シークの涙

32.

ジーナはここのところイライラしている。不機嫌でしかたがない。モーセとの、あの夜、屈辱の一夜以来、何の音沙汰もなくなった。その上、頻繁に老人の介護のように、こんな醜くシワシワのサメ肌の相手をしなくてはならないのか。

「おお、おおお、お前の中はいつ来てもあたたかい、、おおおおおお、、、」

翁の雄叫びの声が絶頂を極める。それとは裏腹にジーナの気持ちが冷め切っていく。皺だらけのしわくちゃの手で、髪を撫でられ、ジーナは嫌悪で背中に悪寒が走った。

「相変わらずですのね、お強いわ。」

彼女はネコナデ声をだしながら、ゆっくりと頭を動かし老人のカサカサした手から逃げる。上目使いで、赤い唇を舌でゆっくりなめまわし、甘い声をだした。

「もう少しで、モーセはわたしのいいなりになるんですのに、、、あの東洋の子供が、、」
「ああ、わたしも気になっておったのだ。あのレセプションの夜の? モーセ自ら抱いて帰った娘だな? だがジーナともあろうものが、あんな娘のためにてこずっているのかい?」
「ふん。モーセはどうやら物珍しいらしいんですの。育児ごっこに夢中のようで、オシメを変えるので忙しいらしくて、」
「ハハハ、お前らしい、手厳しいな?ふむ、、だが、それだけモーセの興味の対象になっているということだな。実はあの娘の正体とモーセの関係をな、わたしも今秘密裡に調べているところだ。」
「ねええ、そんなことどうでもいいわ。あの子供を拉致して、どっかに売り飛ばせばすむことでしょう?」
「ほほおお、相変わらず悪い女だな、お前も」
「うふふふふふ。」

ジーナに促され男はしばらく考える。それも悪くない。東洋の女は、食指が動く。パーティで見かけたあの娘はいささか幼い感がぬぐえないが、何も知らない無垢な娘を、抵抗されながら、嫌がらせながら、なぶっていくのも一興かもしれない、、そんなことを考えていくうちに、先ほど解き放った淫欲が、また珍しくむくむくもたげてくる。下半身が反応をし始めてきた。

「あら、やだ、、まあ、フフフ」

ジーナの厭らしい笑い声が聞こえた。

「何を考えてらしたのかしら?」

この男がもともと東洋の女に目がないことをジーナは知っている。上手く行けば、自分の手を汚さずに、あの女を始末できる。そうなれば、もっともっとモーセに可愛がってもらえるかもしれない、、はじき出した計算は、ジーナがもっとも満足できる答えだ。これならば、この手で、この体で、しばし我慢して、この老人を喜ばせてやろう。そのくらいのことは、今のはじき出した答えが実現されるのであれば、お安い御用だ。

赤い爪で、男のむっくりした先っぽをつんとつまびく。

「おお、、」

たまらず、しわがれた声がまたあがる。ジーナはほくそ笑みながら、早く男が淫欲を吐き出すように、その裏をすううっと巧みな指先で動かしながら、軽く、焦らし、、そしてしごいていく。口を使おうと思った矢先、男の声があがった。

「ジ、ジーナぁぁぁぁぁっ」

簡単に吐き出した白い液体を手でふき取りながら、ジーナはニヤリと笑う。

「ふふふ、お約束ですわよ?あの娘のことお願いいたしますね。」

老人の息があがり、声もでない。だが、しかとわかった、とばかりに男は何度もジーナに向かって頷いた。




*****

どうも調子がでない。たかだか、小娘じゃないかと吐いて捨てる。だが、その捨てたあとからまたモーセの頭に蘇る、あどけない顔。毎晩、ハナと顔をあわせているのに、ハナとは杓子行儀な会話しかしていない。

「だからなんなんだっ!」

/ドンッ!/

デスクを叩く音だけがむなしく書斎に響いた。ここのところ女を抱いていないからそのせいなのか。ハナへの見せつけのためにジーナにキスをしたものの、あの夜女を抱けるほどモーセは飢えていなかった。それ以来、ジーナとも他の女とも夜を共にはしていなかった。未だ利用価値のある女であるジーナは魂胆があるのかないのか、モーセに固執しており、それが煩わしいのは事実だ。

けれど問題はそこではない。このイライラはジーナのせいではない。

モーセの頭に、大きな黒い瞳がまた浮かんでくる。消しても消してもぬぐい去ることの出来ない瞳、、

挙句、ハナは何も言わない。けれど、じっと見つめるその瞳が寂しげに揺れ、まるでモーセを追い詰めていくようで、いらだたしくてしかたがない。言葉多く語るものに、たった一言の一撃で黙らせることはできる。暴力をふるうものに対してもしかり。泣いてすがるものにも、ただ一瞥してやればいい。けれど、何も語らず、ただじっと見つめてくるあの黒い瞳にいったいどうすればいいというのだ。

そしてあの瞳はモーセの瞳とぶつかっても絶対にそらさない。それどころか、何の下心も見えない漆黒の瞳が、モーセの心を不安にさせる。なぜなら、時々自分の心の底をのぞかれているような気にさえなる。そう思うのはモーセの気のせいなのだろうか。

サビーンの声が頭で響いた。



『あの時、あなた、タマール夫人を辞めさせてたでしょう?』


それは、屋敷に罪人の妻が潜り込んだときのことの話だった。後からその顛末を聞いたサビーンに言いたい放題言われてしまった。

『ハナが引き留めたのよね?』
『ああ。』

母と別れ、父とも別れ、愛する者がすべて自分の手から消えていく。そんな悲しい気持ちを心の中に持ち続けているハナは、出会う人や、ものに、あまり執着もせず、涙を流し心を浄化していくこともなかった。どんなに抗っても、世の中にはどうにもならないことがある。21歳でなんとなくそんなことを悟ったふしのあるハナは、周りで見ている大人たちには、時として痛々しく映る。

そんなハナがタマール夫人を全力全霊で引き留めた。

『アイツは夫人に執着しているのだろう。お前の見立てとは違っているようだ。』

ハナは、あのとき、夫人にまとわりついて離れなかった。あれが愛情の執着ではなく何だというのだ、、そんな意味を込めサビーンに向けた言葉は、とても辛辣だった。だが、サビーンはそんなことは慣れっこと言わんばかりに、にっこりと笑った。

『だって、モーセが夫人をやめさせるつもりだったからでしょう?』
『本人がどうしても辞めると言っているなら、、仕方あるまい。』

それは苦渋の決断かもしれなかった。モーセは基本、周囲の人間の過ちを許さないことが多い。本人が責任を取るという以上引き止める理由は、すでにモーセにはない。

『だからじゃない?』
『さっぱりわからん。』

サビーンは、あたかもモーセが鈍いかのように、このごに及んで大きなため息をついた。

『モーセのためね。きっと。ハナが夫人に固執したのは。』

自信ありげな声だった。

『あれだけ長い間モイーニ家のために仕えてくれた、わたしたちに惜しみない愛情を注いでくれて、、それなのに、たった1度のミスで屋敷から去ってしまう、、モーセ、あなただって胸が痛んだはずよ?』

モーセは黙りこくった。確かに、初め、夫人が自分の犯したことに対して責任という言葉を口にしたとき、正直彼は多少なりとも動揺していたのだ。

『もし、夫人が涙を流し、あなたに辞めさせないでくれって頭を下げ懇願したら、きっとあなたは許していたでしょう。』

そうなのだ、だが、夫人は凛とした顔で一度も乞うことをしなかった。淡々と責任の重さを痛感していただけだった、、、

『けれど夫人はそれをしなかった。もしハナがいなければ、タマール夫人は荷物をまとめて早々に出て行ったのよね、、その後、わたしに散々悪態をつかれ、文句を言われ、ついでにわたし、嫌がらせメールなんかも送っちゃったりして、あなたは屋敷中の人から恨まれて、、あなたは煩わしさに頭を悩ます。ううん、それよりも、きっと、モーセ自身が自責の念に駆られて、大変だったかも、、ラビに八つ当たりしたり、わたしとかにも、屋敷の人間も、あなたの部下たちにも、わけもなく不機嫌で怒鳴ったりしてあたりちらして、、』

サビーンの妄想は果てしなく、挙句、くわばら、くわばらを繰り返す。幾分、過分な想像ではあるが、彼女の言う事も一理あるような気になる。

『だからじゃない? ハナはあなたのために、素直に心のままに動いたんじゃない?ハナのあの執着は、確かにハナ自身の気持ちかもしれないけれど、でも本当の底にあるのは、あなたの心の表れだったのかもよ?』


そんなサビーンとのやり取りを思い出し、再び胸がざわめき始めた。


『モーセ、あなたのことを絶対的に信用しているのよ。あなたのところが一番安全だとわかっているのよ、ハナは。』

本能的にハナはそう判断していると、サビーンは言う。なぜ自分なのか、、、前はそう自問していたモーセだったが、今は、そのハナの安心した瞳が自分に向けられていることにあまり違和感を持たなくなった。それどころか、その期待に応えようとしている自分がいて、あせることさえあった。

だからなのか、、あの瞳は、モーセに失望してしまったというのか。何も語らないあの瞳の奥に、モーセへの信頼がなくなってしまったのだろうか。モーセは己のわけのわからない苛立ちから逃げ出したくなった。

こんな気持ちは初めて、、だった。




【心が痛いとき、、、モーセならどうするの?】

カードゲームをしたときに、モーセが一つだけならとハナに許した質問。

心が痛いとき、、

モーセはこう答えた。

『俺は、、我慢をするだろう。どんなに心が血を流していても、我慢するだろう。その痛みに耐えてこそ、シークと呼ばれるに相応しい。これがわたしの生まれながらの宿命さだめだからだ。』

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system