餡子の行方

ドーナッツは二番目に好き 4.

風子はメールではなく電話で、母晴子に奏といる旨を伝えた。

『あ、あのね、、今、大切な話をしてて、、、もしかして、は、話が、、その長引くと、、えっと終電が、、、』

とあいまいな言葉で、今夜帰れないと言ってみたものの、

<あ、はあい。わかりました。奏君によろしく。>
『え?』
/ツーツーツー/

とまあ、晴子から一方的に受話器を切られた。風子にしてみれば拍子抜けだ。晴子のことだからあれこれと詮索されると身構えていて、面倒臭いとまで思っていたのに、こうなると、何とも腹が立つ面倒臭い風子なのだ。嫁入り前のかわいい娘が外泊することに対して、あんな説明で納得する晴子も晴子だと、風子は身勝手にもイラっとしたりする。

「どした?晴子おばさんなんか言っていたか?」

奏は先ほどまでスマホをいじり素早い指さばきで画面をタッチしていた。メールでも送っているようだが、送信し終え、顔をあげ少しだけ心配そうな声をだした。

「ううん。別に。」
「そうか。」
「うん。」


気まずい沈黙が流れていた。奏は何も言ってくれなかった。


『じゃ、そんなことならないって証明してやるよ。』



『じゃあ、証明してみてよ!』などと畳み掛けるように責めることなど風子の態度にはインプットされていない。よって、奏から、証明してくれるまでじっと黙って待っているというのが風子が唯一出来ることなのだが、、、

「風子、お前さ、今、俺たち二人っきりしかいないって知ってた?」
「え?」

やおら口を開いた奏は何を言い出すのか?

「この間、何故、帰ったんだ?」
「え、、、」

ミッツ曰く、所謂、風子のやり逃げ =いや、その表現は違っているのだが= とにかく風子は事後、朝起きて奏がシャワーを浴びている間に逃げたのは事実だ。本来なら、奏から、先ほどの言葉=“そんなことならないって証明してやるよ。” の説明があって、風子がこれから色々奏に問いただす局面を迎えるはずだったのに、結局は奏主導で話は勝手に進められていく。

「どうして帰った?」
「ど、、どうしてって、、」

そんなことを急に聞かれても答えに困る。

「ああいうのは、体だけの関係ならありだと思う。」
「、、、、、」
「けど、俺は風子とセフレなんてならないし、、」
「セ、セ、セフレ?」
「そう、セックスだけの関係、お前とはありえないし、、、」
「そ、それは、わたしもやだ!絶対にやだ!」

だが、佳つ乃の話では奏は今まで、ずっとそんなことをやってきたと言っていた。奏はあまり女との付き合いを真剣に考えず、来るものは拒まず、去る者は追わず、この姿勢を一貫していると、、、今となっては佳つ乃の話をどこまで信じていいやらと思うのだが、佳つ乃が言う『奏と女との関係』の話だけは妙に信憑性があって風子も疑う余地はなかった。

「なら、今夜は絶対に帰るなよ?」
「へ?」
「シャワー浴びる時も一緒だから、、そのつもりで。」
「え?」
「どんなときも風子が勝手に帰るような隙はないから、覚悟しとけ。」
「え?ええええええ??」

この局面で奏はまた、あんなことこんなことをしようというのだろうか?風子でなくても焦るわけだが、まあ、部屋には男と女の二人であり、意思の確認は未だできてないとしても、部屋に若い男女二人っきりで、男と女のそういった流れになってしまうのは世の流れ、、ともいえる。風子は奏の言葉に、頭の先からつま先まで一気に温度が上昇したかのようだ。

「や、、な、、なんで、、ショーニィ、、」

ジリジリと座っているお尻を動かして、逃げようとする真っ赤なままの風子に、奏はまたしても意地悪そうに唇の端をあげた。どんな顔をしても美しい男は、絵になるものだ。

「なあんて、抱かないよ。」
「え?」
「風子の許可がでるまでは、もう抱かない。」
「、、、、、、、」

抱かないと言われ、落胆している自分がいる。佳つ乃がやっぱりいいと言われた気がした。風子の胸には、複雑なモヤがかかっていく。これからセックスをしようと言われるよりも何より、もう抱かない、と言われた言葉の方が、まるですべてを拒絶されたようで、風子の心を重く重く沈ませていく。風子の瞳には知らずと熱くこみ上げてくるものがあって、それはかろうじて瞳の奥で何とかとどまった。キラキラと潤んだ瞳が奏を見つめている。奏は、降参とでもいうように両手をあげた。

「もうツノのことは持ち出すなよ?そういう意味で言ったんじゃないから。」
「、、、、、、、」


「俺な?風子とは結婚前提じゃないと、もう抱かないから。」


風子には理解不能な言葉、、、けっこんぜんてい、あるいは、ケッコンゼンテー、そんな文字が頭をぐるぐるかけめぐる。

「どういうこと?」
「だから、そういうこと。」

何とも往年のギャグのようなやりとりだが、奏としてみれば、言った通りのことなのだろう。

「風子のお父さんたちには、この間、その辺のことを話した。」

意味がわからなかった。

「親父さんたちは、風子が決めることだから、って。」

何がどうなっているのだろう。混乱している頭では何も入ってこない。

「ま、待って、ショーニィ、言ってる意味がわかんない。」
「、、、、」
「それって、わたしと結婚したいって、、、こと?」

とりあえず思ったことを口に出してみてから、ことの重大さを思い知り、あらためて風子の瞳が大きくなった。先ほどの涙などどっかにぶっ飛んで行くような勢いだ。

「っていうか、そのくらいの覚悟。風子と寝た、、って、、、そういうこと。」

それは世間でいうところの責任を取るという意味なのだろうか。自分の胸がまたしぼんでいくのが風子にはわかった。つまり風子の初めてを奏が奪った、だから責任をとる、、という奏の覚悟、、、少しばかり時代錯誤の考え方ではあるが、責任感のある奏ならば、ありえるかもしれなかった。風子は、佳つ乃さんは?という言葉を飲み込んだ。つまり風子が処女だったから、好きとか愛しいとか、そんな感情の前に、責任という重さが奏を突き動かしているとしたら、、、

「ショーニィ、やめてよ!そういうの!わたしが頼んだんだから、そういう責任っていうの、、やめて、、、」

珍しく風子は怒っていた。怒ると言うよりも、情けなさと切なさがいりまじって感情的になってしまった。興奮のせいかほっぺたが上気していて、瞳が熱くなった。奏はじっと風子を見て、目を細めた。

「風子、、、お前でも、、そんな顔するのな?」
「そんな顔?」
「ああ、女の顔。」
「え?」


「そういう顔をされると、、男は弱い。」
「は?」

奏の瞳は真剣で、風子は思わずそらすことが出来なかった。怖い、というよりも前に、とにかく体が動かない。

「そういう顔されると誘っていると思われてもしょうがない。」

対面に座っている奏は大きな手で、風子の頬をそっと触った。

「だけど、そういう顔は誰にも見せたくない。」

スリスリとゆっくり頬を撫でる奏の指先に思わずうっとりしてしまった。ペットのような気持ちってこんなかな?などと漠然と思いながら、風子はすごく心地よかった。

「責任なんて、誰が言うかよ、ばあか。俺は風子に聞いてんの。俺と結婚するつもりあるのか?って、、、」

何だか肝心な言葉を何一つ聞かされてない風子だが、奏の指先から伝わる熱い何かは風子の頬にも伝わって、風子の鼓動を狂わせる。もう何もかもどうでもいい気がした。佳つ乃のことも、、奏の弁解も説明も、、、、風子の心がこんなにも奏を求め、奏に触れられることにこんなにも喜びを感じている。

「する!したい!絶対、ショーニィのお嫁さんがいい!」

風子の迷いのない黒々とした瞳が奏をまっすぐと見つめた。期待に満ち溢れ、きらきらと輝いている。奏は困ったような顔をした。頬をなでてくれていた指先が、止まった。

「風子の武器はすごいな。」
「うん?」
「絶対に勝てないかもな、、、」

珍しく情けなさそうな顔をした奏は、ふっと微笑んだ。風子には何のことかわからないけれど、それでも奏が誰よりも誰よりも自分を選んで受け入れてくれたのだとそれが嬉しかった。

「じゃ、結婚するぞ。」
「うん。」

奏はいつとは言わない。風子もいつとは聞かない。けれど、それで十分だ。奏の顔が近づいてくる。風子はもう逃げなかった。途中から奏の姿が見えなくなったのは、風子が目を閉じたせいだ。

/チュッ/

この上もなく甘く優しい温もりが風子の唇を覆う。奏は風子の顔を押さえ、今度はさっきよりも長い口づけを落とした。風子がゆっくりと瞳をあければ、信じられないくらい近くに奏の顔がある。奏の顔はなんだか少しだけ赤みがさしてやけに色っぽかった。

「ねえ、ショーニィ?」
「ん?」
「これって、ショーニィもわたしのこと好きってことだよね?」

キスにぼおっとなって熱に浮かされながらも、風子が必死に導き出した答え、、、だが、奏がブッと吹いた。風子の前髪がその勢いで、ふわっとくうに待った。

「ばあか、今まで俺の何を聞いてたんだよ?」
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