わんこの騒動
2.
「ちょっと、設楽さん、どうしてくれます?」
昼休み、バッタリと美和子と会って、珍しく二人でランチへと繰り出した。彼女は肉食女子代表らしく、油の乗ったロースとんかつをサクっと口に入れた。今日は月曜日なのだが、昨夜遅くまでゆり子に無理をしいたのがいけなかった。今朝ゆり子は微熱を出したのだ。このくらいなら大丈夫ですから、というゆり子をなだめすかし会社を休ませた。
「そんなに体力ありあまってます?モンモンとした中坊じゃないんですからねっ?」
おっしゃるとおりの言い草に、涼はぐうの音も出ないのだが、美和子にやりこめられてばかりじゃ何となく面白くない。
「あのね、俺もうすぐ35だし、親父だし、そんなガツガツしてるわけないでしょう?」
実際ガツガツしているのだからしょうがないのだが、、
「どうだか?ユリタは自己管理が徹底しているんです。彼女は働くプロなんですから。」
「まあ、無理させちまったかもなあ、」、
確かにと、そこは素直につぶやいた。
「ところで、北村さんの、、マジ、ついていくんですか?」
美和子はキャベツととんかつ一切れを箸でつまみ、大口をあけて豪快に食べる。何とも見ていて気持ちがいい。
「ああ、だって親友のたっての頼みだし、、だけど、まじ変な女だったらやばいでしょ?」
「自分のハエも追えないのに、人どころじゃないでしょうに?」
「え?」
「ユリタの心労考えたことありますか?」
「な、なに?」
最近の涼は、”倉沢ゆり子”、このワードに弱い。心臓がドキリとする。誰かの会話にこのワードがヒットしようものならば、耳をピンと張って黒猫警戒警報発令状態で、人の会話に耳をたてる。
「会社で、知ってるの牧川君だけでしょ?ユリタとのこと。」
「あ?まあ、そうかもな。」
「ほとんどが、ユリタの存在知らないから、だから余計女たちの間で評判何ですよ。最近設楽さん、やたら品行方正だって。」
前は外の女と遊んだり、ゆり子と付き合う前は六本木の麗華と肌を合わせるつきあいだったから、仕事はきっちりこなすが、人と上手い具合の距離を保ちながら、あとは社内の人間と深くつきあう義理もなかったわけで。けれど今は違う。ゆり子は会社の人間で、四六時中会いたければ、必然会社にいる時間も長くなる。なんせ、ゆり子のSCM部署は年中営業から厄介ごとを頼まれ、定時で帰ることなど滅多にない。反対に、涼は課長だし、牧川を始め優秀な部下に恵まれ、ここのところ営業成績も安定している。お陰で、それほど遅くまで残らなくてもいいわけなのだが、ゆり子が会社にいる以上、少しばかり居残っていたって許されるというものだろう。幸い、課長は残業代など出ないわけで、涼が勝手に残っていたからと言って会社に迷惑をかけるわけでもないのだから。そんな最近の涼の生活態度から、どうやら女子社員では涼がフリーだという噂がマコトしやかに流れているという。
「お陰で、浮き足立った女子社員から、どうでもいいような夢物語を聞かされて、、、」
「倉沢が、、その、、嫉妬とか、、そういう噂にヤキモキされて不安、、とか?」
下らない噂に振り回されるゆり子ではないとしても、もしかしたらゆり子を不安にさせてしまっているのかもしれない。ズキン、わけもなく涼の胸が痛む。
「いいえ。ユリタの気持ちは大丈夫なんですけど、、、ただ、彼女、、罪悪感を持ってるようで、、、」
『何だか、、あんなキラキラした目でうっとりされると、本当に設楽さんのこと好きなんだなあ、って切なくなるわ。』
ゆり子がため息まじりにもらした。
数週間前、秘書課の娘たちと飲みにいったとき、涼の話題で盛り上がっていたらしい。SCMの部下達は、=みんな聡い子ばかりで=、設楽涼を狙っているスタッフはいないらしいのだが、秘書課からすれば、営業など会社のホープ、エリートというイメージがある上、あまり仕事でも接点がないため、涼のかっこよさは、そのまま彼女達の憧れへと膨らんで発展していっているのだ。
『一時的にも、今、わたしがつきあってるのに、、、それなのに、、彼女たちが設楽さんとデートしたいとかつきあいたいとか、、そういうの平気な顔して聞いてるの、、何だか、わたしすごく悪い女みたいで、自己嫌悪になっちゃう。』
極めつけに、はあっと大きなため息をついた。美和子は話を聞きながら、ゆり子にワインを注いでやる。涼とつきあってるからといって、彼に憧れている女子社員を見下したり優越感に浸ったり、ゆり子はそんな女ではない。心底、涼に片思いをしている子たちに申し訳ない気持ちでいっぱいなのだ。それが美和子にはヒシヒシと伝わってくる。
『じゃ、ユリタ、公表しちゃえば? リークしようか?』
『、、、、いい、それ面倒くさいもの。』
『別れたとき?』
『それもあるけど、仕事上、やっぱり、影響でそう。他の人からすれば、”つきあってる二人” っていう観念で見られちゃうわけだし、、面倒くさい、、今は、静かに淡々と波風たてずに仕事をしたいわ。』
ゆり子の言っていることは美和子もよくわかった。互いに30を超え、曲がりなりにもフロアーを任されているナンバー1と2で、昔のように誰とでも一線交える体力も精神力もないのだ。何かを言おうとすれば、相手の気持ちを慮り、つい言葉を飲み込む、上に立つ人間の宿命か、それとも年齢がそうさせるのか、とにかく、和を乱したくないのは事実。仕事を支障なく片付けて、部下たちの支えになることが今ゆり子と美和子の重要課題。
「何だよ?それ? アイツ、俺より仕事をとんのかよ?」
一時期色々な女と浮名を流してきた男としてはあるまじき台詞。まあ、涼も本気で言っているわけではなかったが、それでも少しばかり腹が立つ。若い娘たちがやんやと騒ぎ立てているというのに、少しでも妬いてくれるとかしてくれれば可愛いものを、それどころか何故、彼女達に罪悪感まで持つ必要があるのだ。
「ふふ、情け深い女を好きになっちゃったからねえ?設楽さん?その上は、ユリタ、彼女たちに悪いから、『別れましょう』とか? あとは罪の意識に苛まれて、、『別れましょう』なんていう展開になっちゃたりして?」
「な、な、なんで、結局別れ話に発展すんだよっ?!」
長い指先を口にあて、しばらく箸を取るのも忘れる涼。
「あははは、面白い。設楽さん、ユリタのこととなると見境なくなるんだもの。」
「おまえなあ、」
ありそうすぎる話なのだ。ゆり子ならそんなことも言いかねないではないか。
「だったら、設楽さんが勝手に公表しちゃえば?」
涼は美和子の言葉を噛みしめる。前から社内には是非とも公言したかったのだが、ゆり子が首を縦にふらなかった。そうなれば、つきあってることを大っぴらにする、というよりも、もっと手っ取り早く世間を黙らせる方法がある。それが『結婚』と言うシステム。世間がぐうの音もでない印籠という手段で、これさえあれば誰に後ろ指されることもない。そんなことをふと思う。案外、これは妙案なのかもしれない。北村に影響されたわけではないが、涼は、結婚が一番穏便な解決手段だと思い至る。切れ長の目を細め、なにやら考えている涼の姿は憂いを帯びていて、とんかつを口に入れるその所作もなんだか色っぽい。
「やだ、設楽さん、わたしに色目使わないで下さいよ。」
美和子に揶揄されたが、その言葉はトンカツ屋に来ていた女性客全員の心の叫びでもあった。
*****
「え、、えっと、、舞ちゃん、これが、お、俺、いや、ぼ、僕の同士の、、、」
北村はどうやら、舞ちゃんを前にかなり舞い上がっているようだ。仕方なく涼は自ら自己紹介をする。
「こんにちは、北村の同期で、設楽涼と申します。実は、今日偶然ここで人と待ち合わせしていて、、、だったら、北村君の大切な方に一目お会いしたいなあ、って僕から頼み込んで来てしまいました。ごめんなさい。」
涼は、目の前にいるまだ幼さがぬけきれない女に、優しく瞳を細めて謝った。無理やり勝手について来ました感を演出して、一応北村の顔をたててやる、これは完全なる貸しだぞ、と隣に座っている北村の足をついでに蹴っておく。舞ちゃんは、ツルツルのお肌が少しピンクに染まり、グロスでギドギドになっている唇をポカンと開けていた。
「あの、、僕、1時間くらいしたら行きますから、安心してください。二人のデートの邪魔しませんからね。」
涼の外面外交でやんわり牽制も忘れない。明らかに舞ちゃんの顔に失望が浮かんだ。北村が気がついたかはわからないが、涼はしっかりと見逃さなかった。舞ちゃんは、笠原舞花(かさはらまいか)という名前だということが判明した。合コンとかのいつものノリなら、きっと涼は、『舞ちゃん』と、そのまま、北村が呼ぶ感じで呼んでいたかもしれないが、今日はケジメをつける。
「それで、笠原さんお仕事は何をしていらっしゃるのですか?」
家事手伝いというのは知っていたが、果たして美和子が言っていたようなタイプの女なのかどうかを見極めるために、涼は、あえてこの質問をしてみる。
「えっと、、、あの、、あたしはああ、、、ママが、、あ、おかあさんがお嫁さんになるためのお勉強もお、大切だとおっしゃったのでええ、なのでえ、、」
だめだ、、語尾が延びている、、挙句に ”あたし” ではない、”わたし” だ。一応人前でママという言葉がさすがに恥ずかしかったのか言いかえる常識はあったようだが、そこは、母というべきだ。涼は、まるで面接官のように、次々とダメダシを心の中でしていく。北村は、といえば、舞花が話すたびに、すっかりハナの下がのびているではないか。おそらく、このおっとりしたしゃべり方が彼にとってのツボなのかもしれない。
「あのおおお、えっと、設楽さん?」
「はい?」
「マイカのことはああ、名前で呼んでもらえるとおお、嬉しいんですけどおお、、」
舞花はついに北村がいることを忘れているようだ。涼にばかり話を振ってくる。美和子が言っていた恐るべき事態になりそうな予感に、涼は脱出口を見つけようと必死に模索する。
「いや、やめておくよ。笠原さんは、北村のお見合い相手だしね。僕は単なるオマケだから。」
柔らかい口調だが、一応釘を刺しておく。ところが、箱入りというものは恐ろしいのか、大人の言い回しが通じないようだ。
「ええええええ、そんなのいいですよおおお、ねえ、北村さん?」
北村は完全に骨ヌキになっており、主人に命じられたわんこの如く、言われたまま忠実にコクコクと頭を縦に振っている。
「こんどおお、設楽さん、どっかに連れてってくださいよおおお。北村さんはお仕事でお忙しそうだからああ。」
「いや、そんなことないよ!舞ちゃん、どこ行きたいの?」
北村がすぐに否定した。ナイス突っ込みと言いたいところだが、実は北村も恐るべし男。舞花の含みの意味を全く理解していないらしく、彼女が単に仕事の忙しい北村を煩わせては悪いので、だから友人の設楽に頼んでいる、そんな思考回路のようだ。涼は、テーブルにひじをついて思わず額に手を置いた。頭が痛い、頭痛がする、舞花も北村も、すごすぎるのだ。こうなってくると凡人の涼ではどうしようもない。
「うわああああ、設楽さんの指細くてながああああい、綺麗っ。」
舞花のきゃぴっとした声が聞こえたかと思うと、あろうことか、前に座っているテーブルに何気に置いた涼の手に触れてきた。
「、、、」
涼の眉間にシワが寄る。隣を見れば、これにはさすがの北村も苦笑いをしているようだ。もう舞花の人となりを見るまでもない。北村とお似合いか、お似合いでないか、そんなことを見極めるまでもなかった。北村に対して失礼だという気持ちすらも持たないガキだ。涼の手の上においてまだ触っている舞花の手を、ゆっくりと払いのけた。
「え?」
「悪いね、俺は知らない人から触られたりするのきらいなんだ。とても不快なんだよ。俺を触っていいのは、いや、俺がさわってほしいのは、俺の大切なひとだけだから。」
さっきまでの口調とはウラハラに涼の声が冷たく言い放つ。舞花はぽかんと口を開けている。だが、次第に眉が下がり始め、マスカラたっぷりつけたツケ睫毛がバサバサとしばたいている。泣くかもな、一瞬そんな思いが過ぎったが、知ったことではない、涼は立ち上がった。
「悪いな、北村、じゃ、俺もう行くわ。あと、お前もう一度考え直せ。以上。」
場の空気を悪くした償いとして、テーブルの透明筒に入っている勘定をスッと抜き取り、後も見ずにスタスタと会計に向かう。まったく北村の見る目のなさにも腹がたってしかたがなかった。胸がムカムカしていても、思い出す顔は、愛しい女の顔。ゆり子にむしょうに会いたくなった。ホテルのカフェを出てすぐ、スマホを取り出す。倉沢ゆり子、フルネームの文字が画面に現れ、迷うことなく画面を押した。
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