処女の落とし方

最終話

涼のいるフロアーは11階にあり、SCMは10階にフロアーがある。SCMのフロアーには物流統括部と人事部や管理本部も配置されていた。涼は迷わずSCMのフロアーに足を踏み入れる。案の上、ゆり子のデスクだけがポツンと明るく照らされ、あたりは薄暗く誰もいない。ただ肝心のゆり子の姿が見えないと思った瞬間、涼はあっと声を小さく漏らす。

ゆり子はぐったりとデスクの上にうつぶせになっていた。両腕をだらりとデスクに投げ出して顔は横に向けて。いつも見惚れる背中のラインも今夜は何だか頼りなげだ。涼は静かにゆり子に近づいた。人の気配にゆり子は少し顔をあげるも、涼だとわかって、顔を下に向け、また姿勢をだらりと戻す。涼はゆり子のデスク前に立つ。

「何しに来たんですか?」

顔を上げずそのままの姿勢でゆり子が問いかける。。

「まだ、倉沢がいると思って、、、、」
「何か用ですか?」

抑揚のない声でゆり子が聞いた

「ん?」



「、、、倉沢が泣いている気がしたから、、」

ゆり子はすぐには答えない。

「バカ言わないでください、、、やっと明日の資料が終わったんですから、、、疲れてるんです。」


「倉沢が泣いている気がしたから。」

涼は、また同じ言葉を繰り返す。

「泣いてませんよ。」

ゆり子の声に珍しく感情がこもる。

「じゃあ、顔あげてみろよ。」
「、、、、」
「泣いてないなら顔上げて見せてみろよ。」

涼も少し声の口調を強め、辛抱強くゆり子の言葉を待った。

やがてゆり子は観念したようにそろりと顔を上げた。いつものように、眉尻をあげ、切れ長の目を見据え、涼を睨んでいた。涼はゆり子をずっと見ていた。一つの動きも見逃さないように、しっかりと視線をとらえ、見ていた。ゆり子の瞳が確かに濡れていたように見える。彼女はそれを必死に抑えて目をキッと見開く。だから睨んでいるのだ。よく見ていればわかること、彼女の頬はやはり濡れていたから、、


///ユリタは何も言わないから///


いつもこうして一人で耐えているのかと思ったら胸が痛んだ、、一人ぼっちだったのかと、、

そう思うといてもたってもいられなくて、思わずゆり子の顔を両手で優しく包んでいた。ゆり子の睨む目と涼の瞳が交差しあう。やがて涼は、優しく、子供に言い聞かせるように、ゆり子にささやく。

「ばかだな、お前、、」

涼はそのまま中腰の姿勢で、自分の唇をゆり子の形のよい唇の上にゆっくり落とした。今までにしたことのない極上の優しいキス。セックスの延長でも、情欲のための、快楽のための、そんな欠片の微塵もなにひとつ見出すことができない、、、ただの穏やかな口づけだった。長い優しいキスが終わると、涼はゆり子の顔から両手を離した。ゆり子の瞳が不安で揺れているように見える。彼はゆっくりゆり子の座っている側にまわり、やがて顔が見えるように彼女の座っている前のデスクの端に腰をおとす。そっと片手でゆり子の背中をおしながら、自分のほうに引き寄せた。座っている回転椅子がスッと前に動き、ゆり子は抗うこともせず、なされるままに涼の体に頭をつけて、やがて、静かに肩をふるわせた。涼はその嗚咽を聞きながら、いつまでもいつまでも背中をさすってやる。静かな時間だけが流れていく。

やがて、涼に顔をつけたままゆり子がくぐもった声で口を開く。

「ちょっと、、優しすぎませんか?」
「ん?」

涼とすればそろそろゆり子の顔を見ながら話したい。

「わたしが、、処女だった、、からですか?」
「はん?」

ゆり子のほうから顔をあげ、きりりとした、でも泣いたせいかちょっと赤く腫れた目で涼の顔を見上げた。実は涼、前からこの顔に弱い。誰にも媚びない瞳。

「セックスすると、結構冷たくなるって、評判でした。」
「なっ?」

ゆり子の先輩も同期も皆、涼=下半身ワースト時代を彩るかかせない登場人物達。そんな女たちから、涼との一夜の話は、聞きたくなくとも耳に入ってきたという。涼は噂に全く耳を貸さない姿勢を貫いていたが、あの時代、はたしてどんなすごい噂が飛び交っていたのかと思うと、今さらながらぞっとした。

「寝たからって得意気になっていると、すぐ、距離を置かれるって、、、」

ポツリとつぶやく。

「わたし、別に、だからどうしたいって思ってません、、」

それは、ゆり子の “初めて” が涼だったからと言って、何も変わりませんよ、と涼に言っているのだ。涼は絶対に感情が先に流されないように、ぐっと力をいれてゆり子を見すえる。涼のほうが完全に彼女に参っているのだから、分が悪い。

「でも、今日は気が滅入っていたから、慰めていただいてありがとうございました。」

いつものゆり子に戻り、すぐそばにいる涼からさっと離れて立ち上がった。帰り支度を始めるつもりらしい。

イライラした。困らせてやりたいと、なすすべもなくただ怒りが湧き上がる。立ち上がったゆり子の腕を乱暴に引っ張ってやる。

「何ですか?」

目が怒ったように光を放つ。

(くそっ、)

「じゃあ、俺とまたセックスしよう。これから。」

涼はゆり子の腕を放さずにデスクから立ち上がり、ゆり子に近づく。距離を縮めて威圧する。ゆり子は息をひとつ吐く。

「そんなによかったですか?」

挑むような口調に涼も負けない。

「ああ。すごくよかった。ゾクゾクした。たまらなかった。」

会社の中でわざと下卑た会話をしてゆり子を挑発する。だがゆり子はそんな挑発にはのらない。

「それは光栄です。ありがとうございます。
でもわたしはもう設楽さんとはセックスしません、、から。」

きっぱりと言ったはずの口調。だが涼はずっとゆり子を観察する。今度こそ己の激情に流されぬように、切れ長の目をしっかり開けて、ゆり子のどんな表情も見逃さないように。ゆり子の声はいつもより小さく、最後の言葉が、少しかすれていた。言い終わったあとに口びるを噛みしめた。肩が少し震えている。涼はじっと見ていた。

ゆり子の腕をぐいっと引っ張り自分のほうへ向かせた。目と目が合う。本当に丁度良い位置にゆり子の瞳が自分の目の中に入ってくる。

「倉沢、俺に溺れちゃうからでしょ?またセックスしたら、どんどん俺のこと好きになるから怖いんでしょ?」
 

ゆり子の頬に赤みがさす。

涼がニヤリと笑う。勝機が見えればあとは追い詰める、涼の得意の戦法である。仕事と同じ、どんな旗色の悪い場面でも必ずチャンスは訪れる。

「倉沢、俺のこと好き? 独占したい?」

ゆり子は目を大きく広げてきれいな指先で額をおさえた。下を向いて、はあ、と息を吐いた。涼は下に向けたゆり子の顔を、すかさず持ち上げ自分のほうに向かせる。

「北村のこと、思い出して、優しく笑うな、よ。」


「牧川のアホに、むやみに笑いかけるな。」


「久保川の野郎に勝手に触られてんじゃねえよっ。
他の奴らにはお前のこと指一本触らせるな。絶対。」


涼は本当に困った切ない顔をしていた。

「参る。ったく、無視されて、参った。
ここんとこ、眠れないし、、、 ぐっすり眠りて、、、」

ゆり子の切れ長の瞳が穏やかに細められた。ゆり子の白い指が涼の頬に触れて優しく撫でる。そこにゆり子の柔らかい唇がふれる。そして涼の唇にも優しい感触があたる。涼の胸がドクッドクッと跳ねた。ゆり子のキスは温かい。そしてぬくもりも。ゆり子の香りがした。甘くて安らぎさえ覚える。心地よくて涼は自分の頭をゆっくりとゆり子の肩にのせた。

ゆり子が涼の耳元でささやいた。

「明日大事な会議なので、設楽さん、明日以降にセックスしましょう。
わたし体持ちません。」

涼は頭をいきなりあげて、ゆり子を見る。『ふふふ』と余裕をもって笑うゆり子。

さっき泣いたカラスがなんとやら、、、

「な、なんだよ、それ?」



///バージンだという劣等感を持っているほとんどの女性達はみんな社会経験のある女性の大人たちです。ベッドの上でコンプレックスをもっていたとしても、それ以外のことでは自立したかっこいい女性たちですから。///



*****

それでも涼はゆり子のマンションに泊まり、久しぶりにぐっすり眠った。本当に久しぶりに。朝起きるとすでにゆり子はいない。今日の定例会議のために朝早く社にでかけたのだ。涼は心地よい朝の目覚めにのびをする。

(たまらない、、)

人はこういうのを幸せと呼ぶのかもしれない。

いつもの計算高い男に戻った男は、ざっと頭を働かせる。北村にはまず説明して、あと、牧川にはまず宣言しとかないと、あとは、社内だよな、どうやってまた噂を広めるか、、、美和子を使って、、 34歳、誰が見てもいい男の、美しい口元がにやりとあがる。週末まであと1日。この1日のために人は頑張っているのだ。涼は思いっきりよくベッドからたちあがり、もう一度大きなのびをした。

また今日も1日がはじまる。






-END-

読んでいただいてありがとうございました。

 

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