処女の落とし方

5.

今夜のゆり子はやけに涼につっかかる気がした。涼は、困ったな、という顔をしたが、別段気を悪くすることもない。正直で物事を複雑にしないゆり子。仕事ぶりを見ていると非常に合理的なことがわかる。だから、彼女に淡々と事実を指摘されると、涼は、ごもっともでございます、申し訳ございませんでした、とすぐに謝って白旗を揚げてしまいたい気分になった。涼も弁はたつ。だが、会議とかでも意見を述べているゆり子には反論したことがない。何故なら、彼女は、その場その時に合わせて、いつもベストの選択をしようと最大限の努力をおしまないから。

「今日なんかつっかかるね? 俺、何かしたっけ?」
「今日の不備書類の件、かなり大変でしたけど、その上強引で。」

午後のトラブルの案件を持ち出されぐっと詰まる涼。確かに倉沢チームのお陰で、結局大事に至らなかった。

「飲んでくださいよ。倉沢さん、今日は。」
「おごってくれるなら、金曜日とかにしてください。 月曜日におごってもらうのは悪意を感じますから。」

「はい、、すみません、、」

涼は小さな子供に戻った気がして、ちょっと決まりが悪い。それならば、こちらも、と 直球で攻めてみる。

「本当は、北村と付き合いたかった?」

躊躇せずにゆり子は口を開いた。

「 、、、そうですね。 北村さんがもう少し遊んでる人だったら、OKしてたと思います。」

一瞬沈黙が流れた。店のフロアーに流れるやけに陽気なポルカのメロディーだけが響いている。

「 俺じゃ、ダメ?」

言葉が口をついた。

(今、オレ、何言った? )

涼の心の叫びを代弁するように、ゆり子が繰り返す。

「何、言ってるんですか?」
「何言ってるんだろうね?  多分倉沢が、その、あれだ、って聞いてから、ちょっと動揺してるんだろうね、オレ。」

口元に長い指先をあてて涼もしばし呆然とする。その彼の長い指先にゆり子の視線が落とされた。涼の手は大きい。指も長い。だが北村のように節がゴツゴツしているような荒っぽい手ではない。官能的な手だ。抱かれた女達はその長い指にトロリとなり、その繊細な指の動きに翻弄され、その優雅な手で快楽へといざなわれる。

「俺じゃ、だめなの?」

今度は言葉をはっきり意識して発した。彼女の瞳を覗きこみ、誘惑するように甘い声がでた。

「ダメです。」

即答だった。

「何で?」

いがいにも引き下がらない涼にゆり子は眉間にしわを寄せて、小さくため息をつく。涼の方こそため息をつきたい気分だ。男と女の駆け引きで、やろうよ、やらない、の押し問答はある。けれど結果は最初から決まっていて、最後は、やるのだ。でもゆり子の拒絶は、涼にとって人生における初めてのノー、だった。

「知りませんでした。設楽さん、処女食いなんですか?」
「な、なに?」

ゆり子はちらりと涼の顔をみて、彼が赤くなったのにびっくりしているようだ。

「すみません。言い過ぎました。たまにそういう人いるから、、」
「いや、俺違うし。」
「そうですよね。でなきゃ、、」

と言って言葉を飲み込んだ。涼も何となくゆり子の言わんとしていることを察っすることができた。処女食い趣味なら、あんなに遊んでる女ばかりは相手にしないだろう、と。

「わたし、別段、この年まで処女でいる自分が恥ずかしいとは思ってないんです。」
「ん?」

「若いときの初体験って、女の子も結構好奇心からなんですよね。そのあと、まあその場の流れで のパターンや、本当に好きな人とのパターンとか その他様々だと思いますけど。高校生のとき、告白されて付き合ったんです。それって今思うと、やっぱり好奇心なんだと思います。クラスメートの半分は彼氏もちだったりで、自分も折角告白されたし、って。でもその段になって、つまり、セックス、って話になったとき気持ちがついていかなくって。告白してくれた彼には悪いんだけど、その場の流れで、とか勢いで、って気持ちにすらなれなくて、、で結局それに懲りて高校生活は彼氏できなかったんです。」

ゆり子が最後のワインを飲み干す。涼がもう一杯すすめた。ゆり子は涼に、『お時間は平気なんですか?』と聞いた。何故かまだゆり子と一緒に居たかったし、、話の続きも聞きたかったし、、、けれど、こんな饒舌なゆり子をまだ家には帰したくなかった。

「俺は平気だよ。倉沢と飲んでるの楽しいし。」

片目を瞑り冗談めかして言ってみたものの、実際本当に心地よいのは事実だった。それならばとゆり子は頷いて、また自分の話を始める。

「大学は彼氏できました。1回目は告白されて同級生と付き合ったんだけど、初めてってとき、いきなりフェラを要求されて、やっぱり、無理で大喧嘩。」

処女にいきなりそれはレベル高いだろう、と見も知らぬ同級生に言ってやりたかった。

「次は自分から告白してみました。2歳年上のサークルの先輩。いつもわたしのこと静かに見守ってくれるタイプで、目が、好きだったんですけど、、、
自分から告白したんだから、今度はきちんと付き合おうって。誘われたら勿論セックスするつもりだったんです。でも、先輩は一度も求めてこなくて、、、」
「えっ? なんで?」

思いも寄らなかった展開に涼は体を少し前に乗り出した。ゆり子との距離が少し縮まる。甘く心地よい香りが鼻孔をかすめた。

「さあ? よくわかりません。でもその彼とはわたしが会社に入ってからも、会う回数はさすがに減りましたけど、1,2年くらいはつきあっていたんです、、、けど、いつのまにか自然消滅ですかね、、、」

人ごとのような口調。自分の話をポツリポツリと始めてから、ゆり子は一度も涼と目をあわせず、伏目がちに視線をおき、ワイングラスをもてあそびながら、言葉を繋ぐ。

「で、会社に入ったあとは、タイミング? ついに逃して、、、現在です。」
「で?」

涼は意地悪く聞き返し、まだ話を終わらせない。

「でって?」
「 何で北村ならよくて俺じゃだめなの?」
「また、そこですか? はあ。」

今度こそゆり子は大きなため息をついた。

「誰でもって、いうわけじゃありませんから。北村さんは正直でまっすぐだし、それに少し天然のところがあって、かわいいですし、、」

遠くを見つめたゆり子の脳裏に北村が浮かんだのか、目が少し優しくなった。涼は何だかおもしろくない。少し不機嫌なトーンでとがった声がでてしまった。

「ふうん、好きなんだ、北村のこと。じゃあ、有無を言わずにセックスすればよかったのに、重いとかなんと言い訳しないで、、残念だったね。」

涼に射るような視線が向けられる。口を結んで強く誇り高いまなざしで睨んでいた。ゾクリとした。この眼力(めぢから)だ。 =昔、涼をいつも睨んでいた= そうだ、新入社員の頃から、気がつけばいつもゆり子は涼を睨んでいた。だから、何となく、手を出せなかった。ふれてみたいと1度ならず何度も思ったこともあった。けれどゆり子の射抜くような瞳は、涼をいつもまっすぐに、そして冷たく見据えていた。

気持ちを抑制しているしぐさなのか、ゆり子はひとつ息を吐いた。

「そうですね。処女って言って彼が引かなかったら、もしかしたら、付き合ってたかもしれないです。」

涼を真正面から見つめた。

「設楽さん、わたし、別にバージンを餌にしてるわけじゃないですから。今さら、そんなの餌にもなりませんけど、、ふっ。」

自虐するように口びるの端を少しだけあげて笑った。

「北村さんなら安心して身をまかせられると思っただけで、責任とか、結婚とか、そういうのは、ちょっと勘弁してほしいから、、、それに、もし、世慣れた人と初めてセックスして、例えば、、、」

そこでハッとして我に帰り、バツが悪そうに言葉を切った。

「例えば?」
「いえ、何でもないです。だんだん年齢を重ねて、まだ処女だと恥ずかしいというのって、特に女性ってあるんですよ。でもわたしは何か諦めちゃったというか、あの先輩に肩すかしにあってから、なんかこう、気が抜けちゃって、まあ、なるようになるんだから、って。肩の力が抜けて楽になりました。だからあんまり気にしてないんです。自分から吹聴することもないですけど、、ね?」

ゆり子の口調はとても淡々としていた。

「だけど本当に、もしもの話ですけど、60過ぎてまだ、アレだったら、さすがにその時は設楽さんにお願いするかもしれませんけど?」
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