餡子の行方

ドーナッツは二番目に好き 3.

///ザアァァァァーーーーーッ/// ///ザアァァーザーッ///

思ったより雨は激しくなってきて、風子は逃げ場もなく、ぬれねずみ、いや濡れ子豚のように、奏のマンションの植え込みの陰で待っている。こんなびしょ濡れで、しかも夜8時をまわっていて、先ほどまで正面玄関で待っていたところ、次々と帰宅してくるマンションの住民から不審な視線を注がれた。さすがの風子も後ずさりをしながら、結局マンション横の木の茂みに居場所を落ち着かせる。勿論、木々に助けられているとはいえ、かなりの雨足に、もうびっちょびっちょである。風子の髪はべったりと顔にはりついて、ぺしゃんと海坊主のような丸い顔だけがやけに目立つ。くりくりとした丸い瞳が、なんだか、海坊主の赤ん坊のようで、それはそれで、風子を見れば通行人がぎょっとするはずだ。

「風子?」
「え?」

暗闇で呼ばれた名前。

「あ、、」
「ば、ばっかやろおっ!お前何やってんだ、」

あっという間に暗闇から伸びてきた腕に引っ張られた。風子はバランスを崩し前につんのめる。その瞬間、履いていた革靴がグシュっといった。足元もびしょびしょで気持ち悪かった。

「何時から待ってたんだよ?」
「え?いつからって、、、えっと、、」
「つうか、今日は遅くなるんじゃなかったのか?」
「へ?」

確かに母親の晴子には、そう言って家を出た。奏の家に寄るからだが、、

「風子んちで、待ってたんだ。こんなことなら、まっすぐ家に戻ってくればよかったな。」
「え?」

奏が今まで実家にいた? 予想外のことが起きると体が動かなくなるのは昔からの風子の癖だ。今も、固まったまま、雨がしたたり落ちていた。

「ああ、いい、しゃべるな。いいから、風子、おいで!」

奏はマンションの共同玄関を魔法を使ったように、スーッとあけた。そのままエレベーターホールに入り、風子と共に乗り込む。

【4F】

長い指先がボタンをとらえる。エレベーターはそのまま静かにしまった。

「「、、、、、、、、、」」

奏は一言も口を開こうとしなかった。これは、前回からの恐ろしいレベル5の怒りを引きずっているのかと、おどおどしながら風子がちらりと奏を見やれば、なんとなく違う気がする。風子の家に寄ったのだって何か理由があったのだろうが、風子に説教する為ではなさそうだ。眼鏡の奥の瞳は、前方を見つめるままだったが、怒りという色とは何だか違う気がした。

「あ、、」

目的の階にエレベーターが着いて、そのまま共同廊下を風子は奏の後から小走りについて行く。


「ここで待ってろ。」
「う、、うん。」

奏と幹大の住処とおぼしきドアが開いて、玄関に足を踏み込んだ風子は、そのまま奏の命令で玄関先で待つことになった。キョロキョロと見回す。クンクンとハナを動かす。なんだか風子の家とは違う臭いがする。風子の家は、絶対食べ物の匂いがする。ドアをあければ、魚の匂いや、カレーや、油の匂い、時には食べ物じゃなくても、ほんわか香る洗濯石鹸や、お風呂の浴槽剤。けれど、奏の部屋はとても無機質な匂い、家具のような壁のような、、それから何だかやっぱり男っぽい匂いがした。

玄関の横の部屋から奏が顔を出した。

「ほら、頭。」
「え?」

風子は目の前が真っ暗になる

/ゴシゴシ/

ガシガシと頭をバスタオルで拭かれた。ポンポンと、首元や肩もタオルで叩かれる。急に目の前が明るくなったと思ったのは、頭を拭いていたバスタオルをさっと奏がとったからだ。

「ほら、風子、あとは自分で、、ぷぷっ、ひでえ!あはははは。」
「え?」
「お前の、髪の毛、、ぷぷっ」

みなまで言わずとも、己の髪の毛だ。今自分がどんな格好になってるのか風子は想像がつく。髪がぺっちゃり濡れてぴったりおでこにはりついて、おそらく生まれたての5kg重量級の赤ん坊か、まるまるとしたキューピーさんとか、その辺を想像して奏は、吹き出しているに違いない。風子はふくれたまま、奏からタオルをもぎ取って、体や頭をバサバサと拭き始めた。

「風邪ひくぞ?着替えるか?」
「ふん!はいらないもん!ショーニィのは、どうせ、丈だけやけに長くって、横はパッツンパッツンですよおおっ!!」

風子は思いっきり憎まれ口を叩いた。だが、いくらタオルで拭き取っても、びしょ濡れの服が体に張り付いているのは、あまり気持ちのいいものではない。

「あのね、ショーニィ、やっぱ、着替えたい。」
「お?」
「幹大の貸して?幹大のなら絶対にはいる、、と思う。」


「やだね。」

「え?」
「貸せねえよ!」
「なんでえ?」

ここまでイジワルするか?と風子はもうやぶれかぶれだ。だが、奏はそのまま姿を消して次に戻ってきたときには、Tシャツと短パンを手にしていた。

「シャワー浴びてこい!」
「へ?」
「気持ち悪いだろ?」
「う、、うん。」
「これ、着替えだから。」

そう言って渡してくれた衣服に、風子は笑顔を返した。結局は、風子の願いを叶えてくれる奏なのだ。

「ありがと。幹大にも後でお礼言っといて、、洗って返すから。」
「ばあか。俺んだよ。」
「へ?」
「お前なあ、俺が風子よりサイズ、小さいわきゃねえだろ?どんだけなんだよっ!」
「だって、ショーニィ、細いもん!」

奏は意地悪そうに風子に向かってニヤリと笑った。

「お前さあ、この間の夜、俺の体、見なかったのか?」

そうだ、確かに奏は綺麗な美しい筋肉をしていた。服を着れば着やせするのか、スラリとした肢体も、裸になった奏は案外ガッシリしていた。風子は、あの夜奏の体を見たとき、思わず、ゴクリと生唾を飲み込んだことを思い出す。

「な、な、な、、なんで?」

風子はポン!と火がついたように赤くなり、とにかく衣服を抱え奏の指さす浴室へと駆け込んだ。心臓がバクバクとしていた。胸に服をギュッと抱きしめ、はああっと息を吐いた。奏はときどき、風子の心臓を壊すようなことを言う。風子は何もかも忘れるように、シャワーのコックをひねった。冷たい水もすぐに温かなお湯に変わっていく。

「はあっ、、」

これではまた奏のペースになってしまう。今夜は、絶対に絶対に聞くんだから、そう風子は固く誓ってシャワーを浴びた。




*****

「ちょっと、ショーニィ!わたしのこと、どう思ってんの?」

体からホカホカと湯気もまだ出ている勢いで、風子は奏に畳み掛けた。風呂からあがった風子は奏から借りた服を着て恥ずかしそうにソファに座っている。奏の見立て通り、だぼっとしたTシャツと、少しキツキツとはする短パンはゴムのお陰で何とか風子の腰にはまった。勿論、丈はショーパンというよりも、七分丈ズボンという見た目。奏の用意してくれたホットミルクを飲みもせず、風子の丸い瞳がムッとしたように奏に注がれている。二人はリビングのソファに対面して座っているから、奏の瞳にも風子の強い意思は映っていただろう。

「なんで、なんで、佳つ乃さんがいるのに、わたしと、、その、、Hしたの?」

真っ赤になっても風子はひるまなかった。

「風子、、」
「は、はい!」

穏やかな声で名前を呼ばれれば、結局風子の決意も折れそうで、、、

「あのな?その前にさ、俺と佳つ乃の関係聞けば?」

ふうっと息を吐く奏は、何だか憂いを帯びてかっこいい。風子の胸がキュンとなる。そんな姿の奏にぼおっとなっては、風子は結局奏には手も足も出ないのだ。また奏のペースになってしまうの。

「えっと、、、ショーニィと佳つ乃さん、、、恋人、、なんでしょう?」
「違うよ。」
「え?」
「俺たちは、違う。」
「え?」

そのまま奏はまた無言になった。眼鏡の奥の瞳は、いつものように何も言ってはくれないが、それでもその言葉は嘘じゃないように風子は思えた。

「それじゃ何で?ショーニィ?」

風子の声がか細くなってしまった。風子自身、奏の言葉をどう受け止めていいのかわからなかった。

「じゃ、じゃ、佳つ乃さんとは体の関係だけ、、ってこと? セ、セ、セフレ、、とか?」
「はあ?」

風子は、佳つ乃が得意げになってしゃべっていたことと奏の言葉のつじつまをあわせて結論を導いただけだというのに、目の前の奏は思いっきり呆れた顔をして頭を抱えた。

「お前、ばかか?」
「へ?」
「いいか?風子。これから言うことは俺は二度と言わない。もう二度とな?」

念を押すような奏に、風子はコクコクと無言で頭を縦に振った。

「大学んとき、ツノがクラスメートつうか学部が一緒で、やけに自信に満ち溢れた女で、俺にこびることもしなかったし、講義の話とか色々と話せて、気が付いたらおれたちは一緒に時間を過ごす事が多くなった。今までつきあってきた女子っていうのは、みんな俺に媚びたり、付き合ってとかいう話になるから、ツノみたいな女は新鮮で一緒にいても居心地がよかった。」

風子は一語一句聞き逃さないように、奏の言葉を必死になって聞いていた。

「ツノは、あの外見だ。大学でも目立っていたし、男たちが見た目で寄ってくる。あいつも、女としての武器を結構な勢いで利用していたから、まあ、どっちもどっちだとは思う。けど、俺とツノの間では、アイツは一度たりとも俺にいい寄ってきたりしなかった。女の武器を俺には使わなかったから、ツノが他の男とどんなつきあいをしてようが俺にはまったく関係なかったし、興味もなかった。」

奏の口調は、愛する女を語るにしてはあまりに淡々としていて、佳つ乃が言っていた、『恋人同士』というにはとても思えなかった。

「それに、、、」

急に奏の言葉が詰まった。こういうときは黙ってるのが得策だが、風子はもうじれてしまい先を促した。

「それに、何?ショーニィ?それに?」
「うるさい!」

風子はやっぱり一発どやされたが、どうやら奏は観念したようだ。

「あれだ、風子のこと、、話せる唯一のヤツだったから、、ツノは。」
「え?」
「俺は、アメリカにいたとき、ずっと日本の思い出を封印してたし、風子のことも口しなくなって、、」

幹大に聞いた話を思い出していた。英語の出来なかった奏は、必死になってアメリカになれようとしていて、そのためには甘酸っぱい大切な日本との思い出は邪魔だったのだと。

「だけど、気が付いたら、家族はみんな俺に気を使って日本の話も風子の話もしなくなって、、、そのうち、もう俺の方から言うのも面倒くさいっていうか、、、そんなこんなで、こっちに上京したとき、懐かしくなって昔住んでた商店街に行ってみたら、たまたま、風子、お前を見かけたよ。」
「え?え? う、うっそ?」

そんなことはツユも知らなかった。

「なんで?なんで声かけてくれなかったの?」
「かけれるかよ、ばあかっ!風子は、ちっともかわってなくてさ、きらきらしてて、、、なんか、くすぐったかったよ。」
「、、、、、」

だからだ、と風子は思い至る。合コンの夜、奏に自宅まで送ってもらった時、風子の街 =奏が住んでいた街=  商店街を通った時、あまりなつかしそうにしていなかった奏を思い出し、合点がいった。風子が知らないだけで、奏はあの街を訪れていたのだから。

「幹大に話そうと思ったけど、、なんか、悔しいからやめといた。」
「へ?」
「あれか、お前、幹大が初恋なのか?」

キョットンとした風子は、ちょっと太ったリスがセコセコとくるみを食べていたその動作を止めて『へ?』という顔で驚いて固まったのを想像させる。実に滑稽で可愛らしくもあった。

「ああ、いい。答えなくて、アハハハハ。お前は、昔から変わってない!すぐわかるよ。」
「何よ、それ?」
「いや、言葉よりも正直なボディーランゲージっていうのか、ハハハ、やば、はまった。ハハハハっ!」

とても楽しそうな奏の顔に、風子は怒りを忘れてクシャリとなった。奏が笑うと嬉しくなる。幼い風子と幹大は、奏が笑うといつだって嬉しくてスキップしたりしたものだ。奏の瞳はいつもスーッと人を射るような視線なのに、時々、目を細め穏やかな瞳をするときがある。今のように目がなくなるくらい笑い転げることもあった。いつもは無愛想な奏の態度だからこそ、この滅多にお目にかかれないそんな貴重なひと時に、風子も幹大も幸せを感じるのだ。

「へへへ。」

一緒になって笑っていたら、すぐに爆弾が落とされる。

「へえ。そうかそうか。わかったよ。風子は、昔から、俺、一筋だったんだあな。なるほどなあ?」
「へ?な、なに言ってんの?」

図星をさされた風子の顔が真っ赤になったが、奏は今夜はやけに機嫌がよくて饒舌だった。

/ポンポン/

大きな手のひらが風子の頭を包んだ。

「嬉しかった、、、ずっと妹だと思ってたのにな?気がついたら会いたくなってた。」
「え、、」
「大学の時、同級生とつきあった。今から思うと、風子に少し似てたのかもなあ?」

奏はゆっくりと長い睫をあげ、風子をじっとみつめた。風子は急に心もとない気持ちになって落ち着かない。何度もお尻を動かして、座る位置を変えてみる。奏に見つめられると何だか居心地が悪かった。

「けど、つきあってすぐ、わかった。違うんだって、、俺のほしかったものじゃないって、、手が届かなかったからって、近場に手をだした、、けどすぐに自己嫌悪に陥った。最低な人間だって嫌悪した、、、、」

奏はソファの端を触りながら指先を遊ばせていた。

「それからは誰ともつきあわず、ツノとも友だちのままで、気が付いたら、あいつも今の企業を受けていたよ。まあ腐れ縁ってやつだよ。」

奏は知らないのだ。佳つ乃が奏をずっとずっと追いかけてきたことを、、、

「だけど、だけど、佳つ乃さんはいつだってショーニィの傍にいたでしょ?わたしが知らない19年間、少なくとも彼女は10年以上ショーニィと一緒に過ごしていて、、」
「だから?」
「だ、、だから、、、ショーニィが気が付いてないだけで、本当は本当は、佳つ乃さんのこと好きかもしれないじゃない。」
「はあ?」
「そういうの嫌なの!ショーニィ!わたしと会ったの久しぶりだから、だから、懐かしいだけかもしれないじゃない?だけど、、そのうち、、そのうち、、佳つ乃さんへ気持ちに気が付いて、、それで、」

感情が高ぶった風子は、もう何だかわからず泣きじゃくっていた。今さら、どうしていいか、、わからない。手にいれたものが、後になってこぼれていくなんて、、そんな怖い思いをするのなら、初めっから手にいれない方がいい。

「それで、俺が捨てちゃうって?ぽいって?」

奏の顔が近づいて、風子の耳元で囁いた。

(ええ、ええええ?!!)

もう風子の目の前に奏の綺麗な顔があった。風子はびっくりして口だけがパクパクとしている。

「ち、、近い、、ショーニィ、、」
「じゃ、そんなことならないって証明してやるよ。」
「え?」
「風子、すぐにご両親に電話しろ。今日は帰れないっていえ。俺と大事な話をしているって言えばいい。」
「え、な、なんで」
「いいから言う通りにしろ!」
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