シークの涙

17.

レセプションパーティもいよいよ佳境に入る。王族はみな特等席に腰をつけた。勿論モーセも、王と王子にはさまれて座る。貴賓席が埋まるとその前のフロアーが丁度ステージのような空間を生む。その周りを招待客が囲み、これから始まるワクワクするショータイムを待ちかねているようだ。


/シャアアアアンン シャン、シャン、 シャン/

あたりがうっすらと暗くなり、突然スポットライトが一点を照らす。

「舞姫ジーナ・シャダーウーの登場です」。

お付きの者の挨拶で、紹介されたジーナが王族の座る席へと近づいていく。先ほどの黒のドレスを脱ぎ捨てて、真っ赤なコスチュームに身を包むジーナが歩くたびに、シャンシャンと鈴がなるのは、アンクレットにいくつかの鈴をつけているからだ。彼女は、王に頭を下げ、続いて今夜の主役ナイーフ王子にも頭を下げた。顔をゆっくりとあげながら、猫のような目でモーセに媚びる笑顔を向けた。

/タンタン トントトトン トン タンタカ タン/

速いリズムの打楽器にジーナの腰が動き出す。

「「「「「おおおおおおおおお」」」」」

人々から歓声があがった。腰がまるで意志をもったかのように、右へ左へ、太鼓の音と共に上下する。彼女が腰を揺らすたび、その豊満な胸もプルリ、プルリと揺れ動き、それが観客の目を釘付けにする。細いと思っていた肢体は、露出の高いコスチュームドレスによって露わにされ意外と適度な贅肉があることがわかる。だがそれが余計女らしさを強調していて、なんともなまめかしい。豊かな胸は今にもはちきれんばかりで、小さなブラトップが胸の谷間を見事に作り上げる。

/ドンドンドコドコドン ドン/

軽快なリズムを刻むドラムは、低く唸りながらフロアーを圧倒していき、見ている観客の体にまでジンジンと響いていく。その中を蛇のように体をくねらせながら、妖しげな動きで魅了する。妖艶でたまらないくらいエロティックだ。腰を覆うスカートはドキリとするくらい下の方で巻かれている。激しい腰使いや、腹の筋肉のうねりで、もう、すぐ下から女性の大切な部分が見えそうでとても淫らだった。鍛えあげられた腹の筋肉が動くとき、腰を覆っている布との間に空洞が出来、今にもスカートがずれ落ちそうな錯覚を抱かせるのも一興か。彼女の腰の動きで、現に見ている男性客の中には、ゴクリと生唾を飲むものが多くいたし、また、女性たちは、顔を赤らめながら、それでもジーナの腰から目が離せない。

ベリーダンスは、元来、芸術的な踊りでステップも腰使いもとても高度テクニックを要する。女性ならではの特有のくねりがセクシーであり、そこにばかり焦点をあてられがちだが、この激しいリズムの中で一糸乱れず、笑顔をたやさず踊りきるには、日頃からの果てしない練習あっての賜物だ。だが、ジーナの今夜の踊りは、濃艶で、明らかに誘惑をしたい相手に向けて踊る淫らな舞いのようだった。どんどん彼女は王子のほうへ近づいていく。瞳を潤ませながら、艶やかな笑みを浮かべ、腰をくねらせながら、胸を振りながら王子へと寄って行く。観客たちは、歓声をあげ手をたたいてその行方を見守る。ナイーフ王子がはにかみながら青い瞳を細めていた。結局おおよそ皆、ジーナの舞いに騙されていた。今夜は王子の歓迎会だからと、、だが、彼女の目的は王子ではない。彼女の動きひとつ、ひとつ、その視線、何一つ見逃さなければ、その舞いは誰のものへなのか一目瞭然だった。ただ当の本人は、顔色ひとつ変えず、傍で踊る女を冷ややかに見ているだけだ。但し、ときどき彼の視線が、ジーナを見ている観客を彷徨うことがある。それはまるで誰かを探しているようにも思えた。

「ハナ、疲れない?」

久しぶりの人ごみで、その上、先ほどからずっと立ちっぱなしということでサビーンは心配気に聞く。

<平気。見とれてた。>

興奮冷めやらぬハナの手がせわしなく動いた。人の熱気か、それともジーナの妖艶さにあてられたのか、ハナの顔が上気していた。

「ベリーダンス、、、確かに彼女の踊りは素晴らしいけれど、、」

サビーンは言葉を切った。

<セクシーすぎる?>

ハナがその先を続け問いかけた。

「そうね、ちょっと、厭らしさがにじみ出ていてわたしは彼女の踊り好きじゃないな。まあ、殿方たちは大満足ね。きっと。」

サビーンとハナは顔を見合わせてクスリと笑った。その後、ハナは意を決したようにサビーンに尋ねた。

<あの人、モーセの恋人?>
「さあ、わたしもわからないわ。モーセは恋人って持ったことがないと思う。」
<えっ?>

サビーンは小さな声でささやいた。

「あのね、いつも体の関係で大概一ヶ月くらいで別の女に行っちゃうから、、我が従兄弟ながら、あの人、男と女の愛は信用してないみたいだし、、」

ハナは小首をかしげながらサビーンを見つめた。実際、ハナも21でありながら、男と女のことは未知への世界。幼い頃の甘く淡い初恋くらいしか経験がないからだ。

<もう帰るの?>

ハナが尋ねた。

「ううん、わたしたちまだモーセとしゃべってないじゃない?」

途端にハナが破顔した。ハナは本当にモーセが好きなようだ、その感情がいったいどのくらいの好きかは今のところわからないとしても、この感情は、ハナの精神上には良い兆候だと、サビーンは少し嬉しくなった。とにかくモーセの存在はハナにとって良い影響を及ぼしそうだとサビーンは考えていた。


「「「「「うわああああああああああああ」」」」」

ジーナの肌に珠のような汗がしたたり落ちていた。肩で息をしながら、色っぽい視線を人々に投げかけ、お辞儀をする。王族たちも何人かが立ち上がり、スタンドオベーションでジーナに賛辞を送っている。王も顔に笑顔をたたえ拍手を送り、王子も立ち上がった。モーセは王が立ち上がらないことをいいことに、座ったまま一応拍手をしていたが、無表情で何を考えているのか誰にも読めない。

人々の興奮が、うっとりとしたため息にかわり、やがて少しばかり疲労の息に空気が変わる。そろそろレセプションも終わりに近づいている。

「いらっしゃい。ハナ。」

サビーンはモーセがこの場を去る前に何としてでも捕まえなくてはと、そんな思いで、ハナの手を握って人ごみをかき分けている。丁度運よく、モーセは、王族と離れ、どこかの富豪と談笑をしており、これなら、サビーンが口を挟む余地は十分にあった。

「モーセ!」

サビーンは巧みにモーセを取り囲む集団に近寄って、声をかけた。モーセの眉があがった。彼は、話している富豪たちに軽く会釈をして、その輪から抜け出した。威厳漂う足取りで、呼ばれたほうへとスイっと近づいていく。そんな何でもない動作ですら、サマになっていて、ハナはサビーンの後ろでその優雅さに大きな瞳をこらしていた。

「なんだ?」

モーセはサビーンに尊大に近寄ってきて、傍にいるハナを見つめ眉をあげた。間近で見ると、モーセが着ている真っ白なディシュダーシャの装束に、細かいイバラのモチーフの刺繍がキラキラと金色に輝いていて 息をのむほど美しい。ヘッドドレスがふわりと舞えば、そこから艶のあるダークブラウン色の髪が見え隠れしていた。あまりの豪華な男の出現に、ハナは息をすることも忘れたかのように、黒い瞳でモーセを見つめている。人々から注目されることには慣れていても、モーセはこんな至近距離で自分を見つめられることに不慣れだ。人々のモーセの関心は、いつも遠巻きに視線が注がれるが、彼が近づけばその威光に恐れをなして、皆一様に目を伏せて目をあわせないからだ。だから、今、ハナの大きなまなこにじっと凝視されているのは、モーセにとって非常に居心地が悪い。たまりかねて思わず口を開いた。

「なんだ?」

先ほどと同じ言葉だが、今、その言葉はハナに向けられている。ハナは自分が不躾にも見つめていたことにやっと気がつき、顔を赤らめた。そして気まずそうにサビーンをそっと見上げた。

「大丈夫よ、ハナ、言いたいことがあるならおっしゃい。わたしが通訳してあげる。」

ハナは安心したように、手話でモーセと綴ったあと、片手をあげて、顔の前に手の平を広げた。顔に沿って開いた手をぐるりと一周させて、天を指した。サビーンがフフと笑った。

「ハナはね、とっても驚いてるのよ。あなた、無口だし、たまに口を開けば、出てくる言葉はひどくて口は悪いし、尊大だし、人を人とも思わないし、、」

サビーンの言葉にハナはポカンという顔をしている。

「その上、まあ、人使いは荒いし、客がいるのに放りっぱなしで屋敷には戻らないし、性格悪いんじゃない?って思うけど、でもその民族衣装、似合ってるわ、って、ハナはそう言ってるの。」

ハナが、えっ?!という顔をして固まった。すかさずモーセが軽口をたたいた。

「ふん、俺をバカにしてるのか?コレがやった動きなど、1秒にも満たん。そんなに言ったとは思えんがな?大方、あとはお前が、かなり盛って作り上げて不要な形容詞など付け足したと見える。」

モーセには何もかもお見通しで、ハナは胸を撫で下ろした。

<モーセ、あなたの姿は神々しくて美しい。> 

ハナはそう言いたかったのだ。サビーンのイタズラ心のお陰で、ハナの気持ちは意訳されてしまったけれど、モーセに見惚れていた漆黒の瞳がキラキラと輝いて憧憬の色を映し出す。おそらく彼にもハナのその気持ちは伝わっただろうか。モーセはそれには答えずサビーンと話を続けた。

「で?俺を呼び止めたのは?」
「あなた、屋敷に帰ってないんですって?何で?」
「忙しいからだ。」
「ハナを一人で放っておいて?」
「俺の知る限りではない。」

モーセの言葉は急にペルーシア語に変わっていた。サビーンもこれ以上ハナには聞かせたくなかったので、あっさりとそれを受け入れ、彼女もまたペルーシア語でしゃべり始めた。

「ハナが病気なの知ってるでしょう?」
「だから?」
「彼女は、人としゃべることもとても大切な治療のひとつなの。」
「だったら、俺じゃなくても、うってつけがいるだろう?タマール夫人や、ときどきラビも訪ねているはずだ。」


「モーセ、あの舞姫を自分のプライベートマンションに連れ込んでるって?」

急に話が変わる。まったく人聞きの悪い表現であり、その上、女の特権というべきか、ほとんど非論理的な思考だなと思いながら、別段モーセは顔色を変えることもなかった。

「ふん、お前に言う必要があるか?」
「まさか、彼女を愛人にするの?」
「面白いことを言うな? 側めとは妻がいて初めて成立するものだ。フン、話にもならん。」

結局サビーンは “理論では“ いつだってモーセには敵わない。そこで奥の手を出す事にした。

「ねえ、わたし小杉教授ご夫妻にはとてもよくしてもらった。本当の娘のように可愛がってもらったの。」

サビーンの胸のうちは複雑だった。ハナの母、すみれのことを、彼女は本当に母親のように慕っていた。だが、サビーンの小杉教授への思いは、初めは紛れもない師弟愛だったのに、それがいつしかもっと深い愛を感じるようになっていたのだ。ただ、彼女が思いを告げる前に、教授は逝ってしまった。ハナという忘れ形見だけを残して、、、

「ハナはわたしにとって実の妹のようだから、、この地に呼んだのは、また昔のハナに戻ってもらいたいから、、だから、そのためには、」

サビーンは真剣な顔をモーセに向けた。ハナは、ワケのわからない言葉が飛び交う中、自分の名前が頻繁にでてくるので、どうやら自分のことが話題にされているらしいということはかろうじてわかった。だが、今は、沈黙を貫いていた。

「わたしの養女として引き取ってもいいと思ってる。」

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