わんこの騒動

4.

その週は、涼にとっては最悪、最低の1週間だった。案の定、何度もゆり子と職場で顔をあわせた。だがゆり子の態度は見事だった。プロフェッショナルとはこういう女を言うのだろう、涼は唸り声をあげそうになった。

『設楽さん、来年からタラウマラオイルの発注が倍になるにあたって、一度メキシコとテレカンを行いたいんですけど?』

思った通りの、ゆり子の淡々とした口調、、、いくらじっと見つめても、彼女の真意は、今の涼には読み取れなかった。

最悪な週に、最低で不快なことが重なった。例の北村の見合い相手が会社までやってきたのだ。しかも、北村が不在だからといって、あろうことか涼が呼び出された。舞花の魂胆はミエミエだった。北村が不在なのを知っていてわざわざ会社を訪ねたのだ。初めから涼が目当てに違いない。

『あのおお、北村さんのことで相談にのってもらいたくてええ、、』

そんなことを言われて涼が断れるわけがない。こんなコムスメにと、苦々しい思いで、1階にあるカフェに連れて行った。

「で?」

涼の不機嫌な調子にもおカマいなく、おそるべし笠原舞花。

「あたしいいい、すごおおおく設楽さんに興味があってええ、、」
「だから?」

社の人間ならば、こんなブリザードの口調の涼に震え上がることだろうが、舞花のペースは変わらない。

「だってえええ、マイカ、設楽さんみたいな大人の男性初めてでええ、、マイカすごおおくテンションあがっちゃってええ、夜も寝れなくてええ、、、マイカ恋しちゃったのかもおお?」
「俺には関係ないけど?」
「あるんですうううう。だってえええ、マイカの運命の相手って設楽さんかもしれないじゃないですかあ?」

涼は完全に不機嫌を隠さない。だがKYの女は無敵だった。涼の眉がピリリと上がり、その場の空気にピキっとヒビが入った音すらしたというのに。

「俺、関係ないから。俺、好きな女いるから。」
「で、でも、、、その人、マイカよりうううううんんと年とってる人なんでしょう?素直じゃないって、北村さんが、、、、とても強い女だって。」

北村をぶっ殺す!初めて涼に北村良太への殺意がわく。なんだってまた、こんなバカ女にゆり子のことを話したのか、はらわたが煮えくり返った。

「あのね、」

涼は長い指先で額をおさえ、子供相手に己が爆発しないように怒りを静める。

「俺の女はね、大人の女、すっげえええいい女。俺にはモッタイナイくらい、、、」

言った傍からゆり子の顔が思い出され、涼の胸が切なくなった。

「ということで、笠原さんの運命の相手は俺じゃないから。論理的に考えれば簡単なことだから。」

少しばかり大人気なかったが、言いたいことをぶちまけて胸をスッとさせる。舞花の眉がどどどっと下がったのを視界に映し、涼は勘定書きを手に、カフェ出口へとゆっくりと歩き出した。



*****
そのあと、北村に怒涛の如く文句をたらたらたらと言われた。舞花がものすごく怒って、何故だか北村の番号を着信拒否にしただの、会いに行っても無視されただの、、、涼からすれば、ザマーミロだし、もうひとつ言えば、北村のためにも、これでよかったのだと思えるのだ。だが、ゆり子とケンカしたまま、会いたくもない舞花に迫られ、挙句、北村に八つ当たりのような苦情をチマチマと陳述され、、、本当に最悪最低週間だ。その上、不眠も手伝って、涼の顔色もさえない。現に、牧川から塩を贈られるが如く、心配されるアリサマ。

『設楽さん、大丈夫っすか?倉沢さんと何かあったんすか?』
『るせええよ。関係ねえよ。』

可愛いトイプーにまで八つ当たりをする、余裕のなくなった男の成れの果て。こういうときは、やはり、美和子に頼るしかないのだ。肉を武器に、美和子をとある高級ステーキ屋に誘った。それが、最悪最低週間の終わりを告げる金曜日。


「倉沢から、聞いた?」
「はい?」
「何か言ってた?あいつ?」

美和子がこれみよがしに大きくため息をついた。

「前にも言いましたよね?ユリタは何も言わないから、見ててあげなきゃだめなんですって。」
「うん。」
「見てればわかります。」
「それで?」
「多分、ユリタ、設楽さんに愛想つかしてるかと、、」
「え?」

涼が情けない声をあげた。食欲がないにもかかわらず、何とか無理やり押し込んだ肉の欠片が胃を押し上げてきて、キリリと胃が痛む。いつものポーカーフェースなどどこへやら、涼の顔はマジに驚愕している様子だ。

「フフフ。安心しました。」

美和子の不敵な笑いに、涼がむっとしたようで眉間にシワを寄せた。

「というか、設楽さん、わたし今週ずっと横浜工場に行ってて、さっき帰り際にチョロリとユリタと話したくらいで、、、」
「な、、なんだよ。」

本来ならばオチョクラレタわけだから、ここは怒ってもいいところなのだが、それよりも何よりも、ゆり子に見捨てたられたわけではない事実のほうが、涼にとっては全てだった。

「何かね、そういえばユリタ珍しく仕事でポカしたって、落ち込んでましたよ?」
「え?」
「こんなところでわたしと油売ってていいんですか?あっ、でも、牧川君がたまたま居合わせて、ユリタを慰めてましたから、、きっと今頃は、、、フフ」

本当に美和子は意地悪なのだ。いや、イジ悪さから言えば、涼とかなり互角。下手すればゆり子側にいる分、美和子のほうが涼より一枚上手かもしれない。

「お前、本当、マジ、性格わりい。」
「あら?設楽さんに言われたくないんですけど?フフフ。」

美和子は笑いながら、豪快に赤ワインをぐいっと飲む。

「どうしたんですか? 何かあったんでしょう?」

谷美和子という女は、実にきれる。相手の空気や、ほんの些細な仕草、言動、、そんなものを絶対に見逃さない。相談する相手としては、かなり頼れる人間だ。涼は、プライドもかなぐり捨てて、美和子に一切合切話をした。


「なんで、結婚、って話になるんですか?」

美和子の呆れたような声があがる。思わず涼は顔をしかめた。なんでと言われたって、ゆり子を独占したかったから、ゆり子を自分だけのものにしたかったから、なんて恥ずかしくて言えるわけがない。

「大方、変な嫉妬とかですか?」

だが美和子には何もかもお見通しのようで、涼の顔が少し赤らんだ。思わず口元を隠した。

「そんなに心配ですか?ユリタのこと。」
「あ?」
「ユリタの気持ちがわからない、、とか?」

まさに図星だ。

「俺さ、、恋愛経験値が低いだろ?谷の説によれば、な?」
「そうねえ、女性との大人の付き合いは満点でも、ヒトを好きになる事って今までなかったみたいですもんねえ?設楽さん、、そういう意味では、北村さんとどっこいどっこいですものね?」
「アイツとは一緒にすんなよっ!」

あわてて否定したものの、結局、ゆり子を好きすぎてどうしてよいかわからず、先に進めず右往左往している時点で、涼も北村もどっこいどっこいというものだ。

「あのね、設楽さん? 初めての男だし、会うたびに肌をあわせてるし、ねえ、わたしって設楽さんの何?セフレなのかしら?ってそんなこと思ってると思います?」

美和子は、体をくねられせながら一人で落語ならぬ美和子劇場を繰り広げていく。

「その上、あらやだ、指輪、、ロマンチック、嬉しい! なんていう思考回路、いまどき、ないですからね?そんなこと思うの、せいぜい北村的回路くらいですから。」

北村もひどい言われようだ。まあ、あたっているだけに、涼も否定は出来ない。

「ユリタも恋愛偏差値低いんですから、設楽さん。そこのところわかってます?」
「ああ?」
「結婚なんて口にしたこともない男から、いきなり、ポンって指輪渡されて、結婚しようなんて、、そんな展開、ユリタじゃなくても驚くし、ユリタなら設楽さんが責任でもとるつもりでそんなことを言ったと思ってるでしょうし、、」
「責任って?」
「だから、30過ぎの女の処女の重さ?」
「んなこと思ってねえよ。俺は!」

断固とした口調で涼は言い放つ。それはそうだ、今となれば、ゆり子の初めての男が涼で、この事実は彼にとってはこの上もなく満ち足りて何とも嬉しいこそばゆさがあるのだから。

「だから、恋愛偏差値が低い女が考えることは、大方、その辺でしょう?何事も急ぎすぎるからこういうことになるんです。」
「俺、別に急いでは、、」

ゆり子との結婚については、今ままでだって、頭をよぎることが何度もあった。

「だけど、今まで口に出した事も、そんな素振りも見せてなかったわけでしょう?」

美和子に攻められる。確かに、、痛いところを突かれた。もしゆり子が誤解して、涼が単に義務感にかられ結婚を申し込んだと思っていたら、、、



『本当にわたしと結婚したいですか?』


『朝起きてからもずっと一緒にいるんですよ?』



あの可愛げのない返答も何となく頷けた。

「で?」

考え込んでしまった涼に、美和子は追い討ちをかける。

「そのまま、キレて、倉沢を置き去りにした。」
「それで?」
「そのまま。」
「会社でも会ったでしょう?何度も。」
「ああ。だけど、アイツ、普通通りで、、、」

はあああ、一段と美和子のため息は大きくなった。

「ユリタが普段通りだとしたら、設楽さんの目は節穴ですね。その美しい瞳は単なるお飾りですかね?」

言葉が胸にぐっと突き刺さった。ゆり子は普通通りのように見えた。普段と変わらない、自然な態度のように思えたのだが、、、

「この先、お二人がどうなるかは自由ですけど、、、これだけは、はっきり言っときますから。なし崩しにズルズルはなしですよ?ユリタのために、別れるのなら、はっきり印籠を渡してくださいね。」
「あいつのために、俺が別れる?」

涼はすぐさま打ち消した。もうこの手を放すつもりはない。涼だけの、唯一の女。

「ありえないね。俺は、ストーカーって言われても、別れないから。」

美和子が驚いたようにワイングラスから顔をあげた。

「へええ。設楽涼の本気、初めて見た。すごい。捨て身の覚悟だ!」

満面に笑顔を向けて美和子は楽しそうに笑った。彼女も友人としてゆり子の不幸は見たくない。ゆり子の気持ちがわかるだけに、今の涼の本気は、美和子自身を安心させる言葉でもあった。

「なら、お手並み拝見ですね?」
「ええ?お前、手貸してよ?」
「ご冗談でしょう?設楽さんの本気、とくと見せてもらいますから。」

最後のワインをぐぐっと飲み干して、美和子はチラリと涼を見る。涼の憂いを帯びた顔が、寂しげに美和子の瞳に映る。こんな顔をゆり子の前ですれば、きっとゆり子はたまらなくなってしまうだろうに。

「たまには、ユリタの前でかっこつけるのやめてみたら、どうですか?」
「え?」
「ユリタの足元に崩れ落ちて、泣いて騒いで、別れないでくれえ、俺が悪かった、ってのはどうでしょう?」

一瞬そんな図を頭に浮かべた涼だが、すぐにそれを消し去る。

「お前、結構面白がってんだろう?ったく、、こっちは真剣なのになあ。チッ。」

とはいっても、美和子に話を聞いてもらって、何となく涼の気持ちが少しだけ軽くなった。
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