シークの涙 第二部 永遠の愛

25.

アバの最近はジーナの動向を探ることだ。絶対に見逃さないとばかりに、ジーナの行動を事細かに観察していた。月末時に決まって、青白い眼鏡の男がやってくることがわかった。ジーナに会いにやってくる男は、別にジーナにご執心というわけではないことは、彼の目をみれば一目瞭然だった。ならば。何のために?そんなアバの疑問は、地道な彼女の働きにより、解き明かされていった。

「月末時…25日前後の話ですが、決まって一人の男がジーナを訪ねてきます。」

アバの瞳は完全にシタールに陶酔しきったものだった。シタールはいつものよに居心地の悪さを感じながら、アバの話の先を促した。

「で、そいつの正体は?」

「おそらくこの倶楽部のオーナーに間違いありません。ただ…」

「ただ?」

「月末に彼が現れるとき、必ずと言っていいほどアタッシュケースを持っているのです。しかもかなり大きめの…」         

「まあ、そのオーナーもビジネスマンならアタッシュケースを持っていても普通だろうが。」

「ええ。でも…来るときのアタッシュケースはどう見ても空っぽのようなのです。」

「ほお?」

「だって、帰るとき、オーナーの額には汗が滲み、アタッシュケースを持っている右腕がプルプルとしています。」

シタールの黒い闇のようなサングラスの向こうがきらりと光ったような錯覚を覚えるくらい、どうやらこの話はシタールの興味をそそったようだ。言葉を発せず顎をさすりながらじっと考え込んだ。アバは黙ってその様子を見ている。

「その男の正体は掴めないか?」

「すみません…名前までは…」

大人びた口調のアバの声音がシュンと萎んだ。シタールの期待を裏切ってしまったと思うと、アバの体が小さく縮こまる。こういうところは、まだまだあどけない。

「ただ、闇の世界にも精通しているようで。」

アバは気を取り直して、今まで見てきたことを簡潔にしゃべる。

「闇?」

「ええ。ジーナが、どこかの女性を拉致するようにその男に頼んでいて…」

 

 

 

『俺だってもう日向を歩く経営者だ。そんな法に触れること…』

男の言葉にジーナが噴き出した。

 『今更、法に触れることなんざ、数えきれないじゃありませんか?ほほほ。』

 慇懃だが明らかにジーナの見下した声音。

『ほほほ、失礼いたしました。でもね、あたしなんぞが口を開いて、過去の旦那の昔話をついついうっかり口を滑らせちまったらどうしましょ?ねえ?そうなったらもう旦那だって日向を歩いてられなくなるんじゃないんですかい?ですから、そうならないようにお願いしているんですよ。あの女を攫ってくださいよ?ね?旦那?』

完全に弱みを握られている男は歯をギリギリしながら無言になった。

 

 

「どこの女を攫えと言っていたか?」

アバは、ジーナと怪しげな男との会話を思い出しているようだ。

「あっ!男が最初、ビビッていて、あのシークに睨まれたらもう俺は生きていけない!そう怒鳴っていました。」

「あのシーク?」

「はい。でもそのあとジーナが…」

 

 

 

『正体がばれなきゃいいじゃないですか?旦那だって闇の世界に顔が効くでしょう?』

『そ…それは…』

『いつだってそんな輩と取引しているじゃ、ありませんか?昔はそれはそれは冷酷な組織にいたじゃありませんか?』

『な、何を、今更。お前だって少女を誘拐してこんなところで変態の慰み者にする鬼畜のくせに!』

『おや、忘れちゃいけませんよ?旦那はここの雇い主じゃありませんか?』

『お、俺は、ここの高級クラブのオーナーってだけじゃねえか?!お前のやってる裏商売は関係ねえよ!』

『人聞きの悪いことを言わないでくださいよ。ほほほ。裏なんて存在しませんよ。この倶楽部の名義人は旦那なんですからね。万が一 ”表”や”裏”だろうと、摘発なんてことになったら、旦那だってただじゃすみませんよ!』

『お、俺はただお前に名前を貸してるだけじゃねえかっ?!お前が泣きついてきやがったから…』

『ほほほ、それじゃあ、名前をお借りしているだけってえんなら、名前のレンタル料のお支払いだけでよろしいんですかい?』

『うっ…』

男は言葉を詰まらせた。つまりは、多額の金がこの男にも渡っているということだった。

『ま、いずれてにしても、過去の罪が消えるわけじゃありませんよ?いたいけな少女たちをよってたかって獣がむらがるように…ひどい目にあわせた旦那たちに比べたら、あたしのやってることなんざ、かわいいもんですよ!』

『な、なにをっ?!お前だって昔は、俺たちの組織たちで甘い汁を吸ってたんじゃねえかよっ!』

明らかに男の顔に動揺が走った。

『ふん!その過去は、国を一時期追われてことで払いましたよ!』

ジーナは一息つく。そして再び続けた。

『あたしだって、昔は、まだまだ小娘の生娘でしたからね、汚いアンタらに廻されて慰み者なんかにされたくありませんでしたからね!危うくあたしも餌食になるところ…ならば、旦那たちの下で使いパシリした方がましってもの。フフフ。初心な時代もありましたよ。あの頃は、村の娘たちは戦々恐々と暮らしてたもんですよ。親が娘を売るならいざしらず、知らない男たちに勝手に拉致され、よってたかって…大の男たちに回されちまった挙句、レイプされた娘たちの行き場はどこにもありませんよ。大概の娘たちは、死んじまいましたさ。そりゃそうさ、生きてたって生き地獄。それなのに、一つの村の娘たちを食いつくしたら、次の村へと、点々と…ひどいやり方!田舎だからこそ、罪にもならなかったんでしょうけど…』

『ふん!だが、わりいが、今回ばかりは諦めてもらおう。お前の望みは無理だ!俺だって命は惜しい。』

『ちょっと待って下さいよ!?旦那!結局あの色ボケジジイ、アショカツールのお陰で、すべてが露呈しちまって、あたしは使いっぱだったのに、集団レイプの一味と言われ、国を追われちまったんだ!旦那たちは、何の罪にも問われずのうのうと生きてやがる!あたしのささやかな願いくらいかなえてくれたってようござんすでしょ?』

『いや、ジーナ!そう先を急いじゃいけねよ!話は最後まで聞け!その女は拉致はできねえ!けどよ、その女、シークの女がそんなに憎いなら、その女の大切にしているものをめちゃめちゃにしてやるのも、ひとつの復讐だぜ?』

『大切なもの?』

『そうだ!己が汚れ傷つくよりも、それを壊してやったほうが、立ち上がれないくらい、どん底へと落ちていくだろう!』

 

 

「それで、その男の特徴、身体的特徴を教えてくれ!」

シタールの問いはアバの想定内だったようで、ポケットの中からガサガサと小さく畳んだボロボロの紙切れを出した。彼女がゆっくり皺になったところを手で押さえながら平らにしていけば、そこには細かく描かれた人物像が現れた。忘れないようにと書き留めたらしく、何度か倶楽部で見かけた男はその度にアバによって詳しくメモ書きが増えていた。現に記載された文字は、びっしりと埋め尽くされ、何度も書き直した跡が見受けられる。お世辞にもうまいとは言えない絵だったが、確かに特徴が一目であった。アバの記載によれば、168〜170cmの背丈で、顔色が悪いくらい痩せていると書かれていた。顔には眼鏡と口髭、短髪の色は黒っぽい茶色で、すでに白髪がボツボツと入り乱れている。

お世辞にもうまいといえないアバの似顔絵に、彼女の必死の努力を微笑ましく思いながら、シタールは柄にもなく声に出して笑っていた。だが次の記述を見たときに、シタール高橋は息をのんだ。

【唇が極端に薄く、少しばかり斜めになっていて、眼鏡の奥から見える目は三白眼で、意地悪そうで目つきが悪い。声が最大の特徴で、病的なくらい声が掠れている。】

 

「この男、この男の特徴に間違いねえんだなっ?」

 ぽつりと唸った声に、アバの瞳が輝いた。

「お役に立ちましたか?」

「ああ。」

シタールはつやつやと油で整えられた銀髪を?き上げた。

「また連絡する。」

すでに部屋を立ち去ろうとしていたシタールの手をアバが握る。

「ナタスさま…」

「む。」

アバはどんなときでも己を傷つけることを望む。シタールは冷酷と闇の世界では至極冷酷と恐れられているが、嗜好はいたってノーマルだ。そんな男にとって少女虐待は、=いくらジーナの目を騙すためとはいえ= ほとほと嫌気がさす。だが、これも、もう終わりが見えている。シタールはギリギリと細いアバの首を絞めながら、その苦悶を浮かべた表情に、ある女を思い出していた。

モーセの傍で恥ずかしそうに笑う姿…決して華やかではないが、でしゃばらずに、それでも必死に生きている健気な野に咲く花のようで、誰もが庇護の手を差し伸べたくなるような…

 

///ジーナの奴が狙っているのは、彼女しかいない!彼女に何かあれば、御前が悲しむ。///

 

自分の命よりも大切な御前 =ジョセフ リドリー= が一番大切にしている娘だ。年老いた御前の鋭い眼光と、経験の数だけ表れている皺くちゃのゴツゴツとした手、そんな自分の主人を思い出した。彼を決して悲しませるようなことはどんなことがあっても阻止するべきだ。シタールはハナの周辺にもっと人を置くことを考えていた。

大きなシタールの手の指先が緩まれ、アバは大きく肩で息をした。

 

 

 

シタールが帰った後、頼りなげな首をさすりながらアバは部屋を出た。廊下では意地悪そうな顔で美しい顔を歪ませている、少女サビーンが待ち受けていた。

「ふん、ナタスさまに随分と可愛がられたようね?」

 棘のある声を無視するようにアバが通りすぎようとしたとき、サビーンの後ろの影がヌッと前にでた。

「え?」

「今日から、雑用係で雇われたセメロスだ。」

サビーンの横から不愛想に自己紹介した小太りの男をアバは見上げた。人が好さそうに見えるのに、瞳がギラリと光ったセメロスをアバは不審そうに、それでもぺこりと頭を下げアバはその場を逃げるように去っていく。

「アンタなんて変態の相手しか指名がないんだからね?!誤解すんじゃないわよっ!」

わめき立つサビーンの負け惜しみの声が廊下に響き渡り、セメロスは、ただ黙ってアバを見つめていた。

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