シークの涙

47.

「オマール、おまえはいつまで社内に残っているんだ、そろそろ、パーティーの時間だろうがっ?!お?なんだ、一応、“道化師にも涙” じゃねえか?え?」

口の悪い副部長が、ペルーシア王国の諺を持ち出して、未だデスクから腰をあげないオマールを見つめる。いつ来ても文化部フロアーは人でごった返している。もちろん夜だって関係ない。すでに9時になろうとしているのに、まるでペルーシア人とは思えないくらい =ペルーシア人の朝は早いが、夜は働く習慣に乏しい= 時間を忘れ働いていた。ときおり怒号が飛んだり、何かと活気にあふれている。そのためか、目の前でしゃべっている人の声すらも通らず、何度か聞き返さなくてはならない。

「はあ?道化がなんですって?」

オマールは広い胸板にぴたっと張り付いている窮屈な上着にため息をついて、聞き返した。道化云々とは、この国のことわざで、ペルーシア人にしてはとてもガッシリしてガタイのいいオマールのタキシード姿を、副部長が揶揄したのだ。人を笑わせることの出来る道化師だからこそ、人の酸いも甘いも知っていて、彼が流す涙ほど真の価値があるという意味から、外見では馬子にも衣装 内面ならば、能あるタカは爪を隠す そんなニュアンスだ。

「そんなことはいいから、とっとと取材に行って来い。モーセ モイーニが突然盛大なパーティを催すというのだから、これはいよいよ花嫁のお披露目に違いないんだ。しっかり写真もとってこいよ。」

各メディアにも、モーセから招待状が届いている。ここプレスワールドも類に漏れず招待状が届いていたのだが、その1枚の貴重な招待状は、文化部長の信頼が厚いオマールに託されていた。しかし、オマールにすれば気がのらない。彼は報道取材をしたいわけで、シークのゴシップを追うほど暇ではないからだ。

「お前なあ、今は報道は忘れろ!ポカやらかしたんだろ?当分はここで大人しく俺の言うこと聞きやがれ!さ、行け!」

1か月前、勝手な判断で紙面に載せたことが、王国の名士の逆鱗に触れ圧力がかかり、オマールは左遷された。現在、彼は、ここ文化部で芸能ニュースを追いかけている。

王国の女性陣の目下の注目は、王族よりも資産を築いているのではないかと言われる美しい男、モーセ シャリマール モイーニである。彼を特集に組んだだけで、発行部数がたちまち伸びるのだから、社としても月に何度かモーセを話題に載せる。今回の招待状は、何のためのパーティーなのかと明確化されていないだけに、婚約者のお披露目ではないかと真しやかに噂が流れている。それが真実ならば、テレビも紙面も絶対に落とせないネタだ。

「オマール、お前は高校大学ともに、シークのいとこはお前のご学友なんだろうが?コネを使ってスクープ取ってこい!」

そんなことを簡単に言う副部長は何という地雷踏みの名人か。先ほどからオマールがパーティーに顔を出したくない原因のひとつに見事にアクセスするとは、、、

「はあ、勘弁してくれよ。」

黙っていれば結構な綺麗な顔なのに、一度口を開けば毒舌が止まらない女の顔を思い出した。オマールは195はあるガタイをゆっくりとおこし、デスクから嫌々立った。頭をかきながら、もうひとつ憂鬱なため息を、またついた。




*****

「モーセも人が悪いわね。これじゃ、ハナが見世物じゃないの。」

サビーンが言うのもっともなことで、ハナは、今、さらし者になっているようだ。大勢の人々が遠巻きにして、モーセのそばにいるお人形のようなハナに注目をしている。その視線は様々で、物珍しそうな好奇の目、疑心暗鬼に観察する目、嫉妬心まるだし憎悪の目、興味本位であらを探そうしている目、ハナにとってはまさに針のむしろ。

「おそらく、お人形さんのように可愛らしいからではないですか?」

ラビも、ハナの可憐さにうっとりするように瞳を細めた。今夜のラビは、黒のタキシードでぴっしり決めて、スラリと肢体がひきしまり、いつも以上に細身に見える。だがいつもと同じくらい飛び切りのハンサムで、招待客の若い女たちから羨望の視線を浴びせられていた。だがサビーンにかかれば、そんなことはどうでもいいわけで、それどころか先ほどからラビ相手に八つ当たりともいえる文句を垂れ流している。

「何よ、ラビ、わたしの言っている意味わかるでしょ?」
「といいますと?」
「確かにハナは、本当に愛らしくて、お着物も上手に着こなして、もう、ぎゅってしたいくらい可愛いらしいけど、、」

言うだけではなく、先ほど、本当にあまりの可愛らしさに、サビーンはハナを抱きしめたのだが、、、

「それにしても、何も今夜に限って、わざわざ大仰に着物を着せなくてもいいじゃないの。その上、今夜のパーティー、名目上は慰労会ってなっているけれど、案にハナを招待客にみせしめて、あたかもモーセの大切な客のように、、」
「ハナさんは、シークにとってもわたしにとっても大切なお客様に変わりはありません。サビーンさまもそうお思いでしょう?」
「ラビ!しらばっくれるのもいい加減にしてよね。あなたたち、何を目論んでるの?!」

サビーンが珍しく苛立ちを露わにした。もし、ラビの計画をサビーンが知ったら、この場でラビは息の根を止められていたかもしれない。厄介なことにならないようにと、ラビは慎重に言葉を選び、サビーンの説得にかかった。

「サビーン様が懸念なさっているのは、今夜のパーティーの目的が、実はシークの婚約発表ではないかとみなさまに誤解を招く可能性があると示唆なさっているのですね?しかも相手が、ハナさんだと誤解されているのではないかと?」

「誤解どころか、みんな、そう信じてるわよ!見なさいよ!来てる女たちの目、憎々しげにハナのことを凝視しているし、、、あとは、噂の真意を確かめるべくみんな興味津々って感じ。それに、、、長老たちの苦々しい顔を見れば、ハナがモーセの選んだ未来の花嫁だと思われても仕方がないでしょ?!」

サビーンの言う 長老たち とは、トリパティ部族のご意見番たちだ。たとえシークの地位であるモーセと言えども、部族の存続や危機に関わるような決断となれば、こういった長老たちの意見を仰がなくてはならない。最悪、評議が開催されることもある。こと、シークの花嫁については、長老たちのお眼鏡に適わなければ、おそらく彼らの物言いがつくに違いない。勿論、長老たちはモーセに絶大な信頼を置いているので、彼なら間違いない花嫁を、部族の繁栄のための縁組をするに違いないと思っていた。だが、今夜、目の前に入った光景に、翁たちの眉間に皺が寄っていた。

「まあ、世間が誤解なさるのであれば放っておけばよいでしょうし、ましてや長老方は、そこまで浅はかではないはずですよ?」

ラビはやんわりサビーンの意見を否定する。だが、サビーンは引っ込まない。

「何だか、怪しいのよね?モーセもあなたも、、何か企みがあるのでしょう?」

仕方なく、ラビは奥の手を出した。

「実は、前に、シーク・アショカ・ツールのお嬢様がたとのご縁談があるとお話ししたことがありましたよね?」
「ええ。」
「我がシークは、どうやら、その縁談はあまり気が進まれないようです。側近のわたしとしても、互い相思相愛の仲でないのならば、別段、わが部族の利を生むとは思えませんので、縁談は破談にしたほうが得策だと思いました。ただ、、」

ここで言葉を切って、ラビはサビーンをチラリと見た。言葉を飲み込んだ振りをして、あえてサビーンに答えを導かせるつもりだ。

「つまり、円満に断る口実としてハナを使ったと?」
「さすがに、サビーンさま、回転が速いですね。」

サビーンはもう何も言わなかった。どうもそれだけではない気がする。女のカンというべきか、、、ラビのような一癖も二癖もある男には、サビーンの得意とする心理分野はあまりアテにならない。彼は感情を押し殺す名人だからだ。けれど、女のカンが、サビーンに軽いアラームを鳴らしていた。ただ、すでに納得できる理由 =縁談を断る為にハナを利用する= を前に、サビーンの漠然とした疑惑 =女のカン= だけでは勝てそうにない。すでにラビを責め立てるのをやめ、サビーンは、一言だけきつくラビに言い渡した。

「ハナに何かあれば、わたしはあなた方を許さない。モーセにもそう言っておいて頂戴!」

言いたい事だけを言ってサビーンは、その場を後にする。すぐ華やかな群れへとあざやかに入っていた。ラビは無言で彼女を見送った。彼のメガネの奥に光る瞳は、固い決意の為にギラギラと燃えていたが、ふと、ハナを視線にとらえれば、一筋の不安な光りがそこに宿った。

(だいじょうぶだ。敵はきっと動き出す。ハナさんは絶対に、、今度こそ、、守る。)





*****

モーセの傍にずっといると、人々の好奇な目がハナを襲う。ザワザワとする人々の話し声が全てハナへの中傷に聞こえてしまいそうで、ハナは耳を塞ぎたくなった。こんな場違いな席、他人から言われなくても、自分が不似合いなのだとわかっていた。逃げ出したい。そう思った矢先、モーセの声がすぐ耳元でした。

「すぐ戻る。」

たった一言なのに、ハナの体に電流が走る。あの低い声で囁かれると、何故だか体が震えてしまう。

モーセはさっと大股で歩きあっといまに、ハナの視界の中で小さくなっていく。どうやら新しい客を迎いいれているようだ。遠目でよくは見えないが、相手は若い青年のようだ。同じ白のディシュダーシャに身を包んでいる。モーセ自ら出迎えに行くほどとは、よほどの権力者なのだろうか。

ポツンと一人残されたハナは、少しだけ好奇な視線から開放される。結局モーセがハナの隣にいることで、招待客の視線が釘付けになるのだ。だから、ハナ一人では、それほど注目も集まらないようで、ハナはほっと一息をついた。だが、今度は、一人でいるところに、見知らぬ客が寄ってくる。しわがれた声だが、流暢な英語で話しかけられた。

「あなたのお国は日本だと聞いたが、、、」

どこかで会った顔だとハナは目の前のシワで刻まれた老人を見つめる。

「確か、ナイーフ王子のレセプションで会っているはずじゃ。」

老人はジョセフ リドリーと名乗り、ハナの表情からすぐに理解してそんなことを説明してくれた。ただ穴があくように老人にじっと見つめられ、ハナは少し気づまりになって、目をぱちぱちとしばたいた。

「モーセのところにいると聞いたが?」

ハナはこっくりと首を縦にふった。

「ふん、あの男は気難しい。何かあれば、わたしのところにでも来るがよい。」
<あっ>

ハナが何かアクションを取る前に、老人は小さな連絡先の紙切れをハナに握らせた。

「また会うだろう。」

リドリーはさっと立ち去っていく。ハナは手を開いてみる。名刺のようで、その裏に手書きで電話番号が書いてあった。癖のある書体だが、綺麗な文字だと思った。

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