シークの涙

21.

「わたしの方で、少しばかり書き出してみました。ひとつ、ハナさんの見た訪問者と、我がペルーシア王国の人物が関係しているのかどうか、ですが、、」

すでにモーセからの指示により、ハナの母親、すみれが亡くなる当日に家を訪ねてきた訪問者と王国との関係を調査中のラビが報告をする。

「ハナさんが、”メガネをかけたおじさん”と言ったことから、それは日本人だったのではないかという可能性が高いと思われます。もし王国の人間ならば、アジア人との違いは歴然ですし、、」

ペルーシア王国の人々は彫りが深く、のっぺりとしたアジア人の顔つきとは全く違う。例え幼かったとしても、外国人だということの識別はつくに違いない。勿論、王国の顔にも 中には例外はいるし、アジア人の中にもエキセントリックな顔立ちをしているような例外はあるかもしれないが。

「そこで考えられるのは、王国の誰かが、日本人、もしくは東洋人を雇って殺害した。またハナさんは、お母様から『お父さんの大切なお友だち』として、その男を紹介されていますので、現在、小杉教授の身辺を調査中です。友人らしき人間にあたりをつけ、その辺から王国との関係を詰めていくつもりです。また、雇い主の動機なども関連づけて調べてみなくてはなりません。」

ラビはパタンとアジェンダ帳を閉めた。

「それから、リドリー大臣と教授夫妻の関係、患者と医師とその妻、以外に何かないかも調査を進めています。こちらの方は、30年以上前の話とはいえ、我が王国で手術が行われて、夫妻が来訪しているわけですので、もう少し簡単に調べがつくかと思いますが、、」

完璧なラビの報告に、モーセは十分満足を覚える。サビーンもこのくらい論理的ならば、世界の著名な医師の一人になったかもしれない、などとも思いを巡らせていた。

「あとは、、、」

ラビはあくまでもビジネスライクの口調で切り出した。

「先ほど、ジーナ嬢よりご伝言がありました。今夜お待ち申し上げる、とのことです。」



いや、正しくは、この上もなく色っぽい艶のある声で、こう言った。

『シークに伝えてチョウダイ。今夜はもっとすごいモノをお見せするわ。うふふ』


「フン、捨て置け。」
「はい?」

「放っておいて構わん。当分は屋敷から通う。」

モーセはサビーンとの約束を反故ほごにはしない。

「わかりました。次回の電話ではそのように申し上げます。それでは。」

ラビが下がろうとする後姿に声がかかった。

「ラビ、お前、、アイツの顔を見ているか?」

アイツとは言われるまでもなくハナのこと。

「ああ、はい。お屋敷に用事があったついでには、必ず顔を出しております。」
「そうか。サビーンの見立てでは、声は戻る可能性があるらしい。」
「おお、それは何とも素晴らしい。」
「だが、そのためには、人としゃべることが不可欠要因なのだと。」

つまりは、頻繁にハナを訪ね、時にはハナを連れ出し、色々な世界を見せてやってくれとモーセは懇願しているのだ。彼の口調はとてもではないが、懇願しているとは思えない。だが、長年勤め上げているラビにはわかる。

そして、ひとつの疑問が去来する。

なぜ、ハナが関連すると、シークは仮面を忘れてしまうのか?

「わかりました。それでは、今日の午後にでも訪ねてみましょう。」
「ああ。」

モーセはもう興味が失せたと言わんばかりに、デスクの上の書類を手に取った。



*****

パーティ以来、モーセは屋敷に戻ってくる。家の中に緊張感があって、使用人たちもいつも以上にテキパキと動いている。特にタマール夫人の忙しさは、想像を絶するようだ。夫人はそれでも、ハナのために時間を割こうとしてくれる。さすがのハナもそれでは悪い気になるので、自分から、庭に出たり、休憩を取るように心がける。その代わりといっては何だが、ラビが前より以上にハナの前に顔を出すようになった。

先ほどまでハナは図書室にこもって、日本のある企業が売り出し中の新薬についての翻訳をしていたところで、内容がかなり難しく、さすがのハナも疲労を感じてしまった。だから、木陰を見つけて、中庭の白いベンチでゆるりと太陽にあたっているところだ。時計は17時半を指していて、太陽が沈むにはまだ早いが、ジリジリと焼け付く陽ざしがそろそろ優しい陽ざしに変わる頃だ。ハナは目を瞑って、顔を上に向けている。光のお陰で目を瞑っていても、瞼の裏側には、赤や黄色の明るい色を感じる。

「ここにいたんですね? ハナさん。」

優しい声音だ。ラビの声だ。ハナはゆっくりと瞼を開け、相変わらず一部の乱れもない端整な男をまぶしそうに視界におさめた。

<こんにちは>

と言う風に頭を下げてハナはニッコリ笑った。やっと最近になってハナも少しは自分にも慣れてきてくれたようで、ラビは嬉しい。その気持ちが満面の笑顔に表れた。

「ご機嫌はいかかでしょうか?」

ラビは通りかかったメイドにお茶の用意を頼んで、ハナと二人、中庭のテラスへと移った。


ミルクをたっぷりといれたアツアツの爛々茶はハナの大好物だった。モーセの使用人たちは、まだ、数ヶ月しかいないこの頼りなげな客人のおもてなしにはかなりの自信がある。いつもなら鼻持ちならない腹のでっぷりとした親父達を給仕したりするのだが、ハナは可愛らしいし、何しろ素直だ。言葉が通じなくても、使用人たちは、庇護欲をそそられ、タマール夫人を筆頭に何かと面倒を見たがる。

「我が国の自慢の貿易のひとつに、このお茶があるんですよ?今ハナさんがお飲みになっているのは爛々茶の中でも最高級品です。」

ラビは冷たい爛々茶をストローで飲みながら、ハナの反応をうかがう。思ったとおりだ、ハナは興味津津で瞳がキラキラと輝きだす。ラビはわかり易いハナの表情にクスリと笑った。

「あなたは、とても色々なことに関心があるようですね?」

ハナは指で地面を指した。恐らく、ペルーシア王国に関しては、と言いたいのだろう。興味を持っているのは、、それは、自分が今いる国だから?それともモーセの祖国だからだろうか?

「ここ都心から、1000キロほど北上したアグル地方に茶畑があるんです。我がトリパティ部族の管轄内です。」

ハナの大きな瞳がじっとラビだけを見つめる。女から見つめられるとき、何らかの打算がその瞳に映るものだが、ハナの黒い瞳には、ヨコシマなものが一切見えず、ただ、本当にラビの姿だけを映している。

「ハナさんにじっと見つめられると、照れますね。」

ラビは照れくさそうに笑った。ハナは真っ赤になって手をブンブンと振り頭を何度も何度も下げた。不躾なこと、他意はなかったこと、体中で表した。

「たまには、シークだけでなく、僕にもほんの少し興味を持っていただけると嬉しいんですが、、、」

ハナはユデダコだってびっくりするくらい、真っ赤になって固まった。ラビらしくない。ハナをからかっているのだ。人は可愛いものを見つけると、ついついイジってしまいたくなる。ハナはまさに放っておけない。

「ハナさんゲームしませんか?」
<?>
「これから、わたしが知っているシークの知られざるエピソード、知りたくないですか?」

彼女の顔がぱあっと明るくなった。

「ただし、ゲームですから、わたしに勝たなくてはいけません。いいですか?サイコロを今から持って越させましょう。お互いにサイコロを振ります。小さな目しか出なかった方が負けです。負けたほうは、ひとつ自分のことについて、話さなくてはなりません。わたしが負けたら、シークのことを、あなたが負けたら、あなたの話を。」

ハナは困った顔になった。自分の顔を指差したあと、片手を顔の前でイヤイヤと揺らした。これは彼女が自分のことを話したくないわけではなく、わたしなんて何も話すことないですよ、と言っているようだ。

「何でもいいんですよ。ハナさん。あなたが、好きなものとか。ただ、何故それを好きなのか、理由も言わなくてはいけませんね。そうやってどんなことでもいいからあなたの話をしてください。勝った人は、ひとつのお話につき、一回だけ質問が出来ます。質問されたら正直に答えなくてはだめですよ?」

ハナは考え込んでいる。ラビは少しだけ彼女を挑発した。

「おや?シークの面白い話、聞きたくないですか?」

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