処女の落とし方

15.

「そうだ、ユリタ。もし家で飼うんなら、
ゴールデンとトイプーと、あと黒い猫、どれ飼いたい?」

美和子は唐突に話題を変えた。彼女の顔が好奇心でぎらぎらしている。涼はゆり子がどんな答えだろうと、別に関係ねーよ と態度を崩さず、美和子に視線をチラリと向けた。ゆり子は少し小首をかしげ一瞬考えていたが、

「、、猫かな?」

と答える。美和子が『でも黒い猫だよ?いいの?』と再度聞けば、ゆり子は、コクリと頷く。別にだから何だという話なのだが、やはり涼は何故だかにやりとしてしまう。にやけた顔を隠すようにゴクリとまたワインを一口飲んだ。

「だって、まず、ゴールデンは今の部屋では大きくて無理だし。毎日家に帰るの遅いからトイプードルだと、世話ができないでかわいそうだし。そうなるとやっぱり猫でしょ。黒だろうが何色だろうが、現状としては、そうなるかな?」

『で何? 心理テスト?』と美和子の顔を覗き込む。真ん中に座っている涼はゆり子の距離に、また少し動悸の胸を押えた。美和子は笑いながら会話の先をふるように涼を指差した。しかたなく、涼もノリついでにゆり子に説明をする。

「そ、これ心理テストらしくって、、ん、、倉沢の場合は、無難に失敗せず一見安心感を求めているようにみえても、どっかで自分のことを好き勝手にしてもらいたい、危険な香りを追いかけたい、という願望の表れだな。」

自分の都合のいい解釈を作り上げ、涼はゆり子に少しばかり挑戦的に誘いをかけた。美和子の笑い上戸はとまらない。

「なんですか? なんか眉唾みたい、、、あんな短い質問でそんなことまでわかります?」

ゆり子は怪訝な顔で眉根を寄せた。

「でもあたってるかもよ? ユリタ。」

美和子はもう可笑しくてしょうがないという顔をして涼を見ていた。

「美和子は? やった?」

これには答えず、美和子は先ほどの牧川と飲みに行った話に話題を戻した。

「ユリタ、牧川君と付き合ってみたら?」
「な、なに? いきなり?」
「ユリタだって気がついてるでしょ? 仕事のことだけでユリタの傍にいつもいるとは思ってないでしょう?」
「だけど、結局は、いつものあれ、の延長だと思うし、、、」
「そうかな? 確かに始めはそうだったかも、、でも今は違うと思うよ。明らかに久保川や他のやつらとは。」

ゆり子の手がまたグラスをもてあそぶ。グラスの中の赤い液体が少し波立つ。久保川の名前がでてくるところから、ゆり子と美和子はおそらく征服欲の話の続きをしているに違いなかった。牧川も自ら言っていたように最初は不純な動機でゆり子に近づいたものの、今ではすっかりミイラ取りのミイラになっていると、美和子は主張していた。

「わたしはこの辺でラジカルな展開が必要だと思うんだけどなあ。ユリタ。さっきの設楽さんの心理テストでもあったじゃない? ユリタの内面は意外とそれを求めているのかもよ?」

涼は美和子に歯軋りしたい気持ちだ。美和子はこともあろうにゆり子に牧川をたきつけて、涼の反応を面白がっているのだ。涼としてみれば先ほど自分が搾り出した苦肉の心理テストの意味を、ゆり子への軽い誘いのジャブのつもりで攻めてみたものの、いつのまにか、それが、牧川に絶好の攻撃チャンスを与えるキッカケを作ってしまうとは。

「設楽さんはどう思います? 牧川君仕事もきっちりこなしますもんね。上司殿?」

(て、てめええ!!)と美和子に対しグラリと腹が煮えかえる。

「さあ? 俺はプライベートとか全然しらねえし、なんともなあ? で、倉沢は早くも北村よりも牧川に乗り換えるわけ?」

グラスを弄ぶ手がとまる。切れ長の目が涼に向けられる。涼も見つめ返す。だが、ゆり子が先に逃げた。いつものようにひとつ大きく呼吸をする。押し流される激情を抑制している仕草だ。

「北村さんとわたしはまだ何も始まっていませんでしたから、、それに牧川君に何か言われたわけでもないのに、憶測であれこれ言っては彼にも失礼ですし、、」

ゆり子の砦はくずれない。美和子はじっとゆり子を見つめていた。

「ユリタってさ、セックスしたいの? それとも付きあいたいの?」

美和子は 誰と? とも聞かずいきなりの先制パンチを、ゆり子にも涼にも繰り出した。

「えっ?」

今度はゆり子の切れ長の目がまっすぐ美和子を捕らえた。

「それって、同じ流れにあるもんでしょ?
一応、この人となら、みたいな気持ちがあって、するんじゃないの?」
「相手が好きってこと?」
「勿論重い気持ちじゃなくてよ? 例えば、仕事でこの人のこんなとこ嫌だなあって思ってた人とは、、できない、、気がする、、逆に、特別嫌いじゃないし、やっぱり好意的な気持ち、、とかあれば、、、セックスからはいってもとりあえず付き合う流れになる、と思うんだけど、、、」

美和子は、ゆり子の仕草ひとつひとつをじっと見つめている。ゆり子の言いたいことは、好き、とか、愛している とかそういう青臭い気持ちからではなくても、とりあえず、相手に対して好意的な気持ちがあれば、体を繋げることは出来ると言いたいのに違いなかった。ということは、自分が少しでも負の気持ちを持つ相手には逆に無理なのだ、という風にもとれた。涼はそれを聞きながら思わず手を口元におく。神経質な動きで長い指で無意識に口びるをなぞり始めた。

「そうか、そういうところが、わたしと違うんだね。ユリタ。」

思わず己の声かと、涼は驚き美和子を見る。

「えっ?」

勿論ゆり子も視線を向けていた。

「例えば例えばの話よ? 久保川とか、あいつ最低嫌な奴だけど、外見はそれほど悪くない、というか結構ドキリとするときがあるんだよねえ。変態くさい匂いもしそうで、、、だから、万が一、状況がそういう風に流れたら寝ちゃうと思う。でも、だからといって、付き合うとかはなし。バツ、絶対バツ。あっ、勿論、今のわたしは既婚者だから、状況がどうなろうと、一線は越えませんけどね。」

最後は彼女のホンネがでているせいか、真面目な声で付け加えた。

(こいつも、俺と同じタイプなんだよなあ、)

涼にとってもまさに同じ事。まずセックスありきで、セックスしてその流れで付き合ったパターン、肉体関係だけで終わるパターン、付き合って即効セックスするパターン、コレしかなかった。今だってゆり子を落とすということは彼にとってはゆり子を抱きたいと言っているに違いなかった。とにかくその先のことはそこから考えようとも思っていた。ゆり子 → 処女 これが大きく立ちはだかっているのは事実だが、それを含めたゆり子を今ほしいのだから。そう、今までと大きく違うのは、単に誰とでもセックスをするのではなくて、ゆり子とセックスをしたいのだ。禁欲生活もかなり限界にきている。



危うい会話をひとしきり楽しんで、飲んで、騒いで、美和子は先に帰っていった。勿論支払いも忘れずに済ませたようだ。残されたのは涼とゆり子の2人きり。帰り際、美和子が粋に頼んでくれたイタリア産のキャンティのボトルが2人の間に、ポツンと置いてあった。美和子が帰ると、すでにゆり子はいつものソツのない態度に切り替えようしているのだが、今夜のザックバランなゆり子の姿にはチグハグな感じで、それもどうやらあまり上手く行かない。涼は外見だけでも鎧を脱いだゆり子に少しだけ安堵していた。

「そういや、谷から今日初めて聞いた。何で言わなかった?」
「はい?」
「嫌がらせとか? 俺の下半身事情の噂で、、」
「ああ。」
「どうやって設楽さんに言うんですか?  一度も迫られた事もないのに、そんな下らない噂のことで、、、」
「そうだけど、、、嫌な思いしたって聞いたから。」
「慣れました、よ。」
「ごめんな、、」

「別に設楽さんのせいでもありませんから、、勿論 素行が悪かったんですから尾ひれ背びれがついた噂については、身から出た錆なんでしょうけど、、」

ごもっともです、といつものように白旗を揚げたくなる。今日のゆり子は普段着のせいか、同じはっきりした物言いも、何だか、いつもより幼いトーンでかわいらしく聞こえてしまう。

「久保川の、ああいうことってよくあるのか?」

ゆり子は無言でまたグラスを触る。そしてグラスを口元に寄せる。一口、また一口、ゆり子ののどが少しだけ上下に動く。涼はその仕草から目が離せない。あわてて目をそらしながら、もう一度聞き返す。

「久保川のやつに何度も誘われた?」

今この目の前にいるゆり子の首もとに久保川の肩が巻かれていた。ゆり子の耳元に久保川の口があった。

「久保川さんは前は奥さんもいらっしゃったから、そんなにはありません。他の人は寄って来ても、相手にしませんから。煩わしかった、のは事実ですけど、、」

「ごめん。」

涼はもう一度謝る。ゆり子はまなじりをあげた。珍しく何かを言おうとしていた。

「今更、あやまるくらいなら、もう少し、周りに目を配ってください。」
「ああ、そうだな、、、ごめん、、、」

確かにゆり子の言うとおりだと思った。どうでもいいときは何食わぬ顔をしていた。関係ないと勝手なことばかり。ここ最近ゆり子が気になりだして、そして見えてきた様々のこと、それでこんなにも傷つけていたことを初めて知った。

ゆり子は入社当時からいつも涼を睨んでいた。涼がふと視線をあわせれば、彼女はいつも睨んでいるような気がした。涼は確かにゆり子の目を意識していた。



*****

二人で店の外に出た。ゆり子の足元が少しふらついたのが目に入る。

「倉沢、家まで送るよ。」

ゆり子が思いもよらないように目を見開いた。

「いえ、本当にすぐですから、一人で大丈夫です。」
「どんなに近くても、もう遅い。」
「平気です。」
「何でそんなにいつも頑固なんだよ。」

ついに涼の我慢が少しだけ切れかける。

「だって、、もし家の前まで来て、、」

おや、と涼は思いがけない。酔いのせいか、それとも見慣れない姿のせいか、いつもの如才のないゆり子の言葉の切り返しが どうもおぼつかなく感じる。

「設楽さんが家まで送ったら、、、」
「押し倒される?」
「いえ、コーヒーくらいご馳走してって言われそうですから、、、」
「そんなこと、言わな、、、いや、言うかもな、、」

涼は考えるように指先を顎に持っていき、また唇をなぞる。そして真剣にゆり子の切れ長の目を見据えた。

「倉沢、今日 俺、、泊めて?」

ゆり子は黙っていた。涼にすれば、この間いきなり即座に拒否されたことを思い出し、嫌な予感がよぎる。身構えていた涼だが、あっさりとゆり子は『いいですよ』とひとこと。

「えっ?」

(それって、いい、のかよ? えっ? まさか泊まるだけって思ってるわけじゃないよな、、、)

あせる涼を横目にゆり子は歩き始めていた。涼もあわてて後を追う。ここで涼はこれから起こるであろうことを思い避妊具を買おうと思いたつ。

「倉沢、この辺、コンビニか、ドラッグストアー ある?」 

万が一ゆり子が誤解していたらと思い、あえて涼は口に出して言った。

「オレ最近、コンドーム持ち歩いてないから、、」

ゆり子は別段何の動揺もみせず、それならば、と繁華街に少しだけ戻りコンビニへ歩いて行く。涼は驚きを隠しながら、2,3歩の遅れを取り戻すように、大股で歩き、やがてゆり子と肩を並べていった。
ポチリ嬉喜
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