処女の落とし方

7.

涼は、あれから、頭にかかった霧が晴れたみたいだったが、まだ油断は出来ぬと安全策を講じた。一時の動揺で、自分が倉沢ゆり子を意識しているだけ、なのではないだろうかという疑念。これは大いにありうることだと思った。何故なら、ことの発端は北村から聞いた、『処女』『カーマ・スートラ事件』だ。少なくともあの話で涼がかなりゆり子を強く意識しだしたのは間違いない。昔から、気が付けばゆり子は涼を睨みつけていた。その睨みつける瞳は涼をゾクリとさせたことも、一度や二度じゃなかった。だからと言って、昔から彼女を意識していたかというと、そうではない。と涼は思っている。だったら、なぜ、今こんなにもゆり子を思い動揺してしまうのだろう。この疑問を解明するには、まだまだ時を要する。少しばかり逃げ腰の涼は、ため息をついた。

今週は出来るならゆり子の顔を見ずに過ごしたい。もしかしたらその会わない間、何かモノノケがおちたみたいに平常心が戻るかもしれない。設楽涼としては生まれて初めて情けない消極的案を導入することにした。ただ涼の海外事業部営業3課もSCM部署とは切っても切れぬ仲。涼を入れて4名の課内ではSCMの名前が頻繁にあがる。

「設楽さん、倉沢さんのSCMチームが出荷についてですね、、、」

「さっきSCMの安井さんが倉沢さんに承認もらってからって言っていました。」

ゆり子の名前があがるたび、いや、もう部署名だけでも、涼の眉はピクリと動く。だが彼の動揺は部下には伝わらない。さすがにポーカーフェースの賜物。ただし、ここに麗華がいたなら、もうおなかを抱えて笑っていたに違いない。


『涼、何、動揺してんのよ?』
 



*****


牧川の内線電話が鳴る。

「あっ、倉沢さん、お疲れ様でええす。」

牧川が愛想の良い笑顔で楽しそうに話している。牧川は涼の課内でも一番下っ端。今年25歳、涼が見ると何だか頼りなさそうだが、これが意外と仕事ができる。美少年系で愛嬌もあるので、年上にもかなり評判がいい。

ゆり子との会話が思い出された。


『北村さんて、、かわいいですし、、、』


などと言っていた、はたして、ゆり子はかわいい系が好みなのか、ふん、ばかばかしいと否定しつつも、涼の心が少しざらりとする。

電話を終えた牧川が涼に一言声をかける。

「設楽さん、オレ、ちょっとSCMとこ行って来ます。」
「おお。」

と、言ったものの少し複雑なのも本当の気持ち。

(結局、ストレスたまるんだよ、変に意識すると、、、)



*****

会いたくない、とウソぶく気持ちがストレスなのか、つまるところ、無意識に涼の目はいつもゆり子の姿を探している。それでも今週は雑務や会議などが重なって多忙な日々を過ごし、涼の決意どおりゆり子の姿を見ないで済みそうだった。

(そろそろ北村にも仁義をきるべき、か、、)

北村の思いがまだゆり子にあるのか否か、それも確認しなくてはならない。

もし、北村が倉沢とまだ付き合う気があるなら、、、

涼の瞳が初めて不安に揺れた。涼は今日が金曜日だということを理由に北村を飲みに誘うべく、百貨店販売部門課の内線番号を押した。
 



*****

いつも北村と来る居酒屋は繁華街から一本入った小道にあった。ここの焼き鳥は美味しいと、いつだったか北村は1人で5、60本くらい食べた。仕方ねえな、とブーたれつつも涼は半分支払ったが、今夜は仁義を切るために、北村には奢ろうと決心する涼。

北村はまだ着いてなかったので、先にビールを頼む。

「ふーっ」

やはり仕事の後の一杯は生き返る。


/ブルブル/

涼の携帯のバイブが震えた。胸ポケットから出せば、北村からのメール。携帯の時計を見ると、すでに約束の時間を20分は過ぎている。


【ゴメン。遅れて申し訳。
やっとSCMとのMTG終了。
これから倉沢と谷とでそっちに向かう。】

「げっ!」

ビールを吹き出す。

(何言ってんだよ、当の本人連れてきやがるなんて!あのバカ!)

北村にしてみれば涼の思惑など知っているはずもなく、バカ呼ばわりはとんだトバッチリである。 

谷というのは、仕事ではゆり子の一番の片腕。SCMサブチーフ、谷美和子のことだ。公私ともにゆり子が絶大な信頼を置いているのは2人のやり取りを見ていればすぐにわかること。谷美和子はゆり子よりも1年後輩入社なのだが、その風格は堂々たる姉御肌。明るくてとてもさばさばしている。ゆり子とはどうみても正反対の性格だからこそ、ウマがあうのかもしれない。既婚者のせいか落ち着いてどっしりしていて、人を安心させるのだが、実はこれが狸で、頭がものすごく切れる。彼女は自分の外見を利用して人を油断させておいて攻めてくる、手強いゆり子の布陣の要だ。


*****


「よっ」

涼の憂鬱をよそに、のんきに北村が、きょろきょろしながら涼の元へとやってきた。その後ろから、軽く頭を下げたゆり子と美和子が続く。あまりゆり子の顔を見ないように、北村に言葉をかけた。

「何か問題あり?ミーティング?」
「いやっ。」

北村が涼のまん前の席を陣取り、奥のベンチシートにどかんと腰をおろした。ゆり子が美和子に『奥に入る?』と聞き、続いて美和子も北村の隣に座った。ゆり子は最後にゆっくりと涼の隣の椅子を引き座る。

「よっ、倉沢、谷、久しぶり。今週はお陰さまでSCMに大きな頼み事なかったしな。」

わざと避けていたクセに、それを気取られないように、涼は無邪気な笑顔をゆり子に見せた。ゆり子も、そうですね、と小さく頷いた。

「わ、やば、やばいから、その笑顔、設楽さん。」

しっかりメニューに釘付けになっている北村をヨソに今のやり取りをしっかり見ていた美和子。

「ユリタ、どうよ、どうよ?」

涼は美和子が一緒に来てくれてよかったと思っていた。さっきまでの涼の杞憂も一気に吹き飛び、美和子のお陰で場も華やいでいる。一番は、やはり、ゆり子。彼女の顔つきがとても柔らかい。涼はチラリとゆり子を確認する。

「はい、はい、まずは飲み物頼みましょうよ。」

ゆり子は子供達に言い聞かせるように、みんなの為のオーダー仕切りにはいり、しばらくはメニュー合戦となった。


4人はかなり飲む。ゆり子だけはあいも変わらずビールを飲んでいたが、途中から残りの3人は芋焼酎にグラスを変えた。飲む面子だからと、ボトルを頼むが、それも今はもう残りわずか。

チャッカリの美和子が涼をつつく。

「設楽さん、いつかきっと、美和ちゃん、ありがとおおお、ってお礼する日が来るから、今夜は前払いで、これから頼むボトルは設楽さんのおごりですね。」
「おっ、それ、オレ賛成。じゃ、高いのたのもっ!」

意味もわからず頷く、調子の良い北村。

「なんだよ、それ。まず俺、絶対、谷のこと、美和ちゃんなんて呼ばないし、、、それにお礼ってなんだよ? あっ、もしかして、あれ? リードタイムの短縮の件?」

リードタイムとは、生産期間、納品期間のことで、発注してから商品が納品されるまでのあらかじめ決められている納品期限のことだ。最近涼の課で、そのリードタイムのことでチョクチョク問題があり、お客からもう少しリードタイムを短縮できないかという声が聞かれていた。

「やだ、ばっかじゃないの。天下の設楽涼が。こんな楽しい席で仕事の話なんて無粋だわっ。」
「おいおい、谷君、それは失礼でしょ、僕はキミの大先輩ですよ?」

涼は少し砕けてやり返す。ゆり子は笑っているのか口びるを少しだけあげて2人のやり取りを見ていた。彼女がふと顔をあげれば、そこには北村の目があった。北村は何か話したそうにしていたが、美和子がいるので、どうしようかと推し量っている様子だった。聡いゆり子は、彼女は大丈夫ですから、とでもいうように笑みを少し浮かべながら頷いた。それを視界の奥にとらえた涼の気持ちは少し複雑。

「倉沢、あの本ありがとう。」

北村が小さく礼をいった。ゆり子はどう切り出そうか思案している様子。そんな空気をちゃんと掴んでいる美和子が穏やかな口調で切り出した。どうやら確信にふれてくるらしい。

「北村さん誤解しないでくださいね。北村さんとあのバカ娘のことは、わたしも知っています。でもそれって、ゆり子から聞いたとか、噂の興味本位とか、そんなんじゃないですから。」

コホンと美和子は咳払いをした。

「うちのフロアーに上田と同期の子がいて、わたし達2人のところに相談に来たといういきさつがあって、、、」

美和子が簡単に事のあらましを説明した。北村は黙って聞いていた。

「うん。ありがとう。俺、目、覚めたし。心配かけてごめん。」

うなだれる姿は、涼の飼っていたレオンそのままで、やっぱりかわいいのだ。

(北村のこういうところ、俺だってやられる、キュン つうか、、、ましてや女だったら、、) 

不安げに ゆり子と美和子を観察する。美和子は優しく笑っているし、ゆり子は少し眉が八の字になっていて、困った顔をしていた。

「でもね、北村さん、わたし、仇、討っときましたから。」

と急に美和子が告白する。

「なに、上田和美のこと、ぶんなぐったの?」

涼の軽い調子で、やっと北村にも笑顔が戻った。

「ふふ。あのね、たまたま、上田和美と人事の女子と飲みに行くチャンスがあったの。で、知らん顔して 美和子さんが大事にしている思い出の夏、を告白したの。あたしの思い出のセックスは、かれこれ7、8年前に一度だけ、わたしから頭を下げて思い出を作ってもらった北村課長との一夜です。って言ってやったわ。フン」

「へええ、って、おい! ブホッ」

北村があせって、むせた。

「そしたら、上田、バカだから、食いついてきて。だから、あたし言ってやったの。あんなすごい人、わたし今まで知らないって、こう、うっとりした目で、あたし、今、あの素敵な過去の出来事思い出してます、みたいな感じで、こうね、」

と言って実際に、両手をあごにのせて、うっとりした目をして見せた。あまりにも昭和的ベタ過ぎて、涼もゆり子も吹き出していた。ただ一人、話に食いつく北村。

「それで?」
「うん、そしたら、他の子達もみんな興味しんしんで、、、、女子なんて、もうHな好奇心の塊でしょ?だから言ってやったの。『わかるでしょ? 彼柔道やってたし、もうすごいのなんの』って言ったら、何故かみんな想像しちゃって、『北村課長すごい!』ってことになっちゃった。多分、上田はすでに人事の子達にも、北村さんとの一夜をしゃべってたみたいで、周りの子達から、話が違うんじゃん、的空気になってたよ。当分上田和美は、きっと嘘つき呼ばわりされるわね。『本当は北村さんと寝たのって嘘なんじゃねええ?』みたいな話もチラホラでてきてるらしいよ。うちのフロアーの子に聞いたから、間違いないと思いますけど? どう?」

やはり谷美和子、女傑である。一同を見回して得意げな顔をしてみせた

ポチリ嬉喜
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