餡子の行方

ドーナッツは二番目に好き 6.

秋晴れとは素晴らしい。暑さで悩まされることのないお日様を拝みながら、頭上高く、青空がどこまでもどこまでも広がって行く。お日柄もよく、今日の小見山家はいつにもましてにぎやかで笑いが次から次へと湧き起こる。広島から、近衛夫妻が上京し、19年ぶりの再会に両家胸躍らせている。いや、激しく興奮しているのは、=年甲斐もなく= 母親同士、小見山晴子(こみやまはるこ)と近衛加奈子(このえかなこ)、この二人なのである。

「んもおお、加奈子さん、ひどいわよ。まったく!」

喜怒哀楽が隠せない晴子がいえば、奏の美しさのDNAの源である加奈子が瞳を優しく細めた。

「ごめんなさいね、晴ちゃん。わたしたちもずっと会いたかったんだけど、、なんだか、長い間ご無沙汰してしまって敷居が高くって、、、」

落ち着いた様子で答える加奈子も、実はものすごく感激しているのだ。なかなか感情が表に出ない母親だが、息子二人奏と幹大からみれば、一目瞭然のことだった。普段は息子たちのまえでは厳めしい顔をしている強面顔の、父親の近衛が、先ほどから目がなくなるくらい、風子の食べっぷりをみては微笑んでいる。

「風子ちゃんは変わってなくて、相変わらずかわいいねえ。」

でれっと瞳をなくして笑う近衛に、奏も幹大もぎょっとする。まあ、結局のところ、近衛家の男たちは、モフモフの子豚もしくは丸々太ったパンダのようなかわいらしさに実に弱いことがわかる。勿論、家で男たちに囲まれている近衛加奈子にしてみれば、風子の可愛さは格別だった。

晴子がまたまた素っ頓狂な声をあげる。

「だけど、カンちゃん、大きくなったよねえ。風子と匹敵いやいや、もっとコロコロしていたカンちゃんが、よくぞここまで育ってガテン系のイケメンよねえ。」

幹大とも19年ぶりに会う晴子が言えば幹大がへへっと頭をかく。

「カンちゃんが風子のお婿さんに来てくれると、おじさんは嬉しいよ。なあ、晴さん?」

小見山の言葉に、奏の眉がピクリとあがった。

「なあんちゃってね?ハッハッハッ!」

空気などまったく気にしない風子の父、小見山がこの場で下らないジョークを飛ばせば、その場に冷たい空気が走った。今日は、奏が家族を引き連れて、風子との婚約を正式に申し込みにやってきた。そこで小見山家で一席設けたのだが、先ほどから、その目的をしっちゃかめっちゃかにしているのは、他でもない、両家の親たちだった。あまりの久しぶりの再会に、興奮冷めやらず、先ほどの、『カンちゃん大きくなったわねえ。』の晴子の会話も、すでに何度かリピートされている話題だった。幹大も、これで4回ほど同じように頭をかいている計算になる。

今日の晴れの日に並んだ皿は、晴子の得意料理ばかりだ。山のように揚げた山芋とひき肉のコロッケは、あっという間になくなったし、豆とブタの角煮込も、山菜サラダも、ひじきも、色鮮やかな野菜煮も、本当に見事なほどきれいに片付いていく。幹大の食欲は言うまでもないが、奏も美しい所作でモリモリと食べていく。そんな二人を見ているのは気持ちがいいが、ここでも風子は二人に負けじと大好きな春巻きをほおばっている。晴子の春巻きは、エビとアボカドの変り種春巻きで、これが風子の大好物だ。風子は瞳をキラキラと輝かせながら幸せそうに口を動かしている。

「おい、プー子、お前、あんまり食べすぎるとやばいぞ?また太ったんじゃね?」
「ふん!いいんだもん!明日からダイエットだもん!」
「ああ、一生無理だな?まあ、コロコロしてるのがプー子らしくていいけどな?ふふん!」

何か上目線の幹大の言葉に風子はむっとした。

「幹大、気をつけてものを言いなさいよ?ミッツにわたしが一言でもアンタの悪口言ったら、ふふん、どうなると思う?」
「あああ、きったねええ。やめろよ。やめてくれ、いや、やめてくださいね。風子ちゃん?」
「きもっ!」

風子も幹大も気心が知れているから、ポンポン、ポンポンと悪態をつくが、これが実に楽しい会話で二人の顔は満面の笑みだ。

「食べてる最中は、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、しゃべってんじゃねえよ!」

ぶすっと無愛想に奏が言い放つ。どうも最近、幹大としゃべっていると奏の機嫌が悪くなるようだと風子は首をかしげた。この間も、幹大を話題を出したタイミングでひどい目にあったのを思い出す。



『ショーニィ、ねえ、あのね、』
『ん?』

それは、二人で中華を食べていたときだ。中華は二人で食べるものではない、と風子は思う。小さな丸いテーブルに、黒豆豚肉豆鼓蒸しと芝エビマヨネーズ和えそして青菜のかき油炒め、これを肴に奏と一緒にビールを飲んでいるのだが、、

『ショーニィ、五目かた焼きソバも食べたいけど、、』
『頼めば?』
『だけど、でもこの海老チャーハンもおいしそうだし、、あっでも、こっちのリブポークのXO醤風味粥もおいしそうで、、、だけど、、、、』

そうなのだ、どれもこれも食べたいが、さすがの風子だって腹の限界は近い。こんなことなら、大食いの幹大も誘えばよかったと恨めしい。ついそれが口をついてでる

『ああ、幹大も呼べもよかったね?幹大がいればいろんなもんが頼めたのにぃ!』

口をとがらせながらも幹大を思い出す風子は、見ていても微笑ましいのだが、、、

「うるさい!だったら、全部頼めばいいだろっ!』

不機嫌な声が聞こえた。挙句、奏は店員を呼んでしまった。

『え、だって、おなかいっぱいだし、え?え?ショーニィ、む、無理だって、、、』

あわわする風子を無視するように、奏は、海老チャーハンも、五目堅焼きソバも、そしてリブポークのXO醤風味粥も、すごい炭水化物大行進を一気に頼んでしまった。それは幸せな大行進と言えたが、だが、腹がすでに八分満杯になっている風子にとっては苦行と言える。だって、残すなんてこと、風子の辞書にないからだ。あのあと、喉元まで粥が出てきそうになった風子は、はちきれんばかりの腹を恨めしそうにさすった。

『ああ、せっかくダイエットしてたのにぃ、、もう息を吐くだけでもなんかでてきそうだよおっ!』
『お前は犬か?!だったら残せばいいだろうがっ!』

などと理不尽な叱られ方を奏にされて散々な目にあった。

なので今もまた幹大が風子にちょっかいを出してカラカイ始めれば、奏の機嫌がみるみるうちに悪くなったが、風子には、幹大の話=奏の機嫌が悪くなる、というこの公式はまだ読めないらいしい。

「風子ちゃん、これも食べてみたかい?」

風子とは一番遠い席に座っている、図体のでかいコワモテ顔の近衛が、外見とは不似合いのふにゃりとした声を出して、一同がぎょっとした。そりゃそうだ、いつもは幹大などをどやしつける雷親父が、風子の前では牙を抜かれて、すっかり人間にゴロゴロとすりよるトラのようになっているからだ。

「あ、ドーナッツ!」

風子の目の前に、近衛が箱を差し出した。中には、風子の大好きなザラメのドーナッツが山とはいっていた。

「おっ、懐かしいい!宮島っ子じゃん?」

風子の声にかぶさるように幹大もデカい声をあげた。幹大の太い指が箱の中にはいろうものなら、ピシャリと幹大の手を叩き近衛の警告が飛んだ。

「いってええ。」

幹大は手の甲を押さえ涙目で父親を恨めしく睨んだ。

「お前のじゃない!風子ちゃんにだ!」

真っ赤になってガナル顔はまさに鬼瓦そのものだ。風子はぷうっと吹きだした。

「おじさん、昔と変わらないねえ?えっと、ひとつ頂戴ね。」

などと可愛くおねだりをする風子に、また近衛がでれんとなった。

「これはね広島で有名のお店でねえ、」

デレデレし始めた近衛の言葉を遮るように、加奈子が隣からキビキビと説明をし始めた。

「風子ちゃん、笠丸谷かさまるやのドーナッツ大好物だったでしょう?でもね、ここのも結構なお味よ。試してみて?」

加奈子は空いている小皿に、ドーナッツをのっけた。箱には、宮島っ子ドーナッツと書いてある。風子は遠慮なく手を出して、あんぐりと大きな口をあけた。噛んだ瞬間に、甘いザラメが少しとけていい塩梅で口の中に広がった。油であげたふわりとしたドーナッツが口の中でまざりあう。食感もすごくいい。風子の目が思わずふにゃりとなっている。

「おいしいいっ!」
「やっぱりかわいいなああ。」

モコモコした子猫を頬ですりよる土佐犬のようなデレりとした顔で近衛がつぶやけば、幹大もふにゃりとなっいる。いつもは冷静なはずの加奈子や奏でさえも瞳がほっこりとなった。だが幹大はすぐに我に返り、また風子にちょっかいを出す。

「おいおい、もうやめとけよ。おまえ、マジに恋する乙女の食欲じゃないぜ?」

幹大の口から恋する乙女なんて言葉が出てきて風子は口いっぱいに頬張ったドーナッツが口から出そうになった。

「ぐっ!うるさいなあ。何が恋する乙女よ、ふんだ!」
「いや、そこは合ってるだろうよ?現に、お前、ショーニィと婚約するんだろう?」

幹大の言葉で、今日のお日柄のよい集まりは、単に昔を懐かしむ会ではなかったことを一同は思い出した。そうだ、今日は近衛・小見山両家にとって、風子と奏の婚約のお披露目会だったのだ。最初の目的が急に思い出され、風子は真っ赤になったが、奏は何食わぬ顔をして幹大の頭をこずいた。

「だったら、風子はお前の姉さんになるんだから、もうちっとは敬えよ!」
「いってええよ、兄貴、、、」

涙目になった幹大は、恨めしそうな顔をした。

「ふふふ、むかっしから奏君、風子には甘かったものねえ?」

晴子がそんなことをいう。風子はそうだったろうか?などと記憶を呼び戻してみるが、、、怒られたり意地悪されたりするイメージばかり押し寄せる。

「だろう?おばちゃん、俺にはことのほか冷てえんだよ、ショーニィは、ちぇっ!」

口をとがらかす幹大は、愛嬌があって昔のままだ。

「ええ?そんなことないじゃん、幹大。わたしだっていっつもショーニィに意地悪されてたもん!よく怒られてたし!」

そこでぷうっと風子のほっぺたが膨らんだ。だが、晴子は、大きな声で実に恥ずかしいことを言い始めた。

「ねえ、加奈子さん覚えてる?ほら、風子ったら、昔っから食い意地がはってて、カンちゃんに食べ物とられると大変な騒ぎだったけど、奏君にはなんでもあげてたわよねえ?」
「そうそう。思い出したわ、晴ちゃん。昔、笠丸谷のドーナッツを幹大が一人で4個も食べちゃって、気が付いたら、最後の1個しかなくなっちゃって、、」
「ああ、そうよ、そうよ。あのときの風子偉かったわあ。初めて我が娘でも思いやりってあるもんだわあって思ったものよ。」

晴子と加奈子が熱く語りあい始め、風子には何のことやらさっぱりわからない。

「何、それ?全然覚えてないよ。」
「あら、忘れちゃったの、風子?ほら、残ったドーナッツは、当然、アンタが独り占めするとばかり思っていたら、急に泣きべそかいて、ショーニィの分がなくちゃったあって、自分のドーナッツをがっしりと手に握りしめながら泣きわめいちゃって。」
「そうよ、風子ちゃん、なだめるの大変だったのよ。」
「へ?」

風子にしてみれば寝耳に水とはこういうこと。どっかの政治家のように、全く記憶にございません、と答えるほかになかった。

「でも、ショーニィ、甘いもん苦手でしょ?」

風子が言えば、晴子と加奈子は顔を見合わせてクスリと笑った。

「そうよ、奏は、子供の時から可愛げがなくて甘い物とか苦手の子だったんだけど、、風子ちゃん、奏が甘い物嫌いって言ってもちっとも信じなくて、泣きながら、ものすごく泣きじゃくったまま、むんずと掴んでたドーナッツを半分にして奏に差し出してくれたのよ?」
「えええええ?!」

実にもったいない話だ。どうせ奏は甘いものがだめなのだから、そのドーナッツは幼い風子がさっさかと食べてしまえばよかったのだ。

「で、ショーニィどうしたの?食べちゃったの?」

風子はとりあえず奏に聞いてみる。すると気まずい顔をした奏がぷいっと横を向いた。

「知るかよ、そんなこと!母さんたちもいつまでも子供んときの話はやめてくれよ。」

などと言った奏の顔は、酒の酔いなのか、ほんのり赤く色づいていた。風子にしてみれば、全く記憶にない話だったし、幹大も同じような顔でぽかんとしていた。風子はもうその話には興味がなくなった様子で、2つ目のドーナッツに手を出した。奏は黙って風子の食べる姿を見つめていたし、他の家族たちは、わいわいとまた思い思いの昔話で盛り上がる。きっと婚約しても、結婚しても、この雰囲気は一生変わらないだろうなと思いながら風子は、満足そうに最後のドーナッツの欠片を口にいれた。
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