シークの涙 第二部 永遠の愛

15.

ジョセフ リドリーの屋敷は、重厚な石の造りで出来ていた。栄華をおさめ、悪事に手を染めたこともある。しかしそれもこれも全ては王国のためなのだと、そんな思い上がった散漫な心に負け、己の欲と野望で人を蹴落とすことなど何とも思わなかった。それは全て己の思い上がった醜い心だった。そんな時代の屋敷は恥知らずな華美なもので、今となっては欲の皮の塊、息を吸うことも嫌悪する。リドリーは、ここ10年、郊外の人里離れた広大な土地でこの落ち着いた石畳の屋敷に住んでいる。余生をここで暮らすことに悔いはない。

「さあ、お飲み。おや、ココアの方がよかったかね?熱いから気を付けるのだよ。」

リドリーの前だと、自分は幼稚園児になったような気がする。ハナはリドリーとの流れる時間が嫌いではない。リドリーの態度や言葉はいつでもハナ見守るような、自分の孫にでも話しかけるようなそんな温かみがある。時々背中がこそばゆくなるような、そんな優しい時間だ。

<美味しい。>

ハナはにっこりと笑ってカップを置いた。リドリーの屋敷には、月に数回遊びに来る。勿論、モーセはそのことを知っているが、ハナがリドリー家に顔をだすときは決まって機嫌が悪かった。

【わたし大学に行くんです。】

サラサラとスケッチブックに書いた文字をリドリーに見せた。

「ほおお、それはよいことだ。わたしはね、あの心の狭いモーセが、ハナを一生屋敷に閉じ込めとくんではないかと思って心配していたんだよ。」

リドリーはワッハハハと笑った。モーセにとって、リドリーはずっと因縁の仲だったけれど、実はリドリーの方は、それほどモーセのことを嫌ってはいない。それどころか、己が唯一人生でライバルと認めたモーセの祖父に最近頓に似てきている。モーセにその面影を求め、懐かしさと親しみさえ覚えている。ただし、ハナを巡って、リドリーはモーセに対して不満が山とあるらしい。

「たくさん学んで友人を山のように作るといい。ハナは可愛らしいからすぐ友達が出来るだろう。キミはまだ成長段階だが、やがてすみれのような美しい女性になるよ。コスギに似ないでよかったな、ハッハハハ。」

リドリーは実に愉快そうに笑った。狂ったアショカ・ツールがハナをすみれと見まごうほど、ハナは段々、ハナの母親・すみれに似てきている。それはハナにとっては嬉しいことだ。遠い記憶の中でぼやけてくる母親の面影を、鏡に映る自分の顔で思いだすことが出来る。すみれが死んだのは、自分のせいではない。今ではそうはっきりと思えるからこそ、ハナは自分の顔が誇らしげに思える。

【お父さんには似てない?】

紙面に書かれた文字を見つめ、リドリーは遠い目をした。それはどこか悲しそうで、どこか懐かしそうな、大切な友を思う優しい瞳だった。

「そうだなあ?見た目はあまりコスギとは似てないようだが、、、だが、コスギという男はまっすぐで嘘の決してつけない男だった。自分にも他人にも厳しく、けれど愛情深い男だったよ。キミはそんな父親譲りの気高さと深い慈愛を持っているようだ。」

褒められたハナは嬉しそうに少しばかり照れた笑いを浮かべた。すみれを失くしたコスギ、ハナの父親は、最愛の妻との別れに嘆き、その真相を探ろうとしていた。金には頓着しない男で、すべての私財を投げうってでも真実に固執した。その結果、真実に手が届く寸前、彼は帰らぬ人となった。すみれの死に疑問を持つということ、それが危険なことだというのはコスギにとって百も承知の上だったに違いない。だからこそ生前、ハナに危険が及ばないように、遠ざけ、そしてハナの将来のために、何があってもいいように厳しく育て上げた。おそらく彼には辛い試練であったろう。今ならハナもそんな風に理解している。リドリーと話すと、いつも両親の話題になって、ハナは嬉しくて仕方がなかった。もう少しモーセがリドリーに歩み寄ってほしい、、そんな切ない気持ちも生まれてくる。

時計を見れば、もうすぐ夕方の5時を回る。そろそろモーセが屋敷に戻る頃だ。最近はモーセに避けられているハナだが、それでもモーセの帰宅時には屋敷から出迎えたい。

【ごちそうさまでした。今日はこれで失礼します。】

ハナは身振り手振りでリドリーに伝える。

「おやおや、残念だ。今日こそは一緒に夕飯でもと思ったのだが、、あの男はまったく度量が狭くていかん!」

またしても、リドリーは若造モーセと言わんばかりに眉根を寄せた。だがハナの困った顔と目が合ったのか、ばつが悪そうに微笑んだ。

「ま、ハナのようなかわいい花嫁を娶ったというアヤツの目はたいそう評価しているのだよ。」

リドリーも頑固だからモーセを真正面から褒めたりはしないが、実は、モーセのことはきちんと認めているし感服もしているのだ。モーセほどの対抗心は、もう年の功ということで持ってはいない。あとはモーセの冷たい氷が解けていくのを待っているだけで、モーセがリドリーに手を広げた暁には、リドリーはその手に応えるだけの力量と寛大さを持ち合わせていた。

<さようなら、リドリーおじさま>

ペコリと頭を下げて立ち上がったハナを優しく見つめ、リドリーも玄関まで送ろうとゆっくりと腰をあげた。客人を見送るなんてことは、この何十年としていないリドリーが、わざわざハナを見送ろうするその態度だけでも、リドリーがどれだけハナを大切にしているのかがわかった。リドリー家の奉公人も、また部下たちも、ハナに敬意を忘れなかった。みんなの笑顔と一抹の寂しさで後ろ髪を引かれながら、ハナはサファールの待つ車へと乗り込んでいった。



*****

/カチャ/

重々しいドアが開いてリドリーが顔を出した。客間で待たされていた男は、すっと立ち上がった。大きながっしりとした体が下手をすればジョセフリドリーを圧倒しそうだが、この翁はそれを威厳ではねのける。

「御前、よろしかったのですか?」
「ああ、、もう少しいてくれてもよかったのに、、残念でたまらんな。」

心底、ハナの帰宅にがっかりして取り残されてしまった祖父のような気持ちで、リドリーは錦糸刺繍でほどこされた一人掛けのソファにゆったりと座った。男もそれを見て、同じように真向かいのソファに座る。

「シタール、で、その後、どうなっておる?」

郷愁に駆られる暇もなく、ジョセフ リドリーはすぐに難しい顔をして目の前のがっしりとした体つきの男の顔を見る。ラビ アシュウカがモーセの片腕と同じように、シタールと呼ばれた男も政財界のドン・リドリーの片腕だ。彼はどんな闇の仕事でも主人の為にならやってのける男だ。昔から、闇街道を渡り歩いてきた凄腕で、最終的にその腕をリドリーに買われた。ハナが危険にさらされたときも、随時アショカ・ツールの動きを見張り、時には目立つようにモーセたちを翻弄させ、リドリーの作戦通りに動いた。決して狙った獲物は外さない執拗さを持ち合わせている。敵にすればかなり手ごわい男だ。

「はい。やはり御前のご推察通り。あの女は、ジーナ シャダウー 例の踊り子でした。」
「やはりな。で?」
「表向き、高級デートクラブを経営しておりますが、実態は国内外の政財界やセレブリティなどが利用する異常性嗜好者のための社交場になっています。」
「ロリータ愛好家のためのクラブか。」

嫌悪をこめたリドリーの声にシタールは沈黙で答えた。黒いサングラスで隠された瞳の表情は窺えないが、リドリーは長年の部下のあうんはわかっているつもりだ。左目を失ったシタールにとって、昼夜問わず黒のサングラスは欠かせない。例え、主の前でもはずすことはない。だが、シタールが、実際にジーナと会い、そこで見てきたものを思い出し、リドリーと同様に嫌悪しているのは間違いなかった。

「どうやって幼女たちを斡旋しているのだ?」
「親が売りに来たりもしますが、とにかく容姿を最重視しているらしく、つぶぞろいの子供たちばかりなので、誘拐や拉致などのようです。わたしが会った少女は、遊んでいたらいきなり薬をかがされてそのまま、、気がついたらジーナのところだったと。」
「むごいことを、、、だが、100万ピーセルで、一人でも助けることができたのは幸いじゃった。」
「ええ。御前のおかげです。あの少女も感謝しておりました。」

今度はしっかりと力強くシタールも頷いた。ジーナにもったいぶって紹介された11歳の少女をシタールはリドリーから渡された金で引き取った。まだあどけなく、こんな子供に大人たちが性欲をむき出しにして群がることを想像しただけで胸糞が悪くなった。シタールは人を殺したこともある冷酷非道な男で、命を受ければ残虐なこともする。だが、だからといって弱き者をいたぶったり、手にかけたことなど一度たりともなかった。

「みなは抵抗はしてないのか?13、14とはいえ、まだ子供じゃ。母が恋しいだろうが、、、」
「はい、最初はみな勿論泣きわめき抵抗を続けるのですが、やがて、汚い大人たちの手にかかり、、、」

シタールは直接表現を避けた。勿論、リドリーはこれだけで承知する。まだ体も出来上がってない少女の体を無体に好き勝手にする下種の輩たちの餌食になっていくのだ。

「言うことを聞くために、薬づけにはされていないのか?」
「はい。多少使うこともあるようですが、何よりも、むごい仕打ちで少女たちの大半はだんだん精神を病んでいくようで、、、そうなると使い物にならないからと、今度は臓器売買の方と繋がっている、というのが今のところの調査結果です。」
「なんと、、、むごいことを、、」

ジョセフ リドリーは苦痛の表情で、言葉を失った。シタールは、淡々と先を続ける。

「幸い、上玉な少女をうたい文句にしているため見つけるのが難しいらしく、今のところ被害者の少女は全部で数十名くらいなのですが、、、クラブの加入者が後をたたないらしく、ジーナの方は少女たちを増やすため翻弄している。ただし質は落としたくないからと、その選定に頭を悩ませているようです。近く、村の孤児院などでまた、、、」

リドリーは鷹のような鋭い眼光をシタールに向けた。

「許されん!これ以上は誰一人、犠牲になることは!」
「、、、、、」
「会員たちも、かなりの政財界で顔をきかせておるものばかりだろう。金にものを言わせる輩たちの餌食になる少女は浮かばれん。」

シタールは相変わらず何も言わない。だがシタールの沈黙の中は憤慨と怒りに溢れていた。リドリーに言われるまでもなく、現状をその目で見てきたシタールにとっては、あの場所は地獄だった。先ほども話に出てきた11才の少女だけは、なんとか金を支払って、あの宿から連れ出すことが出来た。小さな肩を震わせて泣きじゃくる少女に、ほとほと困り果てたものの、シタールの胸に忘れかけていた柔らかいものが刺激されていたのも事実だ。少女は残虐な仕打ちをされる前にシタールに救出され、今は幼児保護団体施設の世話になっている。だいぶ精神も安定してきて、近々親元に返されるという話だ。

シタール自身、あまり褒められる人生であるとは言えなかったし、裏街道の残虐さや凄まじさは知り尽くしている。だが、まだ子供のような少女たちに、大人が無体なことをする光景は、シタールといえどもヘドが出るくらいやりきれない。

「王室の耳に入れば、陛下が悲しまれご自分をお責めになろう。倶楽部自体は秘密厳守で沈黙を守るだろうが、ネット情報の昨今、どこから情報が流出するともわからない。このことが世間に露呈することになれば、今度は西欧諸国などから我が国は追及され、かなり窮地に追い込まれる。」

リドリーは政治の中枢で未だ実権を握る大臣であり、今は、自分の血族の王家のため、また王国のために心血を注いでいる。近来西欧諸国などの国々と争って同じ土俵でのビジネスが可能となり、多くの外国投資家や観光客を呼び込み王国の経済を潤わせているのは、勿論モーセなどの投資家の絶大な協力によるものだが、このジョセフ リドリーの国内外の人脈との繋がりや政治手腕があってこそとも言われている。だからこそ、少女売春宿などということが世界中に知れ渡ってしまえば、ペルーシア王国の実績も名誉も地に落ちる。やはり昔ながらの野蛮な国だというレッテルを貼られてしまうに違いない。

「売春宿の摘発は勿論のこと、秘密裡に処理をしなければ、我が国の経済をゆるがすこにもなるかもしれん。」

目の奥を遮断する黒サングラスに、リドリーの険しい顔が映っている。

「ある程度の黒幕はわかっているんですが、、、そこの女主人、ジーナが少しばかり厄介で、、」
「む?」
「どうやら、トリパティ族のシークの奥方にひどく恨みを抱いているようなのです。」

シタールはあの夜の妖艶な女の顔を思い出した。淫靡な時間を過ごしながら、シタールは世間話をしたのだが、モーセの結婚話になったときにジーナの瞳がきつく歪んだのが印象的だった。


『まったく天下のトリパティ族のシークは何をお考えなんでしょう?聞けば、まだ成熟していない貧相な娘だっていうじゃありませんか?』
『お前は、奥方を知ってるのか?』
『ふん、ゴシップ欄を読めば、大概のことは出てますよ。』

シタールはジーナに罠をかける。

『わたしは、あの手の娘はそそられる。庇護欲というのか、、めちゃくちゃにしてやりたくなるのだ。』

するとジーナが厭らしく笑った。

『ほほほほっ。それは良い考えですわ。なるほど、ここの宿は、ローティーン限定なんですが、たまにはああいった娘も趣向が変わって面白いかもしれませんね。』
『ほお?』
『あたしゃね、あの女を、、いえ、ああいった女みたいなのが大っ嫌いなんですよ。何も出来ないくせに、抱かれる術は知っている。あの女を、いえ、ああいった女をめちゃくちゃにしてやりたい。お客様と気持ちはおんなじでございますよ。ほーほほほほっ。』

ジーナは何度も『あの女!』と言ったあと、すぐに、『ああいった女!』と言い換えていたが、シタールは見逃さなかった。ジーナはハナを憎悪している。きっと何かを企んでいるに違いない、そう思わせる何かをジーナから感じ取った。


「ハナに、、あの女が何かをしかけるというのか?」
「ええ、おそらく。」
「おおかた、モーセに振られた腹いせをハナに向けたのか、ふん!モーセの小僧が中途半端なことをしよるから、あの女のいかりの矛先がハナに行くのだ!」

リドリーは、これ以上ないくらい険しい顔で目の前のテーブルをドンと叩いた。

「お前ならハナを守れるな?」
「御前がおっしゃるのであれば。」
「ならば全身全霊でハナを守ってやってくれ。」

しっかりと頷いてシタールは疑問を口にする。

「このことはトリパティのシークには?」
「勿論、耳に入れておかねばならん。」
「それはもう少しだけ待っていただけませんか?」
「なぜだ?」
「あの男に話せば、おそらく、強行に出るでしょう。ジーナを捕まえて脅すに違いない。けれど、そうなるとジーナも警戒します。そうすれば黒幕を引きずり出す前に、また逃げてしまうでしょう。売春宿を根こそぎ立つには、もう少しばかりご猶予をいただきたいのです。」

シタールの懸念は尤もなことだ。モーセが王国のことを考えてはいないとは言わないが、こと、ハナが関係すると彼はたちどころに普通の男になってしまう。そういったことをリドリーはちゃんと見抜いていたし、シタールも同様だ。

「わかった。だが、長くは待てん。」
「、、、」
「1週間だ。」

サングラスの奥でどんな光が浮かんでいるのかリドリーには見えなかったが、シタールはそのまま立ち上がった。

「それではわたしはこれで。」

一礼をしたのち、大股で部屋を出ていく。1週間あれば、どこまで片付けられるのか、、、今はシタールの手腕に委ねるしかなかった。

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