「モーモちゃん。 」
昼休み、志麻子がわたしの食べてる食堂の席までおしかけた。志麻子とは部署が違うから、いつもはお昼に出くわすことはない。多分、わたしを探す理由はただひとつ。そんな予感がした。
「ねえ、ねえ、高校時代の水沢君のこと教えて? 」
いつもよりも親しげに、いつもより甘えた声を出す志麻子。
「な、何を?」
「彼モテたでしょう? 彼女とかどんなタイプだった? どんな子が好きだったのかな?」
立て続けに質問される。今の彼が高校生であるならば、ダントツにモテまくりだったと思う。けれど、高校時代の彼は、外見が太っていたから、表立ってのイケメン振りは発揮していなかった。ただ、彼の醸し出す空気が、同じ年のクラスメートと比べれば、遥かに大人びていて、そして、メキシコ人の血が半分入っているということもあいまって、密かに思っている女子はいたと思う。下手すれば、イケメン男子に群がる女子達よりも、密かな想いは真剣だったのかもしれない。彼はどんな可愛い女子でも、そしてどんな不細工な子でも絶対に態度を変えなかった。だから、そういうところに惹かれた女子は数多くいただろう。かくいうわたしも、彼に惹かれていた、、、だから、キスをした。
「ねえ、モモ、どうだった?」
「あ、ええと、水沢君って昔っから落ち着いていて、チャラチャラしてなかったから、その、目だってモテル〜的な感じじゃなかったけど、隠れファンは多かったと思う。」
「ああ、わかる。彼、あんなにステキなのに、ちっとも鼻にかけてないし、それに、うん、モモの言う通り、大人〜って感じ。包容力ありそう。で、どんなタイプの子が好きなのかな? 」
わたしの覚えている限り、彼がガールフレンドがいたという話は聞いたことがない。まあ、勿論、いたとしても、彼がそれを吹聴するほど口が軽いとは思えない。でも、、
「そういえば、、 彼女かどうかわからないけど、、、 1回だけ、学校帰り見たことあるけど、、ラテン系の女の子と歩いていた。」
「ええ? メキシコ人?」
「ううん、それはわかんないけど、もしかしたら妹かも、、」
「それはないと思う。彼、男ばっかの6人兄弟なんだって。 」
志麻子の情報量は、すでにわたしの高校3年間分を凌駕している。わたしはそんなことも知らなかった。彼が何故、メキシコの血が入っているのかとか、そういう家庭のことなど、、、
「ああ、やっぱ、ラテン美人がいいのかなあ? 」
志麻子は、どちらかといえば典型的な日本人の顔だ。けれど化粧はかなり上手い。
「志麻子だって負けてないじゃん。水沢君にポイント絞ったの?」
「ふふ、あったりまえよ、あれだけの好条件、今後10年見つからないわ。」
「オーバーだよお。じゃ、東城さんのこと諦めちゃうの? 」
前々から志麻子は東城さんにも愛想を振りまいていた。
「モモ? そんなこと言っていいの? 」
志麻子が上目使いに意味ありげに小声になった。
「えっ?聞いたよ、やっちゃったんでしょ?」
「えっ?な、なに?」
「あらやだ、図星? 」
顔が赤くなってるわたしに志麻子が笑った。
「やだ、マジ、やっちゃった? って大丈夫、誰にも言わないから。」
「ど、どうして?」
「つい、この間、東城さんにコクった。」
「えっ? ウソ?」
「そしたら、即効振られた。好きな子がいる、、いや、付き合おうと思ってるって、誰ですかって聞いたら、、、、、、、モモの名前言っていた。 」
目の前が暗くなった。何だか不安でたまらない。
「あっ、やばい、わたし外出しなきゃ。 」
志麻子はあわただしく時計を見た。
「じゃ、東城さんとのこと口止め料、水沢丈太郎のキューピッドってことで。」
どうしよう、、、、東城さんのことを知られてしまった。志麻子は今水沢君に気持ちがあるから、普通だったけど、他の女子が知ったら、、、先を考えると、、なんだか、、、面倒くさい、、
その日はずっと東城さんの目を避けていた。
「おい、モモッ!」
その日の夕方、ついに給湯室の前でつかまった。無理やり、給湯室に押し込められ、彼は後ろ手にドアの鍵をガチャリと閉めた。
「俺、何かした?、、、、モモ? 」
東城さんは真剣だ。両肩を強く掴まれて、揺らされた。
「 答えろよ? でないと、、 」
東城さんの口元がクスリと笑う。その口元がわたしの顔に近づく。
「ここで、抱いちゃうよ? 」
耳元で囁かれた。くすぐったい。
「あん、 」
「あ、やばい、そんな声出すなよ? 」
そう言いながら、彼は長い指先で前髪をかきあげた。こういう仕草は実に優雅だし、イヤミがまったく感じられない。
「さて、お嬢さん、教えてくれるかな? 何で避けてるの?」
「、、、志麻子が、、、」
「ああ、やっぱりな。 」
恐らく前もって予想していたのか、彼はため息をついた。
「ごめん、でも、彼女から好きだって言われたから、はっきり言っておいたほうがいいと思った。モモの同期だし、、まずかった?」
「ま、まずくは、、ありませんけど、、、」
「けど?」
「わたしたち、、、その、、、?」
「付き合ってるの?って聞きたいの? 」
わたしは、ゆっくり頭を縦に振った。
「俺、色々な女性と付き合ってきたけど、付き合ってる最中は二股も浮気もしたことない。セックスするのは、好きな女としか、、やらない。 」
勤務外とはいえ、まだ社内だ。その中で、こんな言葉を口に出すのは東城さんだって慣れてないのだろう。彼の綺麗な顔に赤みが差した。
「モモは違うの? 、、、、誰とでもやれちゃうの? 」
わたしは答えられない。ただ愛想笑いを浮かべた。彼はその笑いをどう受け取ったのだろう。いきなり、腕を引っ張られ彼の腕に抱きしめられた。東城さんの匂いがした。
「モモ、俺と付き合って?」
東城さんの匂いなのに、、、、、、水沢丈太郎が頭をよぎった。
*********
金曜の夜、一人で寄り道もせず家に帰るのはいつぶりだろう? 東城さんとは、あのまま、わたしが答えをはっきり出せないまま、体の関係は続いている。彼に誘われる。断る。そして食事をしてキスをして別れる。彼に誘われる。流されて、セックスをする。何回かのうちはセックスをして、何回かのうちは断って、そんなふうに2ヶ月が過ぎた。わたしはどうしたいのだろう、、、そう思うとき、わたしの脳裏には、必ず水沢丈太郎の姿が過(よ)ぎる。何て嫌な女なのだろ、、自己嫌悪する。 東城さんに対しての割り切らない態度に嫌悪して、、 そしてあの晩、自分が何故水沢丈太郎と知り合いだったことをバラシテシマッタことに対して、大きな罪悪感と波のような後悔が次から次へ押し寄せる。実際あの夜の自分の態度を思い出すと、思わず叫んでしまいたくなるくらい、落ち込んでしまう。あの時のわたしは、いつものわたしじゃない、、、もう一度あのときのアノ夜に戻ってやり直したい。そうすれば、水沢君とも、こんな気まずい思いをせずに済んだのに、、、
「モモちゃん? 」
おっとりした声が聞こえた。
「ああ、雛子?」
「ふふ、珍しいね、こんな時間に会うなんて。」
「何言ってんの?アンタがいつもは5時退社の子なんじゃないの? 珍しいのはそっちでしょ?何、残業?」
「うう、、、 」
雛子はおっとりしゃべるが、今日は益々歯切れが悪い。
「どうしたの?」
「ええと、時間潰してるの。 」
結局わたし達は、表通りのカフェに入った。雛子の約束した時間にはあと1時間はあるらしく、たまには、雛子としゃべるのも気晴らしになるかも、わたしはそう単純に思っただけ。 目の前にコーヒーとローズヒップティーが置かれる。こういうところが雛子にイラっとくるひとつだ。暇つぶしにお茶を飲む。ましてやわたしが付き合ってあげる立場だと言うのに、カフェに入るなり、彼女はいきなり、メニューと首っ引きになる。じっと考えた末に、ローズヒップティーを頼んだ。理不尽な怒りが込み上げた。何なのだろう、このマイペースすぎる時間の流れは、、、わたしなど大概、友達や同僚とカフェに行ってもコーヒーを頼む。別に格別コーヒーが好きなわけではない。わたしの周りには比較的コーヒーを注文する子が多いからだ。
「で?」
わたしは多少イライラを募らせながら、雛子が何やらわたしに話したがっているのを察知して話を促した。
「今日、水沢君と待ち合わせなの。」
「えっ? 」
びっくりした。確かに、あの合コンで、最初は、雛子の前に座っていた水沢丈太郎だったけれど、最後は、結局志麻子たちの傍に座っていた。
「水沢君から連絡もらっちゃった。うふっ。 」
実に嬉しそうに笑う。何だか益々イラっとした。あの水沢丈太郎が彼女に連絡した?本当なんだろうか?
「雛子、やばいんじゃない? 水沢君、志麻子が狙ってるよ? 」
自分の声が少し尖っているのがわかった。
「うん。知ってる。だけど、それが何? 」
わたしは言葉が出なかった。
「それが何って、志麻子に知られたら、揉めるんじゃない?」
「別にいいじゃん。佐野さんのカレってわけでもないんだし。あんまりこじれる様なら会社辞めちゃえばいいんだし。」
「う、うそ? それでいいの?」
「モモちゃん、わたしね、前から言おうと思ってたけど、正社員ってそんなに偉いの?
「えっ?」
「少なくとも、わたしは、契約社員を狙ってたの。だから、契約内のことはするけれど、それ以外は、しない。だって、社員じゃないんだもの。」
「で、でも、、仕事任されたら責任あるし、社員も契約もないじゃん?」
「うん。それでもいいと思うよ。モモちゃんみたいに考える人もいれば、わたしみたいに割り切っちゃう人もいる、色々あっていいと思うよ。 」
おっとりした口調なのに、雛子は、理路整然と言葉を繋ぐ。はっきり言って、わたしは、腹がたっていた。いつもは、社員の同期女子から使えないって陰口叩かれてるくせに、今は、わたしよりずっと上の方にいて、見下ろされているような気がした。何だか、雛子がずっと今までわたしをバカにしていたように思えたから。
「何それ?アンタみたいなのがいるから社員に馬鹿にされるんだよ、だから契約社員はって言われて! 」
猛烈に腹が立ってきて、語気が荒くなってしまった。
「モモちゃんは、どうなりたいの?どうしたいの?一生懸命頑張って、社員を狙ってるの? 」
「そんなこと、、、」
考えた事もなかった。ただ、与えられた仕事を、失敗しないように、こなすだけ。人から、アイツ使えない、って言われたくないだけ。
「今の仕事好き? 」
それも答えられなかった。驚いた。雛子がこんな子だったなんて。同じ職場で働いた事なかったけど、普段ののんびりした感じや、その上、志麻子たちから散々陰口を聞かされ、仕事が出来ない使えない存在とばかり思っていた。
「雛子は?」
言葉が出てこなくて、思わず質問で返してしまった。
「わたし? ラッキーなら2,3年くらいあの会社で契約してもらって、それまでお金貯めて、起業しようかな?って思ってる。」
「うっそ、、、」
「本当。今でも、ネットでやってるんだ。」
「えっ?」
「子供服とか作って売ってるの。あとリフォームとかして、再デザインし直して、、お蔭で、結構顧客ついてるんだ。ふふふ。 」
急に雛子が遠い存在のような気がしてきた。そんなことをしてたのか、、、
「ねえ、モモちゃん?無理しなくていいのに、、人は人だよ?モモちゃんはモモちゃんだもん。 」
何なの?雛子に、、憐れんでもらってるの、わたし? そう思ったら、もう我慢ができなかった。
「ごめん、、雛子、、、わたし、、もう帰らなきゃ、、」
「ん。こっちこそ付き合ってもらって、ありがとう。 」
あわてて財布から400円を出してテーブルの上に置いた。 チャリン、チャリン、
「あっ?! 」
最悪だ。100円玉が床に転がった。ああ、もうやんなる。席を立ち、あわてて転がる100円玉を追いかける。ああ、みじめったらしい! どこまでも永遠に転がっていきそうな100円玉がやっと動きを止めた。手を伸ばそうとしたら、急に大きな手が目に入った。 あっ 先に拾われた。
「あ、ありがとうございました。」
顔をあげたら、、わたしを見下ろす冷たい視線。最悪、、だった。
「み、水沢君、、、」
「はい、これ。」
彼が100円玉を差し出したので、わたしは思わず手を広げた。彼の指先がわたしの手の平にふれた。
「あっ」
体に電流が走って、思わず一歩さがった。
「あ、ありがとう、、っていうか、これ、雛子に渡しておいて、じゃあ。」
わたしは、強引にその100円を彼に渡し、足早にカフェを出た。何やってんだろう、、雛子に言われた言葉も、水沢丈太郎のあの軽蔑した眼差しも、、、わたしの頭の中をぐるぐる駆け回る。わたし何やってんだろう、、消えてなくなりたい、、、
********
あ、またいる。
わたしの最寄駅は、電車の始発だから、必ず座れる。1台電車を待てば絶対に座れる。寝坊しない限りわたしはいつだって学校まで座っていく。だけど、3個先の駅で乗ってくる、あの子は座れない。足をいつも引きずって、学校カバンを下げて、、、あっ、ここのカーブ、いつも揺れる。あの子から目が離せない。
替わる?だけど、、息を吸って声をかけようかと、、
だけど、やっぱり声かけるには、遠いし、、傍まできたって、目の前じゃなきゃ、声かけられないし、、
あっ、倒れそう、、、
『 席かわりますね。』
わたしの隣のOL風のお姉さんが立った。わたしは途端に目を瞑った。寝たふり。目の前で、『あっすいません。』『いいんですよ。』『ありがとうございます。』そんなやり取り。席を替わったお姉さんとわたしの席は隣同士だから、あの子のところまでの距離は変わらない、、お姉さんは席をかわった。何だか強迫観念に駆られた。電車に乗ってる全ての人がわたしを責めているような気がする。
いいや、学校まで寝たふりをすればいい。