餡子の行方

想う人・想われる人 2.

「何言ってんだよ?送る。ツノッ。」

佳つ乃の艶っぽい瞳が、きらりと光ったような気がした。

「ええ?いいわよぉ。」
「いや、車見ててくれてたんだし、遅いから送るよ。」

路駐していた奏の車に何か起きないようにと佳つ乃は車に乗り込み、奏たちが来るまで待っていたらしい。

「そう?悪いわぁ。」

チラリと佳つ乃は風子を見た。ぷるぷるとした唇が少し開いて、アヒルのように両端が微かに上がった。それが、何だか見下されたような笑みだと思ったのは風子のひがみなのだろうか。

「けど、俺、風子の家のご両親にも会いたいから、あんまり遅いとアレだから、おまえの最寄り駅でいいか?」
「え?」

一瞬佳つ乃の体が強張った。だが、すぐに微笑を返す。瞳を細め、奏にうっとりとした顔を向けた。

「ありがとう。ごめんね。まだ電車あるのに、、」
「いや、じゃ、乗って。」
「本当にいっつも優しいわよね、奏ったら!ふふふ。」

佳つ乃は長い脚を見せびらかすように、奏が、自然に助手席を開けたドアから腰から乗り込み、優雅に足を折りたたんだ。風子の瞳に、=履きたくても履けない= ピカピカに光った上質の黒革のピンヒールが残像として焼きついた。

(やっぱ、ショーニィ、、大人の女性が好きなんだ、、、)

昔からそうだった。風子と年の離れた奏は、幼い風子から見てもかなり大人に見えた。今から思えば、たかだか、まだ12歳という小学校を卒業したばかりの年齢だったというのに、奏は大人っぽく見えたし、また、奏の周りをにぎわす女たちも、中坊上級生や、時にはJKまでもが群がっていた。

考えてみれば、奏も幹大も、口の悪いのは今始まったことではない。特に風子に対しては、遠慮のない分、ものすごく口が悪かったのだ。けれど幹大はおしゃべりだったから、口が悪くても、ペラペラと次から次へ話かけてくるから、風子への悪態は、カラカイ半分、他意のないものだとよくわかった。奏だって他意はなかっただろう。けれど、この男は、無口で、言葉が足りない。ボソリと言った強い言葉に、風子の胸がドキリとなって泣きたくなることもあった。勿論悪気はないのはわかっていた。けれど、奏だからこそ、、何故かその言葉は時々幼い風子の胸に突き刺さった。いつだって、奏の気持ちを風子は幼いなりにアレコレと巡らす。奏はブッキラボウで、口が悪く、そして言葉が少ない。だけど、どんなきつい言葉を投げつけられても風子が凹まず奏を苦手にならなかったのは、、、奏は優しい、ということを風子は知っていたのだ。彼の優しさは、まわりくどくて、わかりにくいけれど、、、でも、風子の本当を傷つけない、、、、不器用で優しい男、、、、

「ほら、乗る!」

ぼおっとして、ただ、紺のSUVの前に突っ立ている風子に奏がいきなり声をかけた。

「え?」

大きな瞳を広げて、何故?という面持ちで奏を見た。奏と目があって、彼は何か言いたそうな顔をした。だが何も言わず、またクルリと背を向けたが、

「風子、目玉が転げるぞ。」

そう言って、運転手側の後方座席のドアを開け、じっと風子が来るのを辛抱強く待っている。こうなれば、風子の負けだ。

「わたし乗らないもん!」

などという断固とした拒否は、風子の辞書に存在しない。ましてや、昔から擦りこまれたような奏の命令口調に、風子の足がまた、ふらふらと車へと近づいていく。気が付けば、後部座席に風子は腰をおろしていた。前の奏が、長い指先でバックミラーの角度を調節している。風子は目があわないように、なるだけ隅の方で小さくなった。

奏の運転は適度なスピードと的確なハンドルさばきで、いつのまにか高速に乗っていた。奏はほとんどしゃべらず、隣の佳つ乃のおしゃべりに時折、ああ、とか、そう?とか、そんな感じで会話が流れていく。置いてけぼりになりそうになる後ろにいる風子をかわいそうに思うのか、時々、佳つ乃は、『やあね、奏ったら、ね?風子ちゃん。』とか、『奏は優しすぎるのよ、ね、風子ちゃん。』とか、奏に対する話題の相槌を求めたりする。風子も、『え、ええ、』などと最初は頷いていたものの、風子が答えようと答えまいと、佳つ乃の話は先へ進んでいくから、風子にはなんとなくおざなりな感じがぬぐえない。なので、そのうち、面倒臭くなって、眠ったふりを始める。けれど、耳だけは、佳つ乃のたわいない喋りに奏がたまに頷く声に、犬のように耳がピンとなっているようで、眠るどころではなかった。大人になった奏の声は、風子の中の思い出の奏よりも、少しだけ低くなっていて、けれど、短い言葉しか発しない口調は何も変わっていなかった。


「ねえ、奏?何だか、、悪いんだけど、、家までいい?」

佳つ乃が甘えるような声を出したのは、高速も降り、車が駅のにぎやかな街並みを走りはじめていたときだ。恐らく佳つ乃の最寄駅傍なのだろう。確かに、この駅ならば、風子の実家への通り道だ。奏の頭には、ちゃんと東京の地図が入っていたのだろう。幹大の話では、ボストンを後にして広島にずっと住んでいたということだが、奏は、東京に住み移ってからかなり長い時を経ているに違いない。ナビがあるとはいえ、先ほどからナビの指示よりもショートカットを選んだりする奏の迷いのない運転裁きがそれを物語っていた。

「最近、、ちょとこの辺、痴漢がでるらしくって、、、」

奏はカーナビ画面をチラリと見た。時計は、夜の10時近くになっていた。

「わかった。」

そのまま、彼は右にウインカーを出して、スムーズなハンドルさばきで駅を後にしていく。何だか、勝手に知ったるという感じで、奏が佳つ乃の家を頻繁に行き来している様子が窺えて、思わず風子はため息が漏れた。

「何だ?起きたのか?」

まるで、佳つ乃との二人っきりの時間を邪魔するな、まだ寝ていろ と言わんばかりの奏の言い方だ。風子の声が自然とぶっきらぼうになった。

「別に、、、」

「おい、腹減ったのか?」

ルームミラーから奏の瞳と目があった。彼の瞳は射るような、あるいは、風子を観察しているような、そんな視線で、風子はたまらなくなった。その視線に我慢できず、思わずそっぽを向いた。奏には、まるで機嫌の悪い子供のように映ったらしい。

「やっぱりな。これ食うか?」

奏は前方に注意をこらしながら、空いている左手をごそごそと動かした。すぐに佳つ乃が気をきかせて、運転手席と助手席の間のドリンク置場にチョコンとのっていた可愛い小花の散ったオシャレな紙袋を手にとった。

「風子ちゃん食べる? もう遅いけどぉ?」

佳つ乃は頭を後ろに少し向け、紙袋を後ろに渡しながら、伏し見がちにチラリと風子を見た。風子の真ん丸な顔を見ながら、まるでこんな夜遅く食べるからだと言わんばかりの佳つ乃の視線だった。何となく、風子は、佳つ乃をを好きになれない。変に馴れ馴れしくて、まるで風子のことを昔からなんでも知っているという態度や、人を値踏みするような視線、、、でも、これって、風子のヒガミなのかもしれない、、、だって、佳つ乃は、奏の大切なひとだからだ。

「い、いえ、だ、大丈夫です。」

差し出された袋をそのまま風子は、前に押しやった。

「何だよ、遠慮すんなよ。風子!今さらだろ?」
「だって、、、」
「お前は昔から腹減ると機嫌が悪くなる。俺は、帰りの道中、風子がずっとヘソ曲げてるのは嫌だからな!」

まったく何てことを言うのだ!確かに風子は食いしん坊だし、食べることがこの上もなく好きだ。だからこそ、ぷよぷよとした自分のお肉と付き合っていかなくてはならない。けれど、腹が減って、ぷいっと膨れたり泣いたりしたのは、昔の、そう、遠いずっと昔の話。

「幹大が、おまえのエビフライを食ったって言って、泣いて泣いて、あの後、俺にも口きかなくなったし、本当、勘弁してくれよ。」

昔を思い出したのか、奏は言葉とはウラハラに声が楽しげだった。佳つ乃は驚いたように、奏の横顔を見つめていた。風子の食い意地の張っているのに驚いているのか、佳つ乃の瞳が何やら意味ありげに光っていた。

確かにそんなこともあった。あの後、すぐ奏が機転を利かして、台所へ駆けこんで、余っていたエビフライを持ってきてくれた。



『ほら、食え!』
『あ、』

エビフライの上には、スマイルマークがマヨネーズで描かれていて、途端に、涙が乾かぬうちに、ご機嫌になった風子なのであった。


そりゃ食い意地のはったエピソードではあるが、だが、何もそれを佳つ乃の前で言わなくてもいいのに、と風子は何もかもが恨めしい。

「だから、ショーニィ、おなか減ってないし、それに、その話昔のことでしょ?」
「ん?じゃお前、腹減ってても、もう機嫌悪くならねえの?」

からかい半分の声は、昔とちっとも変らない。幹大にしても奏にしても、昔から、風子にちょっかいを出しカラカウことを生きがいにしていたところがある。

「ほうら、奏、風子ちゃんだって、もうお年頃だし、そんなこと言ったら失礼よ。ねえ、風子ちゃん?」

風子は佳つ乃の言葉に下を向き、奏は無言になって、そのまま運転へと集中していった。
ポチリ嬉喜
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