続編: キッスの上手い男

2.

「モモちゃん、どうするの? 更新?」

今日の黒木雛子は、まともな飲み物を注文しているようだ。アイスミルクティーをストローでチュッと吸い込んでいく。

「うん。多分会社は更新契約してくれると思う。」

桃子と会社の契約更新日はすでに1ヶ月を切っていた。先週、課長に呼ばれて打診は一応されている。


『吉澤さんさえ異議がなければ、会社は君と契約を更新するつもりだから。君みたいに優秀な人材は手放したくないからね。』


お世辞だとしても、それは桃子には嬉しい言葉だった。けれど、、、東城と顔をあわせていくのは、今もまだ、気まずい。東城だって口にこそ出さないけれど、本当は、桃子の顔を見たくないだろう。

「一応、打診されたし、、辞める理由もないからね?」

ボソッと桃子は言う。

「えっ?だって東城さんとおんなじフロアで働いているんでしょう?」

雛子が会社を辞めてから、二人の関係に変化が起きた。いや、雛子が退社するという噂が流れたあたりから、桃子は、雛子を近しい人として、自分の内側に入れることに抵抗を感じなくなった。だから、話の流れで、東城との肉体関係も、また、すでに別れたことも雛子は知っていたし、今、水沢丈太郎と、こういう関係を築き上げていることも知っている。

「水沢君なんにも言わないの?」
「えっ?何で?」
「何でって、モモちゃん、、東城さんって、一応元カレでしょ?モモちゃんの?」
「、、、」

「そんな人がモモちゃんの傍にずっといて、モモちゃんの体も知ってるわけじゃない?」
「ちょ、ちょっと、雛子、、」

雛子はあっけらかんとしゃべるので、キワどい話でもあまりエロくは聞こえないのだが、さすがに、カフェでのそれは少しばかり憚られる。あわてて桃子はまわりを見回した。

「やけっぼックイに火がつくパターンもあるしね?」
「ええ?東城さんとは、もう終わったし、、、そんなこと絶対、あるわけないって!」
「いやだ、モモちゃん、世の中に”絶対”なんてあると思う?それに、モモちゃんって最後は流されちゃうじゃん?」

雛子はいつだって、こんな調子。少しばかりカチンときた桃子は反撃する。

「そ、それは昔のわたしのこと!今は水沢君が好きだし、、」
「それ言ったんだよね?ちゃんと意思表示したんだっけ?」

桃子は急に押し黙った。高校時代のことを誤解され、水沢丈太郎はずっと桃子を怒っていた。だから、彼女は勇気を振り絞り、自分の気持ちを伝えた。それは世間で言う告白とはちょっと違っているかもしれない。けれど、、



『水沢君、ごめん、、、今は、ま、、だ無理、、』

丈太郎が、公園であの朝桃子にキスをしたとき、その情欲があふれ出し、そのままベッドへと流れ込みそうな勢いに、息もたえだえ、やっと桃子が言えた台詞。

『わたし、、先輩と別れたばかりで、、
でもきっと、ケジメをつけるから、、、それまで、、、』

そうやって、桃子は必死に自分の負けそうな心を叱咤し、東城と対峙した。彼との一件が終わり、桃子の中では一区切りついたからこそ、今は心おきなく丈太郎に抱かれることができる。自分のあんな乱れた姿を知っているのは、丈太郎だけ、、それが桃子の全てで、丈太郎への一途な想いだった。



チュル、桃子はストローから紅茶を吸い上げて、喉の渇きを潤した。

「だってさ、普通、コクるって、ずっとあなたが好きでした、だから、わたしをあなたの恋人にしてください、みたいなことでしょ?」
「でも、それらしきことは言ったよ。」
「ずっとあなたの手が好きでした、でしょう?」

桃子は反撃の言葉も見つからず、ただ無言で頷いた。

「だけど、、会うたびにセックスしてるし、、、」

小さな声でそっとつけ加えた。

「ちょっと、いまどき、セックスが愛の証なんて思ってるわけじゃないでしょ?」
「えっ?」
「モモちゃんだって東城さんとそんな気持ちなくてもHしてたじゃん?」
「だ、、だけど、、東城さん、ステキだし、嫌いじゃないし、、、」
「だから、そういう気持ちだけでもセックスできちゃうってことでしょう? 水沢君ともそんな感じで、やっちゃってるかもしれないじゃん?」
「それは違う!」

これは、はっきり言えた。桃子の顔が明らかにムッとした。確かに丈太郎のキスやセックスは桃子を甘く蕩かせる。けれど、抱かれた後に、優しい空気に包まれて安心する。抱かれた後も、自分の気力が続くなら、ずっと彼に抱かれていたい。抱かれるという意味は、言葉通りでもあり、言葉通りではない。セックスしてもしなくても彼の腕の中が一番桃子は安心する。彼と別れたそばから、丈太郎の匂いが恋しくなる。会社でも、仕事に没頭しようと思いながら、いつも彼を思い出してしまう。丈太郎を思うと、胸が切なく痛む。

「うん、確かに、それはそうみたいね?水沢君はモモちゃんの特別だもんね。」
「えっ?」
「モモちゃんの瞳、恋している。真剣そのものだもの。愛されてるんだね。」

ニカッと笑った雛子は、やはり憎めない。平気でそんな言葉を言うのだから、面といわれた桃子のほうが顔をが赤くなった。

「わたしも、男じゃないから、気持ちはよく、、わかんないんだけど、、、けど、、前にも言ったでしょう?わたしと水沢君、何となく似てるって。」

そうかもしれない、、桃子もそう思う。雛子と丈太郎は、勿論外見も性格も全然違うのだけれど、桃子の気持ちが安心して寄り添える、そんなオーラを二人は持っていた。

「合コンした数ヶ月後に、水沢君からわたしに連絡あったっていったじゃない?」

桃子はあのときのことを思い出す。そうだ、あのとき丈太郎と待ち合わせしていた雛子は、またローズヒップティーなどという面倒臭いものを飲んでいた。

「わたしね、最初ちょっと自惚れたの、あんなイケメンがわたしに連絡くれるなんて、、でもね、わたし、あの会社の人たちが思うほど、オメデタイ人間でもトロイわけでもないんだよね?」

確かにその通りだ。雛子を知れば知るほど、この娘はマイペースなだけなのだと、桃子の認識は変わっていた。トロイどころか、観察力に長けていて逆に怖いくらいの鋭さを持っている。

「だってさ、普通、わたしに興味あったら、合コンの後すぐ連絡してくるでしょ?だけど、数ヵ月後、って、どう考えても変じゃない?」
「うん。」
「そしたらビンゴ!水沢君、モモちゃんのこと色々聞きたかったみたい。」
「えっ?」

それは桃子にとって初耳のことだ。雛子が会社を辞めてから、月に数回のペースで二人は会っているのだが、その辺の話を雛子がするのは初めてだった。

「多分、モモちゃんと再会したあと、ずっと気になってたんじゃない?だけど、怒りが邪魔して、モモちゃんに連絡するのもプライドがって感じで、、忍耐力を駆使したものの、結局、数ヵ月後に降参しちゃった、って感じ?」
「だけど、何でアンタに連絡したんだろう?志麻子だってよかったんじゃない?」
「あれ?知らなかった?」
「えっ?」
「あの夜、合コンの夜ね、水沢君と結構しゃべるチャンスが多かったの。佐野さんも割り込んできたけど、何だろう、水沢君、どうやらわたしとしゃべりたいオーラ出してた。」

これが雛子のすごいところだ。普通だったらかなりの自信家だと誤解されそうなものだが、桃子はすでに免疫ができているのか、別段気にしなかった。

「だって、あの夜、わたしたち、水沢君とわたしね、モモちゃんの高校時代のことしゃべってたの。わたしが会社でのモモちゃんの話をチョロチョロ挟みこみながら、、そしたら、『吉澤さんって、変わってないんだなあ』って彼ちょっとため息ついてたよ。」
「まったく、勝手にわたしのうわさ話を!」

イラッと桃子がしたようだ。

「噂じゃないよ、どちらも事実。水沢君が高校時代のモモちゃんを、わたしが会社でのモモちゃんを、エピソード交えながら、、ふふふ。だから、何となく予感はあったの。数ヵ月後連絡もらったとき、あ、きっとモモちゃんのことかな?って。」
「、、、、」
「そしたら、やっぱり、、だったよ。水沢君はモモちゃんのことよくわかっていて、流されちゃうんだなあ、って少し悲しそうな声出していた。彼もかなりの観察力だよね?」

雛子はニコニコしながら桃子を見つめた。

「だから、モモちゃんのこと心配なんじゃないかな?」
「どうして?」
「東城さんのこと、、だって、平気で同じフロアで働けちゃうし、、」
「へ、平気じゃないもん、、」
「だけど、会社辞めないよね?せめて転属願いくらい出しても、、、」

雛子の言う事も桃子は考えていた。だが、今さら、また新しい部署というのも、何だか面倒くさい。やっぱりまだ後ろ向きで流される生き方は、そう変わるものではない。

「だけど、水沢君だって、、、」

そこで桃子は口をつぐんだ。さすがに、雛子には言っていなかった。


///ガイコクの女としかやったことがない///


「モモちゃんさ、水沢君のこと優しいって思ってるでしょ?」
「うん。」
「でも、本当は激しい感情も持ち合わせてるんじゃない?」
「えっ?」
「多分、怒ったら怖いタイプ、、、」

確かに、高校時代の桃子の態度に腹をたてていた水沢は意地悪だった。冷たくて、怖い男だと思った。けれど、桃子との誤解が解けてからは、彼は昔のような柔らかな笑みを向けてくれる。彼と話していて、一度も感情の起伏が激しいなどとおもったことはなかった。しいて言うならば、、、彼の激情は、、セックスのあの情熱的な営みだった。

 

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