子にごはん茶碗を渡した。

「誰って、ショーニィの恋人!」
「え?奏君が?どういうことだ?元カノかい?」

金曜日、愛する妻・娘と食卓を囲んでいる小見山が、驚いた声を出した。

「元カノというか、、、現在進行形?」

風子は隠すつもりもないのか、両親に素直に告げた。あの一方的な修羅場から5日は経っていて、風子としてみれば、かなり昔のことのように思う。あれから、佳つ乃からは何も言ってこなかったし、ましてや奏からもナシのつぶてだった。本来なら今日は計算ソフトの勉強会なのだが、奏は来なかった。もう、ソフトの特訓はこのまま自然消滅してしまうのかもしれない。だからといって風子から連絡する勇気もなかった。

「はい? 元カノォッ?何言ってんの?風子。奏君にちゃんと聞いてごらんなさいよ?」
「そうだな。風子は呑気なくせに意外とあわてん坊なところがあるからな。」

などと能天気な両親の話を耳で流す。佳つ乃のあの自信の前で、何を言おうとも、佳つ乃ががっちりと奏の心を掴んでいるのは間違いないと思われた。

「そうよね?来週には奏君も帰ってくるから、それから話をゆっくり聞くといいわ。」
「え?来週って?」
「あら、奏君から聞いてないの?この間家に来た時、今週からずっと愛知に出張だからって言ってたわよ。確かあの翌々日出張行っちゃんたじゃない?来週の金曜日に帰って来るって言ってたわ。」
「そ、そうなの?」

何だそれ?そんなことは、、、全く聞いていない。あの日っていえば、風子の修羅場を救い出してくれたあの夜のことだろう。だが、奏は肝心のことなどまるっきり何も言ってくれなかった。とすれば、今夜は奏が来ないということを両親はとっくに知っていたことになる。だからなのか、と風子は合点がいった。今日の夕食のおかずは何とも少しばかり張り合いのないおかずだと風子はさっきから心密かに思っていたのだ。

「うふっ、だって、天むす買ってきてもらう約束したんだもの。」
「なんだい、晴さんも頼んだのかい?わたしは、ひつまぶし弁当をね、ははは。」

結局、どちらに似てもどちらのDNAを継いでいても風子の食いしん坊は避けられなかったということだ。いや、焦点はそこではない。風子はフツフツと怒りが湧いてくる。両親には色々話したくせに、自分には何も言ってくれなかった。奏が何を考えているのか、まったくわからなかった。

「だから、風子、安心しなさいって。」
「そうだ、そうだ、奏君から、何か言われてるんだろう?」
「そうね、そのことをしっかり考えて、奏君とよく話し合ってよ?わたしたちは、、風子がよければ何も言わないから。うふっ。」

晴子の意味ありげな笑い、、、いったいなんのことだろう?と、風子は首をかしげた。何がなんだかよくわからない。晴子も小見山も、いったいぜんたいどんなことを奏と話したのだろうか?自分だけを置き去りにして、どいつもこいつも、何だか色々とわけしり顔で、そう思うと、また、ツクンツクンと胸の怒りが渦巻いてくる。下手すれば、どかあんと爆発しそうなもんだから、とりあえず、風子は、今、目の前の鯵の干物を咀嚼することだけ集中することにした。このツクンとする胸の怒りというかモヤモヤは今に始まったことではない。ミッツにもしたり顔で似たようなことを言われたからだ。



『ミッツありがとね。』

修羅場の翌日ミッツとランチを取った。実は、佳つ乃に呼び出された風子を心配して、ミッツは情報を奏に流していたわけで、だからこそ、奏がヒーローの如く駆けつけたわけだ。その上、心配したミッツたちは、カラオケルームまで迎えに来てくれて風子は本当に嬉しかった。

『実はさ、アンタがうちに泊まってたとき、近衛君経由で近衛兄に情報流してた。』
『え?じ、情報って?』
『風子の様子とか、、色々よ。だって、アンタ、Hした後、近衛兄がシャワー浴びてる間に逃げてきちゃったでしょ?アンタ、近衛兄を置き去りにして、やり逃げしちゃったわけじゃない?』
『や、や、やや、、、、ぐぐう』

ググっとチキンソテーが喉に詰まった。隣のテーブルのことなどおかまいなしにみんなランチで忙しいから、イチイチ風子たちの話など聞き耳を立てているものなどいないとは思う。だが、それにしても、まだ昼間のビジネス街で繰り広げられる話題として、“Hのやり逃げ” とは少しばかりお下劣である。

『だから、近衛兄が心配したんでしょう。で、風子のお母様に、わたしの家にいることを聞いたらしいから、それで、近衛君が兄貴に脅されて、泣く泣く、わたしに連絡してきたってわけ。』

そんなこと、、、全く知らなかった風子だ。胸にツクンと何かがうずまいた。

『勿論、わたしは、近衛兄なんて信用してなかったから、無条件で情報を流したわけじゃないわよ!』
『は?』

ミッツによれば、奏が幹大経由で連絡してきたときに、奏と直でやりあうために、SNS通信を利用して話を突っ込んでいったということだ。色々と奏の人となりを知るために、ミッツならではの切り口で質問攻めにしたらしい。

『近衛兄、なかなか手ごわいわねえ?近衛君と兄弟とは思えないわ。』

などというミッツ。さすがの観察力だ。

『あれじゃ、近衛君も風子も太刀打ちできないっていうか、、まあ、幼い頃から、ああ洗脳されてちゃね?』
『洗脳って?!ミッツ、、、』

ミッツは、まったく言いたい放題だ。だが当たらずとも遠からず、故に風子はただ黙って頷くだけ。

『佳つ乃って女、相当ね?』
『え?』
『まあこれ以上は言えない。あとは、近衛兄とちゃんと話し合いなよね?』

どうも、含みのある言い方で、またしても風子の胸が、ツクンと怒りの波が沸き起こった。何か知っているふうなのに、何も教えてくれなかった。唯一、心の友は幹大であり、幹大に至っては平常心というか、何も知らない様子で風子は安心した。下手すれば、いや下手しなくても、風子のロストバージンやその相手が奏だなんてことすら、全く思いもよらないようだ。


【何か、この間、元気なかったようだったけど、大丈夫か?お前、なんかショーニィにしたんだろう?風子んちから帰って来てからめちゃくちゃ機嫌わりいぞ?面倒だから、あやまっちまえ!あやまっちまえ!】

これは、修羅場の翌日にもらった幹大からのメールだ。なるほど、どうやら奏は不機嫌モードらしい。いや、そうだろう、何しろ風子だって、奏の怒りのレベルを5に引き上げたくらいだ。翌々日の幹大のメールはこうも続いていた。

【俺なんか、なんもわりいことしてねえのに、エロ本勝手に捨てられた(泣)何とかしてくれよーー(泣)三ツ矢さんだって、何か落ち着かないからとか言って、会ってもくれねえし(泣泣泣泣)】

怒涛の泣き絵文字が連なっていた。かわいそうに、と風子は思う。いつもはニクタラシイ幹大だが、こういうときは同類相憐れむで、傷を舐めあうことが出来るわけで、、、哀れなる幼馴染同士、、、



「はあああ」

自分の部屋のベッドに横になりながら、腹がいっぱいになったためか、はたまた、考えても解けない知恵の輪に疲れ果てたのか、思わずため息が漏れた。先ほど夕食で両親が言っていた言葉も気になるが、やっぱり、奏の言葉が、ずっとずっと気になっていた。


『俺が二股かけると思ってんのか?』


答えはノーだ。だがキスの最中に、佳つ乃の顔を思い出した風子が、咄嗟に拒んだ時あたりから、奏の様子が不機嫌になった。挙句、風子、お前が考えて答えを出せ、なんて勝手なことをほざく奏だ。

「はああああ」

またため息がもれる。

「ショーニィに、、会いたいな、、、、」

ベッドで寝がえりをうっても、奏の綺麗な顔が頭にこびりついてつきまとう。奏の俺様的態度にもかかわらず、離れてみると、思い出すのは奏の顔だ。19年間音信不通だったのに、風子の心の片隅にはいつだって近衛兄弟は住みついていた。奏にずっと会いたいと思っていた。けれど19年ぶりに再会したら、会うだけではもう満足できなくなってしまった。

(よくも自分から言えたよなあ、、、)

抱いて、なんて、あのときあの瞬間しか言えなかったのだと思う。ただただ勢いで、思いの丈をぶつけてしまった風子だ。奏を知ってしまった体は、奏がいるだけで体が妙に反応してしまうのも事実だった。

(なんか、、、わたしってHな体なのかな?)

両腕で豊かな胸をぎゅっと抱きしめた。佳つ乃がいようといまいと、本音は、もう一度奏に抱いてほしかった。勿論、あんなことこんなこと考えるだけで顔から火が出そうだ。実際、また二人っきりになってあんなふうなシチュになったら、風子はもう恥ずかしくて恥ずかしくて逃げ出したくなるだろう。それでも、あのとろけるような甘美なひとときを思い出し、普段はイジワルなのに、妙に優しい奏の全てに体を委ね、もう一度酔いしれてみたい。


『頼まれたら、俺は誰とでも寝ると思うか?』


確かに、そんなことはしないだろう。風子が懇願したから、奏が動いたのだ。だが、佳つ乃という恋人がいるのに、いくら風子の頼みだからといって、風子とセックスをしたという事実は、よくよく考えれば、どちらの女に対しても不誠実と言えた。奏は口は悪いし、時として暴挙にでたりすることもあったが、風子も幹大もそれでも奏の後をトコトコとついて行ったのは、奏は絶対に二人を傷つけないと知っていたからだ。最後は絶対に助けてくれることを知っていたからだ。奏はいつだって風子に正直だった。


『二股はしない。』


それは、、風子自身だってそう思う。奏がいうのだから本当のことなおだろう。ならば、どういうことだろう。


『奏ったら激しくて、、、』


『ふうこちゃんはわたしの代わりだったのよ?』


佳つ乃の声がぐるぐる回った。

何だか、よくわからない。ドタンと、今度はベッドにあおむけになり大の字になった。白い天井をみながら、何だか、よくわからないことを考えても仕方がない気がした。


『何で俺に聞かないんだよ?』

怖いから聞けなかったに決まっていた。けれど、こう迷路に入ってしまった風子は、考えるのも面倒臭くなってきて、怖いなどといつまで言っても仕方なく、何だか聞いた方が断然いいような気がしていた。そうでなければ、いつまでたっても堂々巡りではないか!
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