シークの涙 第二部 永遠の愛

7.

「どう思われますか?」

ユリカ・ツールの提案を、ラビは疑わしいとばかりに眉間にシワを寄せた。端整な顔が、険しく、銀縁の眼鏡の奥の瞳がすうっと冷たく光った。

「ふふん!向こうがそう言っているのだ、愛人にしようではないか。」

ハナの哀しそうな顔を真っ先に思い浮かべ、ラビは絶句した。

「ラビ、長老たちの条件を繰り返してみろ。」
「はい、シークには1年以内に、長老たちのお目に適う花嫁と結婚すること。新な候補がない場合は、アショカ・ツールの娘を娶り、ダンマー族を配下に納めること。」
「ふん、ハナはすでにわたしの妻だ。これ以上、誰を花嫁に据えろと?」

埒もあかないことをモーセは吐き出す。長老たちがハナを認めないからこういうことになっているのだと、ラビは頭を抱えたくなった。だが、モーセにしてもラビだからこそ、せんもないことを言ってみただけで、長老たちがハナを未だ認めていないということに、モーセとて頭を煩わせていないわけではない。長老を無視して己の我を通すのは簡単だが、それではシークとしての威厳も地に落ちる。だからといってハナの保護者と自称するジョセフ リドリー大臣のような御大(おんたい)に泣きつくわけも行かない。リドリーならきっと 長老たちは耳を傾ける用意はあるに違いない。ハナを孫娘のように思っているリドリーなのだから、ハナのために、彼はひと肌脱ごうとするかもしれない。彼の賢知と年輪のような経験からすれば、トリパティ部族の長老たちとて無視するわけにはいかない。だが、それはモーセの矜持が許さない。

「ですから、ファイタル博士がおっしゃるには、ハナさんがそれほどの逸材であるならば、その証を見せろの一点張りですから、ハナさんを何としても、トリパティ部族に相応しい花嫁だということを認めさせなくてはなりません。」

両親を惨殺され、その恐怖を心の奥に閉じ込めたハナは、その代償に声が出ない。それが不憫でならないのに、あんな海千山千の長老たちの前にハナを出すことだってモーセにしてみれば拒否反応があるのだ。その上、何の因果で、ハナに試練を課さなくてはならない。禅問答のような =トリパティ部族に相応しい花嫁= とは、いったい長老たちは何を求めているのか。

「全く頭が痛くてかなわん!」

長老たちに出された条件をラビがなぞれば、モーセは機嫌の悪い獣のように唸った。

「それでは、ユリカ嬢の件は、本当に進めてよろしいのですか?」
「ああ。向こうから火の中に飛び込んできたわけだからな、これを利用しない手はあるまい。ダンマー族がこのまま無法地帯というわけにもいかないであろう?」

確かに、アショカツールというシークを失ったダンマー部族の動揺は未だおさまっていない。この動揺と不安は他部族にまでも伝染していており、国の平穏がゆらぐ危惧さえある。現在は、幹部たちでなんとか騒ぎを鎮めているが、このままというわけにはいかなかった。アショカには対照的に育てられた二人の娘がいる。先頃愛人に産ませた赤子の男子もいるが、この子がダンマー部族を仕切れるわけもない。長女のアルマは、西洋教育を受けただけのことはあり、父親の犯罪を知り、部族など壊滅すればいいとばかりに、ヨーロッパの永住を決意した。事実上親子の縁を切り、欧州で生活基盤を建設中だ。おそらく王国に残された、ペルーシア女性として完璧に育てられたユリカを、ダンマー族の幹部たちがモーセの元に差し向けたに違いない。つまりユリカを差出し、ダンマー族の未来をモーセに委ねたのだ。

「では、住まいなどは、どう致しましょう。」

よもや、ハナと同じ屋敷に住まわせることはないだろうが、、、

「タンパベラでいいだろう。」
「はい。」

ラビはほっと息をついた。さすがのモーセも、愛人とハナを同じ大都市、ナイヤリシティへ住まわせるつもりはないらしい。とはいえ、タンパベラは、王国随一のリゾートとして有名で、美しい海もある。空と海の空間は青のきらめくグラデーションで色鮮やかだ。世界中の多くのセレブリティたちの別荘も有名で、シーズン中はパパラッチなど、女優たちのスキャンダルをとろうと町はとても騒がしい。あそこを邸宅にするならば、元シークであるアショカ・ツールの娘を軽視していると言われることもないだろうし、またハナとは顔をあわせることもないだろう。

「それで、ハナさんには何と?」

私設秘書としても、もっともな質問だったのに、モーセはギロリとラビを一瞥した。ダリオあたりならば、ブルリとちびりそうだろうが、そこはラビだ。しれっとした顔で、モーセの返事を待つ。

「何も言う必要はないだろう?」
「ですが、もし、ハナさんの耳にでも入ったら、、」
「いれなければいい。」
「しかし、、」
「アショカ・ツールの娘のことは一切口外しない。それを守るのもお前の仕事だろうが?」

また無謀なことをいう。だが、ラビだってハナの傷つく顔は見たくなかった。しかしながら、モーセの真意がラビには未だわからない。はたから見ても、モーセはハナを溺愛している。これは間違いない。今までに一度も見たことのないモーセの執着。だから、決して側室は作らないとラビは思っていたのだ。世間だってモーセの態度には驚きを隠せなかった。今まで色々な女と浮名を流してきたモーセだが、一人の女に満足することなどなかった。だから、ハナを妻だと公言した今、周囲はざわめきだった。モーセに気に入られようとモーセへの貢物として女を側室に据えようと送りたがったがモーセは決して首を縦には振らなかった。それなのに、何故アショカ・ツールの娘にはイチも二もなく愛人になることを受け入れたのか。ラビは、美しいけれどどこか寂しげなユリカを思い出した。ハナの方がもっと幼くてあどけなさは残るが、守ってやりたいと思わせる男心が生まれるのはハナもユリカも一緒だ。

(ユリカ嬢は、どこかハナさんに似ている。)

嫌が応でも、モーセの気持ちを疑ってしまう。17年間ちかく、モーセの下でずっと働いてきたラビだが、モーセの感情などラビの手に追えるものではない。ビジネスに関するモーセの思考は手に取るようにわかるのに、彼の個人的な感情は全く読めない。

「ユリカ嬢のことをくまなく調べろ!それから、今後の見通しが立つまで、彼女には好き勝手に過ごすように伝えればいい。勿論外出も自由だが、俺の屋敷だけには、いや、ハナと顔を合わせることだけは避けてもらおう。ダンマー族の面倒を見ること、我が部族に通達しろ。長老たちもこれで文句も言うまい。」

確かにモーセの言う通りだった。アショカ・ツールが現役でシークとしてダンマー族を取り仕切っている頃から、モーセと彼の娘との縁談話はあった。だが、ぺルーシア王国一の勢力部族トリパティ族としてみれば、今更、ダンマー族の娘と結婚したところで、あまり利点はないと考えており興味もなかったのだ。だが、アショカ・ツールの失脚により、シークを失ったダンマー族をトリパティ部族に吸収することができるとなれば話は別だ。長老たちの大多数は、その利点を考え、アショカ・ツールの娘がモーセの子を成すべきだという考えで一致している。ファイサル博士は、一応表向き、トリパティ部族のシークに相応しい花嫁をと言っていたが、結局、花嫁はユリカに落ち着くだろうというのが、大方長老たちの見方だった。

「ならば尚更、ハナさんの耳には入れておかねばなりなせん。」
「むっ。」
「ここまでおおごとになれば、人の口に戸はたてられないのが、人情です。」

ラビは、銀フレームのブリッジを押し上げた。涼しげな瞳がすうっと細まり、彼のクールな部分が垣間見えた。

「ならばこの件はお前に任せた。」
「かしこまりました。」

モーセは苦虫をつぶしたような顔をしたが、もうそれ以上何も言わなかった。




*****

ここ最近珍しく、夜中近くに屋敷に着いたモーセをタマール夫人が出迎えた。

「ハナは?」
「はい、、、先ほどまで起きてお待ちしてらっしゃったのですが、、今日は色々サビーン様との診察やらでお疲れになったようで。」

どうやら、玄関傍の居間で、ハナはモーセを待っていたのだが、こっくりこっくりと船をこぐハナはかなり疲れていたらしい。そのうちすっかり眠りが深くなり、タマール夫人は風邪をひくのではと心配で、ハナをそっと寝室に連れて行ったとのこと。モーセにしては、いささか面白くなかった。ハナのお気に入りのボディーガード兼運転手サファールが、どうやらハナを抱えて寝室に運んだらしいのだ。サファールはガタイもしっかりした大男で、それでもチョコンと顔にのったつぶらな瞳が可愛らしく、ハナの打ち解けている人間の一人だった。いくらハナの為に時間を作っているモーセとはいえ、毎日の仕事は多忙で、ハナといる時間は少ない。その点、サファールはハナがどこへ行くのも一緒だから、それだけ費やす時間も多くなる。いつだったか、サファールを代えて別の運転手をつけるとハナに言ったモーセが、逆にハナにやりこめられたことがあった。

【モーセはいつも、一人で出歩くなって言う。危ないからって理由でしょ?だったら、ボディガードのサファールが一番適任だわ。だって、長いこと一緒にいるから、お陰で、わたしのことよくわかってくれるんですもの。】

最後は悲しそうな瞳で懇願された。

【なんで今さらサファールを代えようとするの?サファールが嫌だって言ったの?わたし、そんなにサファールに迷惑をかけている?】

ショボンと寂しげに言われてしまうとモーセだって鬼 =ただしハナに対してのみ= ではないし、もう彼を代える理由など思い当たらない。だが、何となくおもしろくない。クマのような大きな体が難なくハナを抱え、眠っているハナをベッドに寝かしつけるとは =例えタマール夫人が一緒だとしても= モーセは腹の中が黒くざわざわと蠢いているのを感じた。ハナは己のものだとモーセの体中が、肉が、血が、叫び、鼓動が、どっくん、どっくんと力強く叩きつける。ハナはモーセだけの女であるのことを認識する。独占欲、、、嫉妬、、、、おろかなことだとわかっていてもどうしても、ハナの瞳には自分だけが映っていてほしいのだ。

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