処女の落とし方

18.

涼の期待を裏切るように月曜日の朝は静かに始まった。ゆり子の姿を見ることもないし、牧川達部下がSCMの話を耳にすることもなく、逆にもどかしい。昼前、涼の営業フロアーを颯爽として入ってきたゆり子に目を奪われた。心臓がドクリ、ドクリと早くなる。ゆり子は迷わず牧川の席に行く。牧川の可愛らしい笑顔に応えるように、ふわりとした笑みを浮かべるゆり子。立ち話を数分したあと、牧川から書類を受け取り、涼のことをチラリとも見ずに去っていった女。

涼の切れ長の一重の目がきつくなる。嫉妬と呼ぶにふさわしいのか、いやそれよりも汚い得体の知れないどす黒いものが涼の中で渦を巻く。牧川が急にこちらを向いて、涼を呼んだ。

「設楽さん、今日の午後お時間ありますか?」

イラつくとがった声がでてしまう。

「何時だ?」
「えっと、じゃあ4時に。
サルー健康食品さんからちょっと輸入の件で打ち合わせをお願いします。」
「わかった。」

ニコリともせずに再び視線をラップトップのスクリーンに戻す。

(大人気ない、、、)

だがこのどす黒い渦が涼の胸にまで押し寄せてきていて、胸が張り裂けそうな思いがする。だいたいゆり子の気持ちが全く読めないのも腹だたしい。体を抱き合ったんだから、少しはこちらに擦り寄ってきてもよさそうなものなのに、ゆり子はあいも変わらずペースを崩さないように見える。

(まいった、、、)

俺の女だから。

そうゆり子に言ってやればいいものを恋愛値の低い男は後手に回ってしまう情けない話。好きだなんて、青臭い言葉はとうの昔にどこかに置き忘れてきてしまった。すっと立ち上がり、重苦しい空気を一掃しようと廊下にでた。涼の悩ましいため息に、廊下にいた女子社員が色めきだった。


*****

ゆり子とはあれから何一つ会話をしていなかった。毎日がのろのろと過ぎていく。週の真ん中あたりで、リードタイムの最終打ち合わせで美和子と顔をあわせた。ソツがない者同士の打ち合わせはサカサカと進んでいく。ミーティングの終わりは雑談に終始する。

「設楽さん、何かお疲れモードですか?」

美和子はゆり子から何か話を聞いているのか、表情だけでは何も読めない。

「でも憂いをかかえている設楽さんって、色っぽいですよ。」

美和子が冗談めかしていう。

「お前なあ、こっちはマジ、気苦労が多いんだよ。うるさいハエもいるし。」

それは牧川のことだった。今週もずっとゆり子のところへ行っては何かしら話をしているようだ。仕事だからと言っても、今こうしているみたいに、雑談だってするだろう。涼はあの週末からずっとゆり子のことが頭を離れない。

「倉沢、、、元気?」

「さあ、どうでしょう? ご自分の目で確かめられたらいかかがですか?」
「イジが悪いよな?」

なかば泣き言が入る。

「設楽さん、わたし、言いましたよね。ユリタは見ててあげなくちゃって、、」
「ああ、、」

美和子はチラリと涼を見た。

「じゃあこの件はこれで大丈夫ですね。」

颯爽と席をたち美和子は行ってしまう。涼は部屋に一人残され物思いにふける。そして今夜こそはぐっすり眠りたいと切ない願いを唱えた。


*****

3ヶ月に1度、涼の事業本部は、経営と直接関係のある管理本部との定例報告会がある。売り上げに関する数字報告で、また赤字になりそうな問題点なども補足説明を行う。同じように、各事業部でも管理本部と定例報告会を持って、現状維持ならばイヤミの一つで終始し、赤字がでそうな場合は徹底的に追求される。

涼はため息をつく。彼の貴重な時間が奪われるからだ。毎回同様のことが繰り広げられ、そのために無駄な資料つくりに追われ、もっとも無益な時間を過ごさなくてはいけない。

SCMも例に漏れず、ゆり子と直属の上司、物流統括本部長とともに出席するが、直近の数字など本部長に答えられるわけもなく、ゆり子は幾度も責められることとなる。今現在ゆり子の抱えている問題点は、国内営業部担当の新商品の過剰在庫で、総額1億の赤字をだす損失見込みだ。半年前から是正すべく鋭意努力中であったが、未だ解消策がないままなのも痛いところ。

涼もこの過剰在庫が人為的な損失であることは耳にしていた。つまり営業担当が商品企画とともに、マーケティング調査を基にトレンド新製品に着手したのだが、他社の類似製品の販売に遅れをとり、スタートが出遅れた。そのあと商品発注修正をしないまま、発注を増やし、フォーキャストとよばれる発注表に反映させていた。結果、思ったより販売個数は伸びず、長期にわたって発注がかけられてしまったために余剰在庫をかかえることになってしまったのが実情だった。

確かに、発注表の修正を怠った時点でSCMにも落ち度があるだろうが、この場合は、状況を把握できなかった営業が責任の大部分を問われるべきだと涼は思っていた。しかし、管理本部では、事実上赤字の数字がSCM部に計上されていることから、今回の定例会では ゆり子への風当たりはかなりのものになるに違いない。

涼も定例会に向けての資料つくりに時間を割いていた。ここのところ牧川担当のタラウマラオイルが思ったより売り上げを伸ばし、多少の尻上がり状態なのは嬉しいところだ。前回の資料に手をさっと加えて、まあ、こんなものかな、とデスクのラップトップの画面をチェックする。

週末むさぼるようにあんなに体をあわせたのに、あれからゆり子とは会社が始まってから一度も話をしていない。この週末はどうしようかと思案にくれながら、エンターキーを押す。

「設楽さん、会議 何時からですか?」
「午後4時からだ。まったく憂鬱だぜ。」

部下の言葉に思わず愚痴が出る。

「でも今回はうちとしては目標かなり達成できてるからね。がんばったよな。」

部下達への労いも忘れない。

「ああああ、倉沢さん、きっとあのクロイヤミンにやられますよ。かわいそうに。」

牧川が横から口を出す。クロイヤミンとは、管理本部、経理部長の黒田である。黒縁のめがねに狐顔、センスのないあだ名どおり、狡猾で机上の空論をそのまま現場に持ち込む男なのだ。

「お前最近よく倉沢さんにいれこんでるよなあ?」

ゆり子より2期下の諏訪が牧川に茶々をいれる。

「なんかあの人、時として凛々しいですけど、
ちょっと抜けててかわいいとこもあるんすよね。」

牧川は顧客に電話しようと受話器をとる。

(かわいい、、、)


///涼に攻められて潤む瞳///


咄嗟に不埒なことがよみがえり、あわてて咳払いをした。

「ん、うむ、」

涼が牧川に向かって言う。

「まあ、いずれにしても倉沢のところは
今資料つくりに追われてしっちゃかめっちゃかだろうよ。」
「俺、あとで慰めに行こうっと。」

本気で行きそうな牧川に涼は冷静に水をさす。

「SCMんとこの定例報告は明日だから、今日はやめとけ。今ラストスパート中だろう。」
「あっそうか、うちとは日にちが違うんだ。」

ようやく牧川も納得した様子で顧客への番号を押していた。


*****

本日の定例会議は珍しい事に思ったより早く終わった。おそらく数字的に見込みがよかったせいだ。だが定例報告のための準備やら会議時間やらで結局業務が停滞していたのは間違いなかった。

(ああ、早く帰って眠りたい、、)

そうは言っても早く帰ったところで最近異常に寝付きの悪い涼は、遅くまで残って仕事を片付けたほうが実は都合はいいかもしれない。結局、気がつけば夜の9時を回っていた。先ほど諏訪がフロアーに残っている最後の一人として、涼に挨拶をして帰っていった。

目頭をぎゅっと押える。長時間の画面との睨めっこはかなりくる。首をのばし肩をゴリゴリと回してみる。思わず、椅子の背にバタンともたれて息をはいた。


///見ててあげなくちゃいけないんです。 ユリタは何も言わないから///


言わないにもほどがある、かわいくないにもほどがある。最近の不眠の原因はどうやらこれにあることは涼もわかっていた。

(少し甘えりゃいいのにな、、、)

ゆり子は絶対に人には頼らない。何度も営業がピンチを迎え、絶体絶命の時には、できる限りの範囲で手をつくしてくれる。涼も過去に何度もゆり子に助けられた。だが、ゆり子のピンチのときはだれが手を貸すのだろう。


///でもね、見ていると、だんだん、わかってくるんです。色々なことが///


あの時は即座に断ったのに、何故週末涼をうけいれたのか、、


////とうのたった女性は他人から見れば少し難しいかもしれません。プライドの高さゆえ、甘えられず、孤高を保とうとしたがる。本当は初めての相手に全てをゆだね甘えてみたい気持ちだってあるのです。////


涼の買った本はそう言っていた。北村が安心感があるって言っていたくせに、、、涼の、気まぐれで、危うい、むさぼるような欲情した行為に抗うことなく素直に準じた女、、そう思ったらいてもたってもいられず涼は椅子から立ち上がり、人気のない廊下へと足早に出て行った。
ポチリ嬉喜
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