シークの涙

50.

【モーセ シャリマール モイーニ、ついに結婚か?】
【最後の大物シークも年貢の納め時?!】

大きな見出しで、翌日は、紙面という紙面を飾ったのはモーセ モイーニだ。結婚というワードがトップを飾る。だが、どのメディアも、必ずクエッションマークをつけて、断定的な言葉を避けている。もちろん、大衆はそれで十分だ。モーセといえば、トリパティ部族の長であり、ここでは、ペルーシア王国民がそれを知らないものはない。また、世界的にも、投資家であり、このニュースはたちまち海を越えて、各国へと飛び火していった。

【モーセ シャリマール モイーニ 独占インタビュー!】

【お相手は ハナ コスギ嬢であり、フィアンセかという記者の質問に、シーク・モイーニは、否定も肯定もしなかった。モーセ シャリマール モイーニといえば、我が国の大切な人材の一人で、そのはっきりとした決断や、歯に衣を着せない物言いは有名だ。だが、今回の記者の直撃質問に対して、彼は珍しく無言を貫いた真の理由は、事実の公表のときが近いことを告げているのではないか。】

唯一、モーセとの独占インタビューに成功したプレスワールドの部数が驚異的に伸びている。今朝発売した雑誌は、どのキオスクも本屋もすぐに売り切れ状態で、文化部の部長もしいては、プレスワールド社取締役社長も、立派な口ひげを指先で押さえながら笑いが止まらない。

「おい、オマール、お前やったな!文化部長が呼んでるぞ!」

ご機嫌な声は、副文化部長であり、まさかオマールがここまでの特ダネをスクープするとは考えもしなかった。オマールのご学友のサビーンの談話がとれれば上出来と思っていた副部長の口元は閉まることを知らない。

「すごいぞ!やると思ったよ!お前は!独占インタビューなんて、ありえん、実にありえん!何という嬉しい誤算よ!アッラー!」

ハレルヤといわんばかりの副部長を尻目に、オマールはブスリと苦虫をつぶす。



『報道部に戻れる。それでよかろう?』



あの自信に満ちたモーセの声が耳を駆け抜けた。確かにオマールにとって古巣に戻れることは喜ばしい限りだが、あのふてぶてしいモーセの態度といい、毒舌家のサビーンといい、オマールは絶対にモイーニ一族にはもう二度とかかわりたくないと思っている。



「な、なんと、、、あの娘は、コスギとすみれの忘れ形見だというのか?」

プレスワールドの紙面を見ながら、男の手はワナワナと震えていた。

(確かに、、昨夜見たとき、、あの漆黒の瞳に、背筋がゾクリとしたわい。あれはすみれの血筋かもしれん。幼き顔なのに、あの着物を着た姿は実にそそられた。)

プレスワールドの紙面は、唯一ハナの経歴が記されていたのだ。

【ハナ コスギ嬢 21歳。父上は、我が王国の宝、ジョセフ リドリー財務大臣の長期にわたっての主治医。消化器系内科医師を経て、心療内科の権威となるも、不慮の事故で死亡。モーセ S モイーニ氏の従姉妹であるドクター サビーン エリアス モイーニの紹介で、現在ハナ嬢はモイーニ邸にて花嫁修業。】

(ああ、昨夜香ったあの匂いは、やはりすみれのものだったのか。ソソラレタ。あのまま、あの娘を犯してしまいそうになったわい。フフフッ)

朝からの淫らな想像に、年老いた彼自身が、少しだけ元気になっているようだ。

「泣き顔を見ながら、わたしに男を感じさせてやろうか、、わたしのものでいっぱいに満たして、かき混ぜて、抵抗しても泣いて騒いでも、わたしを覚えこませてやったら、、ははは、あの尊大なモーセはいったいどんな顔をするかいな? ハッハハハハ これは楽しいわ。あの娘を抱けば、いくつもの甘いオマケがついてくる!」

誰もいない部屋で一人言葉が漏れてしまった。考えるだけでも小気味良くなった男は、部下をすぐに呼んだ。金だけをフンダンに使った成金趣味のゴテゴテとした部屋に、部下二名、すぐに入ってきた。居心地の悪そうな、やたら品の悪い金色が目立つ部屋で、男たちは、うやうやしく頭を下げた。

「用意はどうだ?」
「は、仰せのままに。」
「ホテルのものは口が堅いだろうな?」
「はい、お望みならば事後、その息の根を止めてもよろしいかと。」

「うむ。まあ、何事も目立たぬように、穏便にな。」

ほくそ笑む男の顔には、好色がギトギトと顔中に広がっていく。今は、すみれの忘れ形見のハナのことで頭はいっぱいだった。



*****

居間には珍しくモーセ一人がゆったりと座りながら、香り高いペルーシアコーヒーを飲んでいる。王国特産豆で焙煎されたコーヒーは確かに味わい深いものの、なれないとローストがきつく濃厚だ。普段モーセも、普通のブレンドコーヒーを好むが、何かあるときは、必ずこれと決めている。


『夫人、今朝は、ペルーシア豆の香りを欲するところだ。』

今朝一番でモーセに告げられ、タマール夫人は身が引き締まる思いがした。何かが始まる、長年の経験と実績は、かなりの確率でこれから起ることを予感させる。タマール夫人は、不安な気持ちを打ち消すように、笑顔を浮かべた。

『はい、シーク。かしこまりました。』

勿論、朝食はハナと一緒で別段いつもと変わらない朝の風景だった。その後ハナは自室に引っ込んだ。これから、サビーンのところでセッションがあるとかで、外出の用意をしているのだろう。故に、モーセは、今一人で、ゆったりとリビングでコーヒーを飲んでいるわけだ。普段なら、モーセは朝食が終わればすぐに書斎に引っ込み、ひとしきり雑務を終えてからの出勤となるのだが、今朝は、ずっとリビングを陣取っている。何となく奇妙な風景だが、誰も何も言わない。家の者たちも、タマール夫人ほどではないとしても、何かが起るかもしれないという漠然とした気持ちを抱えているのかもしれない。

「シーク。」

朝から、ピシっと髪の毛一つ乱れてないラビが、リビングに入ってきた。

「おはようございます。」

挨拶もソコソコにモーセの傍によって耳打ちをした。

「やはり、リドリーの様子があわただしいようです。」
「絶対に目を離すな!」

モーセはゆっくりと低い声で命を下す。

「ハナさんは?」
「サビーンの大学病院でセッションだ。」
「それでは警護をつけましょう。」
「まあ、リドリーの身辺、及びシタールを重点的にマークをすることが最優先だ。」
「わかりました。では、警護は運転手のサファールと、ボディーガード一名でよろしいですね?」
「ああ。ベテラン勢は、みな、リドリー側に当たらせろ。」
「はい。」

もしリビングに他の誰かがいて、この二人の会話を一部始終見ていたら、きっと奇妙な光景に見えたかもしれない。しゃべりながら、モーセもラビも天井のシャンデリアに視線をこらしている。
軽やかな足音が聞こえてきた。ふかふかの長い足の絨毯をふわりと歩きながら、変な顔をしながらハナがやってきた。真っ先に気がついたラビが笑顔で迎えた。

「おはようございます。ハナさんこれからセッションですか?」

ハナは頷きながら、持っていたスケッチブックにサラサラと素早く疑問を書いていく。部屋には、紙の擦れる音と、マジックのキュッキュッと言う音だけが響く。

【何故、ここにいるの?書斎は?】

つまり、いつもはこんなところでのんびりしているモーセではないのだ。モーセが多忙だということはハナは承知している。1秒でもおしいと思う男がこんなところゆったりとコーヒーを飲んでいるなんて、信じがたいことだった。

「ああ、そうだ、これからわたしはすぐ社に向かう。」

モーセは、あたかもハナの問いかけに返すように話しかけたが、ハナの疑問の答えにはまったくなっていなかった。ハナは小首を少しかしげ、じっとモーセを見つめた。モーセは、まるで心配するなというように、ゆっくりとそして微かに首を横に振ったように見えたが、何も言わなかった。だが、突然、ハナは引き寄せられた。モーセのささやきがハナを襲う。ハナの体がピクリとなった。

「何があっても俺を信じろ。」

本当に囁く声で言われた。ハナは何かを感じ取ったのか、漆黒の瞳が深く闇へと染まっていった。



*****
「準備の方は?」
「大丈夫です。」

モーセとラビは今、車の中にいた。ラビは、タブレットを操作しながら、マップらしき画面をにらめっこしていた。画面に映った赤い点滅が前に進んでいる。

「予定通りのようです、シーク。」
「うむ。」

モーセの眉間は、ハナを送り出してから、ずっと険しく、不機嫌さを隠そうともしない。

「わたしどもは、ハナさんの車を追いますか?」
「いや、部屋に行け。そこで待っていた方がよい。」
「わかりました。」

ラビは運転手に行先を告げた。運転手は心得たもので、そのまま無言でスピードをあげた。

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