シークの涙 第二部 永遠の愛

26.

「ふうっ」

 画面を見定める瞳が霞み、思わずラビは眼鏡のブリッジを押し上げて目頭をゆっくり揉み始めた。モーセがタンパベラへ行ってしまってからすでに数週間だ。下手すればあっというまに1か月が経ってしまうだろう。モーセが社を不在にすることなどは珍しいことでもなかったし、過去に何度も何度もあった経験から モーセの不在は心得ているラビだ。必要事項は、文書にて頻繁にメールで連絡していたし、緊急な案件ならば電話する。それが、今までのモーセが不在中のラビのルーティンだった。ハナと結婚してからは、モーセがナイヤリシティを留守にすることは極端に減った。いや、今回の不在が、結婚して初めてのことだと言っていい。それどころかモーセの不在がすでに1か月経とうとしている。

モーセとハナとの間にいったい何があったかは、ラビ自身はっきりとはわからないが、モーセがハナと敢えて距離を置こうとしていることはラビにもわかっていた。そしてモーセの複雑な心境もラビには痛いほどわかる。モーセは必ずといっていいほど、夜の終わりにはラビに連絡してくる。今までは何かなければ電話などしないモーセだった。緊急事態でさえも、モーセに連絡をとるのをどれほど骨を折ったのかわからないラビだが、今回のモーセの “出張” はある意味ラビにとってモーセと連絡が取りやすい。

モーセの電話はいつも簡単だ。

 

【何かあるか?】

必ずこの一言だけ。ラビも心得ている。何かあれば連絡を怠らなかったし、モーセが帰ってからでもいいような事項は敢えて口にはしなかった。

 

『いいえ。本日は別に。』

 

そう答える度、ラビの耳に、沈黙が広がる。モーセは待っているのだ。

 

『実は、本日からお屋敷にエティが住んでいます。手術のために一緒に同行するトルタ夫人との親睦を図るためです。事後承諾になってしまったことをご容赦ください。』

【・・・・・】

『ハナさんも、エティがいるので寂しさが紛れるようで、少しはお元気がでたようです。』

【わかった。】

 

///ツーツーツー///

 

つまりは、何らかの形でハナの様子を聞くまではモーセが受話器を置かないことをラビは知っている。だからといって、己から距離を置いて愛人のところへ行ったモーセが、ハナの様子を自分から聞き出すはずもなかった。その辺は、モーセ以上にモーセを知っている出来たプライベート秘書は、あたりさわりのない話をしてモーセを安心させているのだ。

 

ラビは今日1日の疲れをはがすように、こめかみにも指を広げながら揉んでいく。さすがのラビも疲労困憊だ。モーセの留守中、通常以上にハナや屋敷の安全にも目を配り、仕事もそつなくスムーズにこなしていく。その上、セメロスの情報も気がかりだ。

 ///ピッ///

噂をすればではないが、スマホ画面にポップアップされたのは、セメロスと記された文字だ。メールを開けば、テクノロジーとは、あまり縁のないセメロスらしく、また盗み見される危険も考慮してか、短い文面が目に飛び込んだ。

 

【件名:一方通行

一人、頼りになる相手を見つけたが守りが固そうだ。是非相談にのってもらいたいので、近々会おう。今のところ順調の旨。】 

 

一見すればタイトルからしても恋の相談とも思えるメールだが、長年の付き合いから、セメロスが何か嗅ぎ付けたことをラビは理解した。

 

—ー―頼りになる…?

ラビはまだ知らない話だが、セメロスの第六感では、アバはジーナ側ではないと感じているらしい。早々に暗黒街から足を洗ったセメロスだが、年端もいかない中での闇世界での経験値は どうやら人を見る目を養ったようだ。セメロスの一瞬で嗅ぎ付ける “味方“、これにはラビも大きな信頼を寄せていた。

 

///カタカタカタ///

 

淀みなく動く指先で、ラビは、【カンティーナ・午後6時】とだけ打ち、返信を出した。

 

「ラビ先生?」

 

いつのまにかダリオの不安そうな瞳にラビが映っていた。驚いた顔をしたラビにダリオがあわてた声をあげた。

「す、すみません。驚かせてしまいましたか?でも、、何度もノックをしたのですが…」

数日前からエティはモーセの屋敷でハナと一緒に寝泊りをしている。ダリオは寂しさをまぎらすように、根を詰めているようで勉学と仕事に心血を注いでいる。 

「いや、大丈夫だ。どうした?結構な時間だよ?まだ寝てなかったのか?」

書斎机の片隅で毎日を時を刻んでいる古ぼけた置時計を見ながらラビは、カタンとスマホを机に置いた。

 「大丈夫です。それより、ラビ先生これを見てください。」

興奮しているせいか、ダリオの頬は上気していて、エネルギーに溢れていた。ラビの視線が、ダリオがプリントアウトした書類に置かれる。どうやらモイーニ・エンタープライズの株価に関する情報だ。

「大きな声では言えないのですが…わが社の株を買った人たちの情報です。」

「まさか、ハッキングしたとか言うなよな?

「ノーコメントです。」

平均の13歳よりは随分背は高いダリオで、いつも年より上に見られるのだが、今は、肩を竦め、いたずらっ子のような顔をしている。短い間でも、ダリオの学びたいという意欲は、乾燥した固い土に吸い込んでいく雨水のように、果てることはない。そのお陰で、前から興味のあったPCシステムの知識をある程度身につけた。モイーニエンタープライズのIT部署のトップにいるステファン マッシュ =ダリオが師匠とあがめる= には、まだまだ遠く及ばないが、この“ある程度の知識” は、すでにラビの知識を遥かに超えている。ステファン マッシュ本部長はダリオのあっというまに吸収していく学ぶ枯渇力を面白がり、かなりの裏ワザも伝授しているようだ。お陰で、ダリオのコンピューター・ネットワーク・コミュニケーション力もかなりのものだと、ラビは聞いている。コンピュータの達人とは想像だにできない、大柄で大きな手をしているステファンを思い出す。あんな大きな手では正確なキーを押せないのではないかと危惧もするが、彼がいったんPC画面の前に座ると、まるで才能に溢れた指揮者のように、黒い画面にはプログラムの文字が連立し始め、息を吹き込まれたようにPC内部の脳が動き始めるのは圧巻だ。若い頃は西欧諸国などで有名なハッカーとして目をつけられていたという噂もある。あまりディープなゾーンにダリオを誘い込むことにはしないように、ステファンには一度、釘をさしておかねばならいと心に記憶して、ダリオの指さす箇所を覗き込んだ。

「これは?」いますよね?なぜか買い注文が増えるから、買ってる人はどんな人なのかと調べてみました。」

数名の名前が羅列してあった。ラビの知っている署名人もいれば、まったく聞きなれない名前もあった。

「ここ数か月、月末にわが社の株が急騰する現象、覚えてらっしゃ

まじめ腐った顔をしているダリオはまだ13歳。周りにいる子たちと比べ、体は大きいとはいえまだ少年だというのに、ラビの前で目を輝させているダリオはなんだか頼もしかった。

「それで、”ここ数か月” というキーワードで調べてみれば、ほとんどのリストの人たちは、もうずっと前から買い注文をしているから、ここに始まったことじゃない。だから、消去法で削っていくと、この男だけが残りました。」

ダリオは人差し指で、その名前の下をなぞった。

【アブドラ ハーディー】

ラビは口の中でその名前を反芻したが、聞き覚えのない名だった。ダリオは回りくどくならないように細心の注意を払って説明を始めた。

「去年の暮から、彼の月イチでの我が社の株買いが始まりました。しかも、大概、決まって25日。25日が週末にかかるときは前倒しで買っています。」

ラビは興味を覚えたようで黙って頷いた。

「で、この男のバックグラウンドなんですが…」

ダリオはパラリとファイルのページをめくった。

「現在49歳、ビジネス経営者。具体的には金持ちをターゲットにする高級倶楽部をいくつか経営。毎月1000万近くの資金でわが社の株を買っています。」

ダリオは言葉を切って、息を大きく吸った。

「で、一番の興味深い点は、毎月わが社の株を買うときはいつも現金だっていうことなんです!」

「まあ、大切な顧客だ。証券マンもありがたくお金を取りに行くだろうね?」

「いえ、この男はいつも証券会社に出向いてキャッシュ払いです。」

ラビは驚いた。大きな株買いをする人間は証券会社にとってはVIPであり、客が現金で支払いたいという希望であれば、それこそ大金なのだから、顧客宅に出向くのが通例だ。金を持っているものにとっては、現金がすべてで銀行に一切金を預けたくないものだっているだろう。だがダリオの話では顧客自ら支払いに出向くという。そこにラビはひっかかる。ダリオだって不審に思ったからこそ、こうやってラビに報告しているに違いない。

「ただ業績なんですが、」

「うん?」

「どの事業もあまりうまくいってないようです。」

「つまり、毎月1000万もの金でわが社の株は買えるほどではないと?」

「はい。ただ、裏帳簿とか…その辺は調べてみないとわからないのですが。」

「うん、わかった。じゃ、ステファン マッシュ本部長のサポートについて、調査を続行を頼むよ。僕から本部長の方に話を通しておく。」

「あ、はい。」

ぺこりと頭を下げた。尊敬しているラビの役に立てたのかと、ダリオは子犬のような人懐っこい笑顔を浮かべた。まるで綿ふわふわな毛でなでられたように、ラビの心は心地よさに包まれた。

 

「だが、勝手な行動は禁物だよ?」

「え?」

ここまで調べ上げたダリオの腕は大したものだ。だが、アドラ ハーディーがキャッシュで毎月株を買うことも、おそらく、カード会社や銀行などへハッキングし、ハーディーの金の動きを調べていたに違いなかったし、また当然、証券会社のシステムにも忍び込んだのだろう。あまり褒められた話ではないが、それくらいしなければ、悪党の尻尾などはつかめない。敵の多いシークの側で働くラビにとっては、殺人こそしないとしても、時として、犯罪ギリギリの駆け引きをやってきたわけで…けれど…ラビは真剣な眼差しでダリオを諭す。

「ハッキングは犯罪だということを心に留めなさい。そのスキルは、いいことにも使えるけれど、一歩間違うと悪いことにも使えるということ。」

「……」

「だから今は、ステファン マッシュの下で腕を磨き、自分勝手な暴走は絶対に抑えなさい。キミはまだまだ世に出て学んだばかりだ。何が正しくて何が間違っているのか、キミの器量では測れなこともあるんだよ。」

「はい。」

最後の声音は優しくダリオの心を撫でていった。若さの情熱で、感情に流され、正義をはき違えることもある。ただそのときは、己の愚かさがわからず、ただ暴走してしまう。そんなことを危惧したラビの言葉だ。ダリオは黙って頭を下げた。おそらくダリオを心配してのラビの気持ちは伝わったに違いない。

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随分お待たせして申し訳ありませんでした。

一旦書いた原稿の添削と、

またどこの段落まででアップするのかで修正・手直しをするのが

とても苦手で、時間がかかります。

(それでも誤字脱字があるので落ち込みます)

すでに聡明な読者さまの中には、エピソードによっては読む文字数が短かったり長かったりと

不安定なサイトだと思われているかと思いますが、

それ、作者の試行錯誤している証拠なのでございます。

一応、1回の更新で、3000文字数をめざしているのですが

どうしても話の流れで、そううまく文字数で切れなかったりということで

いつも頭を悩ませています。今回は、そこそこ長めです。

というか、なかなかハナとモーセのラブラブがなくてごめんなさいね。

先に謝っておきます(;'∀')

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