シークの涙

16.

サビーンの思った通り、“内輪と呼ばれる“レセプションはとてつもなく盛大で、人の熱気にあふれ、それだけでも暑さにあてられそうだった。4番目の王子の歓迎会など、政治的には何の利益もないのだが、やはり久しぶりに末っ子の王子に会いたいというのがみんなの本音だろう。そのたくさんの人垣の中で、ハナが窒息しないように、サビーンは彼女の肩を抱いて押しつぶされないようにと保護をする。

「大丈夫よ、ハナ、これも経験のひとつ。」

サビーンはゴージャスな笑みを浮かべて、隣でビクビクしている子羊のようなハナの手をギュッと握った。少しばかり荒治療だとは思ったが、なんといってもハナはペルーシアに来て以来、屋敷の中をうろつくだけで外などでた事がない。いや、正しくは、屋敷の中でさえ、図書館と、食堂と、寝室と、、そしてタマール夫人の強制的な計らいでのテラス、グリーンハウス、、これだけなのだから。

「見て、見て、ドクターサビーンよ。」
「相変わらず豪華ねえ。」

サビーンはシークの従姉妹としても富豪たちからはその名も知られているし、また庶民からも、腕のいい精神科の医師として知名度は高い。それに加えて豪華な容姿。艶を帯びたボリュームたっぷりな黒髪を惜しげもなく肩にたらし、歩くたびに巻き毛が揺れる。長い睫毛の下からきらめく茶色の瞳、バランスの良い顔のパーツ、肉厚の唇が甘くささやけば、男たちの下半身が刺激される。その上、体つきも悪くない。西洋の風習がファッションに影響を与える昨今、女たちにはサビーンのスタイルは憧憬のシンボルであり、男たちにとっては、もう少し肉付きがよければなどと思いながらも、それでも誘惑されれば一も二もなく男としての性がたちあがるにちがいない。ペルーシアシティは、独身女性たちが公の場で肌を露出してもあまり抵抗がなくなりつつあるが、だが西と比べれば、その露出度はまだまだ控えめといえた。

<綺麗、サビーン>

隣のハナがうっとりしながら、手を動かした。今夜のサビーンは黄金色のドレスで、高い襟で首を隠し、体の曲線に沿ってやわらかな生地がピタリとまとわりついていた。露出こそ全くないのに、これだけ女らしい線がでてしまうドレスは逆に人々をドキリとさせる。それなのに生まれながらの品格で、なんとも気品漂う出で立ちだ。

<とてもエレガントだね。>

屋敷をでる前から何度も褒めてくれたハナの言葉は、ここ、大勢人々が集まる中でもサビーンが一番美しいとでもいうことを確認するように、手話が物語る。

「ふふふ、ハナだってかわいいわよ。」

ゴージャスな花の隣でひっそりと咲くナデシコとでもいうのだろうか。ハナはサビーンに見とれて周りがよく見えていないのだが、先ほどから、人々の注目はサビーンだけではないようだ。明らかに東洋人の顔立ちで、その上、今夜はサビーンの好みで、ハナはカンフースーツを着せられていた。朱と金で刺繍されたシルクの光沢の上下は、男っぽいデザインでありながらハナの頼りなげな肢体を余計意識させる。髪の毛は何度も何度もタマール夫人がブラッシングした成果がはっきりと現れ、いつもよりも艶があり、天井のキラキラ輝くシャンデリアの光に反射するように豊かな漆黒色の髪がハナの背中でサラサラと揺れている。サビーンと同じ黒髪なのに、ハナの黒髪はまっすぐでやわらかそうな質感だ。大きな黒い瞳をクルクル目まぐるしく変えながら身振り手振りをするハナは、異文化の国からすればとても魅力的で注目に値した。

サビーンは嬉しそうに、そして自慢げにハナを自分のところへ引き寄せた。ハナの髪がサラサラと流れ、優しくサビーンの顔を刺激する。

「いい匂いね?シャンプー持ってきたの?日本から?」

ハナは頭を振った。遅れて、髪の毛がサラサラと揺れている。

「ええ?じゃ、ペルーシア製?どこの?」

本当に興味がありそうなサビーンの声と同時に、二人の背後から声がかかった。

「キミ達、無礼ではないのか? 主役に挨拶もせず、女人だけでコソコソと。」

ハナはびっくりして後ろを振り向いた。彼女の目に飛び込んできたのは、美しい青年。モーセのようなヒトを釘付けにさせる強い美しさではなく、どちらかといえばラビのような万人に愛される端整さだ。高い鼻梁と海のように澄んだ瞳の青さからペルーシアの人間ではないように思われたのだが、、、

「ナイーフ!」

サビーンは大声を上げた後あわててとりつくろうように、王子、ご機嫌麗しく、とつけ加えた。

「フフ、別にいいよ。サビーンに王子扱いされたことなんて生まれてこの方一度もないし、だったら今さらだしね?」

王子は笑うとあどけなくなった。嬉しそうにサビーンを引き寄せて抱きしめた。さすがの招待客も驚きの声を隠せない。西の国ではあたりまえの習慣でも、ここ王国では眉を潜めるものもいる。だが、相手は4番目とはいえ、王の血を継ぐ王子であり、彼のやることには咎められることはないだろう。

「ナイーフ、またこんな派手なご挨拶をすると、お父上に叱られますよ?」

サビーンは笑みを浮かべながら、抱擁をといて、少しだけ王子と距離を置いた。

「まあね、だけどこんな挨拶サビーンにしかしないよ。まったく、ペルーシアシティのような近代化が進んだ都市でも、未だ独身女性に堂々と挨拶が出来ないとはね。」

いくら西洋化が進んでも、やはり、古き習慣はまだまだここ都心でも残っている。特に未婚女性との接し方に関しては未だ厳格な決まりらしきものがある。

「おや? 見慣れない顔?」

ナイーフがやっと気がついたとでもいうように、ハナに視線をうつした。ハナは急に青い瞳の視線が自分に移ったので、驚いて固まった。

「うわっ、可愛い。リスみたい、ってキミ、東洋の人?」

ハナは困ったようにサビーンを見上げた。サビーンは頷いてハナの代わりに会話を引き継ぐ。

「いい?ナイーフ、今夜は、あまりハナを人々の好奇の目に触れさせたくないから、、後日ちゃんと説明するわ。だから、今夜は、もう戻って。」

とても王子に対する口ぶりとは思えないサビーンの言い方にも腹をたてず、ナイーフ王子は素直に従う。この王子のこういう聡さが、サビーンは昔から好きだった。何に対して踏み込んでいいのか否か、その境界線をきちんとわきまえている。これが、王位継承権4番目の立ち位置というところだろうか。

「うん。わかった。じゃ、絶対今度話聞かせてよ。」

ナイーフはひらひらと手を振り、ゆっくりとターンをして元の居場所へと戻っていく。王子が来てから、おそらくものの数分くらいだろうが、人々の興味をそそるには十分な時間だった。噂好きの富豪たちが、ハナのことにあれこれと興味を持ち、こちらにやってこないうちに、サビーンは別の話題を皆に提供をすることにする。

「モーセ!」

彼女は入り口に向かって手を上げた。途端にフロアーの空気がザッと変わる。緊張が漂い始めたのか、人のざわめきと視線が一斉に今着いたばかりの一組のペアに注がれる。ハナも嬉しそうな顔でサビーンの向いた方へ振り向いて、思わず、心の中で、あっ と叫んだ。

ハナの瞳に映ったモーセは、遠めにもはっきりとわかる白装束の民族衣装に身を包んでいてゆっくりと堂々と歩を進めている。彼が進むと、人垣がざっとよけて彼の道を作る。足首まである純白な衣服は、いわゆるディシュダーシャと呼ばれる民族衣装だ。コットン製の布地に金糸で豪華な刺繍が散りばめられている。モーセの大きくて逞しい体を生かす、流れるような刺繍がとても美しい。ヘッドドレスも同種の布で、こちらはスカーフの周りに金糸のラインが縫いこまれているシンプルなものだが、それを頭に留めるためのアクセサリーが煌びやかだった。イガールと呼ぶ輪になった革ロープのところどころに碧赤青の宝石がついていて、モーセの頭に華を添える。その彼は、連れをエスコートしながら大きな歩でゆっくりと歩いてくる。

見慣れている普通の服を着ていてもモーセの豪華さは目を見張るものがあるけれど、この民族衣装に身を包むモーセは美しさと威厳を同時に兼ね備えており、ハナはフルフルと体を震わせた。何だか体が萎縮して、そっと後ずさりをしてしまった。

モーセは迷うことなく、現王のところへ向かう。今夕の祝辞を述べるためだ。モーセが大きな足取りを一歩一歩前へ進ませるたびに、周りの人垣が道をつくる。やがて、モーセはハナやサビーンの立っている群れを通る。

「モーセったら、相変わらずわかり易いわねえ。」

サビーンがわざと聞こえるように大声でつぶやいた。それはモーセの隣を独占している女に対する皮肉。モーセはサビーンの声をするほうへ顔を向け、チラリとハナを見たようだったが、ハナはそれにも気がつかず、目の前の花道をモーセと一緒に歩いている女を見ていた。今まではモーセのすごさに圧倒されていたのだが、少しだけ余裕が出て、初めて彼に連れがいたことを思い知った。同時に周りでヒソヒソと声がしてくる。

「おい、あれは、ジーナだろう?」
「え?」
「ほうら、この間行った、王立劇場で踊った、、」
「ああ、あのベリーダンサー、、、」

人々の口に上るダンサーという言葉が聞こえた。舞姫ジーナは、自分の柔らかい肉を意識させるように体をピタリとモーセにつけて王のもとへ向かう。大きな目を益々強調するように黒いアイラインを目の周りに塗って、妖艶さの香が立ち込める。赤い唇は、プルリとしており、とても柔らかそうな唇で、今にも男たちを誘惑しそうだ。何よりも女であることを誇張するくらい、豊かな胸と腰をふりながら歩く姿は何ともエロチックに思える。ウエストはきゅっとしまっているのが、その黒いドレスのデザインからでもよくわかった。

「まったく相変わらず好みにブレがないんだから。」

ハナの隣でサビーンがボヤく。つまりモーセの心惹かれる相手は、ハナと真逆の位置にいる。だが彼女が、氷のようなモーセの心を優しく甘く溶かしていく相手という意味だろうか。ハナは自分の唇が乾いているのがわかった。二人に見とれていたのか、口を少しだけ開けていたのかも知れない。あわてて唇をきゅっと閉じたのだけれど、空気がスースーとまだ体中のあちこちから漏れ出ているような心もとなさを感じていた。

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