シークの涙

53.

アショカが病院へ顔を出すようになってわかったことは、西洋人医師の中で、ひときわ目立つ東洋の若き医師が、実は、この医師団の要であることがわかった。コスギと呼ばれている医師が、まるでオーケストラの指揮者のように、いったん指示を与えると、そのプロジェクトチームが見事に動き出していく。みんなソロを奏でる実力者であっても、指揮者がいなければまとまることができない。その役を、コスギが見事にやってのける。生存率30%という確率も、このチームによって奇跡の旋律へと見事に奏でられ、リドリーは生死の境から見事に戻ってきた。勿論、手術後、再発というリスクは多いにあったが、それもコスギがリドリーの主治医になれば、問題ないように思われた。このリドリーの死からの生還は、ハベル モイーニに大きな打撃を与えたようだ。勿論、アショカにとっても思わぬ誤算だった。そして、この奇跡の手術は、リドリーの敵側の怒りを買うには十分で、コスギたち医師団の命が狙わる可能性を懸念し、早々にチームが王国から撤退することとなった。医師団はすでに解散し、王国から次々と出発していった。

主治医であるコスギは、プエジェクトチームとして最後の一人となっていたがその彼もいよいよ王国を発つ時がきた。丁度アショカがリドリーの見舞いに訪れた時、コスギが別れの挨拶にリドリーの病室を訪問しているところに出くわせた。アショカが、病室のドアをノックしようと思った時、いつもと違う雰囲気に、ノックする手をとめた。中から、心地よい声の女の声が流暢な英語で話しているのが聞こえたからだ。病室の外で警護している人間が怪訝な顔でアショカを見つめた。アショカはあわててドアを叩いた。

『入れ。』

すぐに中から返事があり、アショカがドアを開ければ、真っ先に飛び込んできた、美しい女に、アショカは声も出なかった。

『す、、すみれ、、』

かろうじて名前を飲み込んだアショカの声はどうやら、部屋の中にいる人々には聞こえなかったようだ。

(なぜ、、すみれが、ここに、、)

リドリーのベッドの脇にたつコスギの隣で、にこやかな笑顔を振りまいている女は、アショカの記憶よりもすっかり大人びて益々女の香りをさせていた。艶のある黒髪を腰に垂らして、形のよい唇をあげてほほえみを絶やさない。

リドリーがアショカに気がついて声をかけた。

『おお、アショカ、、さあ、もっとこちらへ。』

ベッドの上で顔色の艶もあるジョセフ リドリーがアショカを招き寄せた。完全に死の影がリドリーからは消えていた。

『コスギ、この男はわたしの同志であり、よきライバルでもある、シーク・アショカ・ツールだ。そして、アショカ、こちらは、わたしの命の恩人であるコスギ先生だよ。』

この日初めて正式にアショカはコスギを紹介され、二人は儀礼的に握手をした。コスギは、今日は白衣を着ていないせいか、ますます若々しく見えた。

『そして、こちらが、コスギの最愛の細君、すみれさんだ。』

すみれの黒い瞳がアショカに向けられた。アショカの胸がドキリとなって、がらにもなく顔が赤くなった。だが、、、すみれは笑顔のまま手を差し伸べたが、別段驚いている風もない。

(まさか、、すみれ、、わたしがわからぬのか? すみれ、、、)

アショカの悲痛の叫びがさらに確定に変わった。

『初めまして、シーク。ジョセフのお友達なら、わたしたちのお友達でもありますわね?』

すみれの人生に、アショカ・ツールという男は完全に消されていた。いや、もしかしたら最初から存在していなかったのかもしれない。

すみれは握手しようと手を差しだしていたが、一向にアショカが握る気配がなく、小首をかしげた。その拍子に、彼女の髪がサラサラと流れた。そのさまがあまりに美しくアショカは息をのんだ。

『ああ、申し訳ございません。シーク。宗教上、、女から手を差し伸べることなど、無礼なことでありましょうか、、勉強不足で申し訳ありません。』

ペルーシア王国の熱心な回教徒は、握手という習慣はない。ましてや、女から男に手を出して挨拶することなどあってはならない。だが、ここ、都心、ナイヤリ・シティでは、かなり西洋文化が浸透していたし、ましてや、相手が外国人であるならなおさらで、異文化の習慣もすんなり受け入れられることが多いのだ。

『いえ、いえ、、申し訳ありません。こちらこそ無礼でした。』

アショカはあわてて、手を差しだし、ほっそりとしたすみれの手をぎゅっと握った。その瞬間、不謹慎にも彼の下半身がずんと重く落ち着きをなくしていく。あわててアショカは咳払いをした。

『コ、コホン!お美しい。実に羨ましい限りですな?コスギ先生。』

人のよさそうな笑顔を浮かべ、アショカはその場を取り繕った。コスギはその横で困ったような照れ笑いを浮かべ、すみれも嬉しそうに微笑んだ。

アショカの胸に痛みが走った。すみれはアショカを覚えていない。それはアショカのプライドをいたく傷つけ、その場で自分がすみれを知っているという昔話に発展することの歯止めとなった。アショカはぐっと歯を食いしばり、その場を和やかに過ごすように努めた。だが、どうしてもすみれを視線が追いかけてしまう。

(この女がほしい。わたしのことを思い出させてやりたい。わたしの前に膝まづかせてやりたい。)

そんな気持ちの種が、アショカの胸に撒かれた瞬間かもしれなかった。



【覚えてなかったから、母を、、コロシタ?】

ハナはアショカの告白に、震える指先で文字を綴った。

「ふん!わたしだってアホではないわい。確かに、わたしを忘れたすみれは憎い。だが、相手は、遠い日本へ帰って行く身だ。もう今度こそ会うこともないと思ったわい!まあ確かに、すみれはますます実にいい女になっていたがな、、フフフ」

色に溺れているアショカの瞳はもう狂喜の色にあふれている。ハナはぎゅっと瞼を閉じて、恐怖を体からか追い出そうと全身に力を入れた。

「さあ、話はもういいだろう?そろそろ、お前の蕾をわたしの手で開かせてやろう。ふふふん」

再びハナの側に、アショカはジワリジワリと近づいてくる。ハナは必死に逃げた。逃げるといってもベッドの上だ、せいぜい壁際に体を寄せるのが精一杯。アショカはハナの細い手首をむんずと掴んだ。

(いたっ)

ハナの顔に激痛が走る。

「ほうれ、わたしのものもこんなに大きくなっている。話よりももっともっと楽しいことが、、、」

アショカの節ばったシワシワの手がハナの手を、老いた男の下半身へと導いていく。ハナは何度も嫌々をして、力いっぱい手を抜こうとするが、年寄りとはいってもハナの敵う相手ではなかった。突然、ハナの手に硬いものがあたった。

<ひっ、、>
「ほほおお、、やはり初めてかの?これは楽しみ。ホーホホホ」

ハナの初心な反応に、アショカの顔がこれ以上なく嬉しそうに、くしゃりとなった。ハナは握らされたものを思いっきり、それがつぶれるくらい力いっぱい握りしめた。

「い、いたっ、な、何をするっ!!」

/バチン/

股間を押さえながらもアショカはハナの頬を強く打った。ハナの頬が火が出るくらい熱く痛んだ。彼女の細い肢体が飛ぶようにベッドの壁にどんと当たった。アショカの人のよさそうな顔はもうどこにもない。彼の顔は鬼と化している。ハナは頬を押さえながら、ベッドから逃げ出した。入口までは遠く、ならばとデスクの元へと近寄った。引き出しをガチャガチャと開けていく。一番上の引出に、ペーパーナイフを見つけた。迷わずそれを手に取り、自分の喉元にあてた。冷たい感触が肌にひんやりとあたった。けれど彼女は、追ってくるアショカにそれを見せつけながら、傍に来れば命を絶つ覚悟があるという鬼気迫った顔を向けた。

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