続編:キッスの上手い男

4.

結局桃子の懇願も虚しく、力ずくで連れてこられた。いつもは夕飯を食べたり、、そういった緩和材があって、その後セックスをする。これが、桃子が丈太郎と付き合い始めてからの流れだったのだが、今夜の丈太郎は余裕がないように感じられた。その証拠に、待ち合わせのカフェは桃子の会社の傍だというのに、そこからそれほど距離が離れていない裏通りのラブホに連れ込まれたのだから。

「今日、ダメ、、って言った。わたし、、言った。」

小さな声で、桃子は丈太郎を責める。

「あの男には、ヤラセタ?」

優しい色はもう浮かんでいない。丈太郎の瞳はギラギラと怖いくらいに萌えているように見えた。

「あの男って?」
「あいつ、吉澤さんの元カレ。」
「えっ?」
「アイツとつきあってたでしょ?今日も会うなんて、やっぱり吉澤さんの体が忘れられないって?」
「えっ?」
「吉澤さん感度いいしね。男ならたまらないでしょう。一度ヤッタラ忘れられないと思う。」

丈太郎は怒っている。何故だかわからないけれど、今、桃子に猛烈に怒っている。

「何怒ってるの?水沢君。」
「ふっ、、怒ってないよ。呆れてるだけ。」
「嘘、もう誤魔化されない。わたし知ってる。水沢君が挑発的なこと言うときって、わたしを怒らせようとしてるんでしょ?水沢君が猛烈に腹たってるんでしょう?」
「、、、、」
「ねえ、言って、お願い、、、言わなきゃ、、わたし、わかんないよ、、」

静寂が余計桃子の耳をつんざいていく。静けさの波が桃子に押し寄せる。

「わたし、、馬鹿だから、、無神経だから、、だから、ごめん、知らないうちに水沢君、きっとイヤな思いするんだ、、ごめん、、怒らないで、、、悪いところちゃんと言ってくれれば謝るから、、だから、、嫌いになんかならないで、、」

ふわり、、

桃子の頭にぬくもりが広がる。丈太郎の大きな手のひらが桃子を優しく撫でた。

「ごめん、、俺、、俺、、」
「うん。」
「俺、、、」

そのまま丈太郎は口を閉ざした。

「吉澤さんの俺の印象って、、、優しくて大人?って感じ?」
「あ、うん。」

「そう、、それって、俺の日本人の部分。」
「?」
「俺、、メキシコ人の血入ってるの知ってるよね?」
「あ、うん。おばあさまだよね?メキシコ人。」
「そう。メキシコ人って結構感情が激しくて、顔に出たりする。」
「そうだね、何か情熱の国の人って感じ。」

桃子のくったくのない答えに、丈太郎はクスリと笑った。桃子はほっとする。綺麗なアーモンド型の目が、細められ、丈太郎の顔が穏やかになった。

「昔は感情が激しくて、、すぐに顔に出したり、、おふくろとか親父とかに、ああ、おばあさんの血筋だなあ、ってよく言われた。けど、学校入って、、結局そういうの苛められるんだよ。だから、子供なりに知恵をつけてくんだ。どういう風にすれば、日本からはみ出ないんだろうって。」

それは少し衝撃的な話だった。桃子の知ってる水沢丈太郎は、クラスの中でも一目置かれてる存在で、男子からは、『アイツは達観してるしなあ』女子からは、『大人だよね』そんな印象の男だった。だから、小さいころイジメにあっていた話は桃子には信じられない話だった。

「だから俺は自分の感情を飲み込むようにしたんだ。いつも優しい目をして、誰にも優しく平等に。人との距離をみんな一定に保つ、これが、俺の処世術。」

そう、彼の言うそれは、まさに桃子の知っている高校時代のミズサワジョウタロウだ。

「けどね、吉澤さん、」

ベッドに座っている桃子に圧がかかった。丈太郎が急に彼女の前に近づいている。

「吉澤さんといると、感情が抑えられない。俺だけのものでいてほしいって、すごく我儘な気持ちが抑えられないんだ。」
「えっ?」
「元カレ、、とのこと、、、嫉妬してる。」

「うそ、、」
「うそじゃない。ずっとずっと頭から消えなかった。吉澤さんを抱いても、あなたは俺に感じてくれるけれど、元カレにも抱かれ、もっともっと感じていたんじゃないかとか、、あるいは、体の相性はいいから俺に抱かれるけど、吉澤さんの心は別の方にむいてるんじゃないかって。」
「やめて!」

桃子はたまらず声をあげた。

「水沢君、何もわかってない!わたしのこと何もわかってない。」
「えっ?」
「わたしこそ、、水沢君に抱かれるたびに、どんな不安な思いになってるのか、知ってる?」
「どういうこと?」

丈太郎の眉根があがった。

「だって、言ったじゃない、水沢君、いつも相手は外国人ばっかって。」
「あっ、、」

明らかに丈太郎の顔色が変わった。驚いたような、困ったような、そんな顔。ただ瞳の色が、怒りの為に濃く見えた茶色のトーンに、スーッと理性が働いて、温度がさがったような穏やかな色合いになった。

「日本人はわたしが初めてで、、だから、もしかして好奇心だけで、、抱かれてるのかも、、いつか飽きられちゃうのかも、、いつも今までの女の人と比べられてる、、か、、も」

桃子の声がくぐもった。丈太郎の匂いが鼻を掠める。桃子は彼の胸の中にいた。

「ごめん、、吉澤さん、、」

丈太郎の逞しい腕の中で桃子は鼓動がはやくなるのを感じる。ドキドキして泣きそうになった。

「ごめん。」

彼は桃子を自分の胸へと抱きしめながら、彼女の髪にそっと口づけをおとした。

「俺、、、自分の、ことばっか、、で、、」

丈太郎の声もくぐもっていて、よく聞こえない。彼は身動きせずただ桃子を抱きしめているだけ。桃子は温かくたくましい彼の体にすっぽり抱きしめられ、頭のてっぺんに丈太郎の吐息を感じていた。

/ドキン ドキン ドキン ドキン/

丈太郎に抱きしめられるたびに、切なくて苦しくて泣きたくなるのに、けれど、離れたくない。こんなにも胸の鼓動が速くなって、丈太郎に聞こえてしまうのではないだろうか、、

そんなことを思いながら彼女もまたじっと抱きしめられたままだ。

「俺、、焼きもちやいてた、、、元カレの人、、、」

いつのまにか丈太郎の顔が桃子を覗きこんでいる。少しだけ照れているのか、顔が上気しているようだ。あまりにも近い彼の吐息に今度は桃子のほうが赤くなった。

「前、吉澤さんを抱こうとしたとき、寸止めされたし、、」

それは、東城との別れを切り出せないでいたときの桃子のケジメで、桃子が初めて、本当に初めて自分の気持ちを必死に丈太郎に伝えたのだ。あのときの丈太郎は優しい声で桃子に言ってくれた。


『わかった。待ってるよ。吉澤さん。』



だから桃子も今度こそ逃げないで、そして流されないで、ちゃんと東城と向き合う事ができたのだ。それなのに、丈太郎は今そのときのことを持ち出して、不満気な声をあげたわけで、、

「俺、、きっと、独占欲強いんだ。」

もうだめだ。彼の唇が桃子の肌に滑り落ちてくる。抗えるわけがない。桃子の唇に温かいものがふれる。それは本当に優しい口づけ。けれど切な過ぎて、桃子の瞳が熱くなった。桃子の頬に伝う涙を彼はそっと唇をつけて、、そしてささやいた。

「吉澤さん、、ごめんね、、傷つけてばかりで、、」
「ご、ごめん、、泣くつもりじゃ、、」
「いいんだ、、吉澤さん、、俺、多分、、吉澤さんが思っている以上に、、自分で思っている以上に、、きっと、、」
「うん。」
「きっと吉澤さんが好きで好きでたまらない。」

丈太郎の声は、もう余裕がなくて、心の勇気をかき集めて搾り出した言葉。掠れていて、いつもの落ち着き払った水沢丈太郎の声音ではない。けれど、その声は桃子の下腹がキュンと響いて、たまらなくなった。

「水沢君、、本当?」

「だから、抑えようと思っても、俺の激しい気性が出てしまう、、
だから、吉澤さんに意地悪を言って、きっと追い詰めてしまう。
けれど、セックスの相性はいいはずだから、俺を嫌っても、吉澤さんはきっと俺とのセックスに溺れていく、、それでつなぎとめられるならいいと思ってた。」
「ち、ちが、、う、、そんなんじゃ、、」
「だけど、、吉澤さんを抱いたそばから、急に自信がなくなって、、だから、もっともっと俺との快楽を体に刻みつけてやりたくて、、」
「、、、。」
「それなのに、吉澤さん、、セックスのときはあんなに乱れるのに、、それ以外のときは冷静だから、、」
「れ、冷静って、、?」
「元カレとの職場でも平気そうだし、、どんな風にカレとケリをつけたか、、俺、知らないし、、ずっとずっと毎日元カレと顔合わせてんだ、、そう思うと、俺、、、」

(あっ)

ここのところ、丈太郎の不機嫌の原因、不可解な態度、、それは桃子への嫉妬心なのか。雛子にも確かそんなことを言われたのだと、桃子は今さらながら、自分の鈍感さを後悔した。けれど、水沢丈太郎は何もわかっていない。

「水沢君、聞いて。ちゃんと聞いて。」

桃子は目の前にある美しい男の顔を両手で挟んだ。自分の目をしっかり彼のものとあわせる。丈太郎は突然のことで、茶色の瞳が大きくなって、じっと桃子を見つめている。

「東城さん、元カレっていうのかな? っていうか、前も今もわたしには会社の先輩という認識で、、その、、抱かれた、、ときでさえ、、翌日の仕事場で顔を合わせる気まずさのことしか考えなかった。彼と、、その、、、しても、、、違うこと考えてて、、、けど、、水沢君と、、するとき、、、何も考えられない、、無我夢中で、、き、気持ちもいいし、、だけど温かくて心地よくて、、でも切なくて、、だって、、わたし今までこんなに好きになったことないもの。」
「こんなに?」
「うん。ずっと、ずっと、水沢君がわたしの心の中に住んでた。」

桃子は丈太郎の頬から手を離し、自分の胸をトントンとたたいた。

「高校のときから、ずっとあなたが忘れられなかった。だから、、水沢君に抱かれるようになって、、、こんなに乱れてしまう自分が怖くて、、恥ずかしくて、、だけど、、、もう、、」

桃子は息を吸った。言わなくては。昔の自分は流されたけど、今は少なくとも丈太郎に誤解されて生きることだけは絶対にイヤだと思える。だから勇気を振り絞った。

「水沢君がいないと、無理。嫌われたら、、きっと、心が壊れる。もう、水沢君なしでは、、生きていけない、と思う。」

桃子は言ったあと、もう怖くて丈太郎の顔をみることができない。彼はいったいどんな顔で自分の告白を聞いているのだろう。もしかしたら、重い、って思われたのかもしれない。そんなことを考えただけで、、体がブルリと震えてしまいそうだ。

「すごい、、吉澤さん。」
「えっ?」

丈太郎の形のよいカーブを描く唇が少し開いて、ハッと息を吸い込んだ。

「それ、殺し文句、、やばい。」
「え?」
「メキシコの血入っている俺でも、言葉攻め慣れてるはずなのに、今、キュンときた。まじ、すげえ。やばい。」

大きな手が、桃子の手を引っ張ったと思うと、自分の胸に引き寄せた。

 

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