吠える男、北村良太


「悪かったな、今夜は、急に誘っちまって。」
「いいさ、ここんとこ忙しかったしなあ、お前と久しぶりに飲むのって、前に倉沢たちと飲んで以来か?」

いきなりゆり子の名前が出てきて、涼の目が泳ぐ。

「まあ、飲んでくれよ、き・た・む・ら・く・ん。
今日は俺がおごらさせてもらいますから。」

きちんと仁義をきってゆり子のことを話すため、涼はいつもの居酒屋に北村を誘った。

「な、なんだよ、気持ちわりいいなあ?まっ、そうだよな?ここんとこお前んとこ売り上げ伸びてるっていうしなあ?この間の管理本部との定例会もウホウホだったらしいじゃないかよ?」
「んなことねえよ。ただ、今回はマイナス材料が見つかんなかったってだけで。」
「いやあ、あの会議の結果を聞きつけた坂口常務なんて笑いが止まらなかったって言うぜ?」

北村は尚も仕事の話を続けようとするので、涼はあわてて話題を変えた。

「そんなの噂だよ。つうか、お前、噂っていやあ、お前の夜の伝説の話がマコトしやかに女子社員の中で噂になっててすごいことになってるらしいじゃん?」
「そうなんだよ。この間なんかよ? あの今年入社の一番人気、海江田三樹に、
今度、北村課長、飲みに連れてってくださいねえ、って、まいった、まいった。ガハハハハ」

満更でもない様子で、北村は顔をシワクチャにさせて笑った。丁度ゴールデンがくしゃみをしたときのような表情で、何とも愛嬌がある。

「そうなると、お前、あれだ、谷とかに礼しとかないとな?」
「そうか?」
「そうだよ、アイツの機転のお陰で、お前のお粗末な夜の話がてんこ盛り盛りになって、今じゃ、北村良太絶倫伝説が出来上がってるんだぜ?」
「そうだな。じゃあ、今度またみんなと飲もうな?谷と倉沢呼んでさ。」

「そうだな、、」

涼は、ここで切り出すべきタイミングあたりかと、息を吸った。

「その倉沢なんだけどさ、、」

何となく照れくさくなって、意味もなく涼は髪をかき上げた。するとどうだろうか。あの、北村が、あの鈍感で天然の北村が、急に声をひそめて涼に言う。

「わかってるって。言うな。もう何も言うな。」
「えっ?」
「お前この間言ってただろ?倉沢にマジ頑張ってみるって。」
「あ、ああ、うん。」

以前、チラリと涼が言ったことを北村はちゃんと覚えていた。

「じゃ、お前本当に倉沢のこともう大丈夫なんだな?あとで、やっぱ好きだったわあ、なんて勘弁だからな?」

念を押すように涼が言えば、北村は真剣な目をして頷いた。

「あれは、一時の気の迷いだったって、わかったし。大丈夫、誓って言うが、俺、倉沢のことは何とも思ってないから。安心しろよ。」

北村が迷いのない声音で言ってのけた。それを聞いて涼は心から安堵した。

「そうか、よかった。俺、気になってたんだ。」

『少しだけだけどな』と涼は心の中でつぶやく。

「やっぱ親友のお前が好きな女とバッティングって洒落になんないから。」
「うん。でも倉沢ガード固いだろ?俺にはきっと無理だったな。」
「そうか?」
「おお。俺は身の程を知ってるし、今度こそ、目を大きく開いて、ちゃんと女を選ぶさ。海江田三樹あたりがいいかもなああ。」

結局北村は何もわかっていないのだ。涼からすれば、前の上田和美も海江田三樹も同じ匂いを放つ同類なのだが、北村ときたら、また同じ過ちを犯すつもりだろうか。涼は少しだけ心配になった。

「お前が好きなら俺は何も言わないが、、、あの女と寝るのだけはやめとけ。今度は、お前、社外の女とつきあえば?」
「ま、俺も、そこは考えてるさ。」

『本当かよ?』と涼は密かに突っ込みたくなったのだが、いきなり北村の逆襲にあう。

「俺のことなんかより、お前自分のことしっかりしろ。」
「えっ?」
「倉沢だよ。お前、マジに付き合うんだろう。」
「あ、ああ。」
「今度は、もうチャランポランな態度はやめろよな?」
「お、おお。」
「だいたいお前は女と見れば昔からミサカイないし、モテルのを嵩にきやがって、来るものは拒まず、去るものは追わず、ああいうのは実にいかん!散漫すぎるぞ!」
「ああ、もうしないよ。」

何となく段々旗色が悪くなっていくのを感じる涼。

「倉沢はあれだぞ、アレなんだからな? だから、今まで付き合ってきた海千山千の女とはワケが違うんだからな。何ていったってアレなんだからな。大切にしてつきあえよ。」

北村が連呼する『アレ』とは、おそらく、倉沢ゆり子=バージン、という公式だろう。少しばかり訂正しなくてはならないのだが、まあいいか、と涼はただ黙って頷いた。

「俺はあれからな、女心を少しでもわかりたいと思ってな?」

そう言って、カバンからゴソゴソと文庫本を出し始めた。カバーがかかっているので、何の本かは涼にはわからない。

/ガサッガサ/

北村は、カバーを少しずらし、チラリと表紙を見せた。

<<アラサー処女>>

『ゲッ』思わず涼はビールをふくところだった。

「な、なんだよ、それ?」

「これはだな、世の中に隠れて存在しているという女性に自信をつけさせだな、上手に付き合うというノウハウだ。」

何となく男からの上目線の話だと涼は思い、もう少しだけカバーをずらす。当たりだ。本の著者は男性で、話は男性目線で綴られているらしい。

「この本ではな、」

『えへん』と言わんばかりの北村の講義は続く。

「ああいう女性のコンプレックスを優しく包むようにだな?」
「ほおお?」
「つまり、彼女の心に入り込み、信頼を勝ち取る、」
「それで?」
「それから、言うんだ。ここが大事だぞ。いいか涼、お前も倉沢とつきあうなら心して聞け。」
「はいはい。」

「こう言うんだ。”僕は結婚しないのに、そういうことをする女は信用出来ない。だから、キミのように結婚するまで大切に取っておきたい、というその気持ちを僕は尊重する。いや、とてもステキだと思う。”」
「は?」
「倉沢だって同じだ。お前にこうまで言われたら、あら、設楽さんもやっぱり女は綺麗な体のほうがいいのね、なんてことに。」
「お前、その耳年増的発想、何とかなんねえの?そんなんじゃ、一生、モテねえぞ?」
「なんだよ、涼?!」

北村は少しばかりむっとしたようだ。

「いいか?北村。倉沢はそんなバカな女じゃねえんだよ。」
「知ってるさ。倉沢が頭がいいのは。」

北村のトンチンカンな受け答えに、涼はため息をついて、もう一度しっかりと北村を見た。

「よく聞けよ。俺は倉沢が好きだ。いや、ゾッコンだ。倉沢ゆり子が他の男と、、なんて考えただけで腹ワタが煮えくり返る。まじだ。勿論、俺の中では、アイツと結婚、ってえのも視野に入れてる。」
「まじか?」
「ああ。もう倉沢がいないと俺、、やばいくらい、、なんだ、、」

涼は珍しく自信のなさそうな声を出した。北村は驚いた顔をした。だが、それもしかたのないことか。何といっても倉沢ゆり子は『アラサー処女』なわけで、あの本も言っていたではないか。だんだんヒトサマに見せれる体ではなくなっていくから、本人も恥ずかしくて人前で裸を見せられないと。だから、結婚という確約さえあれば安心出来るのだと。北村の頭には本で得た知識が広がっていく。

「だったら、結婚しちまえ。今すぐ結婚しちまえ。そして、倉沢と、その、なんだ、彼女が安心出来るように、抱いてやれ。アラサーなんて、すぐあれよあれよとアラフォーになっちまうし、彼女だって不安だろうさ。いいか?たとえ20代の弾力ある肌と違うとしても、それはそれだ、なあ?涼。」

何ともひどい言われようだが、まあ、女心がわからない北村良太だ。この男が女心を理解する日が果たして来るのかという不安が過(よ)ぎる。

「抱くときは、優しくだぞ。暗い中でな?相手がコンプレックスを感じないようにだ。」

涼は、これ以上北村のお節介に我慢できず、ぶすっとしながらつぶやいた。

「俺はこういうことを言うのは本意ではないがな、
実際男と女のミツゴトを友人にペラペラ言ったりするのは、俺のポリシーに反するが、」

涼しげな目がスッとなった。涼の真剣な眼差しに、北村は少しあせっているように見えた。

「俺は結婚するまでオアズケなんていうのは出来ねえからな。」
「だけど、お前倉沢の気持ちも考えてやれ。」
「いいか?耳の穴かっぽじてきけよ、耳年増君!倉沢は、すげえいい女なんだ。そんなヘボアラサー処女とはワケが違う。つうか、いいか、そいつの本は今すぐ捨てろ!そんな似非講釈本、捨てちまえ!」
「何だよ。それ?」
「倉沢はめちゃくちゃいい女なんだよ。俺が今まで抱いた中でも最高の女だ!」

涼の瞳がキラリと光った。言っている傍から、下半身が反応しそうだ。そう、そのくらい、涼はゆり子に溺れているのだ。

「えっ?」

北村は驚いた声を出した。小さなチョコンとした瞳が大きくなって、キョトンとしている。

「お前、今、、なんて? もう、、寝た、、のか?」
「知らねえよっ。」

「えっ?涼、お前、手出しちゃったのか?えええ?ええ?」
「俺は何も言ってないぜ?」

「え、えええええ、えええええ???!!!」

哀れゴールデンレトリバーの夜は更けていく。思い起こせば、学生の頃から、オンナゴコロは、雑誌やら本やらで知識を漁っていたのだ。

『彼女があなたに求めるデートはコレだ!』
『本当はこうしてもらいたいと思っている女の気持ち』

とか、

『女の好きなベッドテク ベスト10』

とか、とか、とか、、


まさに、バサバサバサと、今までの北村良太が培ってきた上っ面だけの知識が崩れ落ちた瞬間だった。


「り、りよおおおおおおおおっ!!!」 (ワオオオオオオオンっ!!!)



おわり
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