シークの涙
48.
「おお、コレハ、コレハカワイラシイ。」
アクセントが強かったが日本語が聞こえた。顔をあげれば、今度は前にレセプションでもリドリーの隣に立っていた男。ハナは袂から、中くらいのスケッチブックとペンを出して、サラサラと書き始めた。
【日本語お上手ですね。】
「ハハハ、アリガトゴザイマス。モウ、ワスレマシタ。」
リドリーと同じ年代だと思われる男には連れがいた。男の傍で苦々しそうな顔をして立っている女はかなり化粧はきついが綺麗な顔つきだ。年はサビーンと同じくらいか。もう一人の女が、その隣で静かに俯いていた。ここナイヤリシティでは珍しいが、ヒジャブと呼ばれる大きなスカーフで頭をすっぽり覆っていた。だが、逆に、娘の顔立ちのよさがくっきり目立つ。対照的な女たちだが、どことなく似通っている風がある。
「ワタシノナマエハ、アショカ ツール、カノジョハ、ワタシのオオキイムスメ、、、」
アショカツールの片言の日本語で娘達を紹介していく。上の娘は、アマルであり、ハナに紹介されても、その勝気そうな瞳をツンと少しつりあげただけだ。下の娘は、ユリカという。彼女は無口なのか恥ずかしがりやなのか、ただ黙ってハナに頭を下げた。だが、二人の娘たちに共通した瞳の光りに、ハナへの興味がありありと浮かんでいた。
「あなた英語ならわかるでしょ?」
長女アマルが、父親のわけのわからない言葉を制してイギリス英語で尋ねる。頭を縦に振ったハナに、畳み掛けるようにアマルが詰問していく。
「あなた、モーセとのご関係は?」
ハナはスケッチブックを開いてみたものの、質問の意味をどう答えてよいかわからず、困った顔をした。
「ああ、いいわ。あなた、声がでないのよね。わたしの質問に、イエスかノーで答えて頂戴。」
幼い頃から命令することになれているようで、アマルのとても散漫な物言いに、けれど、ハナは口答えすることはできなかった。ただ、黙って頷いた。
「ならば、あなたモーセの恋人かしら?まさかと思うけど、、ふん。」
想定だにしなかった質問に、ハナの瞳が大きく開いた。あまりの驚きに固まってしまう。
「あら、なによ、失礼だわ!」
ハナの無言の態度がアマルの怒りを助長する。彼女がイライラしながら反撃に移ろうとした瞬間、
「お久しぶりですわ。」
サビーンの声に救われた。サビーンはゆっくりとハナの横にたち、優しくそっとハナを抱き寄せた。
「わたしたちの大切なゲストに何の用かしら?」
サビーンは長い睫毛をパサリと上下させ、アマルに視線を飛ばした。
「わたしたちの? どういう意味サビーン。」
「わたしたちといえばわたしたちよ。彼女のことならば、彼女自身やわたしの口からではなく、どうぞ、直接モーセにお聞きになったら?」
「まっ、」
アマルの綺麗に整えられた眉があがった。
「あら、ごめんなさい。そういえばあなた縁談を断られ、、、ああ、だったら、気まずいわよね?モーセと話すの。」
サビーンはいかにも哀れむような視線をアマルに向けた。それで十分だった。勝負はあったようだ。
「なんですって?」
「こ、これ、アマル落ち着きなさい。ユリカと二人で、少しお庭を探索しておいで。」
アショカ ツールがゆったりと仲裁に入り、娘達を輪からはずす。アマルはツンツンとその場を去り、ユリカは小走りに姉を追いかけていった。
「まったく、困った娘で、、申し訳ないね、サビーン、そしてあなたも。そういえば、名前を聞いてなかったな?」
ハナがスケッチブックに書こうとした瞬間、サビーンがやんわりと彼女の手を押さえた。
「そういえば、シーク、日本語おできになるんでしたのね?」
「いやいや、日本語のペラペラの君にそんなこと言われたら、、年寄りに恥をかかすものじゃないよ、ハハハハ。」
「あら、シークの日本語はどうだった? 上手だった?」
サビーンに聞かれ、ハナはニッコリと笑って頷いた。一瞬、アショカツールの目が細められ、ハナを値踏みするように上から下まで視線を動かした。
「素晴らしいユーゼンだね?」
「あら、お着物も詳しいんですのね? たしか、、昔日本に住んでらしたことあるんでしたわよね?」
「いや、本当に昔の昔のそのまた昔の話だよ。それよりも、ちょっと着物をおがませていただこうか?」
アショカ ツールは胸ポケットにいれておいたメガネを取り出して着物をじっと見つめる。よほど興味を引いたのか、節くれた指が、直に着物を触っていた。やがて帯から下へ、シルクの気持ちの良い肌ざわりを楽しむように手が少しずつおりていく。その度にハナの体が何度もバランスを崩した。挙句、ハナの着物のすそをめくろうとしていた。サビーンがあわてて声をかけた。
「シーク、、それは、」
「ああ、すまない。高価な着物は裏地も素晴らしいと聞いたことがあったんだがね、、、」
アショカは悪びれた様子もなく、すぐにメガネをはずし、ハナにニッコリと笑った。
「すまなかったね、カワイイオジョウサン、ステキデスヨ。」
最後は日本語で言うと、彼もその場を去っていく。ハナがささっと手を動かした。
<あの人は?シークって呼ばれてた。>
「アショカ ツールね、小さな部族、ダンマー族の長なのよ。知ってるよね、王国には結構な数、シークと呼ばれてる人がいるって。」
<うん。>
「もちろん、とてつもない大きな勢力部族の長を束ねているシークは、ましてやあの若さで、ってことで、そんなシークは王国探してもモーセしかいないわ。」
ハナは黙って聞いていた。
「何か嫌なこと言われた?」
<あのおじさんに?>
「ふふふ、おじさんねえ?まあ、確かにおじさんよね?」
サビーンは先ほどの人のよさそうな小柄なアショカツールを思い出す。とはいえ、この国では一応シークであり、多くの人間から尊敬と畏敬の念を持たれているのだ。
<わたしね、最初、あの人、、日本人かと思った。>
「え?なんで?ハナ? シークがそんなに日本語うまかったとは思えなかったけど、、、」
サビーンの疑問に、ぶんぶんと勢いよくハナは頭を振った。
<違うの、日本語はへたくそだったけど、何ていうか、雰囲気、、首がなくて、こうおなかが突き出てて、ちっちゃいし、日本のオジサンたちによく見かける。>
あまりの言われように、サビーンは笑いながらアショカに同情を覚える。
「ふふふ、言うわね、ハナ。」
<へへへ>
「そうか、そう言われてみるとそうかもね?」
するとハナは考え込んだ顔をした。
「どうしたの?ハナ?」
サビーンが心配そうに顔を覗き込んできて、あわててハナは話題を変えた。
<あのお嬢さんたち、、綺麗だったけど、、、モーセのこと好きなのかな?>
ハナは思ったことを手に込めた。サビーンは、どうしようかと一瞬迷ったが、きっぱりと真実を話す。
「ああ、ちょっと前に、縁談、モーセとのね。」
<え?ど、、どっちと?>
動揺するハナに、サビーンは優しく笑った。
「大丈夫。断ったから。でも敵もさることながら、モーセのタイプを考慮して、『動・静』と真逆のタイプの二人の娘たちをモーセの花嫁候補として差し出すとはねえ。」
ハナは、あの可憐な大人しそうな下の娘を思い出していた。従順で、貞淑で、良妻賢母になりそうだと、シークの妻になら、うってつけではないだろうか。不安はそのままハナの顔に表れていたらしい。
「だから大丈夫だって!モーセがちゃんと断ったのよ。タイプじゃなかったのよ。」
意味ありげにサビーンに見つめられ、ハナは何故か頬が赤くなった。
「少なくとも、あのアマルだけは、ない、ない、世界がさかさまになってもモーセが選ぶわけがないもの!」
自信満々に手をバタバタと振って否定するサビーンに、ハナは、下のユリカでも?そう聞きそうになって、ゴクリとツバを飲み込んだ。
「誰が選ぶわけないとは、何の話だ?」
ハナたちの後ろ手に、低く太い声がする。ハナの胸が勝手にトクリとなった。必死に手でうなじを押さえた。うなじはハナの自慢の髪の毛でしっかりと隠されていると言うのに、あの声は全てを逆立て、ゾクリとハナのうなじを刺激するようだ。
「うわおっ!」
続いて驚きのような賛辞の声が続く。
「おおー ジャパニーズキモノ、グレート! ビューティフル!」
おちゃらけているトーンを醸し出す陽気なアメリカ訛りの英語を話しハナをベタ褒めする男は、、
「あ」
<あ>
ハナとサビーンの声が同時にあがった。白いディシュダーシャを着ている男は、先ほどモーセ自ら迎い入れられた客のようで、その顔の全貌を隠すようにつけられたヘッドドレスから見える顔に、サビーンは呆れた声を出した。
「王子さま、お髭が取れてますわよ?」
あわてて、口ひげを手でおさえた。勿論、髭は正しくついたまま。いわゆる彼なりの変装らしく、ナイーフ王子はつけ髭を口にたくわえ、黒いフチのメガネをかけて、お忍びでやってきたようだ。
「しっ!今夜は、僕の名前はシャルルだから。アメリカのビジネスマンだからね。お二人とも気をつけて!」
端整な顔だちは、メガネで隠そうとしても隠しきれないようで、ハナたちに向かってウィンクすれば、たまらなくチャーミングだ。
「きみ、日本人だって?モーセから聞いたよ。ああ、実に興味深い。僕はね、東洋にかぶれてるオカシナ外国人なんだよ。」
そんな風に自分を面白く可笑しく紹介する王子に、ハナはプッと吹き出した。だが同時に、王子さまという現実離れした人を身近に感じていた。最初に出会ったときもそうだが、彼には不思議な魅力があった。身分や国や、そんなものを越えて、人を人として見てくれる、とても懐の深い王子なのだとハナは実感していた。
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