処女の落とし方

13.

前回の出張のお陰で、メキシコでの本番監査も大成功に終わった。涼の肩の荷も降り、メキシコから再び戻ってきてからはまた毎日の日々に忙殺されていた。だが、ここにきて多忙さもやっと鳴りを潜め、ならばと思い、牧川を誘って昼飯に出た。

涼のここ1ヶ月は何一つ変わっていなかった。いや仕事面では様々な問題の解決の糸口やら、また新たな契約と、毎日前進後退、そして3歩前進、の成果。だが、ゆり子を手に入れたい、と思った事実には、停滞、停滞、いや下手したら後退の現状。どん底の状況。

「そういや、牧川、この間の出張のときもまたSCMにワイン買ったのか?」
「はい、1回目に買ったワインが評判よくてまた頼まれまして、、」

カレーのスプーンを口に入れながらかわいらしく微笑む牧川。涼は ゆり子と牧川のツーショットを思い浮かべ、姉と弟の図だと、一応胸をなでおろした。

「おまえ、よく、倉沢がワイン好きだって知ってたなあ。」

(まったく、、お手上げ、、だ)

「はあ、僕、結構 美和子さんにかわいがってもらってて、よく飲みに行くんですよ。その時、倉沢さんも一緒のこと多くて。」

(谷のやつ、牧川に目かけてんのか、、あいつっ)

ピクリと眉があがる涼だが、しらっと牧川の先を促す。

「で、ワインがないお店だと、焼酎嫌いらしくてビールとかになっちゃって、だからいつも美和子さんが倉沢さんのためにワインの置いてあるお店に行くんです。倉沢さんってあんまり自分のこと言わないじゃないですか?」

そうかと合点がいった。この間、居酒屋行ったとき、涼たちは焼酎を飲んだ。ゆり子だけはビールだったのだと思い出す。確か北村が『焼酎飲もうよ』と言ったとき、ゆり子は何も言わず、『自分はビールでいいですから』と何事もないように飲み続けた。そういうところなのだ。ゆり子はいつも何も言わない。『えええ? 飲むものないから、ビールでいいんです』とか、『ワインしか飲めないんで』とか 『焼酎嫌いなんです』とか、とか。己のことを決して言わず、いつも文句も言わずにその状況に自然に適応していく女。涼は本当にゆり子の事を何もわかっていなくて愕然とする。

「設楽さんって倉沢さんとあんまり飲まないんですか?」
「ん? 仕事以外ではあんまなかったんだよなあ。」
「なんだ。ちょっと安心した。」

(こいつ手のうち見せすぎなんだよっ)

牧川は安心したように、またカレーを食べ始めた。

涼は水を飲みながら、こいつがオレのライバルになるのかよ、と情けない気持ちにもなる。ライバルがいる とか、人に取られるかもしれない、なんて不安に思いながら女と付き合ったことなど一度もなかった。問題が起こらない程度には誰のものかは考え、向こうが誘うからそれにのる、みたいなノリだったしな、と、再び思い出したくない過去の自分に思いを巡らせた。今度こそ早々に美和子と会う と涼は心に決めた。そんな闘志も1ミクロも顔に出さず、牧川の方に向いて声をかけた。

「仕事っていえば、谷に借りあんだけど、おい、牧川、谷って何が好物なんだ?」



*****

「設楽さん、仕事は速いのに、あたしを誘うのめちゃくちゃ遅くないですか?」
「すまん、、」

今夜は金曜日の夜、意外に涼と美和子の仕事も早くに終わり、アルゼンチン料理屋での談合。牧川情報によれば、美和子さんは死ぬほど肉好きです、ということだった。この店は一度顧客を接待したときに大変気に入った涼のお気に入りの場所のひとつ。本場アルゼンチン産の肉を炭火で焼き上げ、付け合せのジャガイモもほくほくで美味しい。また香草入りオリーブオイルソースが絶品。パンにつけてよし肉につけてよし。美和子も先ほどから上機嫌に気持ちのいいくらい皿を片付ける。

「なあ、谷、オレって動物に例えると何だろうな?」

唐突な問いにも、美和子は聞きかえしもせずに即答する。

「豹でしょう。それも黒豹。音もたてず獲物に忍び寄りパクリって。」

(それじゃ飼えねーじゃないかっ)

涼はひそかに毒づく。

「ペットだと何だろうな?」

「ぺっとぉおおおおおおお?」

美和子の素っ頓狂な声。ひとしきり考え、やがて彼女の出した答えは、

「そうですね、ふてぶてしい、気まぐれで、誰にもなつかない、野良猫。それも黒い猫ですか?」

と言い放つ。

「まっいいか。じゃあさ、ゴールデンレトリバーとトイプードルとその黒猫、どれ飼いたい?」

一瞬ぽかあんとした美和子だったが、やがて思いっきり笑い出す。

「あはははっは、設楽さん意外と面白いですね。」

息もたえだえ、まだ笑っていた。

(笑いたきゃ笑えっ)

涼はぶすっと不機嫌な顔に思わずなる。

「わたしがというより、ユリタがはたして黒猫を選ぶかってことですよね?」

(こいつ本当回転速いな)

さすがの涼も美和子の前ではお手上げである。

「ねっ? 設楽さん、ユリタが何故北村さんはOKで、設楽さんがダメって言ったのわかります?」

わからなかった、、、涼の疑問の一つだ。

「じゃあね、ここで質問します。設楽さんは例えば野獣で、今すごおおおくお腹をすかせています。そこにかわいらしい子羊がいました。さあ、どうしますか?」
「食っちゃうでしょ?」
「でも子羊が泣いて泣いて騒いで、いやだ、いやだと食べないでと懇願しています。」
「だって、腹すかせてるんでしょ? 泣いてなだめて、食っちゃうでしょ? そりゃあ。」

美和子は、やっぱりね という顔をして先を続ける。

「例えば、北村さんだったら、泣いて騒ぐ子羊を慰めて、それから別の獲物を探しに行くと思いますよ。たとえどんなにお腹がすいていたとしても。」

確かに北村ならやりそうなパターンだと涼は思う。

「そこが違うんですよ。」

わかったような、わからないような、禅問答だった。

「ユリタが学生時代に付き合ってたという人の話、ユリタから聞きました?」
「ああ。」

一度もゆり子に手を出さなかった男の話。

「わたし、これはあくまでもわたしの想像ですけど、おそらく、その男 ゲイだったのではないかと思います。」
「そりゃまた、すごいな想像が。」

美和子の突飛な想像に、はて、そうだろうか と涼は思う。

「ユリタは防衛本能が普通の女よりすごい発達してるんです。たぶん高校生のセックス拒否によるトラウマかな?  セックス拒絶した時点できっと同級生からかなり責められてなじられて、ユリタ自身傷ついたと思うんですね。」

確かにありえる話で、その後ゆり子は誰ともつきあわない高校生活を送ったと告白をしていた。

「なので、彼女が選んだ男は、彼女の本能がこの人は大丈夫、安心だからってささやいて、だから彼女から告白したんですよ。女の本能が大丈夫って安全信号をだすのって、100%ゲイの匂いがでていると、わたしは思いますけど?」

涼は無言で考える。

「それって、倉沢は、安心感を求めているってこと?」

美和子は頷いた。

「お前、倉沢の事よくわかってんなあ。倉沢はお前なら、なんでも話すのか?」

美和子の目が大きく見開き、あきれたようにため息をついた。

「あのね、設楽さん、ユリタは観察しててあげなきゃ、だめなんです。いつも見ていてあげないと。自分からは何も言わないんですもの。だから見てるんです。」

そこで間をおいた。

「でもね、見ていると、だんだん、わかってくるんです。色々なことが見えてくるんです。今、ユリタが思っていること、どうしてほしいのか、とか、ユリタが何を望んでるのか、とか。」
「なるほど、、」

まったくその通りなのだろうと涼は思っていた。

「少なくとも、牧川君はユリタのこと、よく見てますからね。トイプードルだって立派な番犬になりますから。」

(こいつ、全部知っていやがる、チッ)

先ほどの動物クイズは全てお見通しの美和子の前で、涼は苦虫をつぶす表情を隠しもしなかった。

「設楽さん、今すごくユリタのことで困ってます? こんなこと、設楽涼の人生で一度もなかったとか?」

涼のワインを飲もうとした手が止まる。まさに図星だ。

「設楽さんも北村さんと同じなんですね。残念ですね、設楽さん。あれだけの女性遍歴あるのにね、、大人の顔をした子供なんて。これって悪い意味ですからね、あくまでも!」
「わかってるよ、、」

ちまたでは、年齢を重ねても少年の心を忘れない男、がある程度の年齢にいきついた女が必ず口にする魅かれる男の要素のひとつ、、しかし涼や北村の場合は年だけいってるくせに大人になりきれていないと美和子は言いたいのだ。

(わかってるさ、、)

「まあ、とにかく、もう一杯ワインをくださいよ。」

明るく美和子が言い、涼は赤ワインのボトルをドクドクとグラスについでやる。美しく落ち着いた赤紫色の液体が落ちていく。注がれた勢いで少しグラスの中でワインが揺れる。波打つ液体を見ていると色が変わったように見えた。先ほどより液面の輪郭が赤みがかかったような、、、 バーガンディルビー

何故かゆり子が思い出された。会いたい気持ちがそうさせるのか、、、

「でもね、これだけは今夜設楽さんには絶対知っておいてもらいますから。」

そう言って美和子は意外に真面目な表情で話し始めた。

「設楽さんって、顔がよくてスタイルも抜群でかっこいい、その上仕事も出来て出世コースまっしぐら。そんな男は女がほうっておきません、社内も社外も、、でもね、そういう人って同性から嫉妬されますよね?」

涼に対する社内の風当たりは強い。それは彼自身が一番感じていた。だが、自信のないものや努力をしないものに何を言われても平気だった。自分はそれなりに仕事では結果をだしているのだからという自負もある。そういうこともあって、涼は噂話というものに全く興味もなかったし、また他人に何を言われようが一切関知しなかった。

「 ”かわいそうな”うちの社内の男性達は、悔しくて嫉妬して地団駄踏んで、だけどやっぱり設楽さんには、かなわない。じゃあ、その矛先がどこに向けられたか知っていますか?」
「なんだよ、それ、、」
「ユリタですよ。」

何となく気の滅入りそうな話の流れに、思わず涼は神経質そうに自分の口びるを指でなぞり始める。

「あの噂知ってます?」 

ポチリ嬉喜
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