シークの涙 第二部 永遠の愛

17.

/ドンッ!!!/
「くそっ!!」

血が出るくらい拳を握りしめ、思いっきりラビは机を叩いた。ギリギリと指が手のひらの肉に食い込むほど力がはいり、指の節目が白くなっていた。

「何てことだっ!」

PC画面の前で、ゆらりと体が崩れ落ちていく感覚に襲われる。顔から血の気が引いていく。

(これからどうすればいい?これから、、、)

密かに送られてきたメールの件名が、淡々と画面に映し出されている。

【少女売春倶楽部】

「壊滅したのではなかったのか。」

ラビの口から音になって発した言葉。以前、トリパティ部族の者が少女レイプ集団組織と関係を持っていた。それを手繰り寄せていけばどうやら、その首謀者はダンマー族の者ではないかということを突き止めた。ダンマー族はアショカ・ツールが率いる部族だが、後にアショカ・ツールの過去の犯罪を丹念に調べ上げた検察だったが、その罪状には少女レイプ集団組織とかかわりを示す証拠はなかった。結局アショカ・ツールはこの組織とは無関係だということが立証されている。だがその一方、愛人だった、今はペルーシア王国を亡命したベリーダンサー、ジーナ シャダウーが、そのレイプ組織と関係があったことは明白だったのだが、それを立件することはできなかった。そして彼女の亡命とともに、組織自体の存在も自然消滅したと言われていた。


『お兄ちゃん、、、ごめんなさい、、』



耳元に蘇った妹、マリアムの悲痛な声。思わずラビは耳を塞ぎ、言葉にならない声を苦しげに発していた。


/バターン!/

ドアが勢いよく開けられた。扉が壁に跳ねかえるくらい力強かったためか、思わぬほかドアが壁にはね返った音が大きく響いた。はっとしてラビは顔を上げた。ノックもなしにこんな風に無遠慮に入ってくるのはモーセ以外にラビは知らなかったのだが、ラビの視線の先には、ラビ以上に驚いた顔をして立っているハナが目に飛び込んできた。ハナはラビの様子にすっかり固まってしまっている。

「は、ハナさんっ、、、」

モイーニ・エンタープライズはペルーシア王国きっての投資会社で、ナイヤリシティの最高立地に所在する。近代的な建物は天に向かい、天辺が尖っていてまるでバベルの塔のようだ。それはまるで天に抗うかのように高く高くそびえ立っているようで、その尊大なことろは建物の主にそっくりだ。階下には容姿端麗の受付嬢たちが客を迎え、また、そのフロアーごとには目立たないようにしているが腕の立つ警備員を置いている。受付では、モーセへの来客の旨は、すぐに社長秘書に伝えられるが、少しばかり訳ありの場合は、経験値のある秘書たちは躊躇することなくラビへとお伺いをたてる。ただし、ハナは特別だった。ハナが来訪すれば、即座にラビに連絡がはいる。最近では、ハナをモーセの妻と認識している社員も多く、受付嬢などは、時折、ラビに連絡せずにハナを通すこともあった。ラビがどんな場合でもハナを歓迎していることも知っていたし、またハナは聡く、例えノーチェックで通されても、直接モーセの部屋へと行くこともなかったからだ。どうやら、今日も、ハナは受付嬢に頼んで、直接ラビを驚かせるつもりでやって来たに違いなかった。だが、結果はハナが大いに驚くこととなってしまった。

<ごめんなさい。>

頭を下げながら、ハナはラビのデスクへと近づいてくる。

【何度もノックをしたのだけれど、返事がなかったから。】

持っていたスケッチブックに走り書きしたハナは、シュンとなってラビを見つめた。

「いえ、すみません。ハナさんのせいでは決してないのです。わたしが考え事をしていたのですから、、、ノックにも気がつかなかったのです。」

すぐさまハナはペンを走らせる。

【何かあったの?顔色が悪い、ラビ。】
「え?」

ラビは思わず片手で自分の頬から顎をなでつけた。

「いえ。それより今日は?」

ラビは、平常心を取り戻し、ハナににっこり笑った。

【んもおっ!はぐらかさないで!何か心配事でしょう?】
「いえ、大丈夫です。ところで今日はハナさん、どうなさったのですか?」
【大学の願書を出しに行ってきたんだけれど、そのついでにラビの顔が見たくなって。】
「これは、嬉しいことを言ってくださる。」

先ほどまでの取り繕った笑顔ではなく、ラビは今度こそ本当に笑ってハナを見た。だが、ハナは、ずっとラビを観察しているようだ。今日は騙されない、ハナの黒い瞳はそう言っているようだ。まっすぐにラビを見つめ、心配そうな顔をする。こんな顔をされては、さすがのラビもたまらなかった。いつもの仮面が少しずつ壊れていく。あの冷たい仮面をかぶったモーセですらも、その仮面が容易く割れる。正直と純粋さを武器に、誰もハナに敵うわけはなかった。

「まったく、あなたは、、、」

ラビはふわりと前髪を軽く指先で押し上げる。七三で分けられた短髪と銀縁眼鏡は、ビジネスマンのアイテムだが、ラビの端正な顔立ちにはこのアイテムが実にほどよい武器となる。だが、この武器も同じ商売敵になら通じても、このハナの前では何の威力もなかった。ラビはあらためて、片手でフレームを下から持ち上げ、きちんとした定位置にブリッジを落ち着かせた。

「実は、妹を思い出していたんです。」

ポツリとこぼれた、ラビの哀しい響き。ハナも何となくわかっていたのだが、ラビは肉親に薄い境遇で、自分と似ている。二人は、モーセほど強くもないし、モーセほど絶大な自信を持っているわけでもない。互いに同じ臭いがするもの同士。

【妹さんのこと、聞いてもいい?】

今度は丁寧に書かれた文字を見つめながら、ラビは黙って頷いた。

【名前は?】
「マリアムです。マリーってみんなに呼ばれていましたよ。勿論、わたしもそう呼んでいた、、、わたしがマリーと呼ぶと、いつも妹は嬉しそうに駆けてきた。」

ラビの言葉をそのまま目に浮かべているのか、ハナは微笑みながら聞いている。ラビは、可笑しそうにチラリとハナを見ながら、

「丁度、あなたのようです。ハナさん。」

そんなことを言う。

確かにハナは、ラビが大好きで、ラビと話したりするのが楽しくてたまらない。ラビが忙しくて会いこないと、心配になってモーセにも尋ねたりする。モーセからそんな話を聞けば、ラビは必ずハナに会いに来る。そんなときのハナは全身で喜びを体から表すのだ。確かに、走り寄って行ったことが何度かあるかもしれない。

【わたしに似ているなら、すっごく可愛かったでしょ?】

モーセの前だとついつい恥ずかしがってしまうハナだが、ラビの前だと、こんな気軽な冗談を言えてしまえるのが不思議だ。自分で書いたくせに、くすくすと笑って、すぐにマジックで文字をぐちゃぐちゃにした。

「ええ。ハナさん。あなたのようにマリーは可愛かったですよ。」

ハナは真っ赤になった。だが、すぐにわかる。ラビは今、実の妹を思い出しているのだ。ハナを見つめ、ハナと話しているようで、本当は、ハナを通り超え、ラビの愛したマリアムを思い浮かべているのだ。

「そして、あなたのように清廉で純粋だった。」

ラビの眼鏡の奥の瞳が悲しげに揺れる。ハナの胸が痛くなった。文字を書くのも忘れて、ハナはラビの腕を掴んだ。珍しく、応接セットのソファにハナを座らせもせず、自分は仕事デスクに座ったままだったのを今更のようにラビは気づいた。

「すみません。ハナさん、、、ソファをおすすめもせず、、」

すぐにぶんぶんとハナが頭を振った。ラビの腕を掴んだまま、ハナは何度も頭を振った。妹の話に水を向けておいて、けれど、ラビの辛そうな顔を見て、ハナは後悔している。だから、辛いのならもう何も言わなくていいから、ハナはそんなつもりでラビの腕を掴んでいた。おそらくラビもハナの気持ちは十分伝わっているのだ。

「いいえ、ハナさん、どうかソファに座ってください。でないと、わたしは話ができません。」
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「あなたに聞いてほしいのです。マリアムのことを。きっと長くなってしまうでしょう。」

ラビは優しくハナの掴んだ手をそっと解いた。そして、ソファのある方にハナを促す。ラビの仕事部屋は、青い絨毯がフカフカで穏やかな海の底にいるような安心感がある。モーセの社長部屋と比べると格段、ハナは落ち着くことができる。モーセの社長室は、彼らしい合理的な部屋で、無駄なものが一切ない。全てがモーセを中心に彼の一部のように鎮座している。見るからに高価で落ち着いた色の棚や、革張りの品の良い大きなソファ、真っ赤な絨毯も、何もかもが贅をつくしていながら品格があった。そこに座るたび、モーセという存在感と部屋に圧倒され、お尻がムズムズとなってきて、ハナはあまり長居が出来なくなってしまうのだ。

ハナはラビに言われたように、ちんまりと淡いベージュ色のソファに座った。布製のフカフカした感触で、とても肌触りがよく、気持ちがいい。ハナは無意識にソファの布を手で楽しみながら、ラビの言葉を待つ。ラビも、ハナの前の同系色の長椅子にゆっくりと腰を掛けた。モーセより幾分、線の細いラビだが、所作などはモーセと並ぶくらい優雅で美しかった。

「さて、何から聞いていただこうかな?」

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