「今月はちょっと忙しいから、俺、倉沢んとこいけないから。」
いきなり設楽涼は宣言した。ゆり子は、別段驚いた顔もせず、ああ、わかりました、とだけ。涼にしてみればこういうところが少しばかり気に食わないのだが、、まあそれは置いといて。
*****
ある晴れた日曜日。涼の長い人差し指がゆり子の玄関チャイムを鳴らす。
<はい?>
ゆり子の声が聞こえた。
「あ?俺。」
ゆり子のマンションは、マンションの入り口の共同玄関チャイムを鳴らすときだけ、部屋の中のテレビモニターに訪問者が映る。だが、建物の中に入り、各部屋の扉前の玄関チャイムを鳴らす場合は、インターフォンには、相手の声しかわからない。つまり、今、涼は、中の個別玄関チャイムを鳴らしているので、ゆり子側には、『あ、俺』の声だけでしか、設楽涼を識別する材料はない。
/ガチャリ/
どうやらゆり子にはその声だけで十分だったらしく、疑いもなく、ドアが開けられた。
「どうしたんですか?設楽さん、今日も忙しいって、、、あ、、」
「こんにちは。倉沢。」
涼が共同玄関チャイムを鳴らさずいきなり中のチャイムを鳴らせたのは、たまたま住人が共同玄関を出入りしたときに出くわせたのに違いないと思っているようなのだが、、
「俺、今日から、そこの住人だから。」
「え?」
「ほら、3軒隣」
涼は左側を指差した。ゆり子の部屋は一番奥の角部屋で、涼の指差した先は、そこから3つ隣の扉だった。
「うっそ、、、」
小さな声だったが、JKのような声をあげ、ゆり子は固まっている。
「ご近所のよしみで、何か食わせて?倉沢?」
「え?もしかして朝から共同廊下が引越しの準備で騒がしいと思ってましたけど、まさか越してきたのは、、、」
「そう、俺。よろしくね。」
ゆり子は丸くなった目を、すぐに細めた。切れ長の目に睨みをきかせて、涼の魂胆が何かを探ろうとしているようだ。
「結婚してくれないんじゃ、一緒に住めないし、、、同棲だと、色々と人事に提出する書類厄介になってくるし、、だったら、引っ越してくるのも悪くないでしょう?」
綺麗なカーブにそった唇の端をあげ、涼はニヤリと不敵に笑った。
「俺のマンション丁度今月更新きれちゃうし、、、それに、倉沢んち来るたんび、あそこが空き家なの知ってたし?」
ゆり子の肩がガクリと下がった。やはり計算では涼のほうが一枚も二枚も上手。ガクリとたれた彼女の肩はそんなことを物語っているようだ。
「嬉しい?」
「、、、、」
「俺は超嬉しいけど?」
美しい瞳を細め、嬉しそうに笑う涼はこの上もなく魅力的だ。誰もそれに抗う事なんてできない。そんなことすらも涼はちゃんとわかっている。ゆり子もすっかり降参したようで、脱力した笑顔を返した。
「ならば、そのうち、引越し祝いをしましょう。みんなを呼んで盛大にお祝いしましょうね。」
ゆり子はドアを大きく開けて、涼を招きいれた。
「美和子夫妻も呼んで、そうそう、北村さんも呼びましょう。」
「げ、なんで北村呼ぶんだよ?」
「だって、北村さんにこの間泣きつかれちゃって、、、」
『なあ、涼が俺と口聞いてくんないんだよ、、
倉沢ああ、何か知ってる?助けてくれよお。』
ゆり子は、そんな泣き言を言われたのだ。
「ばっかじゃねえの、アイツ、俺が何で怒ってるのかわかんないんだ。まったくう。」
涼は心底呆れたように笑った。涼にしてみれば、笠原舞花のことで、勝手にゆり子を担ぎ出され、ペラペラとゆり子のことをしゃべった北村に反省を促すつもりで、ここのところ、北村のメールやら電話やら、一切無視をしていた。ところが当の本人の北村は、涼が何で怒っているのか、さっぱり皆目見当がつかないらしい。何故なら、ゆり子には件(くだん)のことは口止めしたわけで、よもや、ゆり子と笠原舞花が会ったなどということが涼にばれているなどとは、夢にも思っていないらしい。実に北村らしい。
「わたし、北村さんから口止めされてたのに、設楽さんにしゃべっちゃったから、、北村さんに何だか悪くって、、だから早く仲直りしてもらいたんですもの、、」
まったく相変わらず北村に甘いやつだと涼はため息をついた。
「なあ、北村って、まだ笠原舞花と続いてるわけ?」
「ええ、順調なようですよ?この間も、わたし、誘われて3人で夕飯食べましたし、、」
それは聞き逃せない初耳だ。
「うん、わかった。じゃあさ、その引っ越し祝いのとき、牧川も呼んでよ?」
「え?」
永遠のライバルと呼ぶべき牧川を呼べとは、果たして涼の魂胆は、、ゆり子も少し驚いたようだが、すぐに気を取り直して即座に返事をする。
「あ、はい、、わかりました。さあ、寒いから部屋に入りましょう。」
「おお、おっじゃましまあああす。」
涼は勝手しったるとばかりに玄関に入り、バタンと扉を閉めた。すぐさま、ガチャリとロックの音、すでに気持ちは家主のようで。
笠原舞花は綺麗でかっこいいものに弱い。そう、牧川を呼べば、おそらく笠原舞花の興味はあの可愛いトイプーにむくだろう。
(わりいな、北村、ちょっとばかしの小さな仕返し。だけど心配すんなよ、牧川は、お前よりバカでもなく女見る目あるから、牧川は、きっと笠原舞花には見向きもしないだろう。)
涼は、意地悪く笑う。
ちょっとだけ北村が困るところがみたいのだ。あの大型わんこが困るところは、実に微笑ましくて可愛いのだから。
ああ、北村良太、頑張れ!君の前途にサチあらんことを!
THE ENDvv