処女の落とし方

9.


注釈:スペイン語・英語での会話表記【】

*****


設楽涼は今雲の上にいた。本来なら部下の牧川だけで行くべき出張を、直前になって同行してくれというオファーが現地支社から入り、今、牧川を隣に従え、メキシコまでの長く味気のない飛行時間を費やしている。

来月、顧客からの依頼で監査が実施される事になったので、先にリハーサルとなる事前監査の実行をする、と言う出張目的。ついでに米国に本社を持つ大手食品会社の支部がメキシコシティにあるため、その売り込み。そして最後が、メキシコでの日本輸入手続き、多発トラブル防止対策確認。この案件3件をもって、片道15時間かけて5泊というのは、かなり強行軍。涼はすでに何度も足を踏み入れて勝手知ったる なのだが、今回は初メキシコ出張の牧川の補佐にまわる。きついスケジュールの上、メキシコシティ標高2300m近くある高地。富士山の5合目相当と言われているため、身体的にもきついところ。その牧川は、夕食を終えた今、涼の隣で、すっかりリラックスしてかわいい寝顔を見せつけながら熟睡中。

(こういうの、やっぱ、かわいいんだろうな。)

なんとも小型犬を思い出しながら、涼は買ったばかりの本のページを開く。先ほどからキャビンアテンダントの若い女性たちが、氷のような美形王子と子犬のようなかわいい王子様に注目してくれているらしく、入れ替わり、立ち代わり、何かと世話を焼きに来てくれる。呼んでもいないのに、『飲み物を何かお持ちしましょうか?』と今しがたも言われ、頼んだ白ワインを持ってきてくれていた。今、そのグラスを手にしつつ、ちょっと気恥ずかしく思いながら表紙をめくる。たまたま目に飛び込んでつい、買ってしまった本。

“ロストバージンをしたい女達”

(まいった、、、かなり、まいっている。)

そう、かなり途方にくれていた。ゆり子→処女、に呪縛されてしまっていた。実際、涼は過去の女とは、100%経験済み、としかやったことがない。遡るころ、本当に若い学ラン時代は、同級生とか後輩とか、それは、、もちろんバージンもいた。だが、ここ10年以上は、やってない。つまり、社会人になってからは一度も、経験していない女とは未経験なのだ。ややっこしい話である。

本の目次は大まかに、若い未経験の女性、と、20代後半以上の未経験の女性 とに別れていて、著者が女性というのも気に入って、つい手にとってしまった。こんなのを牧川に見られたら、いくらブックカバーをしているとはいえ、ヤバイ、と思う涼は、読みながら、チラチラと牧川を見たりする。だいたい谷美和子が、女心を全く理解できない、と涼のことを切って捨てたのに対し、はたして、自分は本当にそうなのだろうか、と思案の挙句の末路が、これだ。

(情けない、、、でも、、、)

どうしても倉沢ゆり子は手に入れたかった。ただ、今までの涼では、きっとゆり子は自分の手には落ちないことも知っている。その上、ゆり子がどうも北村とのことをやぶさかではないようにも見える。マジ恋愛、と言う言葉が、何度も何度も頭を巡る。酒を飲んだとき手にふれるくらい傍に座ったゆり子の美しい流線に、思わず触れて確かめたい気持ちにかられ、何度も理性でそれを抑えた。北村には、手に入れると宣言したが、それが『体』なのか、『心』なのか、、涼の気持ちが定まらないのも事実。まずは手堅く、と涼は心に決め、とにかく、メキシコ出張が終わったら、“馬ヲ射ヨ” の美和子とは一度サシで話してみよう、と思っていた。


*****


事前監査は順調で、これなら本番は大丈夫のようだ。以前指摘したことなどがかなり改善されている。今後の課題も新たに見つかったが、これはひとまず日本に持ち帰り検討することに落ち着いた。

【本番は来月20日となります。第3者に監査業務が委託されますので、当日はその監査会社と、日本からは、設楽課長とわたしとで再度訪問させていただきますのでよろしくお願いいたします。】

アクセントをしっかりつけた正確な英語で牧川はみんなに挨拶をした。彼は着いた早々は時差ボケやら、空気がうすいので頭痛とかで見るも無残だったのだが、さすがに若さは何にも勝る特効薬。すぐに回復の兆しを見せ、今は、明らかに自分の風貌を意識して、キレイ系少年の笑顔をメキシコ人のスタッフに振りまいていた。ここでも女性からの評判は高い。

「じゃあ、あとは、輸入関係の問題点、再度、ローカルスタッフと検討して。それから、日本のSCMとテレカンするんだったよな?」

涼の確認がはいる。

「あっはい。一応明日夕方6時からです。」
「それで、ローカルスタッフにはちゃんと説明したか? ここは日本じゃないんだからな。スタッフは残業なんかしないぜ。みんなに残ってもらうわけだから、ミーティングが無駄なく進むように、もう一度SCMにメールだしてポイント押えておけよ。」
「あっ、はい。そうします。」

素直に聞く牧川のきらきらした瞳を見て、何とも言えない気持ちになる涼。

(気恥ずかしくなるくらい、まっすぐな瞳をしてる奴。)


*****

(こいつは、初めて来たわりに、地元にさっさと溶け込こんで、、かわいさっつうのは世界共通かよ?)

先ほどから涼は牧川を観察中。今夜はローカルスタッフが涼と牧川を誘ってメキシカン料理と舌鼓。事前監査もほとんど大きな問題がなかったというだけで、すでに本番が終わったようなテンション。さすがは、ラテン、とっくの昔にテキーラで出来上がっていた。メキシコ駐在員の坂田は、涼がスペイン語に不自由しないし、すでにスタッフとは馴染みということで、今夜は遠慮します、と言って早々に帰宅してしまった。日本人は涼と牧川の2人で、あとは7,8人のメキシコ人たちに囲まれて、今、まさに宴たけなわ。

【リョウ飲んでる?】

品質管理のパティが涼の隣でわざとすり寄ってくる。彼女の生まれ持った長い睫毛をパチパチしながら、妖しげな瞳で誘惑をする。彼女は胸が大きいのをわざと強調している情熱の真っ赤なV字セータで、胸の谷間をチラチラさせながら、涼の体まであと少しと迫ってきていた。こっちの女は本当に自分の長所を見せるのが上手い。胸を少しツンとあげて、ボリューム感のある長い巻き毛を何度も後ろにかきあげる。先ほどから牧川がこっちを見てどうやらパティの胸に釘付けになっていた。

【パティ、本番も頼むね。】

涼は、軽くウィンクして彼女のテキーラグラスに、自分のショットグラスをカチンとあてて、『乾杯!』と一気に飲み干した。空のグラスをテーブルに置くときに、自然な態度で、しかし実は意識的に、パティから少し距離をとった。牧川が、2,3人離れた席からこちらをうかがい、ため息をつく。

【リョウ、今夜もダメ? 女のあたしに恥じかかせないでよ。】

涼の耳元でささやく。涼は笑って、相手にしない。

【オレ、きみのたくさんのファンから殺されるのやだもん。】

軽い口調でやんわりと拒絶する。彼女の誘いは毎回で、さすがの涼も現地スタッフとのゴタゴタだけは避けたいと思っていたが、今はゆり子への気持ちがあるだけに尚更だ。

【ゴメンね、パティ。】

そういう涼はいつもの涼やかな瞳で彼女の目を見つめた。

【信じられないわよ。涼。日本人ってみんな誘惑に弱いでしょ? あなたくらいよ、一度もあたしの手に落ちないの。】

(おいおい、じゃあ、駐在員食いまくりかよ?)

頭を巡らせながら今までの駐在員の顔が浮かぶ。

【サカタなんて、超しつこい。まいっちゃう。うふふ】

まんざらでもなさそうだが、なるほど坂田が今夜こなかったことに合点がいく。駐在員がローカルスタッフに手を出す(いや出された)とは、あまり褒められたことではないが、所帯を持っていないだけ良しとした。

【頼むからあんまり苛めんなよ。あいつ恋わずらいになったら仕事手つかなくなるから、困るよ。下手したら、オレが次の駐在になっちゃったら、困る、困る。】
【あら、じゃあ、そうしよう。リョウがこっち来れば、あたしも本腰入れて口説けるし、、あら?】

パティはしゃべりながら、牧川の視線に気がついたようだ。

【あの坊や、あたしを見てるのかしら? それともリョウ?】

牧川が少し赤くなって目をそらしたようだ。なるほど、お前は、こういうわかり易いお色気が好きなのか、とちょっと安堵した涼。今は疑心暗鬼、誰も彼もがゆり子を狙っているようにみえるのだ。
ポチリ嬉喜
inserted by FC2 system