シークの涙

52.

ハナの小さな胸が露わになったそこだけが冷たく感じる。先ほど衣服のトップもブラも切られてしまい、寒さと恐怖のためにプクンと胸の突起が尖っていた。

必死に考える。ハナは、必死に頭を回転させる。




『俺を信じろ。』


モーセの声が胸に蘇ってきた。モーセはきっといる。ハナは確信している。ならば、、、

ハナの胸をもてあそぶ男に、ハナは必死になって訴えた。体をねじり、足や手をバタバタ動かし、指で書く真似をした。ハナのあまりのしつこい動きに、観念したのか、アショカ・ツールは、おもむろにハナの体から離れた。ハナの胸の重さが軽くなった。あわててハナは胸元をかきあわせ、自分の小さな胸を隠した。

「なんだ?何か言いたいのか?やめてくれと言っても無駄だぞ?わたしは、もうお前を抱くと決めたのだからな?フフン。」

ハナは笑顔を作った。コクンと首を縦に振る。まるで、抱かれるのが嬉しいとばかりの態度だ。それを見てアショカが、おや?という顔をする。

「ほおお?そんな子供のような体で、もしや、もう処女ではないのか?時代は変わったのだろうな?すみれと違って、また随分貞操観念が低くなったものだ。まあよい、経験していたとしても、わたしの味を教え込ませるのも、また一興というもの。フフフン」

ハナはもう一度、書く真似をした。

「フン!」

アショカ ツールは鼻を鳴らし、近くにあったサイドテーブルから、紙と鉛筆を渡してやった。シワシワの節だらけの手が、この男の年齢を語っているようだ。

/サラサラサラ/
ハナはとにかく速く簡潔に言いたいことを書いていく。


【抱くなら抱いてもいいけれど、その前に教えてほしい。】
「何をだ?」

【両親のこと。あなたは何故死んだか知ってるはず。それを聞かないと、思いっきりあなたと楽しむ事はできない。】

老人の口がニヤリと笑った。目の前にいるあどけない娘が無邪気な好奇心にあふれ、疑問を投げかける。おそらく真実を知れば、怒り、泣き叫び、そして悲嘆にくれるかもしれない。

( 今は笑っているこの娘も、わたしのやったことを知れば、抱かれることを拒むであろう。あのすみれのように、、だが、ここでなら、もう逃げ場は、ありゃせん。泣いて、抵抗されて、嫌がるハナを、すみれの分までとことんグチャグチャにしてしまえる、、おおおお、、、)

考えているうちに、興奮が己をもたげ始める。アショカの息が荒くなった。

「わかったわい。そんなに知りたいのならば、教えてやろう。」

ハナはゴクリと生唾を飲んだ。

「わたしがダンマー族のシークになったのは、35の年だった。わたしの親父も穏健派で、部族は小さいながらも上手く行っており、わたしがシークになってもそれは変わらず、今もうまいことやっておる。親父の後を継ぎ、他部族といがみ合うことなく部族を統括し、、野望など持たなければ、なんとかの?みなとうまくいくものだ。 ただ大事なことは、この国の有力者を怒らせんことだ。特にリドリーには上手く取り入り、つかず離れずという距離を保つ、これが、世間からわたしが穏健派のシークという謂れだ。」

アショカ・ツールは、もうハナの逃げ場がないと踏んだらしく、すっかり洗いざらいを話すことを決心したようだ。ハナがおびえ震えながら横たわっている体の傍に横座りになりながら、懐かしそうな顔をしている。

「いずれシークになるということは、昔からずっと子供のときから周りに言われていたから、覚悟もしておった。あの男、モーセもそうであろう。我々は、、、代々、己の種にのその地位を明け渡す。そして、シークとなれば、そうそう好き勝手なこともできなくなる。まあ、世間知らずのシークもいることにはいる。だが、そういう輩の部族は、結局より大きな部族に取り込まれて、、ジ エンド、そうなってしまうのがオチじゃわい。だから、わたしの代でダンマー族を終わりにすることはできないのだ。」

語り始めたアショカは、少しばかり疲れた顔をした。彼にとってシークという責務は、時として荷が重いのだろう。モーセだってきっと重責に苦しむことだってあるけれど、彼は決してそのことを顔に出したりしない。だからこそ、ハナの胸が切なく痛むこともある。

「わたしは若いころから、日本に憧れていた。」
<、、え?、、>

初めてハナの顔に自然な驚きが生まれた。

「まだ子供の頃、手に取った日本の純文学にわたしが求めていた男と女の機微がそこに凝縮されて、、何度も何度も本を読み返したものだ。それが、やがて、本気の憧れに変わり、親父に無理を言って、シークになる数年前、1年間だけ、日本に留学したのだ。」

この男が留学していた頃など、おそらく、かなり昔の話であろう。もしかしたら、その頃はもっと日本語がうまかったのかもしれない。だが、何十年も月日を経た今、彼の日本語はかなり錆びついている。

【だから日本語がお上手ですね?】

それでもハナは相手の気分を害さないように、アショカを褒めた。

「フフフフ、まあ、かなり忘れておるがの?だが、、フフン、お前の中で、わたしに突かれて、よがって達くときの言葉くらいは、わかるつもりだぞ?まあ、お前は、声もでないがの?フフン。」

薄くしなびた唇がいやらしくニヤリとなった。ハナは現実に引き戻されたようにブルリと震えた。

「すみれとはその時会った。彼女は、まだ初々しい女学生で、17,8といったところだったか、、、真っ黒なつややかな髪の毛を風になびかせながら、いつもわたしに笑いかけてくれたものだ。」

【近所に住んでたのですか?】

「おお、そうだ。すみれはわたしが住んでいたマンションの近所の娘だった。日本語もあまりできない外国人のわたしに、いつも親切でにこやかで、、、言われてみれば、お前は、その頃のすみれに似ておるのお。まあ、すみれの方が、もっと大人っぽくって女っぽかったが、、、」

ハナは、アショカから穴があくほどじっと見つめられ、思わず顔を背けた。アショカ・ツールの目は正気ではなかった。彼の瞳に映っているハナは、ハナではなく、おそらくハナを通してすみれを見ているのだろう。

「ああ、すみれ、すみれ、」

/ざわり、、/

ハナの頬に、アショカは自分の頬を摺り寄せた。シワシワのたるんだ肌の感触に、ハナは嫌悪感で身震いがした。

(モーセ、、、)

ハナは目を瞑り、美しい男の顔を思い出した。

「それから、、一年後、、わたしは王国に帰らねばならず、すみれとの思い出はこの胸に秘めて、、、シークになるための準備として、、、政略結婚をして、、、やがて、数年後わたしはシークを継いだ。だから、すみれとはもう二度と再び会うことはなかったというのに、、、」

アショカの声が震えていた。

「その頃リドリーが病に倒れ、医者を探していた。世界中のすみからすみまで優秀な医師を探し求めていた。リドリーの病ははじめは秘密だったが、そのうち公然の秘密となり、わたしも耳にするようなった。だから、事実を確かめなければと思い、わたしは病院に行った。」




『おお、ジョセフ、、心配したのだ。』

病院とは到底思えない豪華なホテルの一室のような一人部屋にポツンと置いてあるベッドに、ひっそりとジョセフ リドリーは横たわっていた。アショカ・ツールの目の前にいるリドリーは痩せ細り、顔も土色だった。あんなにも精力的で、人には不快感さえも抱かせるあのふてぶてしさも、今ではすっかりこそげ落ち、見る影もなかった。

『ああ、友よ。わたしはもうダメかもしれん、、』
『な、なんと、、、』

/トントン/

リドリーの口から信じられない弱気な言葉が漏れ、愕然とするアショカの後ろで、ドアが開いた。

『ミスターリドリー、ご気分はいかがですか?』

白衣を着た数名の医師たちが入ってきて、リドリーの様子を詳細に調べている。背がひょろりと高く肌の白い医師たちはどうやらアメリカやヨーローッパからやってきた医師たちで、紳士的に、とても慇懃にリドリーの顔色を窺うような話し方をする。ただひとりだけ、医師団の中に、アジア系の人間が混じっていた。

『先ほど、検査の結果で、もうしばらくは体力を増強してからの手術が好ましいというのが我々の見解です。わたしが責任を持って手術までの間、しっかり準備治療計画を立てますから、あなたもしっかり頑張ってください。』

このアジア人は、流暢なアメリカ英語を話すが、とても単刀直入な言い方で、患者が誰であろうと態度を変えない強い意志が感じられた。年の頃は、30代前半、いや、見た目が若く見えるだけで、リドリーに実績を買われているわけだから、もしかするともう少し年をとっているかもしれない、アショカはその医師をそっと観察していた。

その時のアショカは、リドリーにはもう先がないという結論に落ち着いた。ならば、これからはモイーニ家ともう少し距離を縮めた方がいいかもしれないと考えていた。当時のトリパティ部族のシークは、モーセの祖父、ハベルであり、ハベルとジョセフ リドリーの2派が王国有力勢力であった。特に、両巨頭の敵対意識は信じられないくらい強く、反目し合っていた。アショカはその間で、どちら側とも距離を等しく、時にはあちらへ、時にはこちらへと、日和見的な立場を貫き通していた。だが、もし、ジョセフの命が限られたものだとわかれば、ハベル モイーニ側へ恩を売っとくのも悪くはない。それ以来、アショカは、見舞いと称して、リドリーの様子をうかがいに病院へ顔をだし、その様子を何気にハベル モイーニに漏らすようにした。

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