シークの涙

33.

翌日ラビが心配そうな顔で社長室に入ってきた。

「実はハナさんのことで問い合わせがありまして、、」
「、、、」

唐突にハナの名前が耳に入り、モーセは渋い顔で書類から顔を上げた。

パーティ以来、ハナに関しての興味本位の問い合わせは多数あったらしいのだが、秘書の報告によるとここ数件、ちょっと見過ごせないくらいのしつこい電話があったという。

「秘書によれば、報告に値する電話は全部で3件。全てネット回線によるもので、プロバイダーが海外を経由しているもので身元は確認できないとのことです。」
「具体的には?」
「はい。記者を騙ったもので、ハナさんとシークの関係、ハナさんの国籍、年齢、生い立ちなど何度も何度も執拗に質問があったらしく、、それと、、、」

モーセの目が見開く。アーモンド形の瞳がキラっと光ったように見えた。

「もう1件のほうですが、こちらは、秘書のイッサが応対しまして、やはりこちらもパーティの客だったと名乗ったというのです。かわいらしいお嬢さんなので、是非とも自分の息子の嫁にさせたいという内容でした。秘書が、先方の名前などを聞くと、あわてて切ったそうです。しかし、秘書が言うには、後から考えると、どうも相手の声に聞き覚えがあったと、、」
「む?」
「実は、、リドリー大臣の第一秘書の声に似ていたと、、相手側はあくまでも偽名らしき名前で一貫して話していたそうなのですが、、イッサも100%確信しているわけではないと言っております。どういたしましょうか?」

「とりあえず、リドリーは重要マークだ。ハナの周囲にヤツの名前がでてくるのは何とも胡散臭い。」

というのも、つい数日前、ラビからの報告があがった。それは、12年ほど前、ハナの母親が亡くなった後、すぐにリドリー側に動きがあったということだ。自分の配下を日本に送ったという事実が判明。その目的は不明だ。証拠隠滅の事後処理にあたったのか、また日本警察の動きを知りたかったのか、その辺は未だ定かではなかった。

「はい。そうなりますと、ジーナ シャダウーから引き出せるものが鍵になってくるかと。リドリー大臣が裏にいるのならば、それを利用しない手はありません。」

憶測のままでは、相手を追い詰めることはできない。ましてや相手は、モーセの祖父の永遠のライバルであった男。唯一祖父が人生で勝てなかった相手。もしハナの両親の死に何らかの関係があるとしても、身動きをとれないほどの証拠を掴まない限り、たとえモーセといえどもリドリーを窮地に貶めることはできないのだ。

「その上、、、」

ラビは言葉を続けた。彼の瞳が怒りを帯びた色に映ったようにみえる。

「例のレイプ集団組織を一刻も早く壊滅させなくてはなりません。これ以上の犠牲者は許しがたいこと、、ジーナ シャダウーは必ず組織の秘密を握っているはずです。彼女を罠にかければ、集団組織を一気に叩きのめすチャンスかと、、、」

ラビはメガネのフレームをくいとあげた。先日処刑されたカシュールが死の際、卿に懺悔したとき、ジーナもその組織に手を染めているのだという話をしていた。貧しい少女たちがジーナのような舞姫に憧れて志願してきたところを、ジーナは金と引き換えにその組織に売り飛ばす事が度々あったという。ジーナはかなり利用価値のある女である。それをみすみすこのまま放り出すことは愚かというものだ。というわけで、ラビは無言でジーナの子守をしろとモーセに言っている。つまり彼女のご機嫌をとることがモーセの最大の役目なのだと、、、モーセは、唇の端を上げ、散漫に笑った。

「お前、俺をこきつかうつもりだな? ふん、ヒトゴトだと思っているようだが、まあ、それも道理。わかった、鋭意努力しよう。」

モーセは一呼吸置く。

「それよりも、、」

モーセの眉間にシワが寄った。だが、ラビはモーセの懸念がわかり、すぐに頷いた。

「はい。先ほどから、屋敷の警備体制を倍に増やしております。一応、その目的詳細もタマール夫人とアブルには伝えてあります。」

アブルとは、モイーニ家の執事見習いで、代々シークに仕えている家柄だ。先日父親の引退を機に、息子のアブルが仕事を引き継いだばかりで、現在は、タマール夫人の教育を仰ぎながら修行中なのである。ラビの如才ない支持に、モーセは満足したようで何も言わなかった。ラビを部下にして間違いはなかったと思える瞬間だ。

「それで、シーク、本日お戻りになりましたらハナさんに、わたくしがお供しない限り、当分屋敷から出ないようにとお伝え願いますか?」
「お前からしておけ。」

唸るような声があがった。だがラビは頓着せず話を続ける。

「はい。勿論わたくしからでも後で申しますが、やはりあなたさまからおっしゃっていただいた方がハナさんには覿面てきめんなのです。」

冗談を言っているのかとラビを見れば、彼はいたって真面目な様子だ。

「わかった。」

渋々だがモーセは一応頷いた。




*****

いつものように夕食を囲む。ハナはチラチラとモーセの様子をうかがいながら食事をしているので、時々、子供のようにポロっとおかずを落とすことがある。今もまた、、

<あっ、、>

案の定、フォークに刺した芋を口元に持っていたのだが、、、酒を飲んでいるモーセが、ゴクリと飲みこんだその首元が目に入り、思わず驚いてしまった。男らしい喉仏がきゅっと上にあがり、それが下にゆっくりとおりた。それを目の当たりに見てしまい、なぜだかハナの鼓動が早くなった。あわてて、ちゃんと見もせずに口元まで運んだ芋の端っこが唇にひっかかり、無残にもテーブルの上に落ちてしまった。

/コロコロン/

不幸な事に芋はモーセのほうに転がっていく。

「む?」

ハナは真っ赤になった。後ろで見ていたタマール夫人の肩が揺れる。あまりの滑稽なかわいらしさに笑いが漏れてしまったのだ。

「ほう、これはシェフも趣向をこらしたものだ。お前だけイモの生き作りなのか?」

モーセのこの一言で、タマール夫人がもう我慢ができなくなったようで、ぷっと笑った。ハナは驚いたように顔をあげた。モーセの瞳と目があった。

「なんだ?」

ぶんぶん頭を振ってハナは嬉しそうに笑った。結局、いつまでもぎくしゃくとした関係は続かない。相手がハナだからだ。モーセは参ったとばかりに観念して、ハナを見つめた。

「ハナ。夕飯が終わったら、わたしの書斎に来なさい。」
<え?>

黒い瞳が大きくなった。急にモーセがいつものような親しい雰囲気になったと思って喜んでいたばかりだったのだが、今度はどうやらハナと話があるという。ハナは不安になって、うつむいた。モーセにしてみれば、当分屋敷から出るなと一言だけ釘をさすつもりでいたが、それを聞いたハナはきっと色々と質問してくるだろう。ならば食事中の話題として、その話は適切でないと判断した。だからじっくり話せるように、後で書斎に来いと言っただけなのに、ハナは何か心配事の種を持ち込んだような顔をする。モーセの一挙一動に、こんなにも素直な反応が返ってくるとは、かえって裏に何かあるのではないかと勘繰ってしまいそうになる。だが、ハナの瞳に邪悪な曇りはなく、モーセだけを映し続けている。モーセの周囲の人間は、モーセの地位にへつらい、その威圧に屈し、その美しさに媚びる。それだけの反応。どの人間もどこかに計算をニオワセルその態度に、モーセは、もはや何も感じることはなかった。そういった種の人間とハナは違うのだ、そう、モーセの心はずっと叫び続けているのに、彼はいつもその声に耳を傾けようと敢えてしなかった。

けれど、、、自分の言う事ひとつ、態度ひとつ、仕草ひとつ、そんな些細なことでさえ、ハナはうちひしがれたり、不安げな顔になる。そして、、、飛び切りの笑顔を向ける。

「早く食べなさい。1時間後、わたしの書斎に来ればいい。」

モーセはハナから視線をはずし、ワインを飲んだ。ハナはあわててパンを口に放り込む。自分の言うことに、こんなにも素直で純粋な態度を示すハナを好ましくないわけがなかった。ハナには嘘がない。再びワインを飲みながらモーセは満足したように目を細めた。

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system