処女の落とし方

8.

涼とゆり子は美和子の話を魚に旨い酒を飲んでいる。だが、情けないのは北村だった。美和子のデタラメ話にオロオロしはじめた。

「お前過激だよ。どうする、俺たち噂になっちゃったら?俺、お前のダンナに顔向けできないよ。」
「大丈夫ですよ。誰がそんな過去の話、話題にすると思います? っていうか、事実無根だし、まったくの作り話だし、ふふ。そんなことで噂になってたら、未だに設楽さん、過去の亡霊の女達の噂で大変ですよ。社内。」

「ブッ」

今度は涼がむせる。

「谷、おまえ、やぶ蛇。わるい、倉沢、ナプキンとって。」

ゆり子の綺麗な白い指が紙ナプキンを数枚掴み、涼の前にすっと置いた。 

「はい、」 

その白さに、透き通るくらいの白いゆり子の手の甲に思わず、ドキリとした。

「あ、ありがとう。」 

声が少しうわずるも、動揺を隠すように、今度は涼が会話を引き継ぐ。

「北村。俺も仕返ししてやったよ。」


今週夜遅くまで残っていた涼はついでに人事に顔をだした。同期の笹井と話をするためだ。涼の鋭いカンでは受付の上田和美は絶対に笹井とも肉体関係を持っていた。なので、わざわざ笹井のところへ行き、ご丁寧に言いつけてやったと言うのだ。笹井は既婚者で子供もいる。だから妻や子供を捨ててまで上田和美に惚れているわけでもないとふんだ涼は、笹井にこう切り出した。

『まじ、30過ぎると、なんかガタっと体力とか落ちないか? 俺もうやばいくらい落ちてきるんだけど、、あっちの方も、、』

最後の方は小声で何気につぶやいたのだが、そこに笹井が食いついてくるのは百も承知。

『何か最近の20代の女とかって、結構貪欲で、1,2回だと満足できないらしくって、こっちも体がもたねーっつうの。』

これは大嘘。涼と寝た女はみんな満足しないどころか虜になってしまうのだが、笹井にはこれが最近の涼のお悩みなのだと思い込ませる。思ったとおり、笹井がほくそ笑む。笹井自体、上田と2回寝たことがあり、一夜に3回やって、和美に 笹井さんって、すごおおおおい! って言われていたので、俺はちがうよと優越感。

『そうだよな。俺たちも、もうすぐ35だし、色々あるよなああ。』

とうわべだけは涼に同情的。

『だろおお? だけど、あいつ、北村 すっげーんだよ。』
『なに?』
『あいつ、ここんとこ毎晩っていうか、もう、やばいらしい。その上1度に4,5回以上って信じられるか?』

笹井の顔が青ざめる。上には上がいるのだ。

『週末はエンドレスだあ! なんていってる筋肉バカだぜ、あいつ。そのうえ、あっち、でかいの知ってる?』

笹井はこくこく無言で頭を縦に振った。

『で、最近の20代の女って、まじに性欲すごいんだって。1日に北村くらいしないと満足しないらしい。口ではすごおおおい、とか言ってて、実は腹の中で、げっ、もう終わり? とか、俺 その話きいて、20代の女、即効パス。』

笹井が恐る恐る聞く。

『でも、まあ、みんながみんながそう絶倫男スキってわけじゃないでしょ?』
『そうだよな。ま、俺の聞いた話では、誰だっけ? ほらお前んとこの課の、受付の、、、』

涼の頭の良いところはあえて名前はここで言わない。受付嬢は全部で6人。だが消去法でいけば必ず上田和美にたどりつく。

『その女が超絶倫で、1日6回以上はイかせてくれないと、とか言っていたとかいないとか、それで、せいぜい3回で勘弁してくれなんて言おうものなら、翌日から、あの男は早漏だ とか、あることないこと吹聴するらしい。まあ、お前は既婚者だから、関係ないもんな。』




涼の仇うち話は実に盛り上がった。結局彼は、笹井の肩をポンポンとたたいて同情するよとばかりにため息をついたらしい。するとどうだろう。笹井の顔は涼の話を聞く前より、確実に10歳は年取ったみたいだったと涼はオチをつけた。その場にいた一同は一瞬静まり返った。そのあと、

「うわああああ、はははっ」

怒涛のような笑い声。でかい声で笑ったのは美和子。北村の顔を指差して、

「うあああ、絶倫男!」

とまた笑う。ゆり子は口を隠すように手をおいてクスクス、肩をふるわせながら笑っていた。北村が一人、真っ赤になっていた。

「りょおおおおおお!」

「まあ、いいじゃない、ん? 北村君! 俺よりお前の時代だよ!」
「そうですよ、北村さん。」

まだ笑いがおさまらない美和子も涼のあとに続く。

「よかった、わたしの作り話とはいえ、あの素敵な一夜もそんな絶倫男との夜だったのねえ?」

とまた爆笑しだす。

「でも、」

と言うゆり子。

「笹井さん、大丈夫かしら?」
「あいつなら平気。即効で上田と縁切りだよ。変な噂がたったら、あいつの出世やばいもん。まず上田と関係もっちゃったとこがバカなんだから。」

涼は辛らつ。横で聞いていた北村がむくれた。

「し、しかたねえだろ! かわいいんだし。」

同類相憐れむのテイで北村が弁護すれば、美和子が見逃さない。

「北村さんまだ懲りてないんですか?!」
「いや、まじ、俺、目が覚めたから。俺はやっぱ涼とは違うから。」

再び火の粉がかかる男、設楽涼。

「また俺かよ?」

ばつが悪くなってゆり子をみれば、事実だから仕方がないとでもいうように、うん、うん、と頷いていた。

(チェッ)

北村の声が少し真剣な、仕事のときのような口調に変わった。

「俺さやっぱ落ち着きたいんだよ。セックス三昧とかじゃなくて。ちゃんと好きになって大事にして、、、それが今回のことでわかったよ。俺ってさ、あんまもてた事ないから、言い寄られたり、告白されちゃうと、別にそいつのこと好きじゃなかったのに、急に意識しちゃって、気がついたら、俺のほうが好にきなるってパターン。」

「それって、中学生の話ですか?」

美和子は北村に意地悪を言う。

「わかってるって、俺、ガキなんだから。恋愛では超奥手。ふられてばっかいたし。」

美和子はこの中で一番年下なのだが、さすがに一筋縄でいかぬ大人の女だった。ため息をもらしてみんなの顔を見ながら言った。

「大丈夫。北村さんだけじゃないから。恋愛事情では、世の中、結構情けない奴ばかりだから。だいたい、30過ぎた男と女が幼稚すぎますって、ありえませんよ、本当。」

『フー』と息を吐いて美和子は頭に手をやった。

「ガキのまま成長しちゃった恋に恋しちゃうバカ男。」

「ひっでえな、谷。バカはないだろ? バカは!?」

北村が反論するが、美和子の説教はまだ続く。

「すごく臆病で恋愛するのが怖いから、バージンを言い訳にして男が近寄らないようにしているじれったい女。」

「えっ?」

ゆり子がビクっと顔をあげ美和子を見る。北村も涼も固まる。

「で、ここが一番問題。女の体ならいくらでも熟知しているくせに、女心が全く理解できず真剣な恋愛を今まで一度もしたことがない、世界一情けなくて意気地のない男、、とか?」

(、、お、おれか?)

「だから、北村さんの恋愛事情なんてたいした事ないから、元気だしてね。」

ニコリと一人笑った美和子だったが、残りの3人は、痛いところをつかれすぎ、あまりの的確な言葉に何も言えなかった。



*****

結局最後は北村と涼だけが残った。美和子はさすがにダンナが待っているからと帰り、ゆり子も一緒に居酒屋を後にした。

「久しぶり楽しかったな?」

北村が素直にそう言う。

「谷ってやっぱ、すごいな。あいつがいるSCMってやっぱすげえ。」

北村は谷美和子に感心していたようだった。それは涼も同じだ。美和子は決して仕事中、ゆり子に対してため口を聞くことはなかった。名前もいつも苗字で呼んでいた。だから、今夜、ユリタ(実はゆりタンの略)とか、ズケズケとゆり子の心の中に入っていく、またそれを許しているゆり子、社内では絶対にお目にかかれない、この2人の関係はとても新鮮に映った。

(将を射んと欲すれば先ず馬、、か。)

馬に例えられた美和子には多少気の毒ではあるが、確かに、美和子が味方になれば、涼にはこんな心強いこともない。

「なあ、北村、おまえ、倉沢のこと?」

涼はそっと、今夜の本題に話を持っていく。

「ああ、なんか、わかんねえ。俺さ、なんだったんだろう、あの気持ち?  課長になる前、結構仕事が立て込んで、トラブルもあったし、一緒に仕事する時間が多かったから、なんか気持ちが一人で盛り上がっちゃんだろうか? わっかんねええええ、、、」
「ん?」
「あの衝撃の夜、、俺が交際申し込んで向こうが処女だつって 本もらって、って、あれからぶりに今日ミーティングで倉沢と顔合わしたんだけど、全然普通でさ、、俺。倉沢の態度も自然だし、、、俺もなんかこう、好きだったっていうのが思い込みだったのかっつう、、、、わっかんねえええ。」

北村は頭をガシガシ掻く。その前で、涼はグイと芋焼酎をのどに流し込む。

「そうか。」

34にもなって自分の気持ちがわからないとは情けない話にもほどがある。結局仕事は出来て社会で一人前みたいな顔して働いても、所詮はそれだけのこと。涼にしても北村にしても、人間的にはお粗末きまわりないのだと。涼はしみじみと焼酎を味わいながら、さきほど谷美和子から図星を指された言葉を思い返す。

『真剣な恋愛を今まで一度もしたことがない、、、、』

「北村、俺さ、今日、谷にも言われたけど、“マジ恋愛” したことない気がする。つうか情けない、、、あんだけ女と付き合ったのに、なんだったんだって、、マジ恋愛ってなんだっつうの。」

涼が珍しく肩を落として弱音を吐いた。

「おい、嘘だろっ? お前のそのへこんだ姿、ありえないから。あの自信満々いや、過剰のお前が、、、」

あぜんとする北村。

「ふん、いいぜ、笑って。くそっ。まじ、もう俺ほしいものにしか手ださねえよ。」
「まあ、そりゃいいことだよ。俺たちはもうそこそこの年なんだし、いつまでもつまみ食いばっかしててもよぉ。ここらで腰をどんと落ち着かせないとな。」

ついここ最近の多難なる出来事で、すっかり悟ったような北村だったが、涼の真意はまだ読めないまま。

「まあ、涼もさ、これからの出会いを大切にしてさ。」
「俺、まじ、攻めるから。倉沢を。」
「うん、倉沢なら誰かいい人 紹介してくれるかもな。あいつ頭いいし、よく気がつくから、きっとお前に合った奴を探して、」、

北村の言葉を最後まで言わせない。

「ちげーよ。ほしいんだよ。俺が。手に入れる、倉沢を!」

「え?え?えええええええええ?」

『運だけ』で仕事を取ったのではないかと言われる営業課長、北村良太。だが本当の彼を知っている人はみな口をそろえていう。あいつはすごく実力がある。ただ、天然なだけ、、と。
ポチリ嬉喜
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