餡子の行方

昔、チビ助二人組 1.

あの突然の再会から、あわただしく日々が過ぎていた。週明け、ミッツの怒涛のような質疑応答に明け暮れ、合間、風子は何度か幹大と電話で話をした。面倒だからメッセンジャーアプリでやり取りしようと言われたのだが、今のところ、のらりくらりと交わしている。幹大とのやり取りで、奏がいきなり入ってくるっていうのは大いにあるし、それ以上に佳つ乃だってインしたいと言ってくるかもしれないからだ。そうなると何だか面倒だ。なので今のところ幹大とは電話でのやりとり =一方的に幹大がかけてくる場合がほとんどだが= をしている。家に帰れば帰ったで、両親たちが毎日のように近衛兄弟の話題を持ち出す。親は是非とも家に呼んで、心の息子たちの成長ぶりに目を細めたいらしい。また滅多に声をかけてこない黒葛原逸美までが、あれやこれやと奏のことを聞きたがり、風子は少しばかり辟易だ。だが、たとえ逸美といえども、あの煌びやかな美女・佳つ乃の前では、おそらく手も足も出ないダルマの如し、などという絵図を頭に浮かべ、風子はほんのちょっとだけ逸美に同情したりもした。

幹大から幾度となく食事に誘われた。どうやら彼は風子に話があるらしいのだが、風子は残業続きでなかなか実現できない。タイミングが悪い。悪すぎる。風子の所属する営業業務では、毎月末に作成する売上表や、次月売上見込みなど、月例の報告資料作成に追われる。これは主に入社2年目の風子と、今年の新人、木原凛子の担当だ。その上いつも以上に忙しいのは、今月は半年分の売り上げフォーキャストも用意しなくてはならなかったので、風子にしてみればここ数日が正念場であり、結構いっぱいいっぱいなのだ。

「風子先輩、あの?」
「うん?何?」

のんびり屋の風子に比べて、後輩の凛子は仕事が速い。彼女は計算ソフト表計算にたけている。実のところ、風子は文系でPCもあまり得意といえないし、ましてや計算ソフトの関数など、はっきり言って泣きが入る。今年入社したばかりの凛子は、理系でもあり、尚且つ計算ソフトの達人で関数など自由自在に操ることができるので、時に、いや、かなり頻繁に凛子がイニシアチブをとって月例報告表作成に挑んでいる。

「あの、、この場合IF関数入れちゃうほうが速いかと、、」

まるでハムスターが回し車に熱中しているかのように、風子もまた目をぐるぐる動かし数字を追って、ちまちま、ちまちまとキーを叩いているのだが、ハムスターにしても風子にしても、見てる分には可愛らしいのだが、結果としては、ただ無駄にエネルギーを消耗しているだけの不毛な動き、、としかいいようがない。見かねた凛子に、隣から優しく声をかけられ、風子は目を大きく見開いた。

「えっと?IF関数って?」

風子は臆面もなく新人に聞いたりする。知ったかぶりをするよりはましだし、、こういうところは恥も外聞もないのだが、やはり入社2年目としてのもう少しプライドを持って仕事に取り組むべきではないかと、一応本人も反省の弁はある。だが、凛子は、実に感じがよくていい子なので、ついつい聞いてしまう。

「例えば、顧客を選別するために、ほらこの欄にこうして公式を、、」

/カチカチカチカチ/

教え上手の凛子は懇切丁寧に教えてくれ、風子はとても助かっていた。凛子がいつか暇なときに、もう少し詳しく関数の使い方などを教えてもらおうかと密かに目論んでいたりする。

「なんだ、これじゃ、どっちが先輩かわかんねえのな?」

そろそろ帰り支度をしていた同僚から、風子に揶揄があがる。風子はぷうっと膨れて、あわてて顔をもどした。奏の笑った顔が浮かんだからだ。




*****

「じゃ、風子先輩お先です。お疲れ様でした。」
「うん、凛ちゃんサンキュね。」

やっとすべての表作成が終わり、明日先輩にチェックをしてもらえば完了だ。風子は全てのデーターを慎重に共同フォルダーに保存した。

「はああああっ」

両手を思いっきりあげて、椅子の背にドスンと持たれて体中を一気に伸ばした。かなりハードだった毎日も、これでグッバイ!明日からまた優雅なノー残業生活に戻れるのだ。親父たちだったら、こんなときはガード下でちょいと一杯なんてことも、、金曜日の夜だから、凛子は先約があったらしく先ほどあわてて帰って行った。風子といえば、彼氏いない歴、丸6年。こういえばまるで元彼がいたように思えるが、 “元彼” と言ったところで17歳のときの話だったし、いまどきのJKとは違い、清く正しい文字通りの付き合いをして互いの受験で別れたわけで、、、これを『付き合う』というカテゴリーとしてカウントしていいか否かは、まあ置いといて、とにかく今は彼氏ナシで、風子のここ空いてますけど?という悲しきもうすぐ24歳の女だ。

/ブルブルブル/
「え?」

帰り支度をしている最中に、バッグの中のスマホが揺れる。あわててガサゴソと取り出し、明るくなった着信画面を見れば、幹大 の文字。

「よっ、風子、助けてくれえええ!」

通話ボタンをタッチすれば、耳元から、いきなり幹大の泣きが入った。

「ど、どうしたの?」
「もう何時でもいいから風子会いたい!頼む!助けてくれ!!!」

合コン以来、幹大から何度も誘いの電話があって、その度にタイミングが悪く風子は断るしかなかった。だが、ついに、たまりにたまった幹大からのSOSが発信されたらしい。まだ、9時前だったし、今日は金曜日だ。風子の最寄駅で、幹大の驕りということで手を打った。





*****
「わりぃ、先、はじめてたわ!」

幹大はいったん家に帰ったのか、ジーンズにポロシャツというカジュアルなスタイルで、ポロシャツが厚い胸板にピタッとして、鍛えあげられた筋肉が、その下に隠れているのは明らかだ。こういったスタイルは、よく似合う。風子は、この間のスーツ姿よりは幹大らしいと、すでにビールで顔をほんのり赤くしている、やけにテンションの高い男の前に腰かけた。ここは気軽なフレンチ居酒屋で、最近できたばかりだ。時々風子は両親と来たりするのだが、居酒屋だけに、色々なフレンチ風料理が小皿でたくさん食べれるのが気に入っている。

「何か、この駅もすごいな?随分とこじゃれたもんが出来てんのなあ?」

心底驚いたように、幹大はビールをグッと飲んだ。

「商店街見てみた?」
「ああ、さっきちょっと見た!店はシャッターしまってたけど、あのパン屋とか本屋とか、店構えきれいになっちゃったけど、あれ昔のだよな?まだあんのな?」
「あっそうなの!ベーカリーカドヤ、それからホンダ書店でしょ?」

風子が嬉しそうな声をあげた。それはそうだろう。風子の生まれ育った街は、19年ぶりに訪れた幹大の街でもある。幹大の声に懐かしい響きを感じ取り、風子は満面の笑みを浮かべた。

「でも、、、」

ふと奏を思い出した。この間、この商店街を通った奏は、ちっとも懐かしそうにみえなくて、それが風子には少しばかりチクンと胸が痛かった。奏にとっては、風子も、この街も、もう過ぎてしまったただの遠い昔に過ぎなくて、思い出すこともなかったのかもしれない。

「“でも“ 何だよ?」
「うん?ジョーニィ、ちっとも懐かしそうじゃなかった。」
「え?」
「この間送ってもらった時、、あまり反応してなかったもん。」
「んなわけねえだろ? よく俺等、プー子のことやおばさんたちや、どうしてるんだろうとか、話してたんだぜ?あっ?」
「なになに?」

今度は風子が、幹大の途中で切った『あっ』という言葉の先を聞きたがる。だが幹大は思ったところがあったのか、その続きは言わなかった。

「いや、、俺さ、こっちに来てから、まだ3年くらいなんだ。」

こっちとは上京という意味だろう。それまでは広島にいたと、この間の夜、幹大は言っていた。つまり幹大は大学も広島で、奏は大学は東京だった。

「実はさ、広島時代は、よくショーニィとプー子のことやおばさんたちのこととかよく話ししててさ、懐かしいよなあ、なんつってえな?」

前回の合コンで、ボストンで5年を過ごした後、一家は幹大たちの父親の仕事の関係で広島に移り住むことになった、と聞いた。帰国後、奏も幹大も、結局は東京に戻ってきているが、両親は広島の風土が馴染み、そこを永住地として決めたようだ。

「アメリカに行ったとき、、俺はまだ小さかったからさ、、勿論プー子や親しんだ人たちや馴染んだ環境と別れたのは確かに寂しくて悲しかったけど、ボストンの土地には、気が付いたらすぐに馴染んでたんだよな。言葉の面でも気が付いたら話せるようになってたし、、」
「そっか、幹大英語ペラなんだ。」

風子は、ちょっと感心してしまった。

「なんだよ、それ?」
「へへ。ショーニィなら何となくすんなり事実として受け入れられるんだけど、幹大がねえ?あの幹大がねえ?」
「チッ!」

幹大は舌打ちをしたが、またプっと膨れた。この辺は、さすが、幼馴染。風子も幹大もウリフタツ。

「まあ、いいや。」

幹大はあっさりと認め、また続きに戻った。昔から幹大は顔と腹が一緒だから、単純明快でわかり易い。

「で、ボストンでの暮らしは俺にとっては、気が付けばって感じで、今から思っても、あんまり苦労してないんだよね。」
「うん。」
「だけど、、ショーニィは違ったんだ。いや、違ったんだと思う。13といやあ、8thグレードだったし、クラスの奴等も含めて、もう個々に自我もしっかり出来る頃で、イジの悪い奴らも大勢いる。その中で、英語がわからず、話せず、自分の個性とは別のところで、ただ言葉が話せないからといって周りの奴らが馬鹿にする。それでなくたって、人種差別がないとは言えない世界で、ショーニィの辛さは、弟の俺でも想像を絶するものだと思うんだ。」

「、、、、」

「だけどさ、ショーニィらしいんだな、これが。親父も現地の仕事に慣れるのが必死で、おふくろは、俺みたいなチビすけ抱えてやっぱり必死に馴染もうとしている、そんな中で弱音なんて吐けるか、そうショーニィは思ってたんだよ。だから、ショーニィ、家では普段通りで、一切、、、その学校で虐められてるなんてこと言わなかった。」
「え?ショーニィがいじめられてたの?」
「ああ。言葉出来ないんだぜ?日本でいうところの中学生の年齢で、クラスに溶け込めるわけがない!クラスメートは意地の悪い、悪ガキばっかさ!」

風子の顔がみるみるうちに曇って行く。胸が痛くて辛くて、、、いつも堂々と威張り腐っている少年の奏が、慣れない土地で苦労して、プライドもずたずたになることがあっただろう。悔しくて悔しくて泣きたかったことだって日常茶飯事で、、でも歯を食いしばって必死に生きていたなんて、、、

12、13歳にしては平均より背丈があって大人びた顔の端正な奏が、悔しさに唇を震わせている、、、風子はふと、そんな奏を思い浮かべる。どんなに辛かったろうか、、無愛想で、ブッキラボウで、自分の正直な心を滅多に見せない負けず嫌いの少年は、必死に戦って、そして転んでも倒れても前を歩き続けた、、、何だか胸が熱くなってくる。幹大の顔がぼやけて、風子はあわてて睫毛をバタバタと動かした。幸い幹大は気が付いてないようだった。
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