処女の落とし方

10.

あれだけ騒がしかった宴も、明日もまだ仕事ということで説得してやっとお開きとなった。ホテルまで送ってもらった涼はメキシコ人達と別れて、牧川と2人になったところで、ホテルのバーに誘った。

「まだ、10時だから、1杯くらい付き合えよ。」

バーには、泊り客なのか、涼達と同じようなビジネスマンたちが、ポツポツといたが、どうやら日本人の姿はない。涼は牧川を引き連れ、薄暗いバーフロアの一番奥の席に陣取り、寝酒にと、スコッチを頼んだ。じゃあ、僕も、と生意気に牧川も同じものを頼む。

「どうだ? 初のメキシコは?」
「いやあ、エネルギッシュです。すごい。僕も元気をたくさんもらえますよ。人もみんな活気があって、谷美和子さんがたくさんいるって感じです。」
「はははははっ!」

美和子と最近飲んだばかりなので、牧川の例えは、ますます言いえて妙だとばかりに、涼は笑った。

「まあ、牧川、初出張メキシコでよく頑張ってるな。まだ2日残ってるが、今のところは、なかなかのもんだよ。」

上司として牧川をねぎらう。牧川は顔満面の笑みを浮かべ、ペコっと頭を下げた。

「ありがとうございます。設楽さんからそんな言葉、マジ、嬉しいっす。」
「明日のテレカン6時からだったよな。」

「さっき倉沢さんに電話したら、エクス&インポート課のエステルも参加してもらうように頼まれました。エステルには今日連絡取れなかったので明日しときます。」

いきなりゆり子の名前が出て落ち着かない。

「倉沢さんって、いい声ですね。 なんか声聞けてほっとしました。」

(何言ってんだよ、こいつ。)

「何言ってんだよ。」

ムシの居所が悪いまま、言葉をそのまま口にだすも、そこは涼である。

「お前、毎日内線で聞いてるだろうよ。」
「そうなんですけど、、、何か、こうして、日本を離れて、はるか遠くにいるとまた感慨深いです。あの人、本当に、頭良くて助かります。」
「何だよ。失礼だろ、大ベテランなんだから。」

意地悪いトーンで思いっきり年の差をしらしめてやる、この男34歳、設楽涼。

「いや、そういうんじゃなくて、、なんか、上になればなるほど、もったいつけて、重箱のスミをつつくみたいに、なんやかやとイチャモンつける人いるじゃないですか? 結局やってくれるくせに出し惜しみ?かよ、みたいな。」

牧川のグラスの氷がカランと音をたてた。

「でもあの人、ダメなときは絶対ダメで、結局こっちが折れて、でもそういうときは僕もちゃんとお客を説得できちゃったりするんですけど、まじ、こっちがもう絶体絶命、的なヤバイ状態のときは、サッとやって助けてくれたりするんです。」

涼は、乾いた黒い鼻をヒクヒクとさせている茶色のトイプードルが瀕死の状態でばったり倒れているところに、ゆり子の白い手が差し伸べられているところを想像する。

(ありうる、、、くそっ)

「お前、彼女は?」

涼はスコッチを少しだけのどに流し込み、ポーカーフェースを装って聞いてみる。

「いない、、です、、」
「あ、そう。」

興味がなさそうに相槌を打つ。

「へええ、」

牧川の、とぼけたような声。

「いや、設楽さんでも一応そういうこと聞いてくれるんですね。」
「ん?」
「何か仕事いがい、他人のこと興味なさそうだし、、、」

確かに、今でもあまり他人のことは興味がない。それは前飲んだときゆり子にも指摘されたし、そのスタンスは変わっていない。ただ何となく、本能か、牧川の動向が気になるのも確かだった。

「何だよ、俺、すごい嫌な奴みたいじゃない。これでも牧川の上司だぜ?」
「いや、自分に自信があるからですよ。設楽さん。だから、人のことが気にならないように見えます。僕、まじ、羨ましいっす。」

かわいらしい顔に、あまり似合うと思えないグラスに入った茶色の液体が、牧川の手の中で揺れて氷がガランと、また音をたてた。

「仕事は僕なりに頑張ってるから、まあ、それでもきっと情けない点もあると思うし、でもそれは、僕なりにまた頑張ればいいことで、、、」

牧川の声が少し元気なさげに聞こえた。

(何か悩んでるのか? こいつ?)

「設楽さん、オンナの人のことで悩んだりしたことってあります?」

(今、まさに、だけど?)

「何だ? 牧川、悩んでんの?」
「僕、高校のときからずっと好きな人いて、、」
「、、、、、」

「毎年告っては振られ、相手にもしてもらえず、また翌年告って、振られ、その繰り返しがずっと続いていたら、結局、おととし、その人結婚しちゃいました。はあああ、何だか、人を好きになる気持ち、僕の人生、一生分使った気がします。」

牧川はがっくしと肩をたれてうなだれた。

(そういや、こいつ、結構テキーラ飲んでたし、極めつけのウイスキーで酔ったか? まさか、泣くなよ? おい、)

「彼女が結婚した相手、何か設楽さんっぽい感じで、女性にもモテそうだし自信もあって、何でも来いって感じで、、、」

と、顔をあげた牧川の瞳がうるんでいる。

(やばい、やばい、お前、絶対その顔、倉沢に見せんなよ!!)
 
誰が見ても、かわいそうな牧川君、がんばってと肩を抱きしめたくなる彼のにじみでる いじらしさ。

やがて牧川はちょっと間をおいて語りだす。

「なんか設楽さんが入社して随分たつのに、未だに伝説があるの知ってます? 僕が入社したときもまことしやかに流れてた、、、」
「ん?」

『伝説?』涼には全く初耳の話。

「設楽さんが入社して、とにかく全ての同期女子を食いまくって、それだけじゃ飽き足らず、翌年もその翌年も食っていたっつう、、、」
「ブッ」

茶色の液体を思わず漫画のように吹き出した。

「す、すまん、」

涼は、あわててテーブルのナプキンでテーブルを拭き、指で口もぬぐう。

「誰だよ、そんな馬鹿な話作り上げてんのっ!」
「僕も全部本当だとは思いません。でも多分そういう伝説ができるってことはまあ、それらしい感じで、ある程度はあったのかな、と、すみません。それで、その伝説のオチがあって、唯一孤高を保ってノーと言えた女性が、、、あのSCMの倉沢さんだって。」

(な、なんだよ、その話、、)

「な、なんだよ?」

そうだ、ゆり子も確か言っていた、涼が噂を気にする人間ならば過去の悪行も多少減っていたにちがいないと、、、 とするとゆり子はこの噂の顛末までも知っていたのだろうか、涼はあのときのゆり子の表情を必死に思いだそうとする。

「でもそのオチが何かその伝説をリアルにしてるつうか、、、」

(バカ言ってんじゃねーよ)

「バカ言ってんじゃねえよ、倉沢にも、失礼だろがっ! そういうデタラメ。」 

だが噂とはさもありなん。涼の心情が先に一人歩きしていたとは、、、それもかなり前から。一度もゆり子を口説いたことがないというのに、いや、やっと、これからというときに、何とも不吉な噂というか伝説というか。

(関係ねーよっ)

「はあ、でも、何か一昨年(おととし)、自分が失恋して、設楽さんみたいな人に、自分の好きだった相手とられちゃったと思ったら、あれです。倉沢さんが僕のこと好きになってくれたら、設楽さんに勝てるんじゃないかって、いや、設楽さんじゃないけど、僕が設楽さんみたいと思っているあの人のダンナに、、、」

涼の本能は鋭い。牧川はあなどれない。キライではなく、むしろかわいいと思っている部下の牧川であったが、なんとなく、牧川といると怪しげな鐘が鳴り響いていたからだ。自分のテリトリーに入られた獣のように、涼の心は今かなりざわつき始めていた。

「お前、言ってること、めちゃくちゃ!何だよ、それ。」
「自分でもわかってるんですけど、、、最初は不純な動機だったんです。けど、実際、倉沢さんと仕事してみると本当にいい女で、何か本気で、、」
「おいおい、お前、いくつだっけ?」

牧川の話の方向性に嫌な予感を覚え、涼はひとまず普通の質問で切り返す。

「もうすぐ25です。」
「若いなあ、えっと、倉沢、俺より3期下だから、、、えっと、今31歳だぜ? 7歳差ってデカくないか?」

わざと現時点での年の差を口にする。

「そうですか? 僕、年上の女性結構好きです。倉沢さんほどは離れてませんでしたが、おととし失恋した相手も、3歳上でしたし、、」、
「じゃあ、あまり同じ年とか年下と、つきあった経験はないんだ?」
「好きになるって意味ではないです。遊びで何回かはえっちしちゃったことはありますけど、、、」

「お前、結構モテるんじゃないの?  この俺がしっかり教育してるわけだし、モテないわけがない、うん、同期とか、、誰だっけ、お前の同期女子?」

牧川は、2,3 涼の知っていそうな名前をあげた。その中には上田和美の名前も入っていた。

「ああ、あの受付の? 結構かわいいって言って狙ってる奴いるんじゃないか?」

だからお前もどうだよ?と言わんばかりに、涼は少し牧川を煽った。

「いやですよ、あんな最低オンナ、死んでもやです。」

牧川は憮然とした表情で言いきった。どうやら上田の外見の可愛さとはウラハラな棘のある内面をすでにお見通しだとばかりの、そんな声音だ。

「アイツ、何度も設楽さん紹介してくれって、俺にしつこく言い寄ってきやがって、、」

珍しく牧川の可愛らしい顔が歪んでいる。何となく涼にはその先が読めた気がした。

「つまり、お前、誘惑されちゃった?」
「ふん、あんなヤツ餌にもなりませんよ。自分がどれだけ自信あるんだっつうの!設楽さんとの繋ぎ役してくれたら、なんて、アホらしくてアイツとそんな関係にもなりたくないですよ!」

つまり、、同じだった。それは北村に近づいた上田和美の目的であり、片や猪突猛進で食っちゃったヤツ、片や、ちゃんと真実を見極めて箸をつけなかったヤツ、、、そう思って涼は指先で額をこすった。

(まったく北村は単純だよなあ、、)

あの大型犬のような愛すべき友を思った。
ポチリ嬉喜
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