わんこの騒動
5.
何となくアンバランスな一組の女性客がカフェのガラス越しに見えた。一人は見るからにお馬鹿そうな、いや外見は可愛らしいのだが、、そして、その真向かいにいる女は、可愛らしい女と比べればかなり年が離れているようだ。そのギャップの組み合わせは、ハタからみても不自然に見えた。おそらくぎこちない雰囲気がただよっているせいなのか。それだけでもどういった関係なのかと興味を惹かれる。キゃピキヤピとした生物を目の当りに、その年上の女は、ただ、呆然と見つめているだけ。彼女の背筋はピンとしており、気持ちいいくらいの姿勢のよさで、その凜とした姿は、通りを行き交う人々の目にも留まるようだ。
「あたし、、すごおおおく興味あったんです。倉沢さんのこと。すごおおおい、年上って感じでええ、、、」
先ほどから同じことを繰り返す。ゆり子の目の前にいる女は、当然、北村が見合いをした例の笠原舞花だ。ゆり子は、一方的にしゃべり続ける舞花をぼんやりと見ている。その可愛らしいプルルンとした湿った唇は、いつ閉じるのだろう。ゆっくりとコーヒーカップを手にとって、ゆり子は喉をうるおした。マシンガンのようにしゃべり続けているのは、舞花だというのに、何故だか見ているだけでも喉が渇く。香りのよい南米の豆のコーヒーを体におさめ、少しだけほっとする。
「それで、わたしに用って何かしら?」
ゆり子がコーヒーを口にしたのにつられ、舞花もカフェラテに手をつけたそのすきに、ゆり子の口がやっと開いた。
「だあかあらあああ、設楽さんにまとわりついている年上の女のヒトをみてみたかったんでええす。」
涼から、『俺の好きな女』とはっきり言われたくせに、舞花の頭の中では、こんな風に涼の言った言葉が変換されているようだ。先ほどからやたらめたらに、”年上” という言葉が舞花の口からもれ出ており、あまりにわかり易い舞花の魂胆に、ゆり子は、呆れを通りこして思わず笑いが漏れてしまう。
「何で笑うんですかあ?」
「ううん、ごめんなさい。とても可愛らしいから。笠原さん。」
ゆり子の言葉を素直に受け取る舞花。この場合は、ちゃんとそのまま変換しているようだ。
「えへ。ありがとうございまああす。」
肩をすくめて見せる舞花は、確かに可愛らしかった。
「わたしのフロアーは、わたしと比べれば若い子たちなんだけれど、それでも笠原さんみたいに若いお嬢さんはいないから、、何を話していいのやら、少しとまどってしまうわ。」
ゆり子は正直に言葉にする。涼とはあの夜以来、プライベートな時間を一切シェアしていない。この先どうなるのかも見通しもたっていないわけで、そんな中、北村から拝み倒された。
『倉沢、頼む、一生恩に着る。』
『わかりました。お会いすればいいだけですね?』
どうやら北村の携番もメルアドも一切、舞花から着信拒否されてしまい、北村としてもホトホト困り果てていた。舞花は同性から見れば、ぶりっ子とか言われてしまいそうなのだが、北村みたいな男にとっては、可愛くて守ってやりたい存在なのだ。結婚は少しばかり気が早かったとしても、もう少しだけ交流を深めていきたい、それが今の北村の切なる願いだ。それなのに、ある日、舞花と連絡が途絶えてしまった。理由を聞きたいのに、連絡する術を持たない。ところが昨夜遅く舞花からメールが入った。
【明日の日曜日、倉沢さんに会いたいなああ。出来れば舞花と二人っきりがいいなあ(ハート)】
会いたい理由を聞けば、涼から、倉沢ゆり子は北村のことで相談するなら適任だと言われたから、、あっ、これは北村さんには内緒、(うふ)などと、北村以外の人間ならば、何をアホなことをと一喝するところだが、相手は、あの北村だ。メールを見た途端、己のことで悩んでいるいじらしい舞花を想像してしまい、顔が思わずほころんだ。その上、ご丁寧に、
【会わせてくれたら、マイカの新しい携番教えますね。(ハートハート)】
となっていて、その夜、遅くにもかかわらず、ゆり子に電話をいれたアホな北村だった。
『涼には絶対に内緒にしてくれ。頼む!』
そこはぬかりなく頼む北村良太、さすがに仕事は出来る男なのだ。
ゆり子は、拝み倒されてしまうと実に弱い。その上、北村のような猪突猛進、純朴青年にも弱いのだ。だから、仕方なく貴重な日曜日の時間を北村のために差し出しているわけである。
「社内で秘密なんですってね?マイカだったら、いやだな。愛されてないもん、そんなの秘密にされて、、、」
ゆり子は、そんなことに考えも及ばなかったという表情を浮かべた。
「設楽さんモテモテだから、若い子たちともっともっと遊びたいのかもおお?設楽さんとなら、マイカも遊ばれたああい!」
「ねえ、笠原さん、、北村さんのことは、どう思っているの?」
お節介だとは思うのだが、結局ゆり子は北村を捨てては置けない。
「キムリン?うんと、、熊さんみたいでほっとするかな?」
キムリンとはいったい誰のことだろう、、この際、そんな疑問は後回しにしてゆり子は少しばかり詰問調になっていく。
「笠原さんが設楽さんのことが好きだとすれば、北村さんとは上手く行かないってことなのかしら?」
「あああ、やああだあああ、倉沢さん、設楽さんをマイカに取られるからってケンセイですかあああ?」
おめでたいマイカの発言はどこまでも続いていく。ゆり子は、それでも目の前にいるオメデタイ娘に愛想をつかすわけでもなく、淡々と話を進めていく。
「うん、、どうだろう?笠原さんに取られる取られないとか、、そういう話は置いといて、北村さんの気持ちを少しだけ考えてあげるのは、どうかな?」
「マイカね、キムリン好きだよ?」
「え?」
「優しいし、、すっごおおおくまっすぐだし、、すれてないし、、、マイカのことをお姫様扱いしてくれるの。」
23,4のコムスメから、すれてないと言われる北村は果たしてどうなのかとは思うが、だが、舞花はそれなりに北村のことは考えているようだ。
「ただ、設楽さんとはちょっとだけ遊んでみたかったの。だって、マイカ、今まであんなかっこいい素敵な大人と付き合ったことないんだもん。」
「じゃあ、何で、北村さんの着信拒否したの?」
舞花の顔が急に赤くなった。
「だって、キムリンかわいいんだもん。マイカのことが好きでたまらないって感じで、、ちょっと意地悪しちゃった。」
まったく悪気のない様子でそんなことを言う。ゆり子は、小学生低学年にでも言うように、優しい口調で話しかけた。
「それって、、北村さんを傷つけちゃったんじゃない?」
「え?」
「だって、笠原さんが言う通りなら、北村さんは笠原さんのことが大好きなんでしょう?大好きなヒトから、理由もなくそんな意地悪されたら、、どうかしら?笠原さんだって、逆の立場だったら、悲しくなるでしょう?」
24歳の女と話している会話ではない。だが、ゆり子は根気よく舞花を説得していく。
「笠原さんが、設楽さんの事が好きなら、わたしとか関係なく、はっきり意思表示をすればいいと思うの。でも、二股はだめだと思う、、わたし間違っているかな?」
「、、、、」
「北村さんのことちゃんとお断りしてから、笠原さんが好きだと思う人のところへ行けばいいと思うわ。」
「好きじゃないもん。」
「え?」
「設楽さんは、憧れの人っというかあああ、なんとなくノリの感じ。でもこの間、会社で会ったとき、超冷たくて怖かった。キムリンとは違う。キムリンはマイカのわがままとかでも何でも許してくれるもん。」
わがままという言葉が舞花の口から出てきて、一応本人に自覚があるだけでもましというものだ。
「優しさって、強力な伝染病だって知っていた?」
唐突なゆり子の問いかけに舞花は首をコクリとかしげた。こんな仕草も実に愛くるしいのだ。北村がメロメロなのも仕方がないわけで、、
「優しくするのは義務じゃないけれど、相手に優しくする気持ちは伝染するって、何かの本で読んだことがあるわ。誰かに優しくするでしょう?優しくされた人は、今度は誰かに優しくしてあげたいと思うの。不思議な力があるのね。」
「それって、笑顔や挨拶の話と同じ?ママが言ってたけど、、、」
おはようって笑いかけられたら、誰だって悪い気はしない。同じように相手に応えたいと思う。優しさはそういったことと同じなのだ。
「そうね。北村さんは本当に優しい人よ。仕事で困っているときは何度も助けてくれるし、男気もあるし、、」
実際仕事で何度も助けたのはゆり子のほうではあるが、北村が優しいことには変わりない。
「だから、笠原さん、伝染しなかった?北村さんが優しくしてくれたら、誰かに優しくしたいって思わなかった?もし、何とも思わなかったら、、それは笠原さんがすでに免疫があるってことだから、北村さんの真心は胸に届かないかもね?」
ゆり子は珍しくはっきりと口にした。仕事では理詰めでいく彼女だが、プライベートでの部下には、一定の距離を置くスタンス。だが、今、舞花を前にしてしまうと、少しだけ彼女の母性本能がくすぐられた。
「マイカね、、胸が、、ここがキュンとするの。キムリンが一生懸命汗をかいて走って待ち合わせ場所に来るの、、何だか、ここが痛いの。」
北村はゴールデンさながらに、わっせわっせと舞花めがけてシッポをバタバタさせながら会いに行っているのか。何とも微笑ましい光景だ。ゆり子の切れ長の瞳が優しく細められた。
「そうか、、伝染してるのかもね?北村さんの優しい気持ちが、、、」
舞花は神妙な顔で胸を押さえ、俯いた。何だか、異星人のような舞花だが、どうやら北村の切なる気持ちは、彼女の心に届きつつあるようだ。勿論、この先も、この宇宙人に振り回されることが多々ありそうだが、まあ、忠犬北村わんこなら、どんな障害も元気よく飛んで乗り越えていってしまうかもしれない。
「倉沢さんって年の功だけあってええええ、やっぱり、すごいいいい。マイカ超感動!」
年の功とは何ともはやだが、言葉を知らない舞花にとってそれは褒め言葉なのだ。舞花の思惑からすれば、冷たくされた設楽涼に仕返しでもすべく、彼の恋人らしき倉沢ゆり子にイヤミのひとつやふたつ言い放って溜飲を下げたかったのだろう。だが、結局、結果的には、北村のことで相談してしまっている形となってしまった。初めは興味本位で、ゆり子を値踏みし、年上だと見下していたものの、話して見れば、何とも頼りになる先輩だ。今は舞花の中でゆり子の評価がまったく違うものとなっている。
「マイカ、応援するね。ユリちゃんのこと!」
憎めないとはこういうことか。はっきりとわかり易い舞花は、ある意味、気持ちのよいくらいで、計算高いところがない分、北村にはお似合いのようにも思える。冷め切ったコーヒーを飲みながら、ゆり子は舞花に元気付けられてしまった。
「設楽さんが浮気したら、マイカに言ってね。マイカ、ユリちゃんの味方だから。」
「あ、、ありがとう、、」
とりあえず、ゆり子はそういう他なかった。貴重な日曜日を、北村と舞花のために費やしたものの、ゆり子はゆり子なりに気分転換が出来たような気持ちになった。
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